天井の影

ウヅキサク

天井の影

 朝起きる。天井に居るそれと目が合う。にっこり笑う。それが私の毎日のルーティンだ。


 恨めしげな視線を寄越すそれは、見た目に反しその実まったく害が無い。ポルターガイストを起こすでもなく、呪ったりすることもなく、それどころか天井のあの位置から移動することすらしない。することと言えば、私が寝るために枕に頭を預けるとき、起きて目を開けるとき、じっと私を見つめ続ける位だ。恨めしげな視線、とは言ったもののそれはあくまで私個人の感想で、本当に恨みがあるのかだって定かじゃない。

「行ってきまーす」

 声をかけ、扉を開く。返事は無い。当然だ。でも私は声をかける。それが毎日のルーティンだから。


「おはよ」

「おはよー」

「今日のゼミ発表、終わった?」

「終わったけどさぁ」

 会話の相手、ゼミ仲間の優花は怒ったような声を出す。

「大磯のせいでわたし一人で全部やったんだよ。有り得なくない? LINEの返信も一切無いし」

「大磯、体調不良で暫く休むって先生にメール送ってたんでしょ?」

「にしたって! あー最悪。あんな奴と組まされさえしなきゃ」

 優花は鼻息荒く言い切り、次いで少し不安そうな表情を作った。

「でも、長く休む体調不良って何だろ。なんか、ヤだよね。変な因果がありそうで」

 視線の先にあるのは、ゼミ室の隅に置かれた一つの椅子。半年前まではこの椅子も、私達の椅子のように机にくっつけて置かれていた。

「……元々あいつサボり癖あるやつだったじゃん」

 私の言葉に優花は少し沈んだ声でそうだね、と言う。

「それよりレジュメ印刷してきた? 忘れるとまた先生うるさいよ?」

「やっべ、忘れてた! 助かったありがと!」

 慌ただしくパソコン片手に駆け去って行く優花を笑顔で見送り、私は隅に追いやられた椅子の背を小さく撫でた。

「沙希……」

 沙希。それは半年前まで私達のゼミ仲間だった人。心優しく、控えめながらも明るい性格の、まるでスノードロップのように儚く可憐な女の子。私の大好きな、一番の親友だった女の子。

 彼女は半年前自ら命を絶った。原因は彼女の彼氏――大磯だ。心が不安定で依存体質な彼女に付け入って、やりたい放題したクソ野郎。

 大磯は見るからにもてる奴じゃなかった。外見も、性格も。その癖少し優しくされたら彼女に恋慕して執着して、そして彼女はあんなに綺麗で可愛くて優しいのに大磯なんかに応えてしまった。彼女を手に入れたと勘違いした大磯はあっという間に天狗になった。その見ていられない増長振りはエスカレートにエスカレートを重ね、それなのに彼女は大磯から離れようとはしなかった。

 私は彼女の為ならなんでもやった。大磯から引き離そうとして、彼女の喜びそうなものをプレゼントして、『絶対私は味方だよ』って、そう言ったのに。『思い詰める前に絶対私に相談して』って、そう言ったのに。

 彼女はあっさり飛んでしまった。

 前日に大磯に別れると言われたとか、妊娠したとか、死ねと言われたとか、いろんな噂を聞いたけど、真偽は分からない。ただ、警察は大磯を罪に問わなかった。

 ――大磯は、罪に問われなかったのだ。

「おーい、あれ、……」

 椅子の背に手を置いたまま暗い顔をしてる私を見て、プリント片手にゼミ室の扉を開けた優花が言葉を詰まらせる。

「あ、ごめん……」

「ううん、あ、その、……そ、ろそろ先生とか他の人来る時間じゃない?」

「そうだね」

 私は短く言い、自分の席に腰かける。私の席は大磯の席の隣。この席が二度と埋まることが無いと、今は私だけが知っている。

 だって、大磯を殺したのは私だから。


 沙希が死んですぐ、私は大磯を沙希とのやりとりを録音したものを持ってる、と言って大学裏手にある山の奥、人の通りが無さそうな所に呼び出した。私は衝動のまま大磯を近くの崖から突き落とし、恐怖のあまりその場から逃げた。

 すぐに捕まることを覚悟していたが、数日経っても大磯の死が公になることはなく、可能性を見出した私は隠蔽工作のために、大磯の落ちた崖下までいき、鍵やスマホを奪うと死体を埋めてその場を離れた。

 多くの人と仲が良い人間ならいざ知らず、一人暮らしで交流も少なく、サボり癖の酷い大磯を消すのは難しいことではなかった。数少ない友人とサークルには実家に帰るから連絡が滞ると、ゼミには体調不良と、親とのラインにも細工しようと思ったが、元から殆どを無視していたようだったので何もしなかった。いつかは見つかってしまうだろうけど、まだ当分はきっと大丈夫。大磯が死んでいなくなったことには、きっとまだ誰も気がついていない。


 目覚ましが鳴る。それを止めて、目を開ける。天井に居るそれと目が合う。にっこり笑う。

「おはよう」

 返事は無い。当たり前だ。

「ふふ」

 私は笑い声を漏らす。黒いそれは、何もせず黙ってじっと私を見つめる。天井に張り付いたまま。じっと。

「ふふふ……」

 私は笑う。だってこの目は、沙希の目だから。私の大好きな、沙希の目だから。

「沙希、大好き。死んでたって、幽霊になってたって大好きだよ」

 沙希は私が大磯を殺すところを隣でずっと見ていた。大磯の死体を埋めるところも見ていた。そして今は――。

「沙希」

 影は答えない。動くことも無い。瞬きすらせずに私を見つめている。

 私を。そう、沙希は、私を見つめているんだ。

 私は沙希の仇を討った。沙希を殺した大磯を殺した。だから、沙希は私の所に居る。私を見つめてくれる。沙希さえここに居れば、いつか人殺しで罪に問われることだって怖くは無い。

「沙希、おはよう」

 もう一度声をかけてから身体を起こし、鞄を持って、ベッドに背を向けたまま家を出る。 ――出ようとした。けれど耐えられず私は玄関で振り向いてしまう。私のベッドを。天井に張り付く沙希の影を。その影の中にある一対の目が、見つめている先を。

「沙希……」

 視線の先にあるのは私の枕。いや、違う。正確には枕の中に入れたもの。折って剥がして洗って砕いて――。

「ウェッ」

 吐き気がこみ上げて玄関先に蹲る。

 沙希が見つめているのは私じゃない。枕の中に入れた頭の骨。大磯の、頭蓋骨。

 ――大磯を殺そうと思ったのは、大磯の背中に沙希の影が付き纏っているのを見たときだった。沙希が、未だにあんな奴に捕らわれ続けているなんて許せないと思ったから。そして、敵討ちをすれば沙希が私に感謝して、私を好きになってくれるかも知れないと思ったから。

 そう、私も結局大磯と同じだったのだ。少し優しくされただけで沙希に惚れ込み、執着し、愛をこじらせた。違いは沙希と付き合えたか付き合えなかったかという、ただそれだけ。

 大磯を殺した日から沙希の影を見ることは無かった。寂しかったけど安心した。

 その安心が打ち砕かれたのが、隠蔽工作のために大磯の死体があるところに足を運んだとき。沙希の影は大磯の頭上に漂っていた。影に浮かぶ一対の綺麗な目が、ぐちゃぐちゃになって腐りかけた汚い大磯を見つめていた。

 ――沙希は、未だにこんな男に囚われてるんだ。それが許せなくて、苦しくて、悲しくて、憤ろしくて、……そして、羨ましかった。

 私は隠蔽工作のために持ってきていた園芸用のシャベルなどの道具で、沙希が見つめてた大磯の頭部を折り切り、肉をなるべく剥がした。家まで持って帰ったそれを匂わないよう、なんとか肉を綺麗に洗い落として、砕いて枕の中に入れた。

 沙希の影は狙い通りに天井に張り付き、じっと枕を見下ろした。私がその枕の上に頭を載せれば、私は沙希と目が合う。沙希の視線を受け続けることが出来る。

 ――ずっと沙希の視線を独り占めしてきたんだ。私は沙希のために人を殺したのに沙希は私を一瞥もしてくれない。それなら、寝てる間くらい、私が沙希の視線を独り占めしたっていいじゃないか。


「……行ってきます」

 声をかけ、扉を開く。返事は無い。私は静かに扉を閉めて目を閉じた。

 天井の影は枕を見つめ続ける。一対の綺麗な紗希の目が私を見つめることは決してない。

 それでも私は毎朝目を覚ます度、私を透かして枕の中の大磯を見つめる紗希の瞳を見つめ返す。紗希を見つめて、にこりと笑う。

 それが、彼女の写真を天井に貼り付けていた時からの、私のルーティンだから。

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