たとえ嘘だとしても

@edamame050

たとえ嘘だとしても

 真っ白な天井。真っ白なカーテン。真っ白なベッド。そんな白い空間にぽつんと存在する私。病院というものは存外白づくしなもので、イメージするカラーはと問われれば迷い無く白と即答出来るほどに白い。

 また、環境色の影響か時の流れも緩やかに感じるもので。

 読んでた本の一二二頁の四行目まで文字を追って、暫し目の凝りを解すため私は病室の窓から外を眺める。

 すぐそばには銀杏の木が生えており、木の幹と幹の間には鳥の巣が匠に形成されているのが見て取れた。

 巣には三匹の雛がいる。私はその雛たちに勝手に五郎三郎美香と名前をつけた。どの個体を見ても同じにしか見えないので判別はつかないわけですが。

 ん? おかしいぞ、私は目を凝らして巣をじっくりと見た。

 雛が一匹足りない。五郎だが三郎だが美香が恐らく巣から落ちたんでしょう。気になって窓から身を乗り出して下を見ようとしたときだった。

「さらりん、なにしてるの!」

 どさっと袋が床に落ちた音がした。振り返ろうとしたら身体をぐいっと強い力で後ろに引っ張られ思い切り抱きしめられる。一体何事だと一瞬思ったが、この声は美玲さんのものだと認識する。

「早まっちゃダメだよさらりん! 考え直して!」

 正面で向き合うようにされ両肩を揺さぶられる。改めてさっきまでの自分の行動を鑑みる。なるほど端から見れば飛び降りをしようとしてるようにも見えたのでしょう。

「美玲さんあそこの銀杏の木の枝を見て下さい」

 美玲さんは困惑しながらも私の指し示したほうを向いた。

「あの木の枝にぶら下がった木の葉が落ちるとき私の寿命も尽きるでしょう」

 乗りに乗った私は一度は言ってみたかった台詞をこの場面で解禁することにした。

 対する美玲さんの反応はというと・・・・・・

「なんか心配する必要ないみたいだね」

 む。呆れられてしまった。

 美玲さんは一つ嘆息をこぼすと、床に置いたレジ袋を拾い上げ袋から一冊の漫画雑誌を取り出し私に差し出した。

「はい、これ今週の少年ジャンポ」

 これですよ! これ! 今週の分を待ってたんですよ私は!

 美玲さんは見舞いに来るお母さんよろしくな対応力をみせる。

 私はもちろん諸手で万歳をした。

「美玲さん。貴女が神か」

「もう。毎週大げさだなぁ」

 おおげさなもんですか。こんな退屈な入院生活、本を読むか漫画を読むくらいしか娯楽がないのだからこれくらい喜んだって当然なはずですよ。

 まあ、ジャンポは後で読むとして、今は美玲さんの来場を歓迎しましょうか。

「美玲さん、仕事帰りですか?」

 美玲さんは荷物を丸椅子の横に置いて肩を自分で揉みながら腕を回してたので、疲れてるのが察せた。 

「うん、そうだよ」

「肩でもお揉みしますよ。姉御」

 私は美玲さんを椅子に座らせ、後ろに回って両肩に手を添えた。

「別にいいのに」

「まあまあって、うわ!? なんですかこれ! セメントみたいに固いですよ!」

「ええ!?」

 まあ半分冗談ですが、それぐらい美玲さんの肩は固くなってるのも事実。これは解し甲斐がありますね。

 私はこねたことのない手打ちうどんをこねる要領で丹念に刺激を加えます。

「お客さん凝ってますねー」

「姉御になったりお客さんになったりで忙しいね僕」

「そういえばミセス美玲さん」

「まだ結婚してないよ」

 あれ? ・・・・・・何を話そうとしてたんでしょうか? とりあえず、美玲さんの後頭部でも吸引してから考えてみることにしましょうか。

 すうぅぅぅぅぅ。あっ、そうでした。

「シャンプー変えました?」

「沙羅さん、急に黙って人の頭嗅ぐの怖いからやめてください」

 ? 許可制なのでしょうか? でしたら次からは事前告知をしなければ。  

「以前嗅いだときはシトラスの香りだったのに今はフローラルな香りがします」

「そこまで覚えてるんだ・・・・・・」

 苦笑を滲ませながら顔を引きつらせる美玲さん。

「当然です。恋人同士なんですから」

 恥じることはどこにもないので、私は胸を張って誇らしく返答をします。

「だとしてもちょっと引くかな」

 むむ。聞き捨てなりませんね。そうだ。いい機会ですし、美玲さんにも私の髪の匂いを覚えて帰って貰いましょうか。

 そうと決めた私は美玲さんの前に回って美玲さんの顔に頭を押しつけます。

「どうですか?」

「さらりん、髪の毛が口に入るからやめて」

 むむむ。求めてた感想と違う。

 美玲さんは私の頭を押しのけるとぺっぺっと口を鳴らしました。

「さらりんはこういうプレイが好きなのかな?」

 なんですかそれ。まるで人を変態みたいに扱って、まったく誤解も甚だしい。

「好きですが?」

 おっと本音と建前が席替えしてしまいました。

「・・・・・・覚えとくよ」

 

「じゃあもう帰るね」

 美玲さんが帰りの予告をする頃にはさっきまで青かった空は橙色とほんのりとした夜の香りを漂わせて、白かったこの部屋は夕焼けで赤く染められていきます。

 美玲さんとお話しするのは本当に楽しくて時間が経つのも感じさせないほどです。

「美玲さん気をつけて」

「うん」

「今度また三人でドライブに行きましょうね」

 背を見せて去ろうとした美玲さんにふと掛ける言葉が見つかり気づいたときにはそれが自然とこぼれてしまいました。

「さらりんそれは・・・・・・」

「僕とさらりんと後は誰?」

 いつもと変わらない声色のはずなのに私は背筋に冷たいものを感じて、私はどこかそれに聞き覚えがあって。

 美玲さんの顔はいつもより少しだけ冷たく感じる。でもそれはきっと逆光で翳りが生まれたせいだと思うことにしたくて。

「あれ? 誰でしたっけ」

 私は開きかけた箱の蓋を慌てて閉めることにした。

「そう・・・・・・」

「元気になったら今度二人でドライブ行こっか」

 美玲さんは口元に寂しそうな笑みを浮かべると、それだけ言い残してカーテンの向こうに行ってしまいました。

 どうしてあんな表情をしたのか、私にはわかりませんでした。私とまだいたかったのでしょうか?

 暫く経って窓から美玲さんを見送りたくて、身を乗り出して縁を掴んでを見下ろすとカラスが一匹地面を突いていました。



 私の好きな人は壊れてしまった。きっかけは交通事故で最愛の人を失ってしまったから。

 あの日よく晴れた空の下、私たちは三人でドライブをしていた。

 平和ないつもの日常がそこにあった。あったはずだった。

 今でも鮮明に耳に残る。瞼にこびりつく。あの頃の残響が、光景が。

 信号を無視して突っ込んできたトラックが、私たちの乗っていた車に激突した。

 私と沙羅さんは運良く生き残ったが、お姉ちゃんは衝突した位置からいかんせん近すぎたこともあり、運ばれた病院で息を引き取ることとなった。

 その後、受け入れがたかった事実を飲み込むことが出来なかった彼女は自分で自分を壊すことで原型を保とうとした。

 最愛の永島美玲以外の声は認識しないという形で。

 医師から告げられたのは解離性健忘虚像症という病気だった。

 強い精神ショックを受けたことによって記憶が消え、最も身近な人の存在しか認識できなくなり、それ以外の人間は顔が黒塗りに塗りつぶされて声はノイズにしか聞こえなくなるという病気らしい。

 彼女は辛い現実より思い出の中で生きることを選んだ。

 試しに私が話しかけても彼女は無反応だった。わかっていた。沙羅さんはいつもお姉ちゃんの側にいて、お姉ちゃんも沙羅さんの側にいたから。

 そんな二人を追いかけるように、置いてかれないようにいつも後ろに私がいたんだ。

 それからの私は彼女を一人にしないように『永島美玲』になることにした。

 髪の長さは同じにして色を染めて三つ編みも解いて、声色は残ってたミュージシャンだったお姉ちゃんのインタビューの時の映像を見て聞いて似せて。

 そして試行錯誤と苦労の末、私は完璧にお姉ちゃんになることが出来た。

 彼女の中から『永島佳奈』が消えることになっても、私は『永島美玲』として彼女のそばに居続けることを選んだ。

 あの日死んだのは『永島美玲』じゃなくて『永島佳奈』のほうだったんだ。

 だからあの時『三人』と言われた時の期待は、泡沫の淡い願いは抱いちゃいけないものだったんだ。届かなくていい。

 だから私は何も間違っちゃいない。そうでしょう? お姉ちゃん。

 私は病室の窓から手を振る沙羅さんに対して、手を上げて別れを告げた。

 足下にいた鴉は雛を食っていた。

 


 


 



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