クレッシェンド

たきたたき

クレッシェンド

 私は拳法部がある高校を選んだ。

 中学時代から町道場所属で出た試合でも度々良い成績を残せていたので、高校の方から推薦の話も来たのだが、個人的には音楽への道も残しておきたかったので推薦を断り、受験をして一般入試でその高校に入った。

 人に言わせれば、何故そう言うことを入学前に確認しなかったのかと思うかもしれないがそれは結果論であり、人は想像も出来ないことにはそう簡単に対応なんて出来ないのである。

 そして私は拳法部の体験入部の初日に唖然とすることとなる。

 私は武術において受けというのはすべての基本であり、真剣に当てに来るのを繰り返し丁寧に受けることで実際に使える受けの技術というのが身につくという風に習い、きちんと受けられなくて顔や部位に攻撃が当たるのは受け手が悪いと教わってきた。

 しかしこの高校の部活では、そもそも攻撃は当てると危ないから寸止めなんだそうだ。寸止めが前提にある練習。別に受け損なおうが誰も怪我しない練習。実際に当たるか当たらないかの緊張感の中でしか養えない間合いや見切りという概念の無い練習。

 今まで道場の先生に実際にボコボコにされてそれらを学んできた私から見れば、それはただの武術風のダンスでしかない。その点を顧問の先生に確認すると「それは高校という枠組みで行う部活である以上、仕方が無いんだよ」と言われてしまった。

 私は悩んだ。私が小さい頃から当たり前にやってきたことは確かに顧問の先生が言うように高校の部活では危険なことかもしれない。しかし武術である以上、それが実際に身を守る為のもので無いのなら、それはそもそも何なのだという所に話が行き着く。

 結局、私は入部を断念し、子供の頃から習っている道場で今までのように週に二回のペースで習い続けることにした。

 そうして私の中ではひと区切りがついた部活問題ではあるが、部の方では区切りがついておらず、二年生や三年生の上級生がクラスにやって来ては「もう一度見学に来ないか?」と散々に付き纏われた。要は「生意気な一年を分からせる」のが目的だと言うのは誰が見ても明らかであった。

 それでも波風を立てたくないのでと黙って言うことを聞いていたのだが、流石に他のクラスメイトの顔色もあり、色々と鬱陶しくなってきたのではっきりと迷惑だと言うと、何故か部室で二年生で一番強いという次期主将候補の部員と、他の部員たちに見守られながら乱取りをする羽目になった。

 しかし、武術風ダンスを練習している人間と、せんきょだと言うのを真剣に研鑽してきた人間が戦えばどうなるのかをその先輩たちは想像出来なかったらしく、その乱取りは私が相手に何もさせずに一方的に制圧して終わった。最初は少しムカついてもいたのでボコボコにしようと思ったのだが、はっきりと分からせるには一発も攻撃せずに一方的に制圧するのが分かりやすいだろうとそうすることにしたのだ。

 もちろんその乱取りの件は盛大に先生にバレた後に顧問の先生から謝られたが、「それで残ってくれるのならと三年生は思ったようだ」という話をされた。それを聞いて私は改めて高校の拳法部に心底失望した。

 こうして決定的に折り合いが悪くなったことで、廊下で上級生とすれ違えば睨まれ「あいつは調子に乗っている」と勝手に噂され、そんななので同部の同級生には敬遠をされと散々である。

 そうこうしている内に、私は部と関係ない同級生にまで腫れ物を扱うように少しずつ距離を取られ始めた。こうして私は見事に高校選びを失敗したのだった。


 一方で中学でエレキギターを始めて以来、私は音楽を続けていた。中二の三学期頃には私は親にねだり、楽器屋で行われていたエレキギター教室に週一で通い始めていた。

 高校生になると私の興味は作曲に移り、私が影響を受けた音楽の物真似のようなオリジナルの曲を書き始めていた。そして興味が作曲に移ったことで、私はギターの先生と相談し、エレキギター科からポピュラーピアノ科に移り音楽理論を勉強し始めた。その決断は私もして良かったと思っている。

 そんな私が次にやりたいことは録音である。自分で色んな楽器を演奏し、組み合わせて曲にして私が好きな音楽のような曲を作ってみたい。毎月欠かさず買っている音楽雑誌には、MTRというものを買えば自分一人でも多重録音が出来ると買いてある。そうなってくると必要なのは金だ。音楽には金がかかるのだ。


 こうして私は親と話をして、新聞の折り込みチラシに載っていた工場のバイトに行くことにした。

 即採用されたその会社の工場は大手の某会社の下請けで、工場から送られて来たそれぞれの商品を組み合わせて一つの段ボール箱に詰めてガムテープで蓋をし、パレットと呼ばれる大きな四角い板にその段ボールを段で交互に成るように積み、その段ボールの山が三段になれば社員さんがフォークリフトで器用にそれを別の場所に運んでいく。私のような男手は、ラインの最後のそのパレット板に段ボールを積む場所を任されることになった。ライン工の中でも最もきつい、要は力仕事である。

 私は学校が終わると工場に向かい、作業着に着替えてマスクと手袋をし頭にタオルを巻き、ひたすらラインの最終で段ボールを運ぶ。最初は腕が上がらなくなる程の筋肉痛に苛まれたが、慣れてコツが分かると筋肉に頼らない重いものの運び方と言うのが分かってきた。そうして一ヶ月もすると太ももや腕と言うよりは主に背中の筋肉がはっきり隆起するのが分かった。

 淡々と一人で行うその作業は私の性分と合っていたらしく楽しく働く事が出来た。クソ暑い蒸し風呂のような倉庫の中で、ラインのおばちゃんたちに囲まれて一人汗をかき、黙々と作業しながらも頭の中ではずっと音楽が鳴っていた。

 ラインを流れる段ボールにガムテープが貼られる規則正しい音がリズムになる。それに合わせて頭の中にメロディーが流れると自然とコードが付き曲になる。家に帰るまで覚えていればそれは良い曲という事で、家に着くや否やさっと譜面を書き残す。そうして連日バイトしながらも頭の中でずっと作曲をしていた。

 社員さんも学生の男手である私には優しく、その点でも恵まれた環境だったのかもしれない。そして何よりも給料が良かった。自由出勤自由退社でバイトの予定を自分て立てられるにもかかわらず、夜の六時以降や土日には手当がつき、簡単に月の給料は十万を超える。勿論その分仕事はきついのかもしれないし現に人が続かないのかもしれないけれど、私には天職に思えた。


 こうして夏休み明けには、早々に目的のHDのMTRを買う事が出来た。家でギターと鍵盤を弾き、中古で買った三万円のベースを弾きリズムマシンを乗せ録音をする。歌は苦手だったけど音楽教室がある楽器屋の貸スタジオの小さな部屋の方にMTRを持ち込んでボーカルも入れた。(歌詞は恥ずかしかったのでラララで歌った。)

 最初はそれで良かったのだけれど、どうしてもリズムマシンのリズムが気持ち悪くてそのことを教室の人に相談した所、スクールのドラム科の先生から一時間だけ練習の仕方を教えてもらう授業を受けて、楽器屋の貸しスタジオで一人でドラムの練習も始めた。ドラムは上手かどうかはともかく、とても楽しく練習することが出来た。

 そうして次第に明確に、もっと音楽をしっかり勉強したい。そして音楽家になりたいと、私の夢が明確に固まって行ったのだった。


 一方拳法の方は、高校二年の夏に道場所属で出た大会で再び優勝をした。そして止せばいいのに学校は全校集会でそれを表彰した。こうして一部でしか知られなかった私と学校の部の対立は表面化し、より一層学校に居づらくなってしまったのだった。


 ある日の昼休み。私はいつものように一人で飯を食べ机に突っ伏して寝ていると、私を呼ぶ声で起こされた。その男は確か平野と言ったはずだ。

「ちょっと話いいか?」

 男に呼び出されるのは碌な事がない。それを嫌というほど分かっていた私はうんざりしながらもその後に続いた。

「教室で話せない事か?」

「ああ、まぁ。」

 この平野という男とは中学は同じはずだが記憶にある限り話したことは無いはずだった。ただ噂というものは嫌でも入ってくるもので、ヤンキーって訳では無いのだろうが、いわゆる喧嘩自慢のような奴だったはずだ。それにこの男、こうして隣に立つと私の想像よりも背が高く威圧感すら感じる。180cmはあるだろうか。なんと無くの記憶の中の彼よりも、随分背が高いように思う。おそらく高校になって背が伸びたのだろう。そうして私は警戒を解くこと無く一定の距離を取りつつ平野の後に続いた。

「それで用って何か聞いてもいいか?」

 人気の少ない廊下の一角へ出たのでもう良いだろうと質問をしてみた。

「あーあのさ。俺に戦い方、教えてくんねえかな?」

「は?どういうこと?」

 意外すぎる提案に私は困惑した。

「俺、ボクシングやってんだけど全然弱くってさ。でもボクシングが好きでさ。」

 頭では何言ってんだ?と思いながらも、平野の話す言葉の端々に熱を感じたので私は黙って聞いている。それにしても喧嘩自慢の噂は嘘だったのだろうか?

「お前、この間表彰されてたじゃん?朝礼で。優勝したとかって。」

「あ、ああ。」

「それでその、戦い方とか良かったらアドバイス貰えないかなって。ボクシングと拳法とだと考え方もルールも違うのは分かるんだけどさ、県大会優勝レベルに教わるんだったら得ることも多いんじゃ無いかって。それでその…どうかな?」

 私にボクシングのコーチをしろとこの男は言ってるわけだ。一瞬で頭の中をフル回転させて状況を把握し、実際に教えるのはどうなのかと考える。

「昼休憩だけでいいんだけどさ。俺、放課後はすぐ帰っちゃうし。あっ、いっつも昼休憩って何してる?」

「教室で飯食ってから机で寝てる。」

「じゃあその時間だけで良いから、お願い出来ないか?」

 あまりに突飛な提案だけに、まずは理解させてくれと詳しく話を聞くことにした。

 平野は中学の時は確かにやんちゃだったのだが、いわゆるヤンキーに対する憧れみたいなものは無く、むしろああはなりたく無いというスタンスだったらしい。それで中三の終わりに街で見かけたボクシングジムに吸い込まれるように入って行き、その場で入会をしてボクシングを始めたということだ。それからボクシングの魅力にのめり込んでいったのは良いが、喧嘩とボクシングでは勝手が違うらしく伸び悩んでいた所に私のあの表彰でコーチというのを思いついたという話だった。

 私自身、かつて拳法にのめり込んだように、そして今音楽にのめり込んでいるように、好きなものに対する情熱は止められなく少しでも上達するのなら恥を忍んででもという気持ちはよく分かる。

 そこで私は二つほど提案をすることにした。

「僕からは二つ。言っておかないと行けないことと言うか、守って欲しいことがあるんだけど。」

「うん。何でも言って。」

「一つ目は喧嘩は絶対にしないこと。僕の習ってる拳法は人を守るための武術だからいじめも喧嘩も絶対にしないこと。売られた喧嘩も買わずに出来るだけスルーすること。僕が教えたことがもしそんなことに使われたなら、その時は僕が君にケジメをつけさせることになる。たとえ僕より君の方が強くてもだ。それは分かるか?」

 これは道場の先生に諭された内容だ。

「うん。それは大丈夫。ボクシング始めてから俺、喧嘩もしてないし、ジムでもそんな話はされたから。だからそれは大丈夫。」

「そっか。じゃあ二つ目。」

「うん。」

「僕は拳法の技を君に教えられないってこと。ただし拳法では無くただの武術だったら教えることは出来る…と思う。」

「拳法と武術は違う?」

「僕が拳法を外の人間に教えることは出来ない。それを習いたかったら僕じゃなく、きちんと道場に習いに来るべきだと思う。でもその他の部分、武術的な体の使い方とか動き方、考え方ならってこと。」

「よく分かんないけど強くなるんだったらそれでいい。それをお願いしたいんだけど。」

「それで一応、道場の先生に先に確認を取る必要はあると思うんだ。筋は通さないとね。だからそれ次第かも。」

「分かった。じゃあ聞いてきてもらえるかな。」

 こうして私はその週の稽古の日、道場に行き先生に確認を取った。先生は「そんなこと聞きにくるな」と言っていたが、道理は間違っていなかったようで、拳法の稽古の後のに教えてもらった内容だけならと言ってくれた。


 それから昼休憩になると、私が平野に武術を教えるという謎の時間が始まった。

 最初にボクシングのシャドーを見せてもらうと、ざっと見たところの平野の問題点は無駄なと体の硬さだった

 まずは体の使い方と脱力の仕方、この二点を徹底して教えた。それから重力の使い方に足の運び方。更に起こりの無い動きと虚実について。そして先の概念。それらを毎日毎日、順を追って丁寧に説明し地道に練習させた。

 勿論それらは私自身の練習にもなり、人に教えることによって自分自身でも気付けなかったことを発見出来るということに驚いた。道場の先生もこんな発見をしながら日々僕たちに教えているのだろうかとふと考える。

 その内、平野は学校にわざわざハンドミットを持ってきて、実際に私が持ったミットと言う的に攻撃を当てる練習もするようになった。しかしミット打ちをするとなると当たり前ながら大きな打撃音が出るので、本格的に先生に警戒され度々指導をされることとなった。しかし意外にもそれを助けてくれたのは拳法部の例の顧問だった。

「その辺で練習されると流石に先生らも注意しないとだけど、ちゃんと真面目に練習するってことなんだったら、体育準備室の隣の教室でしなさい。」と庇ってくれたのだ。

 と言うことで、他の生徒や先生の目を忍んでやっていた昼休憩の稽古は、体育倉庫として使われている空き教室で堂々と出来ることとなった。

 こうして昼休憩に平野と稽古をし、放課後はバイトか道場か音楽教室か家で作曲かという、あれほど絶望していた私の高校生活は、意外な形で結構忙しく楽しく充実していったのだった。


 高校の三年の夏、平野はボクシングで推薦を取り大学入学が決まった。

 私はと言うと、東京の音楽の専門学校に入ることに決まり、夢は音楽家一本になっていた。それに伴い高校を卒業すれば都内に引っ越すことになり、バイトも道場も音楽教室も全てお別れである。


 卒業式の後、私と平野は自転車置き場で会い、校門で別れた。

「じゃあな。」

「ああ、頑張れよ。」

「そっちもな。」

「それと色々ありがとう。」

「ああ。じゃあ。」

「じゃあな。」

 男同士の別れなんてそんなもんである。

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