メロディライン

綿雲

価値と道行き

価値観が合わないんだよね、と吐き捨てて僕を振った彼女は、今日も眩しいライトを浴びて画面の中で微笑んでいる。

僕はテレビをぼんやりと眺めながら、床に放ってあったアコースティックギターを手元に引き寄せた。


シンガーソングライターを生業にしている僕には、ひとつの目標があった。

彼女の出演する、この報道番組で、僕をミュージシャンとして取り上げてもらうこと。

あからさまに下心丸出しのその目標は、しかし実際に達成されたのだ。それももう2年ほど前になる。

今話題のアーティストを紹介する、人気コーナーの枠を担当している彼女とは、そこで高校卒業以来の再会を果たした。


たくさんの人に聞いてもらって、楽しんでもらうために、僕はこの道を進んでいる。なんて、インタビューではもっともらしくて恥ずかしいセリフを言ったけれど。

僕の本心はまったく違うところにあった。

要は彼女にもう一度会いたいがために必死だったのである。


彼女とは高校時代、同じ軽音部でバンドを組んで、音楽活動を共にしていたのだ。

お察しの通り彼女に恋焦がれていた若き日の僕だったが、当時の彼女には、それはもうイケてる恋人がいた。しかもそいつは僕らと同じバンドでベースをやっていた。因みに彼女はボーカル、僕がギターだ。


そんなわけで、彼女とは結局何の進展もないまま高校を卒業し、バンドも自然と解散して、それきりだった。

けれどある日、偶然にも見つけてしまったのだ。

彼女が有名な放送局のアナウンサーとして、その明るく、よく通る声を響かせているのを。


「私、アナウンサーになるのが夢なの。みんなから私の声を必要とされるなんて、すごくない?」


バンドメンバーで集ったファミレスで、彼女がいつも語っていた夢。迷いなんて微塵もない、といった口ぶり。

自信に溢れた彼女のキラキラした眼差しと、芯の通った声を思い出して、僕は気づいた時には仕事を放り出して近くのカラオケ店で曲を書いていた。


新卒でなんとなく入った会社を半年でやめ、ひたすらに曲を作って歌いまくった。はじめの頃は鳴かず飛ばずだったけど、SNSや動画サイトに地道に曲をアップしていった。少しずつ、本当に少しずつ、再生数が伸びていって、応援してくれる人ができた。


そして2年前、努力が報われ、ついに商業デビューした。デビュー曲は活動を初めて以来の人気を博し、ニュースに取り上げられるほどには知名度が上がったのである。

あの時の感動、彼女と再会できた時の嬉しさは、言葉にできないほどだった。そう彼女に言ったら、作詞を仕事にしてる人がそんな事でどうするの、と怒られたっけ。


美しい思い出というものは、時に僕らの行く手を暗く覆い、道に迷わせる。今の僕がまさにそれだ。

薄雲のかかった午前の日差しが、寝不足の目にじくじく染みた。

今や落ち目のアーティストの僕も、スポットライトを浴びて、彼女とまた同じ画面の中に立てる日が来るのだろうか。


今の僕の価値って、いったいなんだろう。


青い小鳥のマスコットが午前10時を告げて、番組のエンディングが流れ出す。

惰性で膝に抱えたギターに、なんとなく触る気になれなくて、僕はSNSのアプリを開いた。ダイレクトメッセージの通知がきていたことに気づき、見れば友人からの誘いだった。

曰く、「道草食おうぜ!」だって。


――


「お前さあ、最近あんまいい曲作んないよな」


場末の飲み屋「みちくさ」のテーブル席。薄いレモンサワーを片手に、友人はバッサリと言い切った。

こいつはデビューする少し前から、つまりは会社をクビになってからの付き合いで、向こうは向こうで美容師というつぶしの効かない仕事をやっている。


「おまえさあ、よくそんなにハッキリ言えるよね。こっちはただでさえ傷心中なんだけど」

「ああ、あの女子アナの元カノ?まだ引きずってんの、もう何ヶ月経つんだよ」

「うるさいな。まだ5ヶ月だよ」

「細けえ男だな。半年も前じゃん」


僕としては、こいつが大雑把すぎるだけだと思うけど。

僕も彼も、仕事に関しては他の道などなく、まあ同じ穴のムジナ、と言う奴だった。だからか妙に気が合うのだ。

彼は専門学校時代、貯めに貯めたバイト代で、卒業後いきなり自分の城を築いてしまったという思いきりのいい奴だ。その店も確かな腕と人あたりの良さが功を奏して、なかなか繁盛していた。かく言う僕も客として散髪してもらったことがきっかけで打ち解けたのだが、彼の城は掛け値なしにいい店だ。


「いいなあ、おまえはいつも楽しそうで」

「なんだよ、お前楽しくないの?クビんなってまでやりたかったんだろ、音楽」

「そうだけど……それもあるけど、僕の場合……どうかな。半々だったっていうか」


がんばって夢に達した彼女に触発され、一念発起した、と言えば聞こえはいいが、客観的に見ればひねたストーカーまがいの行動だっただろう。

最近の曲には、ただ彼女を追って譜面と向かっていた昔のような、なんと言えばいいか……切実さ、みたいなものが足りないのかもしれない。それとも失った若さだけが僕の音楽の価値だったのだろうか。キャッチーで悪目立ちするだけの、たかがその程度の曲だったのか。


考える内にいよいよ落ち込んできて、居酒屋の喧騒に揉まれて、自分の呼吸音まで消えてしまいそうな気分だった。


「だけどさあ、お前もこの何年ミュージシャンとして仕事して、経験を積んできたわけだろ、色々と」

「色々と、ね」

「そうそう。彼女にフラれたからこの曲ができました、みたいなこと言うバンドマンはけっこういるじゃん」

「それ、バンドマンの前では二度と言うなよ」


バカにしてるわけじゃねえって、と彼はごく爽やかに僕の肩をばんばん叩いた。こっちは悩んでるっていうのに、こいつときたらほんとに軽い。しなびてカラカラになった雑草よりも軽い。


「つまりさ、いいかどうかは別にしても……今、そこにいるお前だから作れる歌があるはずだろ、ってこと。作れよ、それをさ。そんだけだろ」


こいつってどうして、僕がめちゃくちゃ悩んでやっと歌詞にするような複雑なことを、こんなに簡単に言えてしまうんだろう。


「つーか、そろそろいい曲作ってくんなきゃ困るぜ、いい加減」

「……なんでおまえが困るの?」

「そりゃもちろん、俺ってばお前のファンだからさ」


にやりと笑って唐揚げを口に放り込む彼につられて、そっか、と僕も笑った。あの日のインタビューで答えた「僕の道」なんてものが、やっと現実味を帯びてきたみたいだ。


――


1ヶ月後、実に半年ぶりに彼女にメッセージを送った。添付したMP3ファイルには、このひと月、全霊をこめて作曲した歌が入っている。

僕としてはいい出来だと思っている。送信完了の画面が表示された時、なにか吹っ切れたような清々しい気持ちだった。友人や家族にも意見を聞きながら、納得のいくまで作り直して、やっと完成形まで漕ぎ着けた。


感想を聞かせてくれたら嬉しい、と伝えて、スマホをそっと机に置いた。緊張を抜こうと大きく長い息を吐く。

彼女もバンドをやっていただけあって、音楽にはうるさい。短い間ではあったが、付き合っていた時も作曲について色々と意見をくれたものだった。高校時代に曲を書いていることを打ち明けられていれば、もっと早く距離を縮められていたのかもしれない、と思うけれど。


予想に反して、彼女からはすぐに連絡が来た。着信音は、彼女の好きだった歌手の、いっときどこに行っても流れていたヒット曲。

それを聞いた途端やけに落ち着いてしまって、僕はいつになく、ゆっくりと応答ボタンを押した。蛍光灯の光が反射して、通話画面がチカリと光る。


「もしもし……」

「ちょっと。なんなのあの曲」


電話越しの彼女の声色は、普段テレビで聞くそれよりも幾分低く、愛想も良いとは言えなかったけど。

その分すごく懐かしいと思った。


「あ、ええと……良かったら感想を」

「悔しいけど、けっこう良かった」

「本当!」「本当」


ほっと胸を撫で下ろす。ここまで色んな人に聴いてもらって加筆修正を繰り返して、それでもダメだと言われたら、みんなに申し訳が立たなかった……とはいえ、実のところ、きっとダメだと言われるだろうな、とは覚悟していた。なのでこれは嬉しい誤算だったと言ってもいい。


「けどね、良くないところもけっこうある」

「え!ど、どこ、教えて」

「いいけど、君さあ。そうやっていちいち人の顔色伺って、素直に言うこと聞いてばっかでいいわけ」


慌てて持ったペンが手から転げ落ちた。そういえば、別れる直前にも同じようなことを言われたような気がする。彼女はどんな時でも自分の進路を曲げないタイプで、だから僕はなるべく彼女の気持ちを尊重していた、つもりだったけど。


こういう所が、価値観が違う、と彼女から言わしめるに至ったのかもしれない。僕は彼女に悟られないように苦笑した。


「……うん、いいんだ。今はきみの話が聞きたい」

「自分をふった女子アナの話をねえ」

「そ、それは今関係ないでしょ!」

「どうだか」

「そ、それに、ぜったい変えたくない部分もあるし。そこは誰かに言われても、変えないつもりだから……たぶん」

「……私のありがた〜いご意見でも?」

「う、うん、はい。差し支えなければ」

「なにそれ。ちゃんとメモしてよね」


半年前よりもどこか柔らかくなった彼女の声は、けれど昔と変わらぬ自信に満ちていた。

音楽の趣味も相変わらずと見えて、いつも通りの的確で強いこだわりのあるアドバイスをくれる。僕はたじたじになりながらも、次々と飛んでくるありがたいご意見を端から書き留めて、通話が終わる頃には深夜0時を回っていた。


――


「ねえ、待ってよ」


楽屋を出てすぐの事だった。オンエア中はすぐ隣で、軽快に弾んでいたその声が、今は背後から、息せき切って僕を呼び止めていた。


「やあ。お疲れ様」

「お疲れ様、じゃなくて……もう帰るの」

「あ、うん、このあと友達と約束してて……」


このシチュエーション、3年前と同じで逆だな、と僕は思い出して少しおかしくなった。あの時は僕の方が楽屋を出待ちしていて、彼女は驚きながらも、変わったね、と僕を歓迎してくれた。

黙ってしまった彼女は、表情が心なしか翳っていた。不思議に思い、彼女の背丈に合わせて屈むと、いきなりシャツの袖口を鷲掴まれる。


「わ」

「ねえ、また私と付き合わない」

「え?」

「あの曲……私に、感想欲しいって連絡くれた時の奴だよね。あの時とはまた変わって、すごく良くなってた。ここ何ヶ月かでめちゃくちゃ伸びてるし、私も毎日聞いてる」

「あ、あり、がとう?嬉しいよ」

「あの曲で、君のこと見直したの。あんなふうに別れた私のほうが……間違ってた。また、一緒に過ごしたいって思って……だから」


顔を上げた彼女の目に、僕はどんな表情をして映っただろう。小さく首を振って、僕はそっと彼女の肩を押した。


「……久しぶりに、きみと音楽の話ができて……楽しかったよ、とっても」

「じゃあ」

「あの曲……すごくいい曲でしょ?きみや、たくさんの……僕にとって大切な人から、応援してもらってできた歌なんだ」


作っている間中、ずっと楽しかった。初めて曲を作った時、部活のみんなと演奏していた時、必死になって動画をアップし続けていた時、その全部を思い出して。記憶を咀嚼するみたいに鼻歌を歌いながら、譜面を起こして、歌詞を綴っていた。


「きみなしじゃ、あの曲はできなかった。本当に……ありがとう」

「なら、これからも私といればいいでしょ!」


彼女は僕の音楽の道しるべだった。迷って蹲っていただけの僕に、走り出すきっかけを与えてくれた。

目的地に辿り着き、そこから先も歩き続けられたのも、彼女という存在があったからだった。かつての思い出は、今も大切に胸の中にしまってある。


「私は、君の才能が消えたと思ったから別れたの!でも今は違う!あの曲を聞いてわかった、君はやっぱりすごい人だって……」

「……ありがとう、ごめん」

「……!なんでよ!君だって、私がアナウンサーだから私と付き合ってたんでしょ?」


けれど、変わらないものなんてない。日々を重ねて前へ進んでいく僕たちは、ずっと同じ場所にはいられない。

彼女と過ごす時間は発見に溢れていて、刺激的で、なにより、僕にとって本当に大切なことに気付かせてくれた。

だからこそ。


「やっぱり僕たち、価値観が合わないと思うんだ」


今の僕は、この道を選びたいと思った。

僕は照れ隠しに、なんてね、とはにかんだ。やっぱり僕はこういう所で、彼女みたいにビシッと決められない。彼女はらしくもなく、ぽかんとした顔で僕を見つめていた。


楽屋の扉に背を向けて、僕は白いライトに照らされた廊下を歩き出した。今となっては懐かしい、居酒屋の喧騒に思いを馳せながら、知らず知らずのうちに浮かんできた、新たなフレーズを口ずさんでいた。


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