きんつばの郷と人類の夢とわたしの野望

皇帝栄ちゃん

きんつばの郷と人類の夢とわたしの野望


 人間の容姿というものは薄皮一枚で成り立っていて、薄皮の中身は血と肉の塊だといわれるとぞっとしますが、そんなこというなら「きんつば」は薄皮の中身が透けて見える粒餡の塊で、人の肉は食べたことがないですけどアンコは美味しいとわかっています。水で薄くした小麦粉の生地で美味しいアンコを包んで焼けば最強の食べ物になります。日本、いえ、地球の常識ですよね。

 そうだ、みなさん、勉強はお好きですか? わたしは嫌いです。勉強しようとすると頭が痛くなります。勉強なんて誰だってしたくない、なにかを達成するために仕方なくするだけです。勉強が好きだなんてのたまう人は、ぶっちゃけ努力できる才能を持っているだけですよ。わたしのクラスにいるんですよね、そういう努力スキルに恵まれた、めちゃくちゃ可愛くて頭のいい女の子が。わたしは努力したくないです。

 あっ、まってください、画面閉じないでください。これはどうでもいい愚痴じゃありません。ほら、あれですよ、落語でいうところの、えーと……あっ、うん、それ。まくらとかいうやつ。前振り。導入。つまり、わたしが体験した不思議な出来事を、動画配信を通してみなさんにお聞かせしようというわけです。コメント不可の一方通行でごめんなさいですけど、長い話じゃないので安心してください。

 これからお話するのは、きんつばが大好物の女子中学生が〈銀鍔郷〉を訪れて人生の目的に目覚めるまでの顛末となります。

 あれは初夏の陽射しがまばゆい多感な青春の曙光に照らされた穏やかな午後の……わー、また減った! ごめんなさい、作家の真似事なんてせずにさくさく語りますから、最後まで聞いてください。後生です。わたしの野望がかかってるので!


  * * *


 テスト勉強を放り投げて散歩に出かけたわたしは、出入橋のきんつば屋できんつばを堪能しました。織田作之助が「アド・バルーン」で描写したお店かどうかは知りません。あ、言い忘れてましたけど、わたし大阪人ですよ。

 それでその帰りというか、お店を出た瞬間に、世界が切り替わっちゃったんですよね。とびっきりの偶然が重なって、いわゆる「境界」を踏み抜けたのかも。

 起きたことを簡単に説明すると、目の前にクマと織田信長がいたんですよ。

 突然のクマ。突然の織田信長。

 そりゃ好きな動物はクマだし好きな武将は信長ですけど、なんでやねんって感想しかありませんよね。

 クマは二足歩行で立って大きなアンコの塊を転がしているんです。それを信長がうるち米の粉で包んで焼いて、丸い銀鍔状に天下布武の印を押して、クマと一緒に食べていました。

「……部下に裏切られ死んだ。人間の習慣に馴染んでクマの誇りを忘れてはいけなかったのだ」

「しかし貴様は国を征服してのけた。儂は天下統一あと一歩のところで謀反に遭ったのだ」

「ノブナガよ、お前と話していると心地がいい。きんつばに栄光あれ」

「ははは、きんつばの契りを交わして儂も愉快だ」

 クマが人間の言葉で信長と会話してたんです。いやなんなんでしょう、妙に相性ぴったりで仲良さそうですけども。ちなみに信長がつくったのはきんつばの原型となったぎんつばですね。わたしは金より銀が好きだからこの世界を〈銀鍔郷〉と名付けましたが、和菓子としての読み方は断然きんつばのほうが愛着あります。

 それはともかく、目の前の会話をぼんやり聞いていたら、急に一匹と一人がこっち向いたんです。

「きんつばの神の申し子たる小娘よ、理想と信念を掲げ、誇りと野望を持て!」

 クマと織田信長から激励されました。みなさんはこんな経験ありますか?

 わたしはただただ引きつった顔でコクコクとうなずいて、両者を見つめたままおそるおそる後退しました。背中を向けたら襲われそうじゃないですか。クマだし。相方のほうだって「斬首だ!」と逆ギレして刀で斬りかかってきそうじゃないですか。信長だし。

 安全圏まで下がったところで、視界が景色を認識する余裕を得ました。クマと信長は時代劇に出てくる峠の茶屋みたいな場所で一服していて、その左右には、川を挟んで戦国時代の城下町とクマたちの棲む山が向かい合っていたんです。最後にわたしがチラ見したとき、信長は「敦盛」を謡い舞い、クマが合いの熊手を送っていました。わたしも信長の人間五十年~をひと目見れて感動しましたよ。

 そういえば織田作之助のお父さんは自分たち織田家が信長の血筋であると信じていて、家系図もあったみたいなんですけど、祖父が手放して行方不明になったそうで、売れっ子作家になった作之助が姉の頼みで何年も捜索したけど見つからなかった模様です。

 さて、逃げるようにどこをどう歩いたか、わたしはいつの間にやら港町に辿り着いていました。埠頭に目をやると、黒いマストに血のような赤い帆を広げたオランダ船が停泊していて、宣教師が芋きんつばを食べながら説教の真っ最中。

 おどろいたことに宣教師はトマス金鍔次兵衛さんでした。寛永十四年に三十七歳の若さで殉教した日本人宣教師です。名前に金鍔とあるからおぼえたんですけど、きんつばを食べているなんて嬉しいじゃないですか。まあわたしは芋きんつばなら紫芋きんつばのほうが好きですけど。

 せっかくなので説教に耳をかたむけましたよ。あとでネット検索してわかりましたが、どうやら旧約聖書「コヘレトの言葉」の四章を朗読していたようです。わたしはその九節から十一節の言葉に強い感銘を受けました。これは非常に大切なことですからね。

 説教が終わって立ち去る宣教師にインタビューを試みたら、ものすごい真実を答えてくれました。

「私は信長公の子孫に助けられたのです。主のお導きに賛美がありますように、アーメン」

 そう、トマス金鍔さんは生き延びていました。彼を助けたのは歴史の闇に埋もれた織田信長の秘密の隠し子で、実は信長も本能寺の抜け穴を通って生存したというのです。そのうえ晩年に京都で誕生した銀鍔を食べて「これぞ天下一の美味なり」と歓喜の漢泣きにおよんだとか。信長はスイーツ系武将でしたからね。

 トマス金鍔さんが芋きんつばを好んでいるのは、主が信長と隠し子を通してお与えになられた愛のあかしにほかならないからだそうで、クリスチャンじゃないわたしも感無量です。殉教を否定はしませんが「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」もまた神の無限の恩寵で、きんつばへと結実するに相違ありません。

 もしかしたら信長の隠し子による血筋こそが織田作之助の家系に繋がるのかも……。

 なんてことを想像しているうちに、トマス金鍔さんがオランダ船に移動していました。甲板で彼を迎えたのは黒マントと黒ずくめの衣装に身を包んだ男の人で、なんと、ヘンドリック・ヴァン・デル・デッケン船長。かの「さまよえるオランダ人」だったんです。

 どうして伝説のオランダ人と一緒にいるんでしょうか。

 わたしの問いに、トマス金鍔さんは十字を切って微笑しました。

「信長公の隠し子に牢から救い出された私ですが、すぐにまた追われる身となりました。波打ち際で追い詰められ危機に陥ったとき、この船が現れて私を乗せてくれたのです。追手は誰一人として船に近づけず、恐怖のあまり逃走しました。それから私たちは二人で船旅をしています。船長は自らの救済のため、私は神の道を説くため」

「最初は助ける気などなかった。だが、きんつばがあまりにも美味だったため、呪われた我が身にも希望を感じたのだ。小さき乙女よ、誠なる愛を求めよ」

 すごい言葉を聞きました。これはもうゼンタ嬢はきんつばを用意してオランダ人を待つほかありませんね!

 というわけで港町を後にしたわたしは、今度は深い森の中を歩いていました。

 長い話じゃないと最初にお約束したので巻いていきますね。森の小径で円卓の騎士と永遠のユダヤ人に遭遇したんですよ。ベイリンとアハスヴェルス。見事なまでのザ・呪われコンビというか、さまよえるオランダ人を加入させてトリオにしたいくらいです。

 えっ、なになに、ベイリンは円卓結成前に追放された騎士だから円卓の騎士には数えられない? そ、そうなんや、なるほどー。……あっ、すみません、実はいま来客中なんですが、その子に指摘されちゃいました。いやー、お恥ずかしい。

 話を続けましょう。えーと、アハスヴェルスは大男でした。長い歳月を重ねた樹林ほどに濃い、おどろくべき長さを蓄えた白いヒゲが特徴で、境界石を背負って汗をかきながら歩いているのです。わたしを目にした瞬間、彼はその場にとどまろうと足踏みをしながら相方の名前を呼びました。

 立派な鎧と家紋入りの盾を装備した騎士が颯爽と現れ、席をすすめると、アハスヴェルスは境界石を置いて腰を下ろしたではないですか。騎士が差し出したきんつばを食べながら、ユダヤ人はわたしに敬意を示しました。

「きんつばを愛する娘よ、貴重な五分間の休息を汝に捧げよう」

 民間人が気軽に宇宙旅行できる時代になっても自分は地球の放浪から解放されないだろうと嘆くアハスヴェルスに、わたしは反論として地球の素晴らしさを一分間で力説しました。地球は人類の魂と愛の故郷でとにかく最高なんですと口角泡を飛ばす女子中学生を見て、永遠のユダヤ人は幸せそうに笑ってくれました。

「きんつばの乙女よ、貴女のおかげで我々はここにいる」

 ベイリンが食べるきんつばは銀鍔状で、彼の語るところによれば、聖なるきんつばに癒されて、いまは銀鍔の騎士として新たな探求をしているそうです。

 まあそんな感じに、不思議なコンビとのエンカウントを繰り返したわけで。

 八百年を生きたといわれる八百比丘尼と彭祖にも会いましたが、二人はきんつばがもたらす縁で邂逅し、茶菓子仲間として過ごしています。

 これら歴史上、伝説上の人物たちとの出会いによって、生き続けることの意義が五臓六腑どころか魂の根源にまで染みわたりましたよ。


 いくらなんでもご都合きんつばがすぎる。そう突っ込みたいのではないでしょうか?

 でも、それは、わかってみればなにも不思議なことじゃありません。

 わたしがきんつばを大好きになったのだっておなじです。なにかを好きになるのに理由なんて不要です。食べて最高の美味しさを感じたとか、めちゃくちゃ可愛い女の子だから惚れたとか、好きになる理由なんてそれだけで十二分ですとも。

 それでは締めに入りましょう。


 最後にわたしはローカ=サティヤの広間に立ちました。サンスクリット語でローカは世界、サティヤは真実を意味するみたいです。

 わたしとおなじ現代人たちが、広間のあちらこちらで悲しみに暮れていました。阪神ファンらしいヒョウ柄の服を着たパーマ頭のおばさんに話しかけると、もっと勉強しておけばよかったと後悔の嘆きを漏らすばかり。彼ら彼女らはみんな夢想家で、きんつばとは関係のない、それぞれの世界を堪能したようです。

 これで理解しました。わたしの世界である〈銀鍔郷〉で出会ったすべての存在は、とどのつまり、わたしがこれまでに知り得て強い愛着を感じたものたちの集積で、大好物のきんつばと絡めて空想に耽った産物であることを。

 わたしの蓮台が帰還を意味する燐光を放ちました。だけどわたしはほかの人たちと違って悲しんだりはしません。必ずここに戻ると、きんつばの神にかけて誓いましたからね!


  * * *


 かくのごとき次第で、わたしはそれからクラスの女の子を口説いて仲良くなって、きんつばの魅力を味わわせているところです。あ、いまここにいるのがその子です。ご覧のとおりめちゃくちゃ可愛くてすごく頭がいい学年一の秀才なんですけど、照れ屋さんなんですよね。そこがまた可愛くて大好き。うへへ。

 ――さて、もはやわたしが勉強する必要はありません。ひとりよりふたり。近いうちにわたしはこの子と一緒に〈銀鍔郷〉を再訪しますよ。

 最後までお聞きくださったみなさんにお願いがあります。ぜひともきんつばを好きになってください。わたしの夢想とこの子の知識とみなさんのきんつば愛が合わされば、世界を塗り替えて不老不死の野望さえ実現するはずだから……。

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