憧れのお姉さん

下東 良雄

僕の初体験

 元々朝が苦手だった。五分でも十分でも布団の中にいたい。何だったら、学校へ通うのも面倒だ。小学生の頃はずっとそう思っていた。


 この春、中学生になった僕は早起きが出来るようになった。早起きして何をしているかと言えば、さっさと朝の支度を済ませて、窓から家の前の道路をずっと眺めている。学校へ向かう僕と同じ中学生、朝のジョギングをしているひと、犬の散歩をしているひと、様々なひとたちが通っていく。でも、僕はずっと待っていた。あのひとが来るのを――


 ――来た!


「いってきまーす!」


 僕はカバンを持って慌てて家を出る。

 目の前には、長い黒髪をなびかせながら歩くスーツ姿の大人のお姉さん。年齢とかは分からないけど、多分二十代後半くらいだと思う。黒に近いダークグレーのスーツをまとい、レザーのバッグを肩にかけ、まるでモデルさんのように背筋をピンと伸ばし、颯爽と歩いている姿が本当に格好良い。

 実は何度か視線が合ってしまったことがある。少しツリ目でキリッとしたクールで美しいビジネスレディ。瞬時に血が沸騰したかのように身体が熱くなり、その度に僕は顔を真っ赤にしていたと思う。そんな僕を見てクスリと笑ったその笑顔。僕のハートは射抜かれ、完全にお姉さんに捕らえられてしまった。

 それ以来、毎朝家の中で待ち伏せては、学校の近くまでお姉さんの後ろをついていった。完全にストーカーなのだが、お姉さんへの僕の恋は本物で、どうしてもやめることが出来なかった。


 ただ、恥ずかしい話だけど、僕も中学生男子。どうしてもエロい目でお姉さんを見てしまうことがある。僕の心をドキドキさせる甘い匂いを振り撒きながら歩くお姉さん。そして、ピシッとしたスーツのスカートには下着のラインが薄っすらと見えてしまうこともあった。そうなると僕の心の中は劣情で溢れてしまう。タイミング悪く、股間を膨らませている時にお姉さんと視線が合ってしまったことがあった。慌てて股間を押さえながら『あぁ、これで僕の恋は終わった……』って、そう思った。でも、お姉さんは嫌な顔ひとつせず、僕に優しく微笑みかけ、そのまま逃げるわけでもなく歩き続ける。ホッとした反面、男として見られていないことが本当にショックだった。


 あんな美人だし、きっと素敵な彼氏がいるんだろうな。もしかしたら、もう結婚しているかもしれない。当たり前だ。あんなに素敵なひとを世の男性は放っておかない。

 でも、僕の想いだって本物だ。彼氏にも、旦那さんにも、お姉さんを好きな想いは絶対に負けない自信がある。僕みたいな中坊なんて相手にされるはずがないけど、僕の想いを伝えたい。もう後ろを歩くのは嫌だ! 僕はお姉さんの隣で一緒に歩きたい!


 今日こそ……今日こそあのお姉さんに告白するんだ!


 そんな決意を胸にお姉さんから少し離れた後ろを歩く僕。勇気を出すんだ。ダメで元々。僕の熱い想いをお姉さんにぶつけるんだ!


 が、いつもと違う角を左へ曲がっていったお姉さん。その姿は角の家の植え込みにスッと見えなくなり、地面に伸びていたお姉さんの影も遠ざかっていく。僕は慌てて追いかけた。


 あれ?


 曲がっていった先に、お姉さんの姿はなかった。

 ワケが分からず、狐につままれた気分になった僕は、そのままゆっくりと先に歩いていく。ただ普通に道路が続いているだけだ。お姉さんは一体どこに……まさか異世界に――


 ガッ


 何かに腕を掴まれた僕は、勢いよく駐車中の黒いミニバンの中に引きずり込まれた。パニックになった僕の口にガムテープのようなものが貼られ、両腕は後ろ手に回されて結束バンドで縛られる。気がつけば足も結束バンドで縛られ、あっという間に身動きが取れなくなった。見事なまでの手際の良さ。何の犯罪に巻き込まれたのかと見上げると、そこには笑みを浮かべるお姉さんがいた。


「つーかまーえた♪」


 どういう状況なのか理解ができない。


「キミ、私のこと好きでしょ?」


 ドキリとする僕。

 すっと顔を近づけるお姉さん。あの甘い匂いが僕の鼻孔を直撃する。


「あら、勃っちゃったかな? ふふふっ」


 異常な状況にも関わらず、股間を膨らませてしまったことに僕は顔を真っ赤にした。


「大丈夫よ。ぜーんぶ教えてあげるから」


 スライドドアを閉めるお姉さん。

 薄暗い車内。この先の展開に下世話な妄想を、そして期待をしてしまう。


 でも、なぜ拘束する必要があるのだろうか。


 そんな疑問が浮かんだ僕に、お姉さんはニヤリと笑った。

 その笑顔は、僕の知っている笑顔ではなく、劣情が匂い立つような笑みだ。


「痛いのは最初だけだから」

「!」


 お姉さんがを出した。

 それは明らかに男の声。

 驚く僕。

 よく見ると髪の毛がズレている。ウィッグだったのだ。

 ウィッグを掴み取ったは、スキンヘッドの男性に姿を変える。


「忘れられない初体験にしてあげる」


 舌舐めずり男性は、履いているスカートの一部を大きく膨らませていた。

 涙をこぼしながらうめく僕を横目に男性は運転席へ。助手席にあったパーカーを羽織り、エンジンをかける。ニヤけ顔で振り向いた男性。


「死ぬまで可愛がってあげるからね♪」


 車が動き出した。

 心を占めていた恋心は、心を締めつける恐怖となる。

 にこれから味あわせられる自分の知らない世界は、天国のような快楽か、地獄のような苦痛か。ただひとつ間違いないのは、この街から中学生の男子がひとりいなくなるということ。そして、もしかするとこの世からも――


 道路に駐車していた黒いミニバンを注意しようと家から出てきた年配の男性。ちょうどそのミニバンが走り出したところだった。

 舌打ちした男性は、遠ざかるミニバンを睨みつける。

 すぐ先の交差点で右へのウインカー。

 右折した車は、そのままどこかへと走り去っていった。



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