私は彼の嘘が好き

小鷹竹叢

私は彼の嘘が好き

 私は彼の嘘が好き。今日も愛していると言ってくれた。それを聞いて喜んだ。


 人間なんて単純なもので、それが嘘だと分かっていても言葉にされれば嬉しくなってしまう。


 彼が私を愛していないのは知っている。彼はチャットアプリで感心するほど沢山の女と遣り取りをしている。私もその大勢の中の一人に過ぎない。


 最初は一度限りのつもりだっただろう。だが意外と具合が良かったのか何回もすることになり、続くようになった。初めての頃に比べれば私の方も上手くなった。


 泊まる時には料理もご馳走してあげた。美味しいと言ってくれた。だけどこっちはおそらく本当。


 そうした関係になった切っ掛けは別に何ということもない。ドラマチックなものもなく、その夜に彼が会うつもりだった女にキャンセルされたからだ。


 私が昼食を取ろうと次のゼミで使う講義室に一人で入った時、彼は友人と猥談をしていた。私に気が付いた彼らは少し慌てて話題を逸らし、「彼女」の予定が合わなくなった、と言い繕った。私は気にしていなかった。コンビニのサンドイッチを食べながら予習をした。


 ゼミが終わると彼が話し掛けて来た。これと言った内容はなかった。ただ最終的にその夜に一緒に食事をすることになっただけだ。そして予定の女の穴埋めとして私と寝た。


 だらだらとした関係を続ける内に私は彼を愛するようになっていた。だが彼は私を「恋人」と呼ぶようになってからも、他の複数の女と寝ていた。わざわざ言いもしないし、私が気付きそうだと彼が思った時には誤魔化すための芳しい嘘も吐いてはいたが。


 いわゆる浮気というものをされていても私はそういうものだと認めていた。会う時間が減るのは嫌だが、それだけだった。


 私は彼を愛していた。しかし彼からの愛を求めようとはしなかった。無駄だと分かり切っていたからだ。共に過ごす夜があり、彼は言葉を掛けてくれる。それだけで充分だった。


 彼は学生生活と女遊びと並行して、どこかの劇団に所属しようと頑張っていた。しかし役者にはなれなかった。何とか言う芸能事務所に登録だけはしていたが、台詞もない通行人の役しか貰えなかった。


 劇団も事務所も見る目がないと思う。確かに彼の演技は上手いとは言えない。だが、彼の言葉は人に夢を見させることが出来る。陶然とする、素敵な夢だ。


 だから私は愛したのだ。彼からの「愛」が嘘だと分かり切っているのにも関わらず、その夢の世界が心地良いために。私は彼に嘘と夢とを求めていた。愛ではなく、愛の言葉を求めていた。彼から無上の愛を捧げられているという想像に身を浸していた。


 彼が口にする言葉のおかげで学生生活は幸せだった。御伽噺に入り込んでいるようだった。幸福な世界で暮らしていた。愛と希望に満ち溢れた至上の国のお姫様だった。


 卒業後、私も彼も就職をした。ごくごく普通の会社のオフィスワークだ。月並な仕事をし、凡庸な生活を数年続けた。


 それでも私には彼がいた。つまらない現実を生きながらも夢の世界に通っていた。


 その日、私はくだらない上司の叱責と馬鹿々々しい同僚の陰口を耳にした。うんざりしながら家に帰るとリビングの明かりが点いており、彼がそこで待っていた。合鍵はとうに渡している。不思議なことでも何でもなかった。


 ただ一つ、キッチンには料理が用意されていた。私は眉を顰めた。


 彼が料理をするところなど、一度たりとも見たことがなかった。いや、むしろ、こんな現実的な行為など、夢の世界への水先案内人である彼にはして欲しくなかった。


 どうしたのかと私は聞いた。


 彼はただ、喜んで貰いたかったと言った。


 頬を緩めた。まるで私が愛されているようではないか。味はお世辞にも良いとは言えなかったが、美味しかった。


 幸せな時間を過ごして抱き合っていると、彼は本当のことを言う時の目で、一緒に暮らさないか、と言って来た。


 困惑して曖昧な返事しか出来なかった。


 その後、話が変わり、暫くの時間が経ち、さっきの質問もすっかり過去になった頃、彼はやっぱり役者になりたいのだと言った。どうしても夢を諦め切れない。演劇の世界に身を投じたい。演技だけに打ち込める生活がしたい。


 私は、ああ、と納得した。つまりは仕事を辞めて、ヒモになりたいのだ。


 彼はそれから夢のような言葉を次から次へと煌めかせた。粗末なベッドに美しい嘘が散りばめられた。私は光輝く星空に横たわっているようだった。


 熱っぽい舌で練り上げられて、涼し気な口元から零れ落ちる「愛」や「永遠」は必ず嘘に決まっている。


 それでも私は喜んで騙されようと思った。

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