利己的すぎる遺伝子

ゆきいろ

【短編】利己的すぎる遺伝子

 ぼくにはかわいい妹がいる。


「お兄ちゃん、大きくなったらけっこんしようね」


 妹の白乃しらのの元気な声が、スマート化された公園の広場に響く。

 その頃ぼくたちは小学生で、世の中のことなんかなにもわからなかった。

 普段なにげなく遊んでいる公園にも、インターネットで接続されたデバイスが多数設置されていて、利用者に快適な環境が提供されているなんて知るはずもなかった。


 広場には鮮やかな緑の芝生が広がり、春の柔らかい風がぼくたちを優しく撫でる。

 妹の手には摘んだばかりのバイオタンポポの花束が握られていた。


 「そうだね。ぼくも白乃とけっこんしたいな!」


 手を伸ばし、優しく彼女の頭を撫でる。

 そして、ぼくが編んだバイオタンポポの冠を彼女の頭にそっとのせてあげた。

 小さなお花が彼女の髪の中で輝いた。無邪気な笑顔がまぶしい。公園の樹木がささやくように葉を揺らし、鳥型ドローンたちがぼくたちがこの世界に誕生したことを祝福してくれているかのように歌声を奏でる。


「わあ、きれい~!」


 白乃は嬉しそうに跳ね回り、バイオタンポポの冠が揺れる。


 幼かった頃。

 世界はぼくたちだけのものだった。

 ぼくはこの夢のような時間がずっと続けばいいのにと願った。


 そして、矢のように時が過ぎ。

 ぼくたちは高校生になっていた。


 白乃は小さな頃ももちろんかわいらしかったが、今ではひとりの女性としての美しさが表情や体の端々に現れ始めていた。


 彼女の長い髪は太陽の下ではさらさらと金糸のように流れ、その瞳は月夜の湖面のように澄んでいる。

 そして笑顔はまるで花が咲くように柔らかい。

 体つきも女性らしくふっくらとしはじめ、佇む姿はまるで一枚の絵画のよう。


 自慢の妹だ。


 でも、ぼくの妹はあたまがおかしい。


「お兄ちゃん、そろそろ結婚できるね」


 ある日の夕方。

 ぼくの部屋で、今年で高校1年生になった白乃が恥ずかしそうに言った。

 子どもの頃の約束は、今でもぼくたちの心の奥深くに根を張り続けていたのだ。


「しません」ぼくはきっぱりと断った。


「え?」白乃は整った顔に絶望の影を落とす。


「結婚はしません」


「なんでよ~」


「ふつう、兄妹で結婚はしません」


「お兄ちゃんの気持ちはどうなのよ?」


「そんなもの、知りません」


 白乃の学力があればもっと偏差値の高い高校にも入学できたはずなのに、わざわざ志望校のランクを落としてぼくと同じ高校へと入学してきた。

 彼女の考えは知っている。

 少しでもぼくと一緒にいる時間を増やしたいのだ。

 高校に入学してからというもの、昼食の時間になると、


『お兄ちゃん、お昼一緒に食べようね~』


 などとお弁当を片手に、クラスメイトたちの好奇の視線を気にせず、堂々とぼくの教室にやってくる。そして、せっかくきたのに断るのもかわいそうなので、結局毎回一緒に食べることになるのだ。


『一緒にお昼ごはん、たのしいね!』


 そんなふうに子どものときと変わらない無邪気な笑顔で言われると、ぼくも悪い気はしない。


 白乃のブラコンっぷりは両親もよく知っていて、お袋なんかは、


『白乃ちゃんはお兄ちゃんが大好きなのね~』


 と、微笑ましいものを見るような目で僕たちを見守っている。


 ほかにも、ぼくが勉強している隣でいっしょに勉強するのは当たり前で、怖い映画を観た夜なんかは、ぼくのベッドにこっそり忍び込んで添い寝してきたり。


 彼女のアピールは少し度を超えているように感じる。

 学校の同級生も、両親も、ぼくたちの仲をおおむね肯定的に捉えているようだ。


 でも、ぼくは知っている。

 白乃が本気でぼくと結婚しようと思ってるってことを。


 それというのも、現代日本では簡単に持ち運び可能な小型のスマートデバイスのアプリを使えば一発で相手の好感度を知ることができるのだ。

 このアプリが発表された当初は物議をかもしたが、効率的に恋愛ができてメリットも大きいということですぐに忙しい現代人の支持を得ることとなった。


 ぼくは眼の前の白乃のほうにスマートデバイスを向けてみた。

 好感度の数値は150を示していた。

 普通は80もあれば恋愛感情を抱いている状態だ。 

 それが150!


「お兄ちゃん、どうしたの?」きょとんとした顔でこちらを見る白乃。


「ううん。なんでもないよ」ぼくはいつものように笑顔で彼女に答える。


 最近では白乃の口から結婚というワードが出るたびに、ぼくは話題を変えたりその場から逃げたりと、なんとかやり過ごすことばかり考えるようになっていた。


 ◆


 その晩、夕食のテーブルにつくと、白乃がにこにこと笑顔で話しかけてきた。


「お兄ちゃん、今日はわたしがカレーをつくったの。食べてほしいな」


「えっ、白乃が?」


 普段は円盤状のアシストロームと呼ばれるロボットが金属製のアームを伸ばしたりなどして、料理や掃除などの家事全般をサポートしてくれる。

 今日はどういう風の吹き回しか、白乃が夕食を作ってくれたらしい。


「おお、これは美味そうだ」と親父が言った。


 本当にその通りだった。

 綺麗に皿に盛られたカレールーの深い色と、ふわっと漂うスパイスの香りが食欲をそそる。じっくりと煮込まれたチキンや野菜がゴロゴロと入っていた。


「わあ、白乃ちゃん、本当においしいね!」カレーを一口食べたお袋が感心したように言った。


 ぼくもスプーンを手に取り、カレーを一口すくった。

 口に含むと、まず広がるのは豊かなスパイスの香り。熱々のルーは滑らかな舌触りで、深いコクがあった。

 料理のことはまったくわからないけれど、この一皿からは食べる人のことを第一に考えて丁寧に作ったのが伝わってくる。


「うん、すごく美味しいよ」


 ぼくは満足してそう答えた。

 白乃にこんな特技があったなんて知らなかったな。まるでシェフみたいだ。

 次に、じっくりと煮込まれたチキンを口に運ぶ。チキンは大きめだがとても柔らかく、ほろほろと繊維質が崩れるまで煮込まれていた。噛むごとに塊の肉がほぐれ、口の中いっぱいに旨味が広がっていく。


「このチキンも最高だよ」ぼくは眼の前の妹を褒めた。


 白乃は嬉しそうに照れていた。


「兄ちゃんに美味しいって言ってもらいたくて、朝から準備してたのよね」お袋はからかうように口にする。


「もう、ママ! 余計なこと言わないでよ!」


 顔を真っ赤にしながら恥ずかしがる白乃のようすを見ると、なんだか心が温かくなる。

 ふだん白乃の発する結婚というワードから逃げているのは事実だ。でも、彼女のことは大好きだ。当たり前だ。ぼくはお兄ちゃんなんだから。


 その時、親父がにやりと笑いながら口を開いた。


「ううむ。これはなかなかだ。白乃ちゃんと結婚する人は羨ましいなあ」


「本当にそうね。いいお嫁さんになれそうだわ」


 親父が自分のスプーンを使ってお袋にカレーライスを食べさせているようすが目に入った。

 親父とお袋はどちらも中年といってもいい年齢のはずなのに、まるで初恋同士のカップルみたいだ。仲がいいのは悪いことではないけれど、目の前でいちゃつかれると反応に困ってしまう。


 そんなようすを尻目に、ぼくは胸の中で複雑な感情が湧き上がるのを感じていた。

 たまに白乃の愛が過剰に感じられることもあるけれど、彼女がぼくの知らない誰かと結婚する未来を考えると、胸が締め付けられるような気持ちになる。

 正直に言うと、誰とも結婚してほしくない。

 妹にこんな感情を抱くのは間違っている。

 わかっているはずなのに。


「本当にそうだね」


 ぼくは頑張って笑顔をつくり、白乃の方を見た。

 ぼくの目の前で、白乃は笑顔でカレーを食べている。彼女が幸せそうにしているのを見ると、いつまでもこの笑顔を守ってあげたいと思う。

 それが兄としてのぼくの役割だ。


「お兄ちゃん、美味しい?」


「うん、すごく美味しいよ。白乃はすごいね」


 彼女の笑顔に応えながら、ぼくはカレーの最後の一口を口に運び、ゴクリと飲み込んだ。

 グラスに注がれた水を飲み、ふうっと一息つくと、なんだか視界がぼやけてきた。まるでぼくだけがこの世界から切り離されていくような感覚が襲いかかってくる。


「あら。お兄ちゃん、大丈夫?」と白乃は心配そうな表情でたずねた。


「なんだか、眠くなってきたような……」


 まるで体が鉛になったみたいだ。

 椅子に座っていることすら困難になってきた。

 しだいに重力にも勝てなくなり、椅子の上で四肢がだらんと弛緩する。

 視界がおかしい。

 自分の頭がぐらぐらと揺れているのがわかる。でも、正しい頭の位置がどこか忘れてしまった。

 目を開けているだけで精一杯だ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 白乃の声がどこか遠くから聞こえたが、まるで金属製のパイプの中を通ってきたみたいにエコーがかかっている。

 目の前にいるはずの家族の顔が、どんどんかすんでいく。


 ぼくは必死に意識をつなぎとめようとしたが、その努力も虚しく、どんどん闇に引きずり込まれていった。


 視界が完全に暗くなる途中、ぼくの細くなった視界に最後に映ったのは、白乃と両親の冷たい笑みだった。


 ◆


 次に目を覚ましたとき、最初に見たのは白い天井だった。

 見慣れた天井。

 間違いない。ここはぼくの部屋だ。

 ぼくの横では、人間のサポートをしてくれるロボットのアシストロームがせっせとなにかの作業を続けている。どうやらぼくをベッドに拘束しているらしい。

 そのことに気づいたぼくはそいつに蹴りを入れてやろうと思ったが、動かした足はそこまで届かず、くくりつけられたロープがピンと張るだけだった。ロープの先に繋がれたベッドの支柱が音を立てる。

 すでにぼくの体はほとんど身動きが取れなくなっていた。


「なんだこれ……」


 混乱しながら周りを見渡すと、薄暗い照明の中、白乃が立っていた。

 彼女の表情はいつものようにかわいらしい最愛の妹のそれだったが、その瞳には冷たい光が宿っていた。


「お兄ちゃん、起きたのね」


 彼女の声は甘く優しいが、何か異様なものを感じずにはいられない。


「白乃、これは一体……?」


 ぼくの声は震えていた。

 何が起こっているのか理解できないまま、恐怖の波が体の隅々にまで走った。


「ごめんね。お兄ちゃんがはっきりしないから、こうするしかなかったの」


 白乃はぼくの傍に座り、手に持っていた小瓶を見せる。

 

「カレーに少しだけお薬を入れたの。お兄ちゃん、最近結婚の話をすると恥ずかしがって逃げちゃうから。でも、これでゆっくりお話できるね」


 白乃はそっとぼくの手を握った。

 その手はまるで氷のように冷たく、ぼくの肌に触れた瞬間、冷気が心臓にまで伝わった。ぼくは思わず身震いした。


「白乃、こんなこと間違ってる。兄妹で、結婚はできないんだよ……」


 諭すようにいったぼくの言葉を聞いて、白乃は首を横に振った。


「お兄ちゃんがわかってくれるまで、ずっと一緒にいるからね」


 彼女はぼくの頬に手を添えた。

 ひんやりと冷たい。

 目の前にいるのは、昔の無邪気な妹ではなく、病的な執着に取り憑かれたひとりの女だった。


 その不気味な笑顔が、子どもの頃の無垢な笑顔と重なり合う。


 そのときぼくが感じたのは、嫌悪感ではなく、罪悪感だった。

 まさか、ここまで白乃を追い詰めてしまっていたなんて。


「白乃。わかった。気が済むまでお話しようよ」ぼくは観念していった。


「ありがとう。こんなことをしても許してくれるなんて、やっぱりお兄ちゃんはやさしいね」


 白乃は手にしたスマートデバイスをぼくに突きつけながら続ける。


「でも、お兄ちゃんだって悪いんだよ」


 白乃は顔を真っ赤にしていた。その大きな瞳には涙まで浮かんでいる。

 急に彼女が幼くなったみたいに感じられた。


「わたしだってもう子どもじゃないし。どんなに好きでも、兄妹で結婚できないってことくらいわかってるわ。でも、お兄ちゃん。これはなに?」


 白乃はそういって右手に持ったスマートデバイスをぼくに突きつける。

 ディスプレイには好感度を調べるアプリが表示されていて、その数値は200を超えたあたりでメーターを振り切っていた。


「お兄ちゃんの好感度、カンストしてるよね? こんな数値みたことないよ!」


「うう……」


 ぼくは情けない声を絞り出すことしかできなかった。

 ぼくの白乃に対する好感度は、最低でも200以上はあるということ。

 それが今、白日のもとにさらされてしまった。


 そうさ。

 ぼくは妹のことが、白乃のことがひとりの女の子として大好きなんだ!


 白乃のスマートデバイスからは、ビービーと耳に不快な警告音が鳴り響いていた。

 これが危険な数値であることを示しているのかもしれなかった。


「わたしだって何度も諦めようとしたわ」白乃は少し寂しそうな顔になった。「いつかお互いにほかの人を好きになって、この気持ちも淡い思い出の中に散ってしまう。お兄ちゃんが結婚したらいっぱい泣くけど、それでいい。仕方のないこと。そう思ってた。でもこんなの見せられたら、もう諦められないじゃん! ねえ、お兄ちゃん、どんだけわたしのこと好きなの? はっきりお兄ちゃんの気持ちを聞かせてよ!」


 ぼくは必死で言い訳した。


「べっ……べつに! お前のことなんて好きでもなんでもないんだからなっ!」


「ツンデレにしか聞こえないよ! じゃあなんでメーターがカンストしてるの!」


「それはきっとほら、アプリの故障かなにかだろ……」


「夜な夜なこっそり妹もののエッチな漫画を読んでるのだって知ってるんだからね。同じ屋根の下に本物の妹がいるのにさあ。素直になりなよ~」


 白乃はベッドに繋がれたままになっているぼくの胸をグリグリと人差し指で押してきた。

 そしてベッドの下に隠してあった妹もののエロ漫画を見せつけてくる。


「や、やめてくれ……」ぼくはいっそのこと殺してほしいと願うだけだった。


「一理ある」


 そんなやり取りをしていると、ガチャリと部屋の扉をあけて親父が入ってきた。


「パパ!」「親父!」


「いいか、二人ともよく聞きなさい。西暦2010年台から多様性を認めましょうという流れが世界的に活発になってきている。世の中にはいろんな主義主張があるということだ。偏屈になってはいけない。現代ではとても信じられないことだが、昔は同性愛者であるというだけで差別の対象となっていた時代があるらしい」


 愕然とした。

 なんてことだ。そんな狭量な時代が存在したなんて。

 今の時代、ぼくの通う学校でもホモカップルは当たり前に存在している。もちろん、レズカップルも。

 異性同士のヘテロカップルのほうが少数派かもしれない。


「そうだよ! お兄ちゃん!」


 白乃は、目をキラキラさせながら言う。


「わたしたちも結婚できるんだよ!」


「無理だろ。法律的に」


「いいや、一理ある」親父は白乃の味方みたいだ。「そうだぞ。ふたりとも。多様性だ。兄妹の恋愛や結婚だって、受け入れられる時代が来るかもしれない」


 多様性って魔法の言葉なのか?

 もしかして、ぼくはいま洗脳されている最中なのだろうか。


「いや、親父。まずは助けてくれよ。ぼく、ベッドに縛られてるんだけど」


 親父はニコニコと笑いながらぼくの言葉を無視した。


「それに、生物学的に考えればお兄ちゃんと妹で結婚するのも、悪いことばかりじゃないんだよ」


「生物学……?」


 ぼくはなんだか嫌な予感がした。

 いったんスイッチの入った白乃は、ぼくがなにを言っても聞こうとしない頑固なところがある。


「生き物は『自分の遺伝子をどれだけ次の世代に引き継ぐか』を目的に進化してきたんだよ。働きバチや働きアリみたいな生き物だって、自分では子どもを作らない代わりに自分に似た遺伝子を持った親にどんどん子どもを産ませることで、効率的に自分の遺伝子の一部を次の世代に残してるってわけ」


「そ、そうなんだ」なんだか白乃の目がキマっていて怖かったのでとりあえず頷いておくことにした。


「妹である前に、人間である前に、わたしも生き物だから、自分の遺伝子を残したい! そのためには相手は他の人じゃダメなんだよ。お兄ちゃんじゃなきゃ、だめなんだよ!」


「なんだそりゃ。どういう理屈だよ……」


「一理ある」と親父が言った。


「パパ!」白乃が感激したように声をあげる。


「つまり、白乃ちゃんはこう言いたいわけだ。子どもを作るということは、自分の遺伝子と相手の遺伝子を半分ずつ混ぜ合わせた新たな個体を生み出すということにほかならない。そこで、もし他人と交配してしまった場合、自分の遺伝子は次世代に50%しか引き継がれない。しかし、兄と交配すれば、次世代には100%自分の遺伝子が引き継がれる。だから兄と交配し子を残すことは生物学的に考えても正しいことだ、と」


「そのとおりだよ、パパ!」白乃が目を輝かせた。


「いや、さすがに100%はないだろ。適当なこと言うなよ。真面目な顔してどういう計算してんだ」


 ぼくは抗議したが、ふたりはぼくの話をなにも聞かずにこちらを見ているだけだった。


「それにね、お兄ちゃん。ふたりの遺伝子を混ぜ合わせて子を残す有性生殖は、無性生殖と比べて2倍のコストがかかるって知ってた? 私たちは兄妹だから、結婚すればそのコストを半分にできるのよ」


「ど、どういうこと?」


「有性生殖では両親がそれぞれ遺伝子を半分ずつ子どもに渡すんだけど、わたしたちが結婚すれば同じ家系の遺伝子が多く受け継がれる。だから遺伝子的に見ればかなり効率がいいってことだよ」


 なにいってんだ……?

 なんだか腑に落ちなかったが、白乃の主張に反論できるだけの知識を持っていないのが悔しい。

 ぼくには白乃が言っていることがさっぱりわからなかったが、ぼくたちの通う高校で優等生である彼女がここまで堂々と主張するからには、その通りなのかもしれない。


「とりあえず、次世代に引き継がれる自分の遺伝子は多ければ多いほどいいに決まってるよね。このくらいならお兄ちゃんでもわかるでしょ?」


「そ、そうだ」ぼくはあることを思い出していた。「兄妹で結婚なんて……血が濃くなるとリスクが生まれるのは有名な話じゃないか。それはどうなんだよ?」


「フッ」白乃が鼻で笑った。


 予想していたリアクションとは違って、面食らってしまった。

 白乃はそのままちらりと親父のほうを見る。

 親父も笑いをこらえきれないようだった。


 なんだ? 俺、なんか変なこと言ったか?


「フフッ。聞いた? パパ。お兄ちゃんったら、もしかしていま近親交配にリスクがあるって言ったの? ごめんね、つい笑っちゃった。聞き間違いじゃないよね?」


「確かに言ったな。聞き間違いじゃない。わたしにもはっきりそう聞こえたよ。でも笑うのは失礼だよ。気持ちはわかるけどね」


「ごめんなさい。つい……。もう、お兄ちゃんったらおかしなこと言うんだから」


「な、なにがおかしいんだ」


「お兄ちゃん」白乃は笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。その姿は妖艶とさえ思われた。


「今は何年だと思ってるの? 令和の時代だってとっくに終わっちゃってるの。そんなもの、遺伝子治療でどうとでもなっちゃうんだよ?」


「そのとおり」と親父が頷いた。「先天的に遺伝子に問題があると認められた場合、治療のために国から補助金も出る。近親交配による問題など、いまやどこにも存在しない」


「で、でも……」


「であるならば」親父はぼくの言葉をさえぎった。「白乃ちゃんの主張は一理あると言わざるを得ない」


「なんだよそれ。さっきからずっと2対1じゃないか。親父は白乃の味方なのかよ?」


「そう思わせてしまったならすまなかった。一応言っておくが、わたしは中立な立場だ。どちらの味方でもない。正しいと思う方を応援しているだけだよ」


 睡眠薬を盛ってベッドに縛り付け、身動きできない状態にするのが正しい行為だとはとても思えなかったが、ここで反論しても無駄なのはわかっていた。


「そうだよ。これは、お兄ちゃんにとってもいいことなんだよ。もっと自分に正直になって。もっと自分の遺伝子の声に耳を傾けて」


 そういってスマートデバイスのアプリを見せつけてきた。

 ぼくの白乃に対する好感度はメーターを振り切って、ビービーとやかましい音を立てている。


 そこで、今度はお袋が部屋に入ってきた。


「なんだか騒がしいと思ったら、あらあら……。なんだか楽しそうねえ」


「お袋、助けてくれ! ベッドに縛られてるんだ!」


 ぼくは必死に叫んだ。しかしお袋は親父の隣に立ってニコニコしているだけだった。

 またもやぼくの声は届かなかったのだ。

 白乃が手にしたスマホのアプリを見て、まあ、と目を輝かせる。


「こんな日が来るんじゃないかと思ってたわ。よかったわね。白乃ちゃん。お兄ちゃんも白乃ちゃんのこと大好きなのねえ」


「えへへ」白乃はふにゃっとした笑顔を見せた。


「お袋もそっち側なのか……」


 ぼくはもはや、抵抗する気をなくしかけていた。

 思えばぼくに薬を盛ったのも、家族ぐるみでの犯行だったのかもしれない。


「そっち側もなにも……」そういって親父はお袋の腰に手をまわした。「血は争えないな」


「そうね。うふふ」お袋はなぜか少女のように初々しく頬を染めた。


「血は争えない、だって? もしかして」


 気づいてしまった。

 こんなこと、知りなくなかったし気づきたくなかった。

 あたまがぐらぐらする。

 まさか。

 ああ、なんてことだ。


「親父とお袋も、兄妹だったのか……? いや、お袋のほうが歳上だから、姉弟なのか……?」


「あら、違うわよ。見当違いだわ」


 なぜか親父とお袋は照れくさそうにしていた。

 その言葉を聞いて、ぼくはなんだかホッとしている自分に気がついた。

 親父とお袋は血縁関係ではなかったのか。


「ママはね、昔から自分のことが大好きだったの」突然、お袋が語りだした。「これまでいろいろな人と出会ってきたけれど、ほかの人のことはどうしても好きになれなかったわ。もうすでに自分という最高の人間を知っちゃってるんだから、当たり前といえば当たり前よね」


 白乃と親父は、うんうんと頷いてお袋の話を聞いていた。

 でも、ぼくにはさっぱり同意できなかった。


「だから自分のコピーであるお父さんを作って、結婚することにしたのよ」


「え……? 自分のコピーを……?」


「実はそうなんだ」親父が口を開く。「お母さんのDNAを元にして、遺伝子編集技術によって産まれたのがわたしなんだよ。完璧な複製ではなく、交配できるように、雄としてこの世に生まれることになったわけだけどね。お母さんがいなければわたしは存在していないわけだから、感謝してもし足りないよ」


 そういって親父はがっしりとした大きな手でお袋の尻を揉んだ。


「いやん」お袋があえいだ。


「つまり」と白乃が言った。「パパは、ママと同じ遺伝子を持ったクローン人間なんだよ。わたしもついこないだ知ったんだ。ロマンチックだよね」


「狂ってる……」


 吐きそうだった。

 自分の体の中に流れている血が呪われたものに感じられて仕方がなかった。


「多様性だ」親父が言った。


「日本では禁止されているけど、外国でならクローン人間だって簡単に作れるのよ」お袋が言った。「心配しなくても大丈夫。近親交配のリスクは現代の医学でぜんぶ解決できるんだから」


「そんなふたりが愛しあって産まれたのがお兄ちゃんとわたしってわけ。だから、わたしたちが遺伝子レベルで惹かれ合うのも当たり前なの」白乃が言った。


 ぼくの耳には、もうなにも入ってこなかった。


 白乃は満面の笑みでこちらを見ている。


 ゴクリと唾を飲み込んだ。


 ……かわいすぎる。

 こんなことされているのに、どうしてこんなにも惹かれてしまうんだろう。

 やっぱりぼくの妹は最高だ。


 ぼくはベッドの中で身動きできないまま、妹に押し倒されるような格好になってしまった。


「で、でも。兄妹で結婚だなんて、倫理観とか、世間体が……」


 やっとのことで喉の奥から出た声はあまりにも弱々しく、自分の声だとはとても思えなかった。


「馬鹿やろう!!」親父が怒鳴った。「倫理観? 世間体だと? 他人の目ばかり気にして、自分の気持ちに嘘をつき続けて、本当の幸せが得られるものか。おまえはそれでいいのか。お前が情けないせいで、お前自身ばかりでなく、妹のことも傷つけることになるんだぞ。この親不孝者めが。わたしは息子をそんな軟弱者に育てた覚えはないッ!!」


「素直になりなさい。あなたの遺伝子は、あなたと似た遺伝子を求めてるのよ。わたしとお父さんの子だもの。あなたはそういう星の下に産まれたの。近親交配のリスクなんていうわずらわしいものもないわ。ああ、なんていい時代なんでしょう」


 ふたりとも言っていることが滅茶苦茶だ。

 しかし不思議と無視できない。心の奥に染み込んでくる感じだ。


 白乃がスマートデバイスのアプリを見せつけてくる。

 振り切った好感度メーターが表示され、相変わらずやかましい音を立てている。


「お兄ちゃん、結婚しよう?」


 白乃の顔が近づいてきた。

 弾力があって生温かいものがぬるりと口の中に入ってくる。妹の舌だ。

 ああ、なんて美味しいんだろう。


 押し倒されながら、ぼくは勃起していた。

 白乃の太もものあたりに硬いものが当たった。


「あはっ」

 

 白乃が嬉しそうな声をあげる。

 ぼくは恥ずかしくなって、体をよじって必死に逃れようとした。しかし、それが余計に彼女を悦ばせる結果となってしまった。


 本能が目の前の雌と交配して遺伝子を残したいと言っている。

 より純粋な自分の遺伝子を。


 白乃が耳元でささやく。


「遺伝子の声に耳を傾けて」


 ぼくの心が壊れていく音がする。

 もう、逃げられない。

 きっとぼくたちがこの世に産まれた落ちたときから、逃げられなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

利己的すぎる遺伝子 ゆきいろ @hiding

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画