サヨナラ熱量

蓮谷渓介

サヨナラ熱量

 これは、最近のお話。

 ある所に男が居た。


 「あぁ、もう朝か」

 男はベッドに横になっている。外から聞こえて来る小鳥の鳴き声で朝を知らされ目覚めた。

 眠気の抜け切らない体を起すつもりも無く、男は小奇麗に纏まった部屋の何処か空間を凝視する。

 都会のワンルームマンションに一人で暮らす平凡な男には不思議なものが見えた、ソレは意識すれば何処にでも、一定の距離を置いて現る。近い時もあれば、遠い時もある。

 物心つく前からソレは男と共にに有ったようで、男は「カル」と呼んでいる。何故そう呼ぶようになったかは昔の事で忘れてしまった。触ることは出来ないが会話は出来る、カルの気が向けば、だが。

 男は見つめる先に向って話しかける。

 「もうすぐ、か」

 男の視線の先には、テニスボール程の、愛らしいマスコットキャラクターの様な頭部がクルクルと回転しながら浮遊していた。デフォルメされたアニメ的造詣のソレは誰が見ても愛着が湧き、手に取りたくなる様な愛くるしさを持っている。そして常に微笑みを湛え、何処か遠くを見つめていた。カルが此方を向いても視線が合った事は未だかつて無い。

 表情のある無表情。とでも言おうか、常に同じ顔をしている。

 

 最初に見たときは、ビー玉程の大きさだった。幼稚園の年長の頃だったか。年齢を重ねる毎にカルも大きくなった。子供の頃は、その愛くるしさに惹かれ仲良くなりたくて良く喋りかけていた。母が昔の話をする時は何時も話題に上がる。小さい子供がいきなり誰も居ない処に向って喋りだ出す光景、それは異様だったろう。

 初めて出会った時、まだ子供の男を見てカルは「夢を持てば熱くなる」と呟いた事があった。他にも喋りかけられた事はあったと思うが、月日の流れが記憶の奥底へと沈めてしまった。

 小学校、中学、高校、大学と順調に進学した男は長年連れ添うカルについて或る事に気が付いた。其れは、自分が希望を持ち、自信を持ち、充実した生活を送っている時、カルの表情が一段と明るく、サイズも大きくなっている事だった。男は嬉しかった。カルも応援してくれていると感じた。しかし、希望に満ちた生活はそう連続する物では無く、失恋、失敗、挫折などを経験した。そんな時のカルといえば、サイズは変わらないが表情が少し淋しげになっていた(それでも微笑んではいる)。しかし、立ち直るまでは時間を要したものの、新しい目標や希望が見つかれば前に進むことも出来たし、カルも明るく、更に大きくなった。

そう言えば立ち直った時、珍しくカルが応援してくれた。

 「夢や希望は絶やしてはいけないよ。 僕は君が好きだから」


 それから数年後、男は自身の完璧な将来設計に基づいた行動により就職先で異例の速度で昇進し、管理職の地位に就いていた。その頃には、カルを意識することなど無く、見ることも無くなった。

 そして男は次の昇進時期に差し掛かる。今進めているプロジェクトの成功如何に将来が掛かっていた。敵は多いが、やりがいはある。男はそのプロジェクトに情熱を注いだ。しかし、敵対する派閥の妨害工作に遭い、成功直前だったプロジェクトは一転して、暗礁に乗り上げ、そのまま失敗してしまった。

 男は全ての責任を負い、追い詰められ、最終的に辞職することで事態の収拾を着ける事にした。

 情熱の全てを捧げた仕事が失敗し、男は生きる希望を見出せずに居た。其れは長く深い闇夜の航海に出る様な、不安と絶望、孤立感を男に齎した。

 男がもう寝ようかと、ベッドで横になっていると、

 「ねぇ、どうしたんだい?」

 声が聞こえる。懐かしさを覚えるそれは、久しく気にもしていなかったカルだった。

 姿を見せずにカルは言う。

 「このままじゃ、燃え尽きてしまうよ。其れは困る」

  男は急に、ジリジリと焼けるような鈍い痛みを心に感じ出した。熱い……。

 「僕はカル、又の名はカルマ。カロリーとも呼ばれてる。人間一人に僕一つ。君達人間は、ゆっくり燃えながら、生を過ごす。僕達はその燃える炎そのもの。生きる希望、明日に燃える情熱、絶望の淵を焦がす無明の炎、そして物質的な生命代謝」

 男の心の熱さは次第に思考能力まで奪っていく。そんな中、朦朧とする意識でなお言葉を返す。

 「そうか、では俺と君とは一蓮托生ってことか。なら君が困ることは無いだろう。俺はまだ死ぬ気なんてさらさらないぞ」

 と男が言うと、突然、空間に線が縦に走る。それは部屋を二分する程に左右に広がると黒い空隙が現れ、そこからぬっと巨大なゼリーのような不気味な物体が姿を現した。

 「困るんだ、君が死ぬかもしれないから」

 その部屋を埋め尽くさんとする巨大で不定形な物体は、巨大化したカルの姿だった。

 「君の仕事に掛ける情熱は尋常では無かった。その熱は僕を際限なく成長させ、普通の代謝じゃ満足出来ない程になってしまった」

 「だから、どうなんだ?」

 男は質問をしたが、返答を理解できるか、自分でも怪しいと思うほど意識がぼやける。

 「僕は今までの君の異常なまでの情熱に寄り添いエネルギーを得て、そして大きく熱く燃え滾った。それほど希望や情熱は良質で優良なエネルギーなんだ。しかし今では君は全ての情熱を失い、冷え切ってしまった。僕はこんなにも膨大な熱を帯びているのに。そのうち僕も冷えて小さくなって行くだろう。でもそれまで君に今まで育てた膨大な熱に絶えられる気力が有るかい?」

 そうか、コイツは俺と共に成長していた訳じゃないのか。ただ一方的にこの存在のエネルギーとして俺のやる気、熱気が吸収され、結果大きくなっていたのか。

 生への希望溢れる情熱の炎、そして身を焦がす地獄の業火。それは実在し、そして表裏一体の同一存在だった。この身を焦がす感覚は、生を得るもの、熱を持って生きるものが須らく持つ生命機能の弊害、だった……のか。

 そこで男の意識は途絶えた。

 

 ――「あぁ、もう朝か」

 男はベッドに横になっている。外から聞こえて来る小鳥の鳴き声で朝を知らされ目覚めた。

 意識の途絶えた日からどれだけ日が経っただろう。

 男の視線の先には、テニスボール程の愛らしいマスコットキャラクターの様な頭部がクルクルと回転しながら浮遊していた。

 男は食を断ち、部屋からも出ず、ただベッドの上で一日が終わるのを待った。


 もうベッドから起きる力すらなく、目の前を見つめるのが精一杯だった。

 

 「もうすぐ、か」

 もうすぐ、カルが消滅する。自身に降り注ぐ地獄の業火のような熱の元が消滅に近づいているのだ。

 男は思う、もし、仕事が上手く行っていれば、と。しかし、そんな事はもう如何でも良かった。カルが小さくなったのと同じく、男の野望も小さく、あるいは消えていたのだから。

 男は思う、もし、仕事に敗れても、新たな目標を見つければ、と。しかし、考えるのを止めた”もし”とか”だったら”などと言う選択肢を作り出す希望もカルと同じく小さく、あるいは消えていたのだから。

 今、男にあるものは希望ではなく、望まぬ心。全ての望みは、熱を持つ。その熱は些細なきっかけで自身に灼熱の業火となって襲い来る事を知った末にたどり着いた、この男の答えだった。

 「ごめんよ、カル」

 そう言うと男は一筋の涙を流し瞳を閉じた。 

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サヨナラ熱量 蓮谷渓介 @plyfld

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