おもちゃのでんわ

明鏡止水

第1話

〈もひもひ、はぁい〉


〈えんき、はい〉


〈あいあい〉


あかいおもちゃのでんわがあった。

録音ぼたんを押すと、押している間の声を録音してくれる。


母親がおもちゃの電話の受話器を取る。コードがくるくると伸びて、耳に当たると小刻みに揺れる……。


「げんきくんですか?」


ザー。


「げんきくん、もしもし?」


〈もひもひ〉


「げんきくんはきょうも、げんきかなあ?」


〈はぁい〉


「げんきくん、きこえる?」


〈えんき、はぁい〉


「げんき……、ッ、っ、……! ……」


どうしても、「次」が言えない。


スマートフォンの録音アプリでも、ちゃんとこの音声は録音済みだ。


たいせつな、声。


ある日の遊びがよみがえる。


母親はスマートフォンを耳に当てて電話をしているふりをする。

2歳のこどもは、おもちゃの赤い電話の数字のボタンを押して音を楽しみながらきゃっきゃっとわらって、笑うと顎を突き出して。前のめりになり。こちらにとびきりの笑顔を何度も見せる。

自然に微笑む、笑う、笑い声。お気に入りのおもちゃ。


「げんきくーん、もしもーし、げんきくんですか?」

母親はスマートフォンを耳に当てながらこどもが受話器をたまらない気持ちで両手で握って押し当てる姿を愛おしく思う。

「もひもひ、はぁい!!」

舌足らずな声で子供が返事をするのをおもちゃの電話の録音ボタンを押しながら母親は心底可愛いと、愛おしいと思いながら聞く。

「げんきくん、げんき?」

「……えんき、はい」

何やらお遊戯会の時のような見られている感覚を感じたのか、息子がたじたしする。2歳児でもすくむことがある。いじらしくて、自分の問いかけに元気ですと返事をする、利発な子。

「げんきでしたかー、よかったー、じゃあね、ばいばーい!」


手を振りながら

「あいあーい」

と緊張気味にあかいおもちゃのでんわとのやりとりが終わる。


録音した息子の声はザーという小さな機械音と共にこれまたとろけ出すようにかわいく響く。

息子も最初は録音された音声にきょとん、としていたが、母との会話の再現であると判断すると一気ににかりと笑って手を叩かんばかりに感激する。


やがて、言葉がはっきりして、もうすぐ幼稚園に上がるかと言う時。

息子が妙なことを言った。

「まま、ぼくはてんごくとじごく、どっちにいける?」

教育のために「地獄」という絵本を読ませたのがいけなかったか。

「いいことをしていたらてんごくにいけるし、わるいことをしたらじごくにいくかもしれないけれど、もし、げんきがわるいことをしそうなら、ママががんばってとめるからね! だいじょうぶだよ! ママもいるよ!」


幼稚園に上がって、そのまま元気に育っていく。そう思っていた。

親より先に、子供は天に召されてしまった。

あの日の赤いおもちゃのでんわを大切にして、母親は受話器を今日も取る。


もしもし? げんきくんですか?


もひもひ、はぁい


お、げんきくんだ。きょうもげんきかな?


えんき


よかったね、じゃあまた、


〈あいあい〉


そこでいつも、泣いてしまう。


ばいばい。


2歳の息子が放った、つたない、愛くるしい、とまどった、ばいばい。


ずっと、母親は「ばいばい」が言えないでいる。


息子の誕生日を、絶対に数えてしまう。

ある日の、「その日」。

おもちゃのあかいでんわが、鳴った。


とうとう、壊れてしまったのか!

受話器を取って再生ボタンをいつものように押して、最後の一回を聞こうとすると。


「まま?」


時が止まった。


音声の発信機能の無い受話器側から声がする。


「げんき」


「うん」


「まま、ごめんね、ままよりはやくしんじゃってごめんね。おそうしきごめんね」


怖いと思った。


もう5年以上たつおもちゃの電話からそんな機能あるはずないのに通話機能があり、あの日の息子の声がする。


だが、つぎの言葉で、母親はその声を聞かざるを得なかった。


「……もしもし、まま?」


「うん! うん! ままだよ」


もしもし。何度、たずねたことだろう。

もしもし、もしもし、げんき、もしもし?


「げんき?」


「うん、げんき。じごくのおにさんもやさしい。石をたくさんね、つんでとうみたいにしたら、またままにあえるって。げんき、がんばっていしのっけた。まま、あいたい!」


「ママもあいたいよ、げんきのおたんじょうびも、げんきの七五三も、げんきのぜんぶにあいたかったよ!」


赤いおもちゃのでんわの受話器を握りしめながらただただ泣いた。


「まま」


「またままにあいにいってもいい?」


「! いいよ! いいよ! たくさん来て! たくさんママに会いに来て! げんきのママで、ママよかったッ」


「ままにあいたい」


おもちゃのでんわの受話器のむこうから、泣き声が聞こえてくる。


「いいよ! ママもそっちにいくよ! げんきのところに、行くからね!」


「また、ままがいいけれど、つぎはわからないんだって


まま、すきだよ」


「……ママもげんきが世界でいちばんすきだよ。会いたいよ


げんき、またね」


「……まま、またね」


「「ばいばい」」


気づくと、おもちゃのでんわの受話器を手にして、涙の溢れた目でおもちゃコーナーに座っていた。


ボーとしながら、電話の音の出る数字ボタンを押してみた。それぞれドレミファソの音が鳴った。

再生ボタンを押す。


「もしもし……げんき?」


もしもし、はい。


「げんきくんは、げんきですか?」


げんき、はい。


「げんき、ばいばいね」


ばいばい。














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おもちゃのでんわ 明鏡止水 @miuraharuma30

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