ご主人様、目線はこちらでございます

月村 あかり

ご主人様、目線はこちらでございます

これは、浮気では無い。

そう、断じて浮ついた心など持っていない。

少し可愛いなと思っただけで、一瞬見とれてしまっただけで、罪などこれっぽちもないのだ。


「お疲れ様でございます、ご主人様」


だから、部屋に戻って自分専属のメイドと顔を突き合わせたからと言って罪悪感を持つ必要はない。

やましいことは何も無い。

それなのに、なぜだか心臓がバクバクと騒いで収まらない。


「お、おう。お疲れ」


メイドの視線が気になる。

口元の動きが気になる。

一挙手一投足が、気になる。


「ご主人様」


ただ呼ばれただけなのに、肩がビクッと波打った。

平常心を保て。

疑われるようなことは何も無い、不安になるようなことも何も無い。


「な、なんだ」


声が、震えた。

次の言葉までの時間がどうしようもなく長く感じられる。

何を言う?


「お茶にいたしますか?コーヒーにいたしますか?」


なんの変哲もない問いに胸を撫で下ろす。

バレているわけが無い。

いや、バレたからと言って何も悪いことなんか…。


「お茶に…しようかな…」


メイドは僕の言葉を聞いて、そそくさとカップを準備する。

少しほかの女の子に見とれただけだ。

見たことの無い人だったし、もの珍しかっただけだ。


「ところでご主人様。今日は、何を見てらっしゃったんですか?」


僕の前に、カップを置いたメイドが僕の耳元でそう言った。

落ち着きかけた心臓がまた騒ぎ出す。

鼓膜に直接響いてくるような、嘘を吐かせない声。


「に、庭を…。庭のバラが綺麗に咲いていたから…」


何とか言葉を絞り出す。

なんで嘘を吐いてるんだ。

やましい感情などないのに。


「バラが…。余程可憐で美しかったのですね、熱心に見つめてらっしゃって」


何も責めるような言葉など言われていないのに、罪悪感に襲われる。

視線を向けることができない。


「み、見てたのか…?」


出てきたのは、そんなしょうもない問いだった。

メイドはニコッと笑って、1歩下がる。


「私が、ご主人様から目を離すわけないでしょう?愛しい愛しいご主人様を、視線から外すわけありませんから」


笑顔に体を縛り付けられるような感覚に襲われる。

彼女は僕に深愛を注いでいる。

どこまでも深く、引きずり込まれるような愛を。


「そ、そうか…」


僕もそれに応える形で、僕たちは恋人という関係性だ。

だから、きっと今日の昼間のことを彼女は怒っているに違いない。

目が、そう言っている。


「それなのに、ご主人様は外の薔薇に目を奪われてしまったのですね。私以外に、目線を向けてしまったんですね…」


また近づいてきて、バッチリと目が合う。

少しの息苦しさと、痺れるような甘さ。

僕は耐えきれなくなって、目を逸らした。


「きょ、今日は疲れたな。早めに寝ようかな」


話をすり替えるように、声を出すも彼女の表情は変わらない。

穏やかな、それでいて激しい愛が彼女の中で渦巻いている。

認めよう、僕は彼女という存在がありながらほかの女性に目を奪われた浮気者だ。


「ダメです。薔薇に注いだ熱い目線を私にも注いでください。薔薇に注いだ倍の時間、ご主人様を私だけのものにしてください」


有無を言わせぬ声に、僕は視線を吸い込まれた。

彼女の瞳をじっと見つめる。

溺れそうで、溶けそうで、どこまでも堕ちていきそうな黒い瞳。


「好きだよ」


その目を見ると、思わず言ってしまう4文字が声になった。

彼女は満足そうに笑いながら、首を傾げた。


「信用なりません。ご主人様は実際、ほかのおんなに目を奪われたのでしょう?」


彼女の言葉はごもっともだ。

だがしかし、本当にあれは浮ついた一瞬の熱であり…。

真に注がれる愛情はいつだって彼女に向いているのだ。


「すまない。愛してる」


そう言って、彼女の肩を引き寄せる。

薔薇のように赤い唇に、自分のそれを重ねる。

見つめあった彼女は、先程よりも深い満足に浸っているようだった。


「次に違うおんなを見たら、今度こそ許しません。今回は特別にこれで許して差し上げます。私だけの、ご主人様」


彼女の声が、耳に響く。

彼女が深い愛を僕に注ぐのと同じくらい、実は僕も彼女に深い愛を注いでいる訳だが。

それに彼女が、気づくかどうかは別に話で。


でも、今日は僕だって我慢できないことがあったのだ。


「今度は僕の番だよ?」


「…?」


「前、忠告したのに…母のお付きのアイツとまた2分17秒も話してたね?」



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ご主人様、目線はこちらでございます 月村 あかり @akari--tsukimira

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