あの美しい水平線が、私に生きる希望を与えてくれた

千織

私がどん底の人生から立ち直る話

内陸に生まれて内陸で育った私は、大人になって初めて海に行った。


海は広いな、大きいな。

その歌の意味を、初めて実感した。



初めての海に連れて行ってくれたのは、サトル。

ホステスをしていた時のお客さんだ。



話が面白くて人懐っこくて、でも男らしくて。

あっという間に男女の仲になった。



サトルは建築関係の仕事をしていて、日雇いだから収入が不安定だった。

でも、先輩との付き合いは断れない。

夜遊びのためのお金が必要だった。



最初は多少貸してあげるだけだったが、徐々に家に転がり込むようになり、生活費を私が出すことになっていった。



私の夢は、ネイリストだった。

でも、ネイリストは自営だから、なかなか思うように仕事が軌道に乗らない。

足りないお金をホステスの収入で補うようになった。



サトルと住むようになってからはいよいよお金が足りなくなり、消費者金融から借り、返済に窮するようになって闇金にも手を出すようになった。



返せないなら、それなりの仕事をやるしかない。



そう言われて、とうとう風俗までやるはめになった。



そうまでしたのに、ある日からサトルは帰って来なくなった。

どうやら、本命の女がいたらしい。



♢♢♢



サトルを職場で待ち伏せて、本命の女のアパートに帰るのを尾行した。


さびれたアパートの一階。


サトルが鍵を差し込み、家に入った瞬間に、背中に体当たりして押し入った。


よろけたサトルの頭に金槌を振りかざす。


躊躇してはいけない。


反撃されたら絶対に敵わない。


今、この瞬間に殺さなくては。



サトルは、私を認識したかどうかわからない間に死んだ。



私は、飛び散った頭をかき集めて、ビニールを被せた。


路駐していた車をアパートのドアの前に移動させ、バックドアを開けて、後部座席を倒した空間にサトルの死体を積み込む。


誰も、近くを通らなかった。


神様は私の味方なのか、そもそもいないのか。



♢♢♢



私のお気に入りの水平線が見える崖に辿り着いた。


そこからサトルを転がして落とす。


途中で引っかかることなく、うまく荒波に落ちていった。




「お見事ですね。どうでしたか、初めての殺人は」


いつの間にか、後ろに黒いスーツの男が立っていた。



「はい。想像以上にうまくいきました。自分がこんなにあっさりと人が殺せる人間だったとは、知りませんでした」



「普通、銃で殺すよりナイフで殺す方が罪悪感は強くなります。つまり、直接的に手を下す方が躊躇いが大きいはずなのです。そこから考えると、初めての殺人で金槌を選び、自分より力のある男を仕留めるとは、その大胆さには恐れ入りました」



「ええ。もしかしたら、彼の姿を見たら楽しい思い出が蘇って、殺せないかもと思っていましたが、一秒たりともそんなことを思い出しませんでした。殴っている間に、楽しくなってしまって。人間の顔や頭がこんなに簡単にぐちゃぐちゃになるなんて、滅多に見られませんから」



「お約束通り、今から貴女の身の安全は私たちが保証します。今後も私たちと一緒に仕事をやって、その報酬で借金を返済しましょう。あの程度の金額なら、すぐ返せますよ。平気で人を殺せる女性は貴重ですから」



「はい! よろしくお願いします! 殺人の才能があるかどうかなんて、知る由がなかったんで、今回、機会に恵まれて良かったです」



「では、こちらの場所に改めて集合しましょう」



男は私に地図を渡してきた。

そして、男は先に車で行ってしまった。




辺りはすっかり暗くなり、海と空の境目がわからないくらいになっていた。




初めて風俗の仕事を終えた日、ここに来た。


死のうと思っていた。


自分がバカすぎて、嫌になったのだ。



でも、あの水平線を見たとき、


「地球って、丸いんだな」


と、思ったら、なんで私がこんなことで死ななきゃいけないんだよ!と怒りが湧いてきた。



せめて、アイツを殺してからにしよう。



この海の偉大さに比べたら、死は、生物が自然に還るにすぎない。



”殺人”なんてただの死の内訳であって、地球規模で見たらちっぽけな話だ。



警察に追われて、面倒になったら死のう。



元々死のうとしてたんだから、タイミングがちょっと遅くなっただけ。ささいなことだ。



そう思って、海を眺めていたときに、さっきの男に話しかけられたのだ。



『人を殺せる人材を募集しています。応募してみませんか? 採用試験の内容は、誰でもいいから、一人以上殺すこと。殺人計画を提出していただき、実技を観察させていただきます。合格基準は、死体発見まで一日以上空くこと、または、逮捕まで一日以上空くことです』



目撃者もおらず、死体は海の中、奴の彼女は夜の仕事だから通報は明日の午前だ。

まず、死体はすぐには見つからない。

即合格というわけだ。



ウキウキ気分で車に乗り込み、指定された場所に向かう。


あの美しい水平線が、私に生きる希望を与えてくれた。


あなたも、生きるのが辛くなったら、海を見に行くといいですよ。

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