ゆうれい補導員

Y

CASE1:笑う踏切

暖かい夕焼けが射す、こじんまりとした事務所の一角で、ジョージはうとうとしていた。

デスクは、気持ちがいいほど何も置いておらず、まるでホストのようなチャラチャラした見た目の彼に似合っている。

この時間は暖かく気持ちがいいので、所長が居ない時は大体、寛ぎまくっている。

「あ~、眠ぃ~…」

ボケっと呟くと、事務所のドアが開いた。そして、30代半ば程の女性が入ってきた。

「あら、帰ってたの。」

そう言うと、ジョージは答えた。

「はい、今日は、5時間張りましたけど、収穫無しでした。」

すると女性は少し顔をしかめて答えた。

「そう、中々しっぽを掴ませてくれないわね。」

そう言って軽くため息をつく。するとジョージはテンション高めに言いながら、レポート用紙を何枚か差し出した。

「あ、でも今日、新情報ゲットしたんで、まとめときました!」

そう言われ、彼女はレポートに目を通す。

「へえ、この人は深夜なのね。まあ、その方が普通なんだけど。この間の人は確か、真昼間だったわよね?」

「はい、昼休み中って、言ってました。」

すると女性はレポートを見続けながら、言った。

「そう、じゃあ今日は、もう帰っていいわよ。」

すると彼は嬉しそうに言った。

「まじすか!よっしゃ!実は今日、合コン誘われてたんすよ!今から、カっ飛ばしてきまぁ~す!!」

そして風の速さで帰り支度を終えた。そして、明日の予定を女性に尋ねた。

「明日は、夕方から張り込み開始するから、昼出勤で良いわ。じゃあ、アフター5、楽しんできて。お疲れ。」

さらりと答えると、女性は立派なデスクの椅子に腰かけて、スマートにノートパソコンを開いて仕事を始めた。

「ちっす!あざっす!お疲れ~っす!!」

そうして、彼はスキップでもしそうな勢いで、事務所を後にした。


女性の名前は芦田陽子。この事務所の所長にして、弁護士の資格を持つ、キャリアウーマンだ。今年、35歳。ちなみに独身。

そして先ほど浮足立って帰って行った男は、津田丈二、24歳。元ホストの、チャラ男である。

ホスト時代はどうしようもない駄目男だった彼を、陽子がスカウトし、今に至る。

彼女は先ほどのレポートを見ながら、パソコンでメールを開いた。

そこには、こう書かれていた。


【件名:CASE4028 笑う踏切

差出人:協会地区委員、森下

詳細:目撃者及び体験者、2名。うち1名は取材拒否、残り1名の証言より。

約一ヶ月前、証言者が仕事の昼休憩中、踏切にて自殺を図ろうとした際、電車接近前の警告音と共に、妙な掛け声を確認。

『危険、駄目絶対』『支点力点作用点』『50、80、喜んで』『チイチイパッパ、チイパッパ、50、80、地井武男』など。

周囲には誰も確認できず、声は線路の内側から聞こえたとの事。

当協会的案件の為、調査願います。

追伸、又、ドーナツ持って、遊びに行くね~(●^o^●) ☆森下☆】


実は、この事務所は表向きは法律事務所となっているが、本業は心霊現象を解決する、芦田ゆうれい相談所である。

一般には知られていないが、全国霊導師協会という、心霊現象を調査・解決する事を目的とした組織があり、そこに登録している全国の霊能者達が、各々自由なスタイルで、協会から依頼される事件を解決しているのだ。

もちろん、協会を通さない依頼もあるが、一般に業種は伏せているので、数は少ない。

彼女がメールを見ていると、電話が鳴った。

「はい、芦田法律事務所です。」

すると相手はいきなりフレンドリーに言った。

「ハーイ、陽子ちゃん元気~?森っちだよ~。調査、いい感じで進んでる~?

さっきミスドでドーナツ買ったから、今からそっち行くね~☆」

すると陽子は答えた。

「あら、相変わらず悩み無さそうね。調査はボチボチ。情報は上がったけど、手掛かりはまだ無し。」

それを聞いて森っちこと、森下は答えた。

「あはは。いや、最近禿げてきて、ちょっと悩んでるんだよ~。て言うか、まだ現れないんだ?ま、そのうち出てくるだろうけどね~。あ、津田君、どうしてる?」

森下は少しアホっぽい。

「ああ、別に、相変わらずよ。元プータローの割には意外と上手くやってるんじゃない?」

「え~、彼一応、ホストやってたじゃ~ん、プータローって酷いな~。」

いつもの様に長電話になりそうな雰囲気を察して陽子は先手を打った。

「どっちでも良いわよ。あんた、とっとと来たら。」

そう言われて森下は渋々電話を切った。

その2分後、事務所のドアが勢いよく開けられた。

「森っち参上だよ~!!」

煩くて鬱陶しい声が響いた。陽子は、ふふ、と笑った。呆れている。

「相変わらずのテンションね。その元気、分けてほしいぐらいだわ。」

軽口を飛ばす陽子に、森下は、

「良いよ、分けてあげる。僕は毎朝、ジョギングしてるし、快腸だからね。元気モリモリ森っちって、呼ばれてるしね!」

と、更に鬱陶しい動きで絡んでくる。

ふふ、と、又ほほ笑む陽子に、森下はドーナツの箱を開けながら言った。

「早速だけど、あの事件、結構、時間、バラバラみたいなんだよね。新たな目撃者によると、夕方だったって。」

素早くポンデリングに手を伸ばしながら報告する森下に、陽子は答えた。

「朝、昼、深夜。24時間活動、さすが霊ね。精力的だわ、死んでるのに。」

すると森下がハニーディップを差し出しながら付け加えた。

「本当、これだけバラバラだと、時間帯で絞って調査も出来ないし、困ったよね~。けどさ、普通、夜に出るもんでしょ、幽霊ってさ。何でそんなにアクティブなんだろうね!?」

「そうね、大抵はね。でも時間帯問わずだと、全部、何か共通点が有っての現象なのよね、きっと。何か、あった?」

ハニーディップを受け取らずにチョコレートのポンデリングを持ちながら、しっとりと落ち着いた声で問う陽子に、森下は微妙な顔で言った。

「…う~ん、あるのはあるけどね~。ただ、全員ってわけじゃないから…。(せっかくハニーディップあげたのに!)」

「何それ?煮え切らないわね。」

「一応、前2件の証言者は二人とも、無意識にその踏切に引き寄せられて、飛び込もうとしたらしいんだよ。」

「…?無意識に…?普段から、思いつめていて…とかではなく?」

陽子の眉間にしわがよる。

「う~ん、いや、何か、やっぱり、聞きづらいじゃない?そういう事って…。相手も進んで話したがらないしさあ。」

そう言う森下に陽子は、まるで姉の様に喝を入れた。

「仕事でしょ、ちゃんと聞いてこなくちゃ。しっかり、森下!」

「やめてよ~。もう、そんな歳じゃないんだから~。娘もいるしさぁ~。」

口をとがらせて、困ったようにそう言う、森下35歳。

この二人の姉弟の様な関係は、二人が出会った、13年前から相変わらずである。互いに大学を卒業してすぐにこの協会に就職して、同い年だという事もあり、親しくなった。

まだ若い二人ではあったが、恋愛関係になるような事は無く、出会ってから年数が経つうち、お互い恋人ができ、別れ、又出来たりして、そして其々違う人と結婚した。

その間、穏やかに仕事以外でも何でも話せる関係を保っていた。

それは恐らく、歳よりもかなり落ち着いていた陽子が、歳の割には頼りない森下の尻ぬぐいをする事が多かったからかもしれない。

「あ、でもそういえば、面会した3人とも、かなりお疲れみたいで、結構やつれてたよなぁ…。」

思い出したように言う森下の言葉に、陽子は答える。

「このご時世、誰でもやつれたくなるわよ。でも妙な話よね。そんなに無意識に飛び込みたくなるものなのかしら。大体、掛け声がふざけてるわよね。何処かのアホが、いたずらで録音したのを流してるんじゃない。」

そう言う陽子に、森下は言った。

「そう思うでしょ?でもそれにしても現場押さえないといけないんだよね。周囲にそういう器具は一切無かったし。」

「…そう。じゃあ今夜、その踏切に行ってみるわ。」

「うん、お願いね。やっぱり、陽子ちゃん抜きじゃ解決出来ないからね!」

そうして、陽子の深夜調査が決まった。


3.

深夜0時。陽子は一人、例の踏切に来ていた。周囲には人っ子一人居らず、静まり返っている。元が人通りが少なく陰気な場所だが、この時間帯は特に不気味な雰囲気だ。

陽子はゆっくりと踏切に近づくと、辺りを見回した。今のところ、何の気配も感じない。

思えばこの小さな町に踏切は多くなく、その中の一つであるここが心霊現象の現場になっている事に、苦笑した。

この町に住んで大分経つが、自殺の名所なんて噂は聞かなかった。

それがどうして、いきなり飛び込みたくなる人が続出しているのか。

はたまた、踏みとどまっているだけで、実は意外と多くの人が、ここを死に場所にしようと思った事が有るのか、それは分からない。

皆それぞれ必死に生きてるのね、と物思いに耽っていると、心なしか肌寒くなってきた。

今は春、夜もそこまで寒くは無い。だが先程は少し肌寒く感じる程度だった気温が、はっきりと身震いするほどになってきた。

いつものパターンに、陽子は身構えた。

遂にお出ましだ…。

「…いいわ、聞いてあげるわ…。」

陽子が静かに呟くと、風がピタッと止み、微かに声が聞こえてきた。男の声だ。

『…ます…。がいします…。』

まだ、はっきりとは聞こえてこない。

「聞こえないわ。はっきりしてくれないと、どうしようもないわ。」

陽子は誰も居ない空間に向かって言った。すると今度は、はっきりと聞こえた。

『…お願いします…。助けて、下さい…。』

陽子はその声に答える様に、再び静かに言った。

「私には貴方の声が聞こえるし、姿も見える。良かったら、顔を見て話をしたいわ。」

するとその言葉に反応したかのように、何も無かった空間に、徐々に男の姿が浮かび上がってきた。歳の頃、40代前半といったところだ。

「初めまして。私、芦田陽子。貴方達のような人と話をするのが仕事なの。」

『…。本当に、私が見えているんですか…?声も…?』

「ええ。貴方、おいくつ?40代かしら?」

陽子が尋ねると、ようやくその男の霊は自分の存在を感知していると信じたようで、陽子の目を見て訴えかけてきた。

『助けてください。お願いします。やっとだ…。やっと、この時が来た…。』

男は安堵したような表情で懇願してきた。

「ずっと、待っていたのね。こんな、寂しい場所で…。」

陽子の優しい声に、男は涙を滲ませ、頷いた。

『…私は、馬鹿です。絶対にしてはいけない事を、してしまった…。』

その言葉に、陽子は眉を動かし、尋ねた。

「…貴方はここで、自ら、命を絶った…。そうね?」

『…はい。もう、3年になります…。私がここで、自分の過ちを悔やみ始めてから…。』

そう言われた陽子は、ふと、その辺りに 自営業の中年男性が自殺をした、という記事を地元の新聞で読んだ事を思い出した。

「経営が行き詰って…だったかしら?」

『…ええ。私はこの町で、定食屋を営んでいました。昔から好きだった料理で店を持て、贅沢は出来ませんでしたが、満足していました…。』

その後の展開は決まり切ったかのような転落、不況の煽りやライバル施設の進出により、店をたたむこととなったのだ…。

『どうしようもない状況に、まさかこの自分が追い込まれるなんて。きっと、耐え抜いて、店を盛り返してやると、思っていました。』

しかし力を注げば注ぐほど、無駄に労力ばかりかかって赤字になる始末。家族から見ても、店がもう立て直せない事は明白だった。

彼は高校を卒業してすぐ料理の道へ進み、たたき上げで料理の腕を磨いた。

念願の店を持てたのは30代になってからだった。

それから小さいながらも自らの城で満足のいく料理を馴染みの客に振舞っていたが、一人、又一人…と客足が途絶え、店には閑古鳥が鳴くようになった。

『ある日、ふ、と、思ったんです。俺は、何をしてるんだろう…と。』

陽子は押し黙ったまま只聞きに入っていた。

『家族を養えず、店を潰しかけ、妻をパートに出させ、娘には、アルバイトで生活費を稼がせ…。俺は、本当に、何をしているんだろう…?もう、何をしているのか、何がしたいのか、分からなくなっていました。』

男は目を虚ろにしながらなおも話し続ける。

『俺のしたい事は、俺の夢だった事は、家族を苦しめているだけなんじゃないか…。

疲れ切っていました。資金繰り、方々に頭を下げ客の入らない店を保っていく事に。

けれども、それまでの人生、それに割いてきました。他に、何ができるんだろう…。』

男は嗚咽を上げ始めた。

『そんな時、昔馴染みのお客さんに会ったんです。』

夜の暗さは一段と深まる。

『やつれていたけど、その人でした。彼は、最近、客が入って無いようだが、大丈夫か、と聞いてきました。疲れた笑顔、まさにそれでした。きっと、私も同じように笑っていたでしょう。カラ元気、って言うんですか。妙に色々気を使ってくれて。あんたの飯は、最高だ、って。世界一、なんて言ってくれて。最近、来られずに済まない、とも。』

疲れきっているのに妙に開放感を内在したその表情。

もう、何の重荷も背負ってないような、そんな表情。

「…。」

『次の日、知りました。彼、飛び下りました。会社の屋上から。昼休みが終わっても戻ってこないので、同僚が捜しに行ったら、外が、大騒ぎになっていて、彼が、彼が…居たそうです。』

男は激しく嗚咽する。

『ふっきれてしまいました。何もかも、出来ない。ドロップアウトしました。その話を聞いてふらふら店に戻ろうとしたのか、でも、俺はこの踏切で、終わらせてしまいました。』

客は、リストラが決まっていた。家族も家のローンも、まだまだ。働き盛りだった。

二人は押し黙った。そのまま、一時の沈黙が流れた。


4.

「話は分かったわ。境遇には同情するけれど、だからと言って道連れを募るのは感心しないわね。」

 そう言った陽子に、目を丸くして彼は答えた。

「道連れ…ですか?」

その反応に、陽子の脳裏には二つの可能性が浮かんだ。

一つ目は、彼が無意識に道連れを行っているパターン。

そして、二つ目は別の悪質な霊が行っている説。

陽子は試すことにした。

今までの通常の感度の霊感よりも更に感度を高めるスイッチをオンにした。

強力な霊は、時に自身の痕跡を霊能者に悟られないように上手くけすことが出来るのだ。

ただしこの能力は諸刃の剣となりかねない為、通所使わないようにしているのだが…。

 周囲の気温がさらに下がる。

彼は不思議そうに陽子を見つめるも、じきに震えだした。

何者かのうめき声が聞こえてきたのだ。

「うあぁぁああああ…、お前、何者だ…!!」

そう声が聞こえるや否や、姿を現したのは何ともみすぼらしい見てくれの、ホームレスのような初老の男の霊だった。

「あなたね。彼や他の自殺者をこの線路に誘い出して一線を越えさせているのは。」

そう言った陽子の声にこたえた彼の声は、ひどくしゃがれていた。

「はは、だったら何だ?法律なんてない。俺はもう、死んでいるんだからな。」

「月並みだけど、一応聞くわ。何故、こんな事をしているのかしら。そのいい方からして、まさか寂しくてお仲間が欲しかったわけじゃないでしょうし。」

そう言った陽子の言葉に大笑いしながら、悪霊男は答えた。

「まさか。これは、社会へのささやかな復讐さ。俺という人間の人生から、ことごとく何もかもを奪っていった社会へのな。歪んだ社会で疲れ切って死にたい奴なんてごまんと居るさ。その背中を俺は押してやってんのさ。理不尽極まりない不公平なこの世に、生きる価値なんて無いからな。」

歪んだ思想を得意げに語る悪霊男に、陽子は淡々と返した。

「とんだメシア症候群ね。それでヒーローにでもなったつもり?自分が人々を救ってやってる、とでも思ってるのかしら。痛々しいわね。」

そう言った陽子に、悪霊男は血相を変えて今にも襲いかからんばかりの勢いでこちらを睨みつけた。

「一度レールからずり落ちると二度と這い上がれないこの社会に必要なのは、救いだろう。きっと、あんたのような女には分かりっこない気分で人生を歩んでいる人間の気持ちを、あんたは考えたことあるか?無いよなぁ?微塵も興味なさそうな、すました面しやがって。自分が良ければそれでいいのか?傲慢な自称勝ち組共の割を食ってるのは、俺らみたいな連中なのさ。」

そう言った男の虚ろな目の奥にいいは、少しばかりの悲しみが見て取れた。


5.

 その言葉を聞いた陽子はクスッと笑った。

「何を言い出すかと思えば、とんだ逆恨みじゃない。あなたがどんな境遇で育ったかは知らないけれど、どこからだって這い上がってる人間は居るわよ。甘えた事言って、人生舐めてるから這い上がれないのよ。私のような人間が全員、努力も無しに今の生活を手にしたと思っているなら、視野が狭すぎるわね。世間知らずもいいところよ。」 

それを聞いた悪霊男は激昂し、こう言った。

「じゃあ何か?お前の言い分では、俺は甘ちゃんの馬鹿ってか?生まれつきどうしようもない境遇にあえぎながら生きてきた俺の気持ちがお前のような人間に分かってたまるか。親の金でぬくぬくと進学出来て当たり前に就職できる人間に、俺の気持ちは分らんだろう。家に帰れば否定され、殴られやりたい事もやれず、ただの生き地獄を生きるしかなかった俺がこうなったのは、俺の責任だってのか?あんまりだろう。二十歳過ぎたら自分の責任とかなんとか言うが、それまでに染みついた生き方を死ぬような思いで変えていかなきゃなんねぇ奴らが、ぬくぬく愛されてのほほんと育ってきた人間に甘いのなんのと説教されたくねぇ、お前らは恵まれてる事に気付く事無く、俺らのような人間の心を踏みにじっていく。そんな人間が社会で必要とされて活躍し、必死の思いで生きてきた俺のような人間は蔑まれ笑われ、社会からつまはじきにされ、こんな不条理が許される世界なんて、生きる価値もねぇだろう。」

そう言った悪霊男の言葉に陽子は答えて言った。

「まあ、一利あるわね。温室育ちの人間なんかは、きっと悪気が有るにしろ無いにしろ、」あなたのような人を下に見ている場合はあるわね。けれど、それが自身の命はおろか、他者の命を奪っていい理由にはならないわね。」

陽子は悪霊男をまっすぐ見据えて言った。

男は笑いながら応える。

「正論振りかざして人を追い詰める、それもお前らみてぇな人間のあるあるだぜ。何故日本の自殺者が多いと思う?皆耐え難い苦しみから解放されたいのさ。寝たきりでも無駄に生かされ長々苦しませる奴ら、死ぬ程働かされ苦しみから逃れたい人間に命は大切だとかほざく無神経な奴。そういう連中から逃げるために楽になりたくて救いを求めてこの世から消えるんだよ。自身の意思で死ぬ権利も無いこの国で、唯一楽になれる方法なんだよ。」

そう言った男の目は虚ろだった。


6.


「ご高説ありがとう。どうやら平行線のようだから、先にもう一人の彼に話を聞くわね。」

 そうして最初の料理人男に向き直った陽子は、彼に話しかけた。

「あなたは、また人生をやり直せるとして、もし行き詰ってしまったら、苦しくなってしまったら、同じ事をする?」

そうすると、料理人男は首を横に振り、はっきりとこう言った。

「いいえ。もし、あり得ないけれど、もしもう一度やり直せるなら、歯を食いしばって食いしばって、絶対に盛り返したい。もう、二度と諦めたくない。」

そう言った男に陽子は微笑み、悪霊男にこう言った。

「ほら、皆が皆、あなたのような人間ばかりじゃないのよ。こうやって、地道に実直に泥水すすってでもやっていこうって人間も居るの。その未来を、あなたは自分勝手に奪ったのよ。救いとかおこがましい考えでね。」

そうして陽子は右手を悪霊男に向け、お経を唱えた。

その瞬間、悪霊男は喚きだした。

「やめろ!俺はここで人々を救い続けなければならないんだ!邪魔をするな!!」

しかし陽子はお経を唱えるのを止めない。

そして悪霊男が消えゆく直前、こう囁いた。

「あなたが言ってる事、生きてきた人生、全く共感できなくは、無かったわ…。」

そして少し陽子の表情は切なげに変わった。

「次は、あなたの番よ。」

そう言って料理人男に向き合い、こう言った。

「あなたが無意識に自殺したと思っていたのは、あの男が原因だったのよ。けれど、すべてにおいて彼を責める事は私には出来ない。生きる事が死ぬ事よりも苦しい事は実際にあるから。けれど、彼を野放しには出来ないから。安心して、彼もあなたも、苦しまないで逝けるわ。」

そして次は右手を料理人男に向け、こう問いかけた。

「次、産まれてくるなら、どんな人生を生きたい?」

すると料理人男は、きっぱりとこう言い放った。

「また、俺は俺に生まれて、料理をやりたい。そしてまた妻と結婚して、娘と三人で生きていきたい。次は何があっても、俺は俺の人生を諦めたくないです。」

そして、今日初めての笑顔を陽子に向け、消えていった。

「きっと、次のあなたなら、大丈夫ね。」

こうして、陽子は帰路につくのだった。

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ゆうれい補導員 Y @happiness2236

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