ゴールテープは目の前に

月野基也

第1話

ゴールテープは目の前に


月野基也



「いよいよか」

「やってやる」

 20代を中心に5人の男女の声。

 ここは直径25mはあろうかという巨大な岩窟の中。壁面には無数の観音像が彫られている。場所は岩手県XXX村の山中にある寺院の裏手。誰もが畏怖を感じるであろう闇の空間でありながら、かなり利便性の悪い場所で観光地化はされておらず、訪れる人は少ない。

 そんな岩窟のど真ん中に、いくつかの機械やPCとカプセルが5つ。それらの機械を調整する中年の女性と初老の男性。そこには計7人の人間がいた。

「塩水の温度は」

「35、今36度になりました」

「洞内の各種宇宙線量チェック」

「全てクリアです」

「では、5人の準備はどうかな」

「わたしはちはもう、ね」

「大丈夫です」

「私はもう4回経験済みですし。通常の離魂は」

 男女5人の声を受けて、初老の男性が説明を始めた。

「よし。では今回は記録をより伸ばすため、競技という形で離魂を行なう。カプセル入水後、30分をかけて離魂、つまり魂を肉体から引き剥がし、この洞内にアウトさせる。その状態のまま全員の魂の安定を図ったところで、電気パルスを送る。それが短距離走でいうスターターピストルの代わりだ。そのあと光の道を進み事象の境界面、俗に言う三途の川を目指してもらう」

「了解」

 そう言いながら5人は羽織っていたガウンを脱ぎ、薄い綿の下着だけになった。

「ここまでは皆、過去の実験で複数回経験済みだな。そしてその全ての実験は、必ず被験者がひとり、という形でおこなってきた。しかし単独でダイブしても、事象の境界面にたどり着くと、現実時間で3秒以内に必ず走馬灯効果によって魂は引き戻されてしまう」

「そうなのよね。もう少し周りを観測したい。ここに居たいと思っても、走馬灯効果で気づいた時はもうカプセルの中ってなっちゃう」

「そう。だから今回は複数人でダイブすることによって、意識に入り込んでくる走馬灯効果を、同じ体験をしている他者の存在を感じ合うことで打ち消しあい、また競いあうことでコンマ1秒でも長く周囲の観察をしてほしい」

「で、一番目覚めが遅かった人、つまりこの世へのゴールテープを最後に切った人が優勝、と」

「そうだ。その優勝者の名が科学史には太字で刻まれる。その為にこれまで参加してくれた被験者の中でも、闘争本能が非常に強いメンバーをえらんだ」

説明が終わると、体温と同じ温度の硫酸マグネシウムの塩水で満たされたカプセルに、それぞれが入っていった。

かつてオカルト界隈で幽体離脱、臨死体験などと言われていた現象は、今は最先端科学の一分野として、まだまだ研究者の数は少ないが認知されつつある。

 それもこのXXX村の岩窟のように、宇宙線が洞内に特殊な力場を作り出している地下空間が、世界各地で数カ所発見されたことがブレイクスルーのきっかけとなった。この空間にアイソレーションタンクを発展させたカプセルを設置し、そこに身を置くことで、離魂現象を再現性の高い状態で発生させる事が可能となり、飛躍的に研究を押し進める要因になった。

 しかし三途の川、今は事象の境界面と呼称している場面の観測が安定して出来ず、未だに現実世界での3秒間という壁を超え、境界面でのデータを取り続けた被験者が一人も出ていない。またそれが今までの死亡者ゼロに繋がっているであろう事も予想できた。だがこのままではこれ以上の進展が見込めないため、今回のような人間の競争本能に頼った、競技という形での実験を行うことになった。


「魂、全員安定しています」

「よし。電気パルスON」

 それまで5人は、カプセルに入ってから程なくして離魂したあと、岩窟内を漂いながら俯瞰で実験の様子を見ていたが、その声を聞いた瞬間、視覚が振動する感覚があり、すぐさま光のドームに高速で飛びこんでいった。

 彼らは魂だけのはずだが、自身も含め他者の身体も明瞭に認知できていた。だがここでは他者より前に出ようとしてもなかなかうまくいかず、スピード競争という意味において僅かな差しか生まれない。ほぼ横並びの状態で光の出口へ、より光度の増す出口へとスーパーマンのごとく5人は飛んでいった。

 そして視界の全てが光に包まれた瞬間……目の前には川上にも川下にも両方向に流れているように見える川と、光り輝く漆のような麗しき漆黒の対岸が見えた。


「着いた」「着いた」「着いた」「着いた」「着いた」


 ここからが勝負。しかしその瞬間から、それぞれの両親、親友、恋人、また懐かしい思い出などが駆け巡り、存在しないはずの体を引き戻そうとする。それに抗うため、一緒にいる4人の存在を強烈に意識し、彼らよりもっと、もっとと強く念じることで、少しでも長くここにいる状態を保とうと試みた。

 すると恋人の、母親の、親友の笑顔が少しだけ霞み、ノイズの彼方に消えていった。だがそれもその一瞬。逆に揺り戻しのように今までの人生全ての思い出が洪水のごとく押し寄せ、気がつくとやはり、カプセルの水に浮かぶ自身の胸や腕を見ることになった。


 そしてカプセルから出た被験者(競技者)は実験結果(優勝者)を知ることになる。

「残念ながら、ここに生還したみんなは3秒の壁を越えられなかった。だが一人、3秒以上のデータを録れた被験者がいる。しかし……」

 その彼は簡易ベッドに横たえられたまま、


 息絶えていた。


 未だ麻酔から覚めたような半覚醒の状態にあった彼らは、今日のためだけとはいえ、あの体験を共有した仲間のうち、座ってガウンを着ているのは4人だけだと分かると「優勝しちまったらあの世行きか」1人がそう呟き、まさに命がけの競技とも言える先駆的実験は幕を閉じた。


 今まで、最新の注意を払い死者を出さずにやってきた離魂実験は、警察の介入するところとなり、マスコミの非難の対象となった。

 業務上過失致死での捜査が進む中、初めて見る刑事が研究所を訪ねてきた。

「私たちは課が違うのですよ。凶悪犯罪を受け持っていまして」

「今回、唯一死亡した彼のことを調べるうちに、彼がある犯罪の重要参考人である可能性が強くなりまして」

「ある犯罪というのは?」

「殺人です」



 彼は事象の境界面にたどり着くと、周りの4人よりここに残りたい。とてつもない快楽的光景を見てみたいと強く願った。

するとその直後4人の姿は消え、自分1人が川岸に立っていた。

だが、彼の前には恋人も両親も楽しい思い出も現れない。

その代わり、三途の川の対岸の、漆黒の中にその黒よりさらに暗い、1人の男が手招きをして立っているのが見えた。彼には最初、それが誰なのか、いや人間なのかどうなのかも判別は難しかった。しかし徐々に彼の網膜、魂、記憶の中でそれが人であり、自身の人生の中でほんの一瞬だけ交わった取り返しのつかない男である事が分かった。自分がかつて些細な喧嘩の末に殺してしまった相手。

 その彼がこっちへ、こっちへと手招きをしていた。


 彼は抗うことすらできず、対岸へと、奈落のゴールへと突き進んでいった。


         (了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴールテープは目の前に 月野基也 @tsukino-motoya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画