第6話 停電


    (照明)青い照明、フェイドイン。


マス:申し訳ありません。停電のようですね。

亜紀:…そうですね。停電ですね。

マス:申し訳ありません。

亜紀:いえ、別にわたしは構いません。ゆっくりと電気が戻るのを待ちますから。

マス:ありがとうございます。

亜紀:けれど、せっかくの再会をされた皆さんには悪いですね。

マス:他の方々は、もうお帰りになりましたから心配いりません。

亜紀:え? …帰った?

マス:ええ。もうお帰りになりました。

亜紀:まさか。…ほら。扉についているベルの音も鳴ってませんし。

マス:帰るときはベルは鳴りません。電気が消えるんです。

亜紀:はい?


    (照明)バーの明かり、カットイン。

    不思議な様子で店を見回す亜紀。


マス:ほら。いらっしゃらないでしょう。

亜紀:そんな…。

マス:種も仕掛けもございません。ただ、ここは夢の世界。より詳しく言うなら、言えなかった言葉を胸に持つ人間の集まるバーなんです。

亜紀:言えなかった言葉を胸に持つ人間の集まるバー? …ごめんなさい。おっしゃってることがよくわからないんですけど…。

マス:もう一度言いますよ。ここは夢の世界。さきほどの親子のお客さまも、あなたも夢を見ているだけなのです。そして、言葉を胸に持っていました。あの親子は亡くなった佐嶋先生への言葉を。

亜紀:亡くなった? お医者さん、さっき来られたじゃないですか。

マス:残念ですが、佐嶋先生はあの地震のときに亡くなりました。

亜紀:まさか…。そんなこと信じられません。

マス:お二人は亡くなった佐嶋先生にずっと言いたかった言葉があったんです。そして、ここで、佐嶋先生に会い、伝えることができた。だから、お二人は静かな眠りに帰りました。胸の中にある石が溶けたんです。ここは言葉の石を溶かす場所、あなたの胸にもそんな言葉があるはずです。

亜紀:わたし、帰ります。


    入り口に向かって歩き始める亜紀。



亜紀:もし、わたしに言葉を伝えなくてはいけない相手がいるとしたら、あの人しかいません。しかし、いくら謝っても謝りきれないから。ここが夢の世界だろうと、どこであろうと、わたしは自分のいるべき場所に帰ります。

マス:…あなたのいるべき場所とはどこですか?

亜紀:決まっているじゃないですか。現実の世界です。


    首を振るマスター。

    扉を開けようとする亜紀。しかし、開けることができない。


マス:あなたは帰ることはできません。いえ、帰ってはいけません。

亜紀:…どうして?

マス:…あなたは今、死に向かっているから、睡眠薬を飲んで、奥深い森の中で一人、眠りについているからです。このまま店を出て現実世界に帰ったら、あなたは死んでしまいます。


    間が空く。


亜紀:…それでも、わたしにはここにいる理由はないのよ。

マス:この店は胸にある言葉の石を溶かす場所です。あなたの心にある重い石も…。

亜紀:わたしの胸の中には何もありません。…いえ、私という人間はもう空っぽなのよ!

マス:違う。あなたは空っぽなんかじゃない。

亜紀:わかったようなことを言わないで!


    扉を強引に開けようとする亜紀。しかしやはり開かない。


マス:私にはわかるんです。…言ったじゃありませんか。私にはこの街の声が聞こえると。現実世界で寝る間も惜しんでたくさんの人が今もあなたの名前を呼んでいますよ。


手が止まる亜紀。


マス:あなたのご両親、お友達、学校の先生…それに生徒さんも。あなたの教えている生徒だけじゃありません。あなたに教わったことのない生徒さんや学校の卒業生も、あなたを捜しているんです。いいですか…。皆さんが捜しているのは、空っぽの人間ではありません。30年という時間がぎゅっと詰まった嶋田亜紀という優しくて知性の溢れる人間のはずです。

亜紀:言わないで! もう…何も言わないで! もう決めたんだから。ここで決めたことを覆したら、あの人をまた裏切ることになってしまう。きっと私はまた別の誰かを不幸せにしてしまう。

マス:私はそうは思わない! 


    強い目でマスターを見る亜紀。


亜紀:…何も言わないで。…お願い。


    間が空く。


マス:…わかりました。


    入り口まで行き、扉をゆっくりと開けるマスター。

    鈴木が入って来る。

    後ずさりをして、首を横に振る亜紀。


亜紀:幻なんでしょう。…残酷よ。

マス:…あるいは、そうかもしれません。


    背を向ける亜紀。


鈴木:久しぶりだね。ごめんね。こんな再会しかすることができなくて。

亜紀:お願いだから、幻を消して…。私には何も伝えることはないのよ。

マス:あなたは何も話す必要はありません。だから、少しの間、鈴木さんの話を聞いてください。


    泣きそうな亜紀。

    (音響)IN→フェイドアウト。

    (照明)途中から宇宙をイメージする照明IN→フェイドアウト。


鈴木:君がプロポーズを受けてくれた日の夜、僕は夢を見たんだ。夢の舞台は、50年位先の未来だった。僕は宇宙旅行へ旅立った宇宙船に乗っていた。行き先はわからない。月かもしれないし、土星かもしれない。宇宙船の窓の外に目を向けるとね、輝く星たちの中、遠ざかっていく地球が見えた。目が覚めるような蒼色で、例えようもないほどに綺麗で。そこで、僕は、ふと横を見たんだ。すると、そこには君がいた。顔なんてシワだらけで、立派なおばあちゃんさ。でも、地球を見入っている姿は少女のようだった。本当に地球に吸い込まれてしまうんじゃないかって心配になる位に夢中だった。僕は君を確かめたくて、君の手をギュッて握った。すると、魔法が溶けたみたいに、君は僕を見て、そして微笑んだ。僕はそんな君に言ったんだ。「いっしょにおじいちゃんとおばあちゃんになってくれて、ありがとう」って。君は僕にこう答えた。「どういたしまして。こちらこそ、ありがとう」って。そこで、パッと夢が覚めたんだ。幸せな夢が終わってしまって悲しかった。だけどね。そのときに決めたんだ。この夢を僕の人生の夢にしようって。人生の全てをかけて、君を大切にしようって。


    間が少し空く。


亜紀:…でも、あなたは死んでしまった。私をひとりにして。…夢には届かない…。夢は叶わない…。

鈴木:叶う! 叶うさ! 君が生きていてくれさえすれば。そして、宇宙に行って、宇宙船の窓から、僕らが巡り逢った大きな地球を見るんだ。…君の横に…僕はいる。…いいかい? 君は誰も不幸せになんてしてない。君のお陰で、僕の人生は世界中の誰よりも輝いたものになったんだ。…君の笑顔が僕を幸せにしてくれた。きっと、また別の誰かを幸せにできる。


    泣き潰れる亜紀。

    亜紀を立たせる鈴木。


亜紀:…ありがとう…ありがとう。私の方こそ、あなたに幸せにしてもらった。…私、生きる、生きて、シワくちゃのおばあちゃんになる。


    にこっと笑う鈴木。


鈴木:あぁ、楽しみにしている。


    (照明)停電、カットイン。


亜紀:停電?

マス:あなたの胸の中にある石が溶けたんですよ。

亜紀:え?

マス:あなたは、「生きる」とおっしゃった。あなたはずっと言いたかったんですよ。鈴木さんに、いえ、世界中に向けて、「生きる」って。

亜紀:…マスター、ありがとうございました。

マス:私は何もしていません。あなたがあなたの心で胸の石を溶かしたんです。


鈴木に駆け寄る亜紀。鈴木の手を取る亜紀。けれど、亜紀は何も言えない。


鈴木:君はきっと素敵なおばあちゃんになる。僕が保証する。


    笑って、何度も頷く亜紀。


亜紀:頑張って素敵なおばあちゃんになる。

鈴木:約束だ。


   名残惜しそうに離れる亜紀。

   マスターと鈴木の顔を交互に見る亜紀。


亜紀:…さよなら。また、いつか逢える日まで。

鈴木・マス:…さよなら。


    (照明)暗転、フェイドイン。

    亜紀、鈴木、去る。

    (照明)バーの照明に戻っていく。


3


    舞台転換。机と椅子を片づける。

    亜紀、センターにスタンバイ。

    (照明)奥深い緑の照明が周りに入る。

    (照明)センターに光がフェイドイン。

    亜紀がゆっくりと立ち上がっていく。

    自分の身体を確かめるように、手を広げたりしている。

    (照明)星空をイメージする照明IN。

    ふと、空を見上げる亜紀。

亜紀:…綺麗な星空…。

    空に向かって話す亜紀。

亜紀:鈴木先生…聞こえますか? …きっと、きっと、夢を叶えるから。待っててね。

    空に向かって耳をすまして、そっと目を閉じる亜紀。

    ゆっくりと目を開ける。にこっと笑う亜紀。

   周りの緑が消えて、センターもゆっくりと消えていく。

    (音響)、フェイドイン。

    (照明)暗転、フェイドイン。

    カーテンコール。


END

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脚本「街は囁いて」 澤根孝浩 @tk-sawane-es

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