台パンミステリ:探偵Aの苦難

@purplefoxy

魔弾

 とある町の郊外に事務所を構える『探偵A』なる探偵がいる。この名前はこの探偵自身にトリックがあったり、犯人であったり、そういったことがないことを確かにするためのものである。

 そこの助手は『飯田いいだ 是手これで』という。

 やい、探偵の名前は適当にしておいて助手の名前はきちんとするなんてどういうつもりだ、と思った君。安心してくれたまえ。『ナントカA』なんて名前の人間が複数いたらこんがらがるだろう?それに話が無機質になっていけない。彼もまた、犯人であることはない。証拠が必要というのなら、彼がドーナツ好きであることを挙げよう。かつてドーナツを美味しそうに貪りながら犯罪に手を染めるような人間を見たことがあるだろうか?いや、ない。

 つまるところ、謎を解いていた奴が犯人だったなんていうありふれた叙述トリックはないということだ。


 ***

 

 ある日、探偵Aのもとに警部から依頼が届いた。探偵Aは警部のことを敬意と友愛を込めて『KBケーブ』と呼んでいるから、以後そのように表記する。

 KBが言うには、昨夜殺人が発生して容疑者も特定できたものの、現場が密室であることからどのように犯行が為されたのかを立証できず右往左往しているということだった。

 探偵にとって謎が好物でないわけがなく、例に漏れず探偵Aもオールドファッションとチョコストロベリーのどちらから先に食べるか悩んでいる飯田の首根っこを掴んで現場に急行した。

 

 現場は実に惨憺たる有様だった。

 書斎らしく壁に並んだ本棚にはところどころに傷がついており、中心にある机には被害者が覆いかぶさるようにして倒れている。

 後頭部から噴き出した血の痕は帽子あるいはマントのように広がっており、狩人が自らの弾に撃ち抜かれたような風体である。

 

 「これは酷い。射殺ですか」

 「いかにも、どうやら被害者は正面から頭を撃ち抜かれたようです」

 「ふむ、おかしいですね」

 探偵Aが首を傾げる。

 「何がです?」

 「正面から撃たれたのなら、被害者は仰向けになっているはずです」

 「ああ、それですか」

 KBは何気なく答える。

 「別に珍しいことはないですよ。ただ撃たれて倒れるとき、ふらついた重心が前に行くか後ろに行くかだけのことですから」

 「それが頭部を貫通するほどの威力でも、ですか?」

 「うーん……じゃあ、何か謎があるんでしょう。よろしく頼みますよ」

 KBには警察としての矜持がないのかそう答えると、現場を捜査していた部下たちに少しの間退くように指示した。これで探偵の独壇場である。

 

 「飯田くん、君はどう思う?」

 「さっぱりですね。そもそも、密室からして謎なわけですし」

 

 そう、現場は密室だった。この部屋を出入りできるのは机、そして被害者から見て正面にある扉だけ。反対側に突き出し窓があるものの、せいぜい子どもの腕が通るかどうかくらいの角度しか開かない。

 しかも被害者の妻である第一発見者が銃声を聞きつけて駆け付けたその時には扉に鍵がかかっていたというのだ。それをこれまた第一発見者でなんと容疑者でもある隣人と体当たりで突破したところ、先の惨状が発見されたのだとか。

 鍵は内側にあるつまみでのみ施解錠ができるうえ、そこから見つかった指紋は被害者のものだけだった。つまり、鍵を開けることも締めることも被害者にしかできなかった。

 

 だというのに、被害者は正面から撃たれ、第一発見時には鍵がかかっていた。これがこの事件における密室の謎である。

 

 「一番怪しいのは奥さんですよねー。扉が開かないと嘘をついて壊してもらえば、密室だったことにできるわけですし」

 飯田は助手というのに勘の鋭い奴である。早く帰ってドーナツを食べたいと思っているだけかもしれないが。

 「いいや、その隣人とやらに聞いたが鍵は実際かかっていたらしい」

 「じゃあ共犯かも」

 ドーナツの前には大胆な推理も厭わない。

 「いいえ、それはあり得ませんよ」

 助手の飛躍にKBが水を差す。

 「どうやら扉を破った際につまみも壊れていたようなのですが、施錠された状態で固定されていました。ですので、奥さんが駆け付けた時に扉が閉まっていたのは間違いないようです」

 「なあんだ、じゃあダメですね」

 「まあそう肩を落とすな、飯田君。 「『偽の密室』トリックが成立しないとしても、奥さんに話を聞く必要はある。第一発見者なのだからね」

 「であれば呼んできますよ。少々待っていてください」

 KBが部屋を出て、それからいくらもしないうちに奥さんを連れて戻ってきた。

 

 「春日かすが挙手きょしゅです」

 被害者である春日かすが真珠しんじゅの妻で、今や未亡人となった彼女はそう名乗った。

 

 「奥さん、現場に乗り込んだときのことを教えていただけますか」

 「ええ、もちろんですわ。昨夜、何が起こったのかを私の見た範囲でお伝えします」

 

──────

 いつもと変わらない夜だった。夫がコーヒーとサンドイッチの載ったトレイを持って書斎に行ったから、鍵を締めて読書に集中するんだろうなと思って私は台所で夕食の片付けをしていた。

 あまり時間の経たないうちに部屋の方から銃声が聞こえて、慌てて行くと案の定鍵がかかっており、隣に住んでいる真楠さんを呼んで一緒に無理やり扉を壊してもらった。開いた扉の向こうには動かなくなった夫がいて、後は警察に通報した。

──────

 

 「なるほど、するとご主人が最後に遭ったのは奥さんということですね?」

 「はい。我が家は二人暮らしですし、来客もありませんでしたから。私が最後で間違いないと思います」

 「外部から侵入者の入り込む余地は?」

 「なかった……とは言いきれませんが、これでも戸締りはしっかりしていたつもりですわ」

 「じゃあやっぱり奥さんしかいなくないですか?」

 「早計は禁物だよ飯田君。密室の謎を解き明かさないことには──」

 「密室がどう作られたものだとしても、弾丸を被害者の頭に撃ち込めたのは奥さんだけじゃあないですか。そうでもなきゃ、どうして部屋の正面からご主人を?」

 「あの」

 春日夫人が控えめに手を挙げた。名は体を表すとはまさにこのことだろう。

 「なんでしょう?」

 「なんで、主人を撃てたのが私だけということになるんでしょうか?」

 「簡単なことですよ!ご主人は入り口に向かって正面──すなわち廊下から撃たれる形になっていました。つまり、家の中にいないと犯行は不可能なんですよ」

 「でもそうなると奥さんが『家にいたのは自分だけだった』と証言するのはおかしいのでは?『鍵を締め忘れていたかも』と言ったほうが有利になるでしょうに」

 「KB!」

 飯田は不満をふんだんに表現して顔と声でもってKBに抗議した。何度も水を差されてはたまったものではない。

 

 「飯田君にはすまないが、私も概ね同意だよ。それに、容疑者は他にいるんだろう?」

 「はい。今連れてきます」

 

 ***

 

 「なんですか、署で取り調べかと思ったら」

 太っちょ……いや、全体的にふっくらとした見た目の男性は額の汗を拭いながら愚痴をこぼした。彼が本事件の最有力容疑者の、真楠まくす弾七だんなその人である。

 「まったくもってたまったもんじゃないですよ。第一発見者であるというだけでこんなに時間を取られて、仕事もまともにできやしない」

 「貴方が疑われているのはそれだけじゃありません。被害者と並々ならぬ確執があったことはもう調べてあるんです」

 KBが釘を刺す。こうなると、KBが誰かに包丁を刺すのも時間の問題かもしれない。

 

 「確執って……まあ、あまり好ましい相手でもありませんでしたが」

 「彼との間に何があったんですか?」

 「いやなに、よくある恋愛関係のいざこざとでもいいましょうか……はっきり申しますと、私は挙手さんに好意を抱いていたのですよ」

 「それでついカッとなって?」

 「飯田君!」

 今度は探偵Aが制止する。

 「いくらなんでも失礼だぞ。犯人扱いというのは、本当に相手が犯人であるということが客観的な証拠とそれらから論理的に導いた推理で確定したあとでないと、決めつけの誹謗でしかない。探偵である私は犯人を誤って指名することのないように十分に注意を払っているんだ。助手たる君にも気を付けて欲しいところだね」

 「はい、すみませんでした」

 飲み込むの早いのが飯田のいいところで、頭を下げられた真楠もたじろいだ。

 「いや、別に……私もそう気にしてはおりませんよ」

 「でも動機としては十分ですよね」

 飯田への指摘に内心同じことを思っていたKBが慌てた様子。

 「ええ、そうでしょうね。だがそれはあまりにも乱暴だ。だいいち密室を破る以前に彼は犯行予想位置にすら立てていないんです。ホワイダニットにしても無理があります」

 「でも実際のところ、犯人はどうやって撃ったんでしょうね?扉が閉まってたんならこの小さい窓しかありませんけど、人どころかネコでも苦労しそうですよ。一階とはいえ出入りできるとは思えません」

 飯田が窓の向こうに手を入り込ませようとしてつっかえる。ドーナツのカロリーはゼロではないが故に。

 「なるほど……その考えは悪くないぞ、飯田君」

 「え!本当ですか?謎を解くのに寄与しました?ドーナツ何個分くらい?」

 「ま、まあ二個分じゃないか?わからないが……。とにかく!我々は現場の状況から見て『犯人が発砲したのは机から見て正面』と思い込んでいたが、被害者の様相が示しているのはあくまで『銃弾は正面から頭を貫いた』ということだ」

 「どういうことです?」

 KBはさっぱりわからない様子。飯田を除いた二人も同様で、残る彼は満足げにしている。理解はしていないだろうが。

 

 「その前に一つ、聞きたいことがあります。あなた方が扉を破って現場に踏み込んだとき、窓は開いていましたか?」

 「は、はい。開いていました」

 春日夫人が小さく挙手しながら回答する。それに対して探偵Aは満足そうに、

 「素晴らしい。つまり密室は密室でなかった、ということです」

 と宣言した。

 

 「いいですか、私たちは誤解していたんです。廊下から発砲した犯人が何らかの手段で密室を仕立て上げ、忽然と消えていたものだと思っていた。しかしながらそれは大きな間違いでした」

 「本棚に傷がついていますよね?私は最初、これは事件になんら関係ないものと思っていました。ですがこれは『窓』の可能性が現れることで大きな意味を持つことになるんです」

 「《跳弾》、ですよ」

 「直接頭を狙う必要はない。特殊な弾丸を使用すれば、本棚にめり込むのではなく跳ね返すことができるはずです」

 ですからKB、今から凶器の弾丸を調査してください──そんな言葉を遮るように、真楠が口を開いた。

 

 「さすがですね、探偵さん……。こんな簡単にトリックを見破られてしまうなんて。ええ、私が犯人ですよ」

 

 絶句。探偵Aも、KBも、春日夫人も、突然の告白に動揺を隠せなかった。飯田は先ほど立てた手柄の余韻を楽しんでいる。

 

 「私が何度でも跳ねて狙ったところに確実に当たる弾丸、《魔弾》の製法をフリーマーケットで見つけた異本『アウグスト写本二篇』から知って作成、かねてから恨みのあった春日真珠に対して使用したことを見抜くなんてとんでもない洞察力ですね」

 「ハッハハ!私にかかれば、もう、お安い御用ですよッ!」

 探偵Aは自白した犯人に対するせめてもの情けとして謎を解いた名探偵を演じた。無論、ちっとも納得していなかったが。

 

 ***

 

 一番早く我に返ったのはKBだった。彼はどこか清々しい表情の真楠に手錠を(さすのではなく)かけて、粛々と連行していった。

 

 「これは……どういうことだと思う?飯田君」

 「探偵Aにわからないことが僕にわかると思います?まあ、解決したんだし良かったじゃないですか」

 「た、例えば被害者が正面から撃たれたのにも関わらずうつ伏せになっていたのは……」

 「KBも言ってた偶然じゃないですか?あるいは魔弾だから威力に対して質量がそんなになくて、前に倒れられるくらいだったのかも」

 「密室の謎は」

 「探偵Aが自分で暴いたんでしょう。扉に鍵がかかってたのは偶然じゃないですかね。あの人が扉を閉める必要も可能性もありませんから」

 「こ、コーヒーとサンドイッチはっ?」

 「なんですか、お腹空いてるんですか?そういえば僕、事務所でドーナツ食べる直前で引っ張って来られたんだった!探偵A、帰りにまたドーナツ買ってくださいよ!今回活躍したぶん、二個!」

 「ああ、いいよ……帰ろうか」

 

 かくして謎は解け、探偵Aの輝かしい功績が一つまた刻まれ、飯田はオールドファッションとチョコストロベリーを重ねて食べるというコペルニクス的転回暴挙を披露したのだった。

 

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