二巡り 菫青アリカ

 ネオンの不夜城から少し離れた公園のベンチに座っていると、私の隣に少女が座ってきた。飲みかけのビールを「ちょっとちょうだい」と言って口に含んだ。しかしすぐに手を止めて「うえ、これノンアルじゃん!」と文句を言う。

 じゃなかったら飲ませてないわ、気分だけで満足しておきなさい。私がそう言うと、

「え、お姉さん、ケーサツ? ……には見えないけど」

 と少女は浮かせた腰を下ろして座った。彼女は私に菫青きんじょうアリカと名乗った。

「まあ、芸名ってやつ? これでもアイドルの卵なんだよ」

 自分では気に入っていないと言いながらも、彼女のピアスはアイオライトだった。


 ベンチにいる間も菫青アリカのスマホには何度も着信が入る。それを彼女は全て無視した。

「今月のノルマはこなしたからもう出なくていいんだよ。レッスン料とか顔を売れとか言うけど、みんな金と身体目当てばかりで……アタシはただ歌を歌って、ちょっと有名になりたかっただけなのにさ」

 菫青アリカの努力と無駄な苦労が実を結ぶことは無いかもしれない。それは踏み台にされて生きてきた私が一番よく知っている。 


 わたしにコクられてそんなに嫌だった?

 みんなで指さして笑うくらいに

 

 不意に菫青アリカが『オモイヤリオモイアイ』を歌う。ボカロ曲をアレンジした玉置たまおきゆうりのデビュー曲だ。それを聞いて私は彼女の輝きに気付く。荒削りだが確かに雰囲気がある。


 「別れて」って告白がそんなに辛かった?

 ナイフで突き刺して殺したいくらいに


 2番のリフにハモって私もつい歌ってしまう。アリカは一瞬驚いた顔をしたが歌い切ったあと私の腕にしがみついてきた。

「お姉さんスゴイ! 『たまごきゅうりP』みたいだった! えっ、まさか本物?」

 そんなわけないでしょ、と私は笑って見せた。『たまごきゅうりP』はボカロ曲を作っていた頃の玉置ゆうりの名前だ。アリカが言う本物とは『オモイヤリオモイアイ』のサビにハモっていたのことだ。

「ウソついてもダメ! アタシ耳はいいんだから。……じゃあ噂はホントだったんだ」

 私は否定も肯定もしなかった。玉置ゆうりと『たまごきゅうりP』が別人だという噂のを答えるつもりはない。そう言う条件も和解に含まれているから。


 私はいつもダメな妹でいるように両親に育てられてきた。読者モデルや子役で活躍する姉の商品価値を高める添え物でしかないと言われ、誰からも大事にしてもらえなかった。

 そんな私が熱中したのはボーカロイドによるネット投稿だった。平凡な容姿の私が始めて夢を感じた場所だった。だがそれも見つかって姉のの一つとして宣伝され親に奪われてしまった。

 しかし姉はアイドル歌手、玉置ゆうりとして舞台に立つことはできても作詞作曲の才能はなかった。そのため私はである彼女のゴーストとしてずっと曲を作らされてきたのだ。

 しかしそんな生活も半年前に終わりを迎えた。玉置ゆうりに【シニコク】の呪いがかけられ彼女が自殺未遂事件を起こしたからだ。


 菫青アリカのスマホが今度はバイブでメールの着信を伝える。

「げっ、社長マジで怒ってるみたい! さっき辞めるって言ったからかな? お姉さん、今晩だけでいいからアタシを匿ってくれない?」

 私が一晩だけでいいの? と訊くと「だって……」とアリカが捨て犬の目で見つめてくる。まあいいわ、この後のことは今晩ゆっくり相談しましょう?

 私はアリカを連れてカラオケにいくことにした。もう少し彼女の歌を聴いてみたいのもある。私は自分が表舞台で歌うことを捨てざるを得なくなったが、その夢を彼女に託してみるのも悪くないと思ったのだ。 


 ……玉置ゆうりは【シニコク】の呪いで芸能活動から引退を余儀なくされた。芸能レポーターがここぞとばかりにゴシップを書きたてた。

 それを追い風にして、両親と姉を訴える用意があるとほのめかした私は、その和解の条件として強要された8年の苦痛の慰謝料8千万円をもぎ取った。そしてマスコミに情報を漏らさない代償として『オモイヤリオモイアイ』の一切の権利を譲渡させた。お金に関しては今の私は十分満たされていた。

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