このゆびとまれ

入間しゅか

このゆびとまれ

誰が呼んだのか彼女はペンギンと呼ばれていた。単純にペンギンが好きだからという説と、ティム・バートン版バットマンのペンギンに似た彼氏と付き合っていたとか、そのほか様々な説があるがどれも私にはピンと来なかった。だが、彼女がペンギンと呼ばれる理由は何となくわかる気がした。小柄でポテポテと効果音が聞こえてきそうな少し高めに足を上げる歩き方と、イワトビペンギンを思わせるくせ毛と、弾ける笑顔。ペンギンの擬人化はきっとこうだと彼女を見ると思うのだ。

ペンギンは私より二つ学年が上で、一応先輩にあたるのだが、敬意を込めて敬称を略している。神出鬼没のペンギンを探してキャンパス内を徘徊するのが私の日課だった。


私の通う大学は文系の大学で、キャンパスは山を切り開いた斜面に建てられている。正門のある場所が最上階。四階建てで、四階の正門から下階にある各学部棟や部活棟へと行けるようになっている。そんな作りだから移動のほとんどが階段だ。一年生の時は階段の連続に嘆いていたが、二年目を迎えた今となっては、日常生活にすっかり組み込まれた。

私の大学だけなのかもしれないが、大学生になっても学校の七不思議というものがある。本気にしている人なんていないけど、みんなそれなりに気に入っているのか、先輩から後輩へと受け継がれている。私だって先輩から聞いた。どれも取るにならないものだから、紹介はしないが、一つだけ実在するものが混ざっている。それが『かくれんぼの会』である。

かくれんぼの会は、その名の通りかくれんぼをするサークルだ。なぜ、そんなものが七不思議のひとつなのかというと、誰も部室がどこにあるのか知らないのだ。部室そのものがかくれんぼなのだ。存在しないのではと疑いたくなるが、新歓の時期になるとメンバー募集のビラが掲示板に張り出されている。イタズラではなくしっかりと学生課の印鑑が押されていて、学校もその存在を認めている。

ビラには部室の場所や、詳しい活動内容はなく、「かくれんぼするひとこのゆびとまれ」とだけ書かれている。つまり、部室は自力で探せというわけだ。部室の場所はハリーポッターの9 3/4番ホームのように二階と三階の狭間にあるとか、そもそも学外にあるとか、様々な憶測が飛び交っている。

そんな正体不明のかくれんぼの会だが、唯一わかっていることがある。創設者にしてサークルリーダーの存在だ。それが冒頭で紹介したペンギンだ。

彼女は黒を基調した和風のゴスロリファッションに身を包み、いつもステッキを持ち歩いていた。ちなみに噂だとステッキは足が悪いわけではなく護身用らしい。比較的大人しい学生の多い我が校において、ペンギンは目立つ存在だった。ペンギンを知らなくても、ゴスロリステッキ女を見たことがない人はいなかった。


そんな彼女と知り合ったきっかけは、絶望的に面白くないことでおなじみになっている必修科目の授業だった。当時、ピチピチの一年生だった私は「学生の本分は勉強」と固く信じていた。若干の真面目アピールを含みつつも、授業を聞き逃さないために大教室の一番前の席に座った。出席票さえ出せば単位が取れるタイプの授業だったので、ほとんどの学生が誰かに代筆を頼んでいて授業に来なかった。だから、教室は閑散としていた。座る場所がいくらでもあったのに、隣に座ってきたのがペンギンだった。

「何学部?」と席に着くなりペンギンは言った。その時まだ私はペンギンのことを一ミリも知らなかった。私は彼女のゴスロリファッションを上から下まで眺めつくした。頭のてっぺんにぴょこっと寝癖みたい髪が跳ねていた。私は少し遅れて「え、あ、文学部。」と答えた。

「やった、私も。」と言ってペンギンは屈託のない笑顔を見せた。そして、「よろしく」と握手を求められた。私はおずおずとその手を握り返した。手は冷たかった。

「冷たい手。」

「でしょ?」彼女は何故か誇らしげだった。

「私、みんなにペンギンって呼ばれてるからペンギンって呼んでいいよ。」

「ペンギン……。」

「そ、ペンギン。」

授業が始まるとペンギンは出席票を走り書きして、私に託した。「じゃ、またね」と言って一番前の席なんてこと気にする様子もなく、手を振って出ていった。彼女が残した出席票を見てその時初めて先輩だと知った。

「あ、ボールペン忘れてる……。」木製の明らかに高価なボールペンをペンギンは忘れていった。

友人のフミちゃんと学食を食べていた時、私は変な人にあったとペンギンの話を聞かせた。

「ペンギンにあったの!?すごいね、あの人有名人だよ。」とフミちゃんは興奮気味に言った。

「そうなの?」

「そうだよ!」

フミちゃんはやたらとペンギンに詳しかった。ペンギンは謎のサークル『かくれんぼの会』の創設者で、神出鬼没、どこにでも現れて、いつの間にか消える。同じ時刻に複数の場所で目撃されたという事例もある。のだとか。

「で、このボールペンをペンギンは忘れていったわけよ。」と言って私はペンギンのボールペンをフミちゃんに見せた。

フミちゃんは顎に手を当てて、「これは……」と考え込み始めた。そして、真剣な眼差しで私を見つめて「これはペンギンからの何かのメッセージよ。」と言った。

「はあ。」

「ペンギンを探して出してこのボールペンを渡したら、何かあるかもしれないよ。かくれんぼの会の秘密を知れたりして。」

「そうなのかなぁ。」どこか胡散くさい気もしなくもないが、私のペンギン探しはこうして始まった。


意識して探せばペンギンはどこにでもいた。どこにでもいるのだが、一瞬で見失った。

カフェで順番待ちをしていた時、誰かと談笑しているペンギンを見かけた。しかし、会計をしているうちにペンギンだけが消えていた。図書館で、部活棟で、大学近くのファミレスで、その他至る所でペンギンを見かけたが、いつも目を離した瞬間に消えていた。フミちゃんとも一緒になって探したが、あと一歩で見失ってしまった。

ある日のこと、事態は思わぬ方向へ展開した。その日も一瞬の隙をつかれた私とフミちゃんは学食で作戦会議をしていた。すると、一人の男子学生が私の隣に座るなり、こう言った。「きみたちペンギンを探してるんだろ?」

「え!なんでわかったの?」フミちゃんが大きな声で驚いた。男子学生はどこか異国情緒のある彫りの深い顔に、肩まであるウェーブのかかった髪、片方だけ上がった口角をした陰気な人物だった。

「そんだけ大声でペンギンの話をしてたらすぐわかる。」

「あはは…。」と笑ってフミちゃんは頬を赤くした。

「ペンギンについて何か知ってるんですか?」と私は訊いた。男はまあ、これを見なと言って肩にかけていたカバンからボールペンをとりだした。それはあのペンギンが忘れたものと全く同じボールペンだった。

「どうしてこれを……?」私がおずおず尋ねると男はふんと鼻で笑ってみせてから経緯を語り出した。その経緯も私と同じで、出席票を頼まれて、ふとボールペンが忘れられていることに気づいたのだ。

「この事実からわかる事は何だと思うね?」と男は私に目を逸らさせない圧のこもった視線で覗き込みながら言った。

「ペンギンは何本かボールペンを持っていて、わざと忘れていったってことですか?」と私の代わりフミちゃんが答える。

男はそうだと言って頷く。そして「実は同じ理由でペンギンを探しているやつはこの学校に何人もいる。」と続けた。男はなおも話し続ける。

「その全員があと一歩のところでペンギンを見失っている。そこでだ、俺はペンギンなんてホントは存在しないんじゃないかと思うんだよ。じゃ、俺たちの見たゴスロリステッキ女は何なのか。そして、みなが同じボールペンを持ってる事実をどう説明するか。」

「まさか、集団で幻覚でも見てたって言うんじゃないですよね?」とフミちゃんが口を挟む。男はまあ、落ち着けとジェスチャーをして話しを続ける。

「かくれんぼの会は存在する。ペンギンを名乗るゴスロリステッキ女も存在する。だが、その二つは無関係かもしれない。いや、無関係というよりもどちらかがどちらかの影響力を利用している。そもそも、かくれんぼの会のリーダーがペンギンだということと、ペンギンを名乗るゴスロリステッキ女が同一人物だということが俺たちの思い込みか、思い込まされているかなんだ。」

「あー!いたー!」と突然フミちゃんが大声を出した。フミちゃんがあっち!と指をさしたその先にはペンギンがいた。ペンギンは私たちに気づくとギョッとして、手に食券を持ったまま走り出した。私たちは学食の食器を返却するのも忘れてそれを追った。ペンギンは速かった。運動なんてしてこなかった私は階段だらけのキャンパスを走りまわる体力がなかったので、すぐにはバテた。「ギブ、あとは頼んだ」と言って男とフミちゃんにペンギン捕獲を託した。


フミちゃんから通話があったのは、その数分後だった。

「ペンギン捕まえたよ!」

「マジ!?」

「マジ!だから早く来て」

図書館裏の錆びたベンチにフミちゃんと男、その真ん中にペンギンが座っていた。私に気づくとペンギンは手を振って「また会ったね。いや、ようやく捕まえてくれたね。」と言った。

「さ、目的を教えてもらおうか。」と男が例の圧のこもった視線でペンギンを睨みつけて言った。

「こわいなぁ、きみ。目的なんてないよ。強いて言うならかくれんぼの会のリーダーだから、かな。みんなに探してもらって、みんなに見つけてもらいたくなるの。ほら、ボールペンとか思わせぶりなアイテムじゃない?ところで、影が薄い人っているでしょ?修学旅行とかでいたはずなのに、誰もその人のこと印象に残ってないタイプの人。私ね、意図的に影を薄くできるの。風景に溶け込めるのよ。」と言った瞬間にペンギンの気配が消えた。

「え?」とフミちゃんが辺りをキョロキョロ見回した。男も一緒になって探しだした。だが、ペンギンはどう見ても同じ場所に座っていた。どうやら私だけにしかペンギンが見えていないようだった。

「ペンギンならずっとここにいるよ」と私が指をさした瞬間、フミちゃんと男は驚いて「いつの間に!」と言った。ペンギンは得意げに笑ってみせた。いや、さっきから居たよと言いかけたけど、これがペンギンの言う気配を意図的に消すというものかと感心した。

「見えなくなるわけじゃなくて、気配を感じなくなる。だから、消えたように感じる。でも、実際に消えたわけじゃないから見える人には変わらず見えるのよ。」

「こんな特技があるのなら、絶対捕まるはずないよね?わざと捕まったでしょ?」と私は尋ねる。

「まあね。だって、私最強だもん。たまには捕まってみたくなるよ。かくれんぼの会には私の他に三人いるの。みんな共通して影が薄い。私は最強だから最強に影が薄い場所を部室にしてる。気配って生き物だけの特権じゃないの。場所だって一緒。そんな部室を見つけられたのはその三人だけ。きみたちも入る?」

私は入るつもりで、フミちゃんと男を交互に見た。フミちゃんは黙って首を横に振った。男はふうと息を吐くとやめとこうと言った。私一人乗り気だったのか……。

「あ、いない!」とフミちゃんが叫んだ。ペンギンがいつの間にか消えていた。いや、気配を消しただけで、いるのかもしれないと思って目を凝らして探したが、見つからなかった。



それからペンギンを見つけることができていない。私は二年生になった。かくれんぼの会とペンギンに関する噂は尾ひれがついて、今では禍々しいものになっている。最強に影が薄い場所とはどこなのだろうか。卒業までに見つけ出せるだろうか。フミちゃんには諦めなさいと言われている。そうそう、フミちゃんと言えばあの陰気な男(その後タケシという名前であることがわかった)と恋仲になって、あんまり私に構ってくれなくなった。一人の時間が増えた私は最近どんどん影が薄まっている気がする。

そんなことを考えながら、一人とぼとぼ家に帰ろうと駐輪場に自転車を取りに行った。駐輪場はちょうどグラウンドの裏にあった。昼でも薄暗い場所。自転車に乗ろうとした時だった。ふと目の端にいつかのゴスロリ姿が見えた気がした。その方向を見ると、誰もいなかった。誰もいない暗がりの先、駐輪場の奥に見慣れない古ぼけたコンクリート造の平屋があった。胸騒ぎがした。その平屋に向かって一歩ずつ歩いていく。歩きながらその体は次第に風景に溶けていって、私は私は私は私は…………。

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