燕の飛翔

長眼 照

第1話

その日は空を飛ぶのには最悪だった。沈鬱とした空か俺たちを馬鹿にするように心を潰しに来ていたのだ。


朝から酷い頭痛で学校を休んでいた俺の元に一通のLIMEが届いた。


「俺、今から死ぬね」


親友からの連絡だった。

名前は燕という、同い年で親はいない。出身は分からないが今は繁華街で同じ境遇の子供たちと共同生活をしているらしい。詳しくは聞いたことがないし、聞くつもりも毛頭ない。


「なんで?」


一応理由くらいは聞いておかなければと良心が煩いので質問をしてみる。


「俺の好きな店、昨日で閉店したんだってさ」


「2丁目の定食屋?」


燕にはお気に入りの店があった。

何の変哲もない普通のレストランチェーンだが、彼はこの店をひどく気に入り、週に2、3回は食事をする。

この店が無くなったらもうこの世界に生きている意味もないし、希望もないし、死のうと思うんだよね。と、安くさい言葉を幼稚に並べていただけの彼の自殺宣言は遂に実行される事となったらしい。


「最後に何か食べる?」


「そうだね、美味いもの食って死のうかな。10分後にいつもの場所でいい?」


「ああ、いいよ」


急いでジャケットを羽織る、身形なんてどうでもよかった。深夜だから誰にも見られないし、見られたところで誰も気に停めない。俺らみたいな人間はいつだってそうだ。害にも得にもならない奴は世間から認識すらされない。

俺たちはそれがムカつくのだ。


予定時間より少し早くいつもの場所で燕を待っていると数分遅れて彼がこちらに向かって歩いてきた。

なんとも言えない雰囲気だ、今までとは違う。

“本当に今日でこの世を離脱する”覚悟がある目だと、素人でも分かるくらい彼は疲弊していた。


「またせた?」


「全然」


「何食べようか?」


「お好み焼きの爺さんとこは?最後に挨拶でもすれば?」


「あー、あっちで美味いもん食えるように媚でも売っておくかな…ハハッ」


暫く歩き、お好み焼き屋へ入店する。

客は俺たちだけで、厨房では不機嫌そうに後片付けをしている店主の姿が見えた。


「閉店だぞ…、お前らか。何食べたい?、」


「チーズ明太もち1つ」


「珍しいな。女にでも振られたか?」


「いや?俺、今日で終わりだから。1番美味しもの、食べようと思って」


「今日で終わりだあ?!引越しでもすんのか?」


店主は些か不思議そうに俺と燕の両眼を見据えるが、俺は首を横に振ることしか叶わなかった。

一方、燕はあっけらかんとした口調で答えるのだ。


「俺!今日死ぬからさ!」


店主は一瞬驚いたように顔を引くつかせたが、納得したようにお好み焼きを作る手元に視線を戻した。


「あれ?止めないの?」


予想外の行動だったのか席から立った燕は厨房に体を乗り出し店主と顔を至近距離に置く。


「止めるも何も、お前ガキの癖に本気の顔してるだろ?この街で仕事してるとよ、いるんだよ。そういう子供たちは…」


「今まで何人死んだ?」


「3人だよ、1人目は14の女。未成年で水してるのがバレて飛び降りた。2人目は19の女で、ホストに孕まされてどうにも出来ずに腹の子共々飛び降りた。最後の一人は…俺の娘だよ。いい子だった。いい子だったから馴染めなかったんだろうな」


店主は遠い目に涙を滲ませながら焼き上げたお好み焼きを丁寧に等分に切って俺らの宅へ提供した。

高温の小麦のステージ上で鰹節が踊り、盛り上げるように青海苔が揺れる。

上手い具合に焼かれたお好み焼きは空腹の鼻腔を刺激し無意識的に口内に唾液が溢れてくるのが分かる。美味しそうなものを目の前にした人間が起こすあたりまえの反射行動だ。


「なんでまたそういう考えになったんだ?」


店の清掃を終え、俺たちの席に同席した店主は芋焼酎ロックを嗜みながら燕に問いかける。


「2丁目のさ、定食屋…潰れたじゃん?あそこお気に入りだったんだよ、生き甲斐ってやつ?あれが無くなったらもう俺には何も無いから」


「隣のこいつがいるだろう」


「いや…俺は…」


「コイツは俺が死んだっていいんだよ、むしろそれを望んでる。コイツね、俺の恋人だから」


「はぁ…?」


店主は混乱しているようで、グラスから手を離し俺の方を凝視する。

あたりまえだ、恋人が今から死ぬと言っているのに優雅に飯を食らっている男など理解できなくて当然だ。


「コイツはね、俺が飛び降りたら幸せになるの、エクスタシーを感じる異常者って訳、だから好きになった。」


「………」


「今までの恋人はさ、誰も理解してくれなかったんだよ。むしろ生きろとか頭の悪い回答しかできなかった。でもね、コイツ言ったんだよ」


「…………」


「死んだらお前の死体でオナニーするって」


「?!」


「だからね、オジサン。俺らの愛は俺が死ぬ事で成立するんだよ、それが今日だったってだけ。それだけ」


「お前らはそれでいいのか」


「俺らはね、これじゃなきゃダメなんだ」


完食した燕は席をたち、店主の目の前に代金を置いた。お釣りは要らないと早々に退店する。

俺は「ごちそうさまでした」と軽く一礼し、もう二度と来ないであろう最高の店を後にした。


無言のままネオンの眩しい裏路地を進む、もう場所は決まっているらしい。あとは、望み通り空を飛ぶだけだ。


「天気…悪いな。燕、お前の最後の日なのに」


「んや?これくらいの方が気持ちよく飛べるだろ地面に着いて暑いのはお前も嫌だろ?」


「んー、まぁ…そうかも」


人気のない雑多ビルの外階段を登る、2人の足跡と呼吸音が無機質な空間に反響し、まるで最期を迎える少年を嘲笑うかのように、または若い命を惜しむように、透き通った重くて埃臭い空気が俺らの肺を汚した。


屋上に到達し、フェンスを乗り越えて縁に腰を降ろす。

燕は足を空中にプラプラと投げ出しまるで子供のように浮かれている。


「あー!美味かったなぁ!お好み焼き!」


「そうだな」


「最後の晩餐って豪華じゃなくていいんだな、普通に美味い飯が最高」


「普通…ねぇ…」


「あのさ、お願いあんだけど」


「何?」


燕の顔が至近距離までゆっくりと近づいてくる。

少し身を引くと寂しそうな表情の後、俺の手の上に燕の手が重ねられる。


「最後にキスしてよ」


「えっ」


「冥土の土産!お前はこの後俺の姿見ていい事すんのに俺はそこにはいないから。だから、気持ちだけ。嘘ついてもいいから頂戴。」


「…わかった」


俺は燕の唇に唇を合わせた。少し空いた隙間から無理やり舌をねじ込みお互いの唾液を絡み合わせる深いキスをする。

粘膜と粘膜が擦れる音が聴覚を敏感にさせ、顔に掛かる燕の熱い息が心地よい。


「んっ…ふあ、ンン!」


呼吸が限界になった燕から強制的にキスを中断され耳まで真紅に染まった頬を隠すように両手を顔の前に移動させる手を解き、再度キスをする。


「やめっ、苦シっ…」


「もう少しだけ…」


先程よりも長く、深い口付はお互いの呼吸を妨害し脳は酸欠状態で朦朧とする。

気絶しそうな燕を察し口を離してやると余程苦しかったのか肩でゼェゼェと呼吸を整えている。


「ハァ…ハッ、長すぎ」


「最初で最期なんだから贅沢させてよ」


「贅沢しすぎなんだよ、質素に生きろよ」


「まあ、お前が死んだら。…そうするよ」


「うん、満足した。俺の人生サイコーじゃん!」


「…」


「じゃあ、行ってくるわ。下で俺の最期、見ててよ」


「…了解」


言われた通りに2人で歩いてきた階段を降りる。

さっきまで響いていた2つの足音は1つになり、もう二度と2つになることは無いだろう。

季節に見合わない冷たい風が頬を切る、身震いする体を連れて外へ出て、落下予定地点の数メートル先で待機して両腕を上げた。

コレが、合図だ。


屋上で手を振っていた燕はその手を止め、靴を脱いで最先端に立った。


ああ、もうすぐ燕の命が終わる、目の前で。

俺の性器が期待で若干の熱を持ち始めた頃、燕は最後の言葉を言った。


「遠ー!愛してるよー!」


燕が飛んだ。大空に羽ばたくように両手を広げて、屋上から空へ。

重力に負けた体は一瞬で地面へ方向を変え、目視ギリギリの速度で降下した後、重量物が落下し内容物が潰れる音が深夜の繁華街に響いた。


俺の、足元に潰れた燕の顔がある。

切れ長の目、高い鼻も薄くて可愛い唇も、全てがグズグズに崩れて真っ赤に染まっている。

散らばっているのは粉砕骨折した頭蓋骨から飛び出た脳だろうか。いちごミルクみたいな色をした柔らかそうな物質、燕は結構メルヘンな所があったから脳も可愛くピンク色なのだろうか。

体の方はどうだろう、手足は変な方向に曲がり、関節が捻れ、先端は原型を留めないほどに潰れてジャムみたいになっている。

みるみるうちに燕のペシャンコの体は大量に出てくる血液の沼に沈むように染まっている。

完全に熱を持った俺は窮屈な場所から欲棒を取り出し、燕から出てきた血液を潤滑剤代わりに塗り、手を上下させる。まだ生暖かい血液はまるで燕に全身を愛撫されているようにまとわりついてくる。

燕の隣に寝転がり、お互い半分血液に染まった状態で俺は自慰を続ける。

空いた方の手で燕の可愛い顔を撫でるが、手に伝わるのはサラサラとした感触ではなく、ベタベタとした体液と絡みついてくる髪の毛の不快感。それすらも愛おしく俺の欲は頂点に達する。


「イッ、最期…顔に…掛けさせて、燕…愛してるからッ」


姿勢を変え、俺の大好きな男の顔に射精した。

目に入ったが、彼は何も言わないし、そもそも認識している場所が目なのかもすら危ういので気にしないことにした。

そろそろ行かなければ落下音で周囲の人が通報している可能性がある。

逃げなければならない。

俺は燕の口らしい場所にキスをする、今までで1番深く、長く。

口内は鉄臭いドロっとした不快感に犯されたが、飲んでみると案外甘かった。


俺は燕が嵌めていた指輪を取り、その場を去る。

2人で見つけた指輪だ。


「あ…」


いいことを思いついた、と俺は一瞬離れた燕の所へ戻り右手の薬指を切断した。

そしてその指にペアリングを嵌め、ポケットに押し込んだ。


「愛し合う男女ってさあ、指輪を右手の薬指に嵌めて結婚すんだって。変だと思うけど、いいよな。ずっと一緒って意味だろ?俺らも結婚できたらいいのにね」


昔、そんな馬鹿げたことを燕は楽しそうに話していた。


ただ、1つ伝えたいんだ。

お前が死ぬ原因になった飲食店あるだろ?

あれ、チェーン店なんだよ。1駅行ったら同じ店が何件もある。お前はココしか知らなかったから、ココが全てだったから。仕方ないよな、分からなかったよな。お前の両親も本当の名前も、何も分からなかったな。


それで、よかったんだけど。


---数日後


燕の葬式は公的機関を通して厳かに執り行われた。

両親は愚か、地元でつるんでいたであろう人間も誰も来ない。出席したのは俺と、飯屋の店主2人。

納骨で、誰が引き取るかという話になった。

俺が手を挙げ、小さくて白い箱に納められた燕を抱いた。まだ、温かい。

心地が良くてつい抱きしめてしまった。

遺骨の引き取り先が見つかったところで簡易的な葬式の全てが終わり、俺も燕も自由の身になった。


「よく生きたなぁ、燕」


もちろん返事は無いが。


「俺、お前のこと結構ちゃんと好きだったからさ」



「次生まれ変わっても俺の目の前で飛び降りてよ」



「愛してるからさ…」

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