漫画と、アシスタント

遠瀬みどり

漫画と、アシスタント

兄は病気で、あまり長くは生きられないということは、僕が高校生のときにはもう知っていた。

でも、だからといって兄との時間を積極的に作ったりはしなかった。

その頃の僕には夢があり、しかし、それは実現する可能性が低く、周りからは反対されていた。


その夢とは、漫画家になること。

幼いころから漫画を読んできていたから、漫画はずっと好きだった。

僕の夢を確固たるものにしたのは、ある一つの漫画だった。

その漫画を読んだとき、その圧倒的なクオリティに、初めてこう思ったのだ。


 「こんな漫画を描いてみたい」と。


それからは絵の練習をしたし、ストーリーの作り方も学んだ。


中学三年生にもなり、そろそろ進路について親と話し合う時期にもなった頃、初めて親に言った。


「将来は漫画家になりたい。」


でも、僕の親は認めてくれなかった。

親は安定した職に就くことを求めていた、夢を追うことより。

もちろん自分の漫画だって見せて説得したけど、足りなかったらしい。


それから僕は人間不信になった。自分を理解してくれる人はいないのだと。

そして、親と関わることも少なくなった。

兄もそうだ。部屋が同じせいでよく僕の漫画を見ては、にやけて馬鹿にしたような表情をしてくる。

机にお菓子が置かれることもあるが、それを見るたびに馬鹿にされているような感覚になる。

何が「頑張れ」だ。

そんなの言葉だけ。


だから、兄がもう先長くはないと聞いた時、なんとも思わなかった。

亡くなったときも、今も。


――


高校を卒業して、自分の新しい家に移った。

ここにはもう、誰も自分を貶す存在はいない。

あとは、書くだけだ。

そう、一心不乱に書き始めた。


だけど、住み続けているうちに、不思議なことが起こるようになった。


漫画を描いている最中、たまに気づくと脇に見知らぬお菓子が置いてある。

漫画を描いていて寝落ちしたとき、翌日起きるとなぜか毛布を羽織っている。


事故物件でも掴まされたかと思ったが、不気味ではあるものの自分にとって害にはなっていないため、特に気にしてはいない。


――


一人暮らしを始めてから五年が経った。

何度か出版社に原稿を持ち込んだり賞に応募したりしているが、一向に引っかかる気配がない。

担当者から言われるアドバイスもいまいちピンと来ない。


ここまで来ると、嫌でも考えてしまう。


自分には才能がなかったのではないか。

自分を見下していた人間のほうが正しかったのではないか。

自分には一体何が足りないのだろう。


そう考えていると、アシスタントが毛布をかけてくれていた。

アシスタント、僕がこの部屋に住み始めてから、ずっと僕のことを助けてくれている。

幽霊、といった表現が正しいと思う。未だにその姿は見たことがないから。


アシスタントはいつも、僕を応援してくれている。


こんなことで諦めてはダメだと、一念発起した。


――


さらに一年が経った。

もう、この生活も限界だ。


どうして。

僕はこんなにも漫画を愛しているのに。

僕は漫画をただただ一心不乱に書いているのに。

どうして漫画の神様は、微笑んでくれないのだ。


……もう、疲れた。


僕は、この世界と別れることにした。


――


冥土の土産に、といってはなんだが、最後に街を出歩くことにした。


季節はどうやら秋らしい。

今いる公園の歩道からは、紅葉と銀杏、そしてそれらの絨毯を、画面いっぱいに見ることができる。

改めて見ると悪くない景色だと思う。


ふと、ある親子の会話が聞こえてきた。


中学生くらいの子と、その両親だ。


「母さん、やっぱり公園で散歩なんて時間の無駄だよ!

僕もう受験生だよ?こんなことより、勉強をした方が……」


かける、確かに勉強は大事よ。

だけども、無理をしてはダメ。

勉強ばかりしていると、ストレスも溜まるでしょう。

でも、そのストレスはどこで発散させるのかしら?

たまにはこんな風に、気分転換することもいいわよ。」


「あと、同じことばかりしているとされるというデメリットもあるぞ!

例えば数学の問題で、そうだなー、図形問題を例としよう。

面積や体積を二通りで表して線分の長さを求める問題ばかりやっていると、相似や三平方の定理といった、初歩的な発想が思いつきにくくなってしまう。

なぜなら、『線分は面積二通り』という考えに囚われてしまっているからだ。

逆も然り、だ。

ここで大事なのが、問題に触れることだ。

そうすることで自分の視野が広がって、より柔軟な、また、斬新な考えを思いつくことに繋がるんだ。

もちろん数学以外だって同じだ。

現役教師の俺が言うんだから、間違いないぞぉ!」


「……そっか。それもそうだね。」




それはまるで、今の自分へ向けたメッセージなのではないかと疑った。


僕はこれまで漫画一筋で、それ以外のものは極力絶ってきた。

漫画の邪魔だと思ったからだ。

しかし、もし僕が映画に、アニメに、スポーツに、友人に、漫画以外のものに、触れていたとしたら、何か変わっていたかもしれない。


現に今、こうした気づきを得られているではないか。


自分の中で熟成し、凝り固まった考えに固執して、自分と考えの違う他人が許容出来なくなっているのではないか。

僕はこれまでの生活に後悔し、そして、こんな簡単なことにも気づかず自殺を考えていた浅はかな自分を、恥じた。


――


それから、まず、実家に戻った。

こんなほぼ無職を家においてくれるか心配だったけど、なんと許してくれた。

そして謝った。

自分が絶対的に正しいと、考えを聞こうとしなかったこと。


両親は泣いていた。

そして、「おかえり」と、そう言ってくれた。

それを聞いて、やはり自分は間違っていたと確信した。


僕は、こんなにも愛されているじゃないか。


そして兄の仏壇の前で、兄へも謝罪する。

当時は本気で兄が僕をばかにしていると思い込んでいた。

今考えると、どれも自分の歪んだ見方でしかなかった。

応援している弟に、最後まで無視される。

そんな兄を思うと、とても、とても、申し訳なくなった。


――


次の作品で何もなければ、漫画を描くことを辞めることにした。

作業場所はもちろん実家だが、これまでのどれとも違う、新しい作業環境だ。


作業が一段落し、ふと横を見ると、チョコレートが置いてあった。

どうやらアシスタントもついてきたらしい。となるとあの部屋は事故物件ではなかったようだ。

僕は昔からチョコレートが好きだけど、このアシスタントは何故か最初から僕の趣向を把握していた。

まあ、たまたまだろう。


――


最優秀賞


その知らせを聞かされた時、自分のこれまでが報われた気がして、思わず泣いてしまった。

最優秀賞作品は月刊連載を持てることが約束されている。

つまり、念願だった漫画家デビューをするわけだ。


本当に、嬉しかった。


……ふと、


「おめでとう。」


そんな声が部屋からしたが、確かにこの部屋には今、僕一人しかいない。




その後、僕のアシスタントは人に変わった。

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漫画と、アシスタント 遠瀬みどり @midry3

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