第9話 ベンジャミンの祈り (完)

 そのあと、私たち女子グループは十人ほどのメンバーから離脱し、女子だけで過ごすようになった。


 高沢とは同じ学科なので、すれ違う事もある。けど、お互い話さなかったし目も合わさなかった。




 どれだけ忌避しているものがあっても、触れず、見ずにいれば少しずつ心の傷は癒えていく。


 友達に癒され、勉強もそこそこ頑張ってバイトに明け暮れているうちに、私たちは二年生になり、三年生になってゼミに入った。


 その間にバイト先の先輩と付き合ったけれど、卒業する頃には別れて二度と会う事はなかった。




**




 卒業後、私は食品会社に勤務し、友達の紹介で付き合ったシンジと婚約した。


 その頃には、彼がつけていた香水が世の女性から憧れられる、高級香水だという事を理解していた。


 大人になるにつれ、あの女の財力を思いだし、苦々しい気持ちになる。


 同時に、ママ活をしなければ生きられなかった高沢に、少しずつ同情的な気持ちにもなった。


 単純にお金がほしかったのか、やむにやまれない事情があったのかは分からない。


 ただ、お金がほしかっただけなら、彼はもっと派手な生活を送っていたのではないだろうか。


 あの部屋にあった本は、ほとんどが中古で買った、人からもらった物だと言っていた。


 部屋を綺麗に整える豊かさはあったけれど、ギラギラとした派手さはなかった。だから私は彼に惹かれたのだ。


 シンジはどちらかといえば地味で大人しいタイプだ。無言になっても苦痛でない人で、とても穏やかに笑う人。


 好きになるタイプは、昔から変わっていないのかもしれない。


 二十六歳になった今も、鮮烈すぎる思い出としてたまに高沢の事を思いだす。


 前髪の奥に隠していたあの目は、ファッションもあったのだろうけれど、もしかしたら人目から逃れたい意味もあったのではないだろうか。


 ハルは大学時代に強姦され、そのあと服装やメイクがとても派手になった。


「強く見える服装をしていたら、声を掛けられなくなる」との事だ。


 確かに、金髪やピンク髪の人が電車にいたら、隣の席が空いていても一瞬ためらってしまう。


「見た目で人を判断してはいけません」という言葉があるが、見た目はある程度その人の内面を表しているのかもしれない。


 女らしく見られたい人、頓着しない人、凡庸に周囲に溶け込みたい人、流行を追う人、男ウケなんて気にせず自分の好きな格好をする人。


 通勤する電車の中で、様々な人を見てはその背景を想像してみる事がある。


 けど、そういう時に思いだす。


『勝手に期待して、勝手に幻滅するなよ』


 あの時は裏切られた怒りのほうが強かったけれど、冷静になれたあとよく考えれば、私にも非はあった。


 確かに、真剣に高沢を知ろうとせず、自分のいいように解釈して恋をし、事実を聞かされて勝手に幻滅した。


 だからこそ、シンジとは色んな事を沢山話した。


 多少理屈っぽい所はあるものの、きちんと話し合える人だから、私は彼を選んだ。




「新居に何か観葉植物を置こうか。グリーンって気持ちをリラックスさせる効果があるんだって」


 お互い一人暮らしのアパートだったので、同棲するにいたって二人用の物件を探し、引っ越す事になった。


 家具などを探している時に、シンジがそう言ってホームセンターのガーデニングコーナーへ歩いていく。


 様々な姿の植物の中に、ベンジャミンがあった。


 二つの細い幹が絡み、ねじれているその姿を見て、あの部屋で暮らしていた高沢を思いだす。


 まだ彼と行動を共にしていた時、こんな事を言っていた。


『タイやネパール、インドではベンジャミンを聖なる木として扱って、寺院に植えているらしいんだ。こんな小さな鉢に収まらず、大地に根付いて大きく葉を茂らせているんだ。この木をくれた人は、花言葉の〝家族愛、夫婦愛〟にあやかれるように、って言っていたけど……』


 多分、彼にベンジャミンを送ったのはあの女だろう。


 自分たち二人の仲に対しての〝愛〟だったのか、私の知らない高沢の背景を慮ったのかは分からないままだ。


 それ以上に、彼が呟いた言葉の意味が今なら分かる。


『いつかこの木を、鉢から出して庭に埋めてやりたい。正直、どうでもいいと思って置いてるけど、水をやってたら愛着が湧いた。のびのびと根を張れる環境のほうが、こいつも嬉しいだろうし、人によってねじられる事もない。知ってる? もともと自然のベンジャミンは、幹がねじれていないんだ』


 きっと、高沢は自分の姿をあの木に重ねていたのかもしれない。


 パッと見、幸せの象徴のように思え、その実、人の手が沢山入った存在。


 彼はもう、自由になれたのだろうか。


 もうあの時の心の傷が厚いかさぶたに覆われた今だからこそ願う。


 ――彼が幸せでありますように。




 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残り香 臣桜 @omisakura1228

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ