ついてくさん

回道巡

ついてくさん

 キーンコーンカーンコーン

 

 チャイムが鳴り、帰りの会を終えた子供達が席を立ち、教室から出ていく。黒板の前に立つ担任の先生に挨拶をする子がいれば、微かに会釈と認識できる程度に頭を下げて通り過ぎる子もいるし、そこには誰もいないかのように通り過ぎていく子だっていた。

 最前列の席に座っていた雄太は朝から寝癖が髪にずっと残っているようなだらしない所のある子だが、こういう時には腰を折って丁寧な挨拶をする。今も下げた頭の天辺に少しはねた毛束を見つけた担任の先生が、暖かな苦笑で応じている。

 雄太はどちらかといえばやんちゃな気質をしているが、共働きで忙しくしている両親のことが大好きであるために、「挨拶はちゃんとする」という約束事をよく守っているのだった。

 

 「雄太!」

 「ん? おお、圭介」

 扉を出てすぐのところで雄太に声を掛けてきたのは同じクラスの友人である圭介だ。マンガでも小説でも、とにかく本を読むことが好きな圭介は、自室に膨大といえる蔵書があり、雄太含む仲の良い数人はそこから借りることも多い。もちろん雄太達が借りるのはいつもマンガの方だったが。

 しかし勢いよく声を掛けてきた圭介の顔を見て雄太は首を傾げた。

 「最新刊なら昨日返しただろ?」

 学校でもよく話題になるマンガ作品、その単行本最新刊の表紙を思い出しながら雄太は告げる。「最高に熱い展開だった」と思い出して心の中で反芻するその表情がやや緩んだものになっているのは圭介も気付いたが、今は気にしない。それより話したい内容があるからだ。

 「うん、だからそれじゃなくてさ。雄太は“ついてくさん”って、知ってる?」

 話したくて仕方がない。そんな様子の圭介は、雄太の反応を注意深く観察して待っている。喋っていない間も口が小刻みに開閉しているのは、喉まで出かかっているということなのだろう。

 「知らね……、怖い話か?」

 雄太の返答のそっけなさは怖い話なんて聞きたくないという気持ちからだったが、見栄を張って平気な振りをしたからか、あるいは圭介が他人の気持ちに疎いからか、雄太の内心での希望が叶うことはなかった。

 「“ついてくさん”は背が高くて髪の長い女で、目をつけられたら、どこまでもついてこられるんだって! それで追い付かれると洗脳されて手先にされるって話だよ」

 「せんのーって……マンガかよ」

 そっとついてくる背の高い女の長い髪と、その隙間から覗く恐ろしい双眸を思い浮かべてしまって、雄太は身震いする。圭介がいつも通りに小難しい言葉遣いで話したことを笑い飛ばすのにも勢いが出ない。

 「ついてこられたら…………どうすれば、いいんだよ」

 ついには観念して雄太が話の続きを促す。それは怖がっていると半ば認めることであり、圭介に話を続けさせるということでもあった。

 「どうしようもないけど、人の多い場所を避けた方がいいかも。尾行がわかりにくいから」

 「ストーカー対策かよ」という言葉は雄太の頭に浮かんだものの口にはしなかった。人気のない場所は余計に危なくないかということも、考えつくだけの余裕がなかった。

 傍から見ている大人がいたとすれば、怪談話に論理性もなにもないと思ったことだろう。あるいは、子供の間で広がる噂話というのは、曖昧な部分があるからこそ当人達にとって怖ろしいと感じるのかもしれない。

 実際に近くで話が耳に入ったらしいクラスメイトが「ついてくさんは男か女かもわからなくて、それに一人になったところを狙うからにぎやかな場所にとどまれって聞いたよ?」と言ってきたが、圭介は「そうなの? 僕が聞いたのは違うよ」とそっけなく対応している。どちらにしてもそれは雄太に聞こえてはいないようだったが。

 

 とにかく、雄太は圭介から“ついてくさん”の話を聞いてしまった。頭に情報として入ってしまったからには、雄太が帰り道で何度も後ろを振り返るのも仕方のないことだ。

 「っ! いない……よな」

 健気にも普段は通らない人通りの少ない道を選んだ雄太だったが、その事を少し後悔してもいた。

 「人が多い場所のほうが怖くなかったってぇ……」

 弱々しい声で漏らすが、それを聞いている人はいない。雄太にとってそれが良いことか悪いことかはわからないが、どちらだとしても独り言でも口にしなければ恐怖で足が進まなかった。

 できれば忘れようともしたが、そうしようとすればするほど、逆に意識してしまって雄太の頭の中で“ついてくさん”はそのおどろおどろしい姿を明確にしていくのだった。

 「こんなんなら、いっそせんのーされちまった方が……」

 もうほとんど心が恐怖に屈している雄太は、次善の策を模索する。だが、得体の知れない怪異存在に取り込まれ、その手先となってしまった自分の姿というのは、想像することすらできなかった。未知の存在によって、自分自身の内部にあるなにか大事なところが未知の状態にされてしまう――その想像が喚起するものは雄太の目尻に雫となって滲む。

 「とにかく、家に帰ろう」

 まだ子供である雄太にとって、両親と暮らす家というのは特別な場所だった。風呂の最中に背中に視線を感じたり、寝る寸前に布団の中から気配を感じたりすることはあっても、やはりより広い範囲で考えれば家こそが最も安心できる場所だ。

 それに圭介からの助言のこともある。そもそも今の雄太が怯えながら帰路についているのは圭介のせいなのであるが、そのことを恨むような精神的余裕もない。だから聞いた時には馬鹿にした、人気の少ない場所を通って帰るという方法に縋ってもいるのだった。

 

 「……お腹が痛い」

 人気の少ない道とはいっても往来だ。多少は人通りがある。だから見かける人見かける人に胡乱な目を向けていた雄太だったが、ふと立ち止まるとそんなことをぽつりと呟いた。

 通行人からはことごとく距離をとっているものだから、当然それを聞いた者はいない。だがそれはどうでも良かった。雄太はまず腹に抱えてしまった不安要素について考えなければならないのだから。

 「コンビニ……か」

 ここは既に学校の近くではない。だから目線の先にある店舗でトイレを借り、長めの時間を過ごしたとしても、誰かに見つかって馬鹿にされるようなことはないだろう。

 「ぅぅう~っ!」

 だがそういうことではなく、懸念があって雄太は店舗から目を逸らした。大通りからは外れているとはいえコンビニだ。ある程度の出入りはあり、トイレに入ってもおそらく店舗内を行き交う人々の音というものは雄太の耳に入ってくるだろう。

 もし、仮に、件の“ついてくさん”が雄太を追ってやってきたらどうだろうか? コンビニの店員は身を挺してでも助けて……、いやそもそもそれが普通ではない存在だと気付いてくれるだろうか。子供が恐れる怪物というものは、往々にして大人の目を逃れることに長けている。少なくとも雄太の知識ではそうなっている。となると、“ついてくさん”も平然とコンビニに入り、トイレの前までやってきてその戸を叩くのではないかという想像など、雄太には簡単にできてしまう。

 「うぅ、どうして俺がこんな目に……」

 結局雄太は、数歩ごとにへその下あたりをシャツの上から撫でながら、とぼとぼ歩き続けることにしたのだった。

 

 「公園だ」

 少しだけほっとした声が雄太の口から漏れた。それは家までもう少しという目印だったからだ。

 「……あ」

 そして今度はやや複雑な感情が短い音となって表現された。公園の端にある小さな建物の白い壁が目に入ったからだ。今日の雄太が通ってきた道は普段の帰路ではない。だから家のすぐ近所にある公園とはいえ、その存在が頭から抜けていたのだった。

 それは公衆トイレだった。治安の良い地域であるとはいえ、なるべく入らないように両親からも言われているそのトイレの建物ではあるが、今の雄太にとって背に腹は代えられない。端的に、あるいは率直にいって、もうすぐそこにある家まで帰り着く前に下着とズボンを汚してしまう可能性が大いにあるということだった。

 「う、うぅ、トイレ……」

 雄太の足が公園の方に向く。遅々としてはいてもまっすぐだった帰宅の足が、ここで少し向きを歪めたということだった。

 だがそこで雄太は少し目を見開いた。公園の中には雄太から見ても小さな子供達が楽しそうに遊んでいるし、その保護者が何やら話し込んだりもしている。一見するとそこに怪しい人影は紛れ込んでいないが、ほんの少し目を逸らした隙にいつの間にか背が高くて髪の長い女が立っているかもしれない。

 圭介から面白半分な様子で聞かされたその“ついてくさん”の特徴は、いつのまにか雄太の中でははっきりとした姿となっていた。大きな恐怖が、その細部までも想像させていたということかもしれない。

 だからこそ、通ってきた道よりは明らかに人が多い公園へと踏み入ることを、雄太は躊躇した。

 「もう少しだから」

 そしてたまたまその瞬間に、雄太の腹痛の波が小康状態を迎えたことも後押しとなった。直前まではほとんど引き摺るようになっていた足をとぼとぼと動かして、雄太は公園を離れていく。

 

 「や、やっと……」

 思わず声を震わせた雄太は、今自宅を見上げていた。なんてことはない二階建ての一軒家をこれほど感動的な気持ちで見たことはなかった。

 もちろんそんなことをしている間にも、雄太は忙しい手つきで鞄を探っている。然程も時間を掛けずにキーホルダー付きの鍵を取り出した雄太は、やや乱暴にがちゃがちゃと開錠して中へと入っていく。

 そのまま鞄を落としつつ、廊下の先のトイレまで駆けていこうとした雄太だったが、ふと立ち止まって内側から鍵を掛ける。普段であれば両親からの言い付けを守ったということだったが、今についていえば恐怖心の残滓がそうさせたのだった。

 だがそう、それはもう残滓だった。圭介に話を聞かされてから徐々にその姿かたちが詳細になって頭中を占めていき、それにあわせて恐怖心も掻き立ててきていたモノがなんであったか、もうどうでもいいとすら思えていた。

 無事にトイレで排便を済ませ、下着が汚れていないことも確認した雄太は機嫌よく水を流す。

 「ふふっ、怖がり過ぎだって」

 「だってさぁ、圭介があんな話をするから」

 トイレから出て丁寧に手を洗った雄太は、さっぱりとした表情で自室がある二階への階段を上がっていった。

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ついてくさん 回道巡 @kaido-meguru

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