夜明けのコーヒー、どんな味

目々

血の如く黒く、業の如く甘く、地獄の如く熱く

 なんか先輩って散らかってますよね。


 部屋の話じゃないですよ。部屋は片付いてるっていうか、物ないじゃないですか。悪い意味で。

 最初に来たとき、独房ってこんな感じかなって思いましたからね。ほら、俺が一年のときに参加した新入生歓迎会、三次会のカラオケまで素面で付き合って終電なくなって泊めてもらったときですよ。あんときも物なかったし、一人暮らしの人間ってどんなもんかよく知らなかったんでさすがに失礼過ぎるなって黙ってたんですけど、あれから出入りしても全然変わんないからもうこれそういうやつなんだなって納得したんです。入ったことないですけどね、独房。


 だって現代人の部屋として本棚とベッドと小さめのテーブルしかないってのはこう、虚無い方でしょう、多分。テレビあるだろって、そりゃ独房にはテレビないでしょうけどむしろこの状況でテレビがある方が怖いまでありますからね。


 ていうかあれだ、テレビっても先輩の場合は一般的なご家庭の賑やかしみたいな用途じゃなくって、配信の映画観る用のモニター扱いでしょうに。昨日一緒に見たじゃないですか、ジョン・ウィック三作連続放送。そもそも俺が先輩んちで宅飲みする気になったのそれが目当てですからね。別にジョン・ウィックが好きとか嫌いとかそういう話じゃないんですよ、あれはどのシーンを見ても暴力と殺し屋と血が出てくる映画じゃないですか。そういうものが見たい時には最適解みたいなやつであって……好きですけどね、俺は。予算安めのアンデッド映画のもたっとした殴り合い見た後だと最高に気持ちよくなれる類の暴力ですからね、あれ。野蛮も突き詰めると美学になるってもんじゃないですか、機能美とかそういう枠のものですよ。


 あとはね、酒飲んで駄目になりながら映画観られるの、個人宅の特権でしょう。


 映画館でも飲めなかないですけど、気使うじゃないですか。そもそも公共の場での飲み食いってそんなに得意じゃないですし、俺。そういう節度を保って楽しい飲酒とカジュアルな観賞をっていうより、個人向けの密室でポテチとカルパスその他度数高めのを諸々添えて好き放題しながら愉快な映画を観るってのがやりたいとき、ありますから。

 そういうのには都合いいんですよ先輩んち。ボロいのはまあ、あれですけど。住人少ないから騒いでも文句言われないって最高ですし、コンビニ徒歩で十分だし、ガスコンロ二口だし、駐車場つきだし。俺んとこ半端にオール電化なんで停電のとき死ぬんですよね。お茶も淹れられない。


 つうかそもそも勝負する相手が独房でいいんですか。もっとこう、文化的かつ人間的な生活してても怒られないと思いますよ。先輩だって普通の大学生で、人らしく生きる権利は普通にあるわけですから。多分。


 昨日だって俺スーパーで買ってきた缶もの冷やそうとしてびっくりしましたからね。冷蔵庫が本当に空だったから……家電コーナーで陳列してあるやつじゃないんですから。何ですか掃除でもしたんですか? しかも冷凍庫も霜まみれのアイスとコーヒー豆の袋しか入ってないし、本当何食って生きてるんですか先輩。


 そう、コーヒー豆はあるんですよ。部屋が独房で冷蔵庫がすっからかんなのに、コーヒーは豆挽いて適温の湯で淹れて出してくる。あんな飲み方した翌朝に。意味が分からないじゃないですか、そんなの。


 電動ミル、すごい音するんですね。二日酔いの目が覚めるんだから相当ですって。何だろう電ノコかな俺バラされたりすんのかなって目だけ開けてたら、お前砂糖とか入れるって聞かれて、適当に頷いて待って、しばらくしてモーニングコーヒーを渡されたわけですからね。香りがいい。熱い。だからこうして喋ってるのにまだ半分も飲めてない。

 美味しいっぽいんですよね。比較対象がインスタントと缶しかない人間なんであれなんですけど、美味いです。なんかこう、色んな味がする。苦酸っぱいのと、色々。


 そういうね、ちょっと洒落た真似をするのに……さっきだって煙草のライター見つけらんなくて、結局コンロで点けてたじゃないですか。二口しかないガスコンロで。舌打ちしながら。髪ぐしゃぐしゃのまんまで。寝間着がジャージとロゴ剥げた何かのバンドTで。

 そういうところのバランスがすごいなって感じで、なんかこう、取っ散らかってるなって。そういう感想です。


 一晩泊めてもらって悪口かったらまあ、そうですね。俺の行儀が悪いやつです。でも思ったから言いたかったんですよ、溜めとくのも嫌じゃないですか、そういうの。早めに吐いといた方がつらくないし。二日酔いと対処が一緒ですよ。


 よく寝れたかったら、あー……夢見がね、めっちゃ悪かったです。

 聞いてくれます? 話したいんで。

 よく言うじゃないですか夢を人に話すとお裾分けできるって。何か読んだ記憶があるんですよね、出世する兆しの夢を人に話したから横取りされて自分には何のいいこともなかったみたいなやつ。その点悪い夢だったらほら、横取りされても困りませんから。

 先輩はまあ、あれじゃないですかね。部屋主としての責任みたいなやつで頑張ってほしいというか、そんな具合です。


 ブルーシートがね、背中で擦れてがさがさ鳴るんです。

 この部屋一帯、べたっと敷いてあるんです。そんで、俺の背中にそれが貼り付いてる。その感触が嫌で、目が開いたんです。夢の中で。

 昼か夜かはよく分からない。見上げた天井には寝る前に見上げたのと同じ照明がびかびかしてる。とりあえずは先輩の家だよなってことだけ確認して、起き上がろうとしたんです。


 体が横向けになるばっかりで、立てないんです。手も足もなかったから。


 間抜けな話なんですけど、全然気づかなかったんですよね。だって痛くないから……首を伸ばしてよく見ると、体周りが結構べとべとのぎらぎらなんですよ。血って意外と脂多いんだなって納得しました。あとは溜まって擦れて黒ずんでる。思ったより赤くないし見栄えもしないなって、少しがっかりしました。

 そんでずっと血だまりに浸ってんのも芸がないし照明眩しいしで、起き上がってみようとはしてたんですけど、手足がないと立ても動けもしないんですよね。でも諦められなくて、ひっくり返った虫みたいにがさがさしてたら、いきなり体が持ち上げられた。


 でかい蜘蛛みたいな手が、俺の腰のところを掴んでました。暴れようかどうしようか考えて、やめました。落とされたら困るなってのと、暴れるにも手段がない。手も足も出ないっていうかないわけですから。


 見えたもの、あんまり変わんないんですよ。部屋いっぱいのビニールシートと、気持ち端の方に寄ったっぽい本棚と、ひっくり返して壁際に置かれた机と、画面が真っ暗なままのテレビ。そんで視線を下げると、俺の居たあたりが派手な血だまりになってて、暴れたせいで血が伸びて掠れてる。

 見てられなくって、顔を上げたんです。

 本棚近くのビニールシートの端、腕と両足が伐り出した薪みたいに揃って置いてあるもんだから、息が止まりました。


「きちんと始末する。心配しなくていい」


 頭の上からする声がそんなことを言うんで、とりあえずは頷いて──そんで、電ノコの音みたいな電動ミルの音で目覚ましました。


 ねえ。

 やな夢ですよ。

 俺スプラッターとか苦手なのに。本当ですよ、ホラーどころか医療ドラマの手術シーンで力抜けるタイプですから。事故の流血シーンとかでもぐったりします。映画の暴力は、別枠っていうか……あれだ、案山子男は平気だけどオーディションは無理っていうか。曖昧なところで微妙なところなんですよ、その辺。繊細とは口が裂けても言えませんけど。


 ところで、つかぬことを聞くんですけど。

 先輩んち、あっちの本棚の横に空間があるじゃないですか。デッドスペースっていうか、フリースペース。

 夢の話はさておいて、あと俺の正気も一旦置いてお聞きするんですけど、今そこに人間の腕が転がってるのが俺には見えちゃってて、そういう感じの何かしらに心当たりってのはあったりします?


 あー。

 あるんだ。


 ……あのですね、先輩。そこは黙って頷くとこじゃなくて、もっとこう──ああ、まあ、いいですよ。

 見えるのかっていうか、見たのかっていうか、見てるっていうか。ていうか先輩は見えてないんですか? 俺としては一応三度見ぐらいはして、それでもずっと見えてるんで口に出さざるを得なかったっていうか。そういう……霊感? とか第六感とかは全然心当たりはないです。これまでの人生でも覚えがない。だから、こういうことの聞き方みたいなのもよく分からないんでそのまま喋ってます。今まさに腕が激しめに壁引っ掻いてますけど、どうかなって思ってます。


 ただまあ、さっきも言いましたけど夢では見ましたよ。ブルーシート敷いた部屋で、端の方に腕と両足が揃って置いてあった。符号がね、なくもないじゃないですか。意味深っていうか、連想しやすいっていうか。


 まだ夢ってことにしたいんですけどね、もしくは俺の幻覚。コーヒー飲みながら見たい絵面でもないですし。爪が痛そうなんですよね、やり口が激しいから。その割に壁に傷一つつかないのがかわいそうっていうか甲斐がなさ過ぎるっていうか。

 ひょっとしたらね、ベタな怪談だったらありますよ、そういうの。

 夢で見たのはかつてこの部屋で実際にあったことで、あの腕もそんときの犠牲者の怨念とか残留思念とか慕情とかそういう具合の組み立て方ができなくもないかもしれませんけど──だからそこでそうだろうなって言われると逃げ場がなくなるんですよ。どうしてそういうことするんですか。

 気のせいって言い張るところでしょう、そうしたら俺だってそうですよねって丸め込まれてあげられるじゃないですか。俺せっかく言及しなかったんですよ、夢の中で聞いた声が先輩のとよく似ていたとか、先輩も手でかいですよねとか、そういうところを。逃げ道を作ってたんですよ。俺なりに……。


 ああ、じゃあ、そうなんですね。

 事実確認だけでいいです。むしろそれだけでもういっぱいいっぱいなんで、やめてください。動機とか聞きたくない。俺が誰の立場で体験したのかとか知りたくない。


 あんまり意味ない質問だと思うんですけど、口封じとかは──考えてないんですか? 何で? いやしてほしいわけじゃないですけど、いいんですかしなくて。

 いや、まあ、喋りませんけど。今のところは黙っとくつもりだったんで、いいですけど。別にいいのにってのは──聞かなかったことにします。嫌ですよ、俺が先輩の人生の責任取るの。俺の告発で先輩の人生の道筋が変わるとか、他人の人生にそういう不可逆の手出しをするのって怖いじゃないですか。


 寝てるときに首絞められたりしてるってのは、やっぱりとしか言いようがないですよ。ベタですもん。あるんですね、そういうの。


 それはまあ、ほら、先輩は覚えがあるんでしょう。じゃあしょうがないじゃないですか。確かに昨日飲んでるときにこの人首周りに手形あるなとは思ってましたけど、痴情とか怨恨とか愛憎なら俺が口出しすることでもないなって気づかないふりしたんですよ。見えてないんですか? それで無抵抗ってのも、こう……先輩らしいですけど、どうなんですかね、それ。心当たりがあるとはいえ、見えないもんに首絞められてるって嫌じゃないんですか。

 ってことは壁際からベッドまで来てるわけだから、結構動き回る範囲が広いんですね、あれ。蛇みたいなもんだと思えばいいってのはそれちゃんと蛇飼ってる人に怒られると思いますよ。じゃあこっちから触れたりはするんですか……ああ、それは無理なんだ。あっちからは絞めたり引っ掻いたりできる。

 何なんですかね、オバケって大体そういう感じですよね。フレディは鉈効いたのに──あ、ジェイソンの方でしたっけ。あの辺分かんなくなるんですよ名前みんな横文字だし。先輩区別つきます? マイケルとかシンクレアにチェザーレあたりを作品名紐づけにすんの、そこそこの難易度でしょう。生きてるやつも混ぜるなって言われても、もう全部分かんないんですよ。


 みんな見えるかどうかってのは分かりませんけど、俺は今も見えちゃってますね。不本意ながら。霊感とかなかったし、そういうのって二十まで見えなかったら平気って話じゃなかったんですかね。俺先月二十になったんですよ、せっかく酒も煙草も解禁になったっていうのに、オバケまで解禁されても困るんですよ。別に見たくないですからね、オバケ。怖いから。

 だからまあ、あー……危険なんじゃないですかね、勘のいい人だったら、色々。ガスの点検の人とか来たら困るでしょう。意外と人来るじゃないですか、一人暮らし。ベランダ修繕の人とか、宅配便とか。ここのアパートに宅配ボックスなんてないでしょうし。


 どうすればいいっての俺に聞くんですか? だからなんで? 俺考えないといけないんですか? えー……ああ、まあ、そうですね。

 物、もうちょっと増やせばどうですか。棚とかいいんじゃないですかね、そこの壁んとこ。腕転がっててもバレなくなると思いますし、あと人が住む部屋っぽくなると思いますよ。なんかこう、生活感みたいなのが。


 それでいいのかっていうか、それ以上思いつかないんですよ俺だって。

 お祓いとかそういうのが効くみたいなの全然分かりませんし、その手のに強いお寺とか有名な霊能者にツテがあったりとかしませんもん。友達の霊感強くて追い払えるみたいなやつもいません。ゲームのジャンプスケアで椅子から落ちたやつならいます。役に立たないったってそういうやつがいるだけ幅の広さを褒めてください。いいやつなんですよ秋原。バイト先のスーパーで人手が足りないって言われたのを断れなくて、シフトががんがん増えてたりするくらいにはいいやつなんです。去年の夏季休業なんか危うく実家に帰れなくなるところだったんですよ。盆のシフトの主戦力にされて。人がいいから。


 だから、俺としては普通に物理的な提案しかできませんよ、オバケ相手だって言われたって無理です。ない手札は切れないんです人間っていうのは。そんな超常的でファンタジーな選択肢、ないもの。ホラー映画観るからってその手の方向に詳しいと思われて困んの、先輩だってしょっちゅうじゃないですか。人殺してそうとか言われるのは、まあ、事実になっちゃいましたけど。事情は聞きませんけど。嫌だから。別にホラー映画以外も観ますしね、先輩。花束とかゴジラとか木更津とか。


 とりあえず今のところあの壁際から動けないっぽいから、そこを隠せばいいんじゃないかなってのが俺の案です。今はですね、伸びた犬みたいになってますね。寛いでるかどうかは知りませんけど、指先がだらんとしてるんで、そんな具合なんじゃないですか。切り落とされた腕の気持ちとか考えたことないんで勘ですけど。

 夜は知りません。俺は夢見が悪かっただけなので、そこは手出ししません。先輩が話し合ったりとかして何とかしてください。聞く耳があるかどうか知りませんけど。


 じゃあ、買いに行きます? 本棚。

 今からっていうか、朝飯どっかのファミレスで食ってからならちょうどいいんじゃないですか。冷蔵庫何にもないじゃないですか。冷凍庫だってコーヒー豆のパックとアイスしかないし。コンビニ行って戻ってくるくらいだったら、車出して適当なとこで食べてから家具買いに行ったほうが手間が省ける。


 手伝ってくれるのかったら、だって先輩一人でやるの難儀でしょう。

 家具の設置、大変ですし。じゃあ頑張ってください俺帰りますって背中向けて玄関出るの、ちょっと度胸いりますよ、多分。口封じしないって言質取ってはいますけど、先輩相手ですけど、限度があります。刑事ドラマやサスペンス映画の知識が先輩を無条件に信頼することへの障害になってるっていうか、防壁って言うんですかね、どっちかっていうと。


 そういうわけで、ここで役に立っておかないと何されるか分かんないなって、ね。

 先輩を信用してないわけじゃないですけど、人間って全般的に何しでかすか予想とかできませんから。気が変わることもあり得るわけです。仕方がないことですけど。

 あとは今サークルそこそこ繁忙期じゃないですか。五月ですから。

 新入生も入ったばっかりだし、役職引き継いで新体制で回し始めたところだし。そこで先輩が抜けても俺が消えても結構迷惑かかるじゃないですか。安田さんがまた胃痛めますよ。悪いじゃないですかそういうの。

 だから通報もしません。俺も殺されて先輩も引っ張られたんじゃサークル潰れるまでありますからね、派手に不祥事ですから。サークル長の笹路先輩がかわいそうじゃないですか。『やっと高校の放送委員副委員長と中学の学級長以外に履歴書に書ける肩書ができた』って喜んでた人なんですよ、笹路先輩。悪い人じゃないんですよ。本当に。人望はあるんですよ、それ以外がこう、なんか、うん……それでも頑張ってるんだから、駄目でしょう、そういうやつの人生の邪魔をしたら。倫理的に。


 それに俺としては知らない死人より知ってる人の方が大事ですし、それなりに死にたくもないですから。

 そういう感じなんで、大丈夫です。何がったら、まあ。口堅い方だとは思うんですよ。こういう状況初めてなんで、どこまでいけるかってのは未知数なんですけど。伸びしろはありますよ、多分。


 あとは、まあ。先輩とこうやって映画観ながら宅飲みして酔い潰れるの、俺のこのところの楽しみではありますし。それにコーヒーそこそこおいしかったんで、そんな感じです。

 だからまた淹れてくださいよ。共犯者になる黙っとく理由としてはそれで十分なんで、本当に。

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夜明けのコーヒー、どんな味 目々 @meme2mason

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