リアルな「死」を貴方に。

あんぽんタソ

リアルな「親子」を貴方に。

まえがき



終始、陰鬱です。

晴れやかな結末を期待している方は

拝読をお控え下さい。


それでも、「怖いもの」を見たい方は

どうぞお進み下さい。



――――――――――



 小窓から山の風が入り込み、ほのかに緑の香りが男の鼻腔を刺激した。


「ん……ハッ! 痛っ! あだだだっ!」


 男のこめかみは大きく腫れ上がり、左目を開こうとする度に激痛が走る。


 男は自らの体に違和感を覚えた。首から下が全く動かせない。なのに自分は直立の姿勢を取っていることがわかる。



 そして首の下全体に掛かる圧迫感が、頭部だけ地面から出して『埋められている』という自覚に変わった。



(そうだ……たしか洋二に殴られて……)



 村田洋二。45歳。

 この男の2番目の息子だ。


 男は村田康一。75歳。地元では有名な地主で、精神障害を患って働かなくなった次男を、『厄介なニート』として蔑んでいた。


 康一は限りなく地面に近い視点から、自分が今どこにいるのか、なぜ埋まっているのか考えていた。


「おおおい! 誰かー!」


 そこは小さな山小屋で、康一の所有する山の物置であることに気付く。

 たしか物が溢れて散乱していたはずだが、綺麗に片付けられて、土間の小屋には作業机と椅子しか置かれていないのが見えた。



ガラガラガラガラ



 小屋の引き戸が開かれると、いつもの黒いジャージを来た洋二が現れた。その表情は虚ろで、両手を力なくだらんとぶら下げて、のっそのっそと室内に入ってくる。


 洋二は壁のレトロなスイッチをオンにして、この部屋唯一の照明を点灯させた。


「洋二! 何してんだお前! なんだこれ!」


 洋二は康一には一瞥もくれずに作業机に置かれたアイスピックを手に取った。


 康一は悟った。洋二の右手に握られたそれが、武器にしか見えなかった。


「洋二! お前何考えてんだ! お父さんお前のことさっぱりわかんないぞ! それどうすんだ!」


 洋二は五月蝿い父親を迷惑そうに見遣ると、足早につかつかと『目標』へと進んだ。


「ば、馬鹿! お前! やめ――」


 洋二の目は大きく見開き、瞳孔は限りなく小さく、断固たる『決意』は、その少なくなった白髪を握って、それの頬を串刺しにした。


 それは左頬から右頬へと貫通し、意図せず舌も傷つけたことで康一は上手く喋れなくなった。


「あがががが! あひゃーー! ひょうじーーー!」


 アイスピックが刺さったまま、洋二は白髪頭を平手で叩きまくった。それは右手が真っ赤になるまで続き、いつしか康一の叫び声は小さくなっていた。


「はあ、はあ、はあ」

「よ、洋二……なんで……」


 康一の「なぜ」に洋二は激昂した。


「あ!? 舐めてんじゃねーよ! 下手に出てりゃ散々見下しやがって! 偉そうにしてんじゃねーよ!」




 洋二の導火線に火がついたのは、2週間前。


 康一は庭の手入れをしない洋二を叱った。


 洋二は25歳で庭付きの一戸建てを購入し、35歳で精神疾患を患うまでは、芝生の手入れや生垣の剪定など、よく働いていた。


 しかし、統合失調症になってからは、妄想、幻覚に苛まれ、ただ「生きている」だけで精一杯だった。


 時には「もう死ね」「自分の始末は自分でつけろ」「天国が待ってる」などという幻聴に強要され、自殺を図ったこともあった。


 幸い家族が発見し、既遂には至らなかったが、その時の康一の一言が、洋二には許せなかった。


「何やってんだお前」


 この言葉は洋二にとって、自分は「全く理解されていない」どころか、「理解しようとすらしていない」という親族からの突き放しであると確信させるものだった。


 その後も、洋二は入院や投薬により少しずつ症状を緩和していったが、時に原因不明の陽性症状に苛まれ、「家族に殺される」「テレビが自分の事を話題にしている」「近隣住民が監視している」など、とても仕事などできない状態が続いていた。


 康一に相談したこともあった。


「なんかあそこの家が監視カメラで俺んち撮ってんだよね」

「はあ? なんで?」

「いやわかんない。俺のこと監視してんだよ」


 この時点で、康一は洋二の陽性症状を病院に伝えるべきだった。場合によっては入院も視野に入れるべきだったのだ。


 しかし、康一はこれを軽く見ていた。「統合失調症」がどんなものなのか、調べた事もない康一は、その症状についての知識がなかったのだ。



 馬鹿な事を言っている。


 ただそう思っていた。



 そして庭の手入れなど、とてもやる気になれなかった洋二は、そこから始まった康一の陰湿な「嫌がらせ」に、遂に堪忍袋の緒が切れた。


 「無視」

 「生活費を渡さない」

 「庭の木を勝手に切る」


 無視はバツが悪くてたまたまだったのかもしれない。生活費についても、たまたま偶然、タイミングを逃していたのかもしれない。


 しかし、息子と一緒に植えた木を、根本から切り倒されたことが、洋二に全ての事象を「悪」と思わせる火種となって、彼の時限爆弾を作動させてしまった。




「洋二いい……助けてくれよおお……」


 遂に泣き始めた康一を尻目に、洋二は「殺せっ! 殺せっ!」というの声に合わせて作業机に向かった。


 洋二が斧を手に掴むと、観客の「いいぞ! もっとやれ!」の声が高まる。


 洋二は歓声に応えて手を挙げた。彼には大観衆が見えていた。指笛や手拍子、実況の声が響き渡る。


「洋二! やめろ! おま! 何考えて――」


ドガッ!


「いいぞーーー!!!」

「もう1発かませー!」

「あははは! 血吹き出してる!」

「真っ二つやん!」


ドガッ! ドガッ!


 洋二には康一の断末魔の悲鳴など聞こえていなかった。


「よーし! 最後の仕上げだ!」

「あと少し!」

「終わり良ければ全て良し!」


 洋二は言われるままに小屋の梁にロープを掛けた。椅子を持って来て上に乗る。


「ハングマンズノットだ!」

「覚えてるか?」

「早くやれ!」


 ロープの先端に輪っかを作ると、鼻息を荒くし、興奮した様子で首に掛けた。


 洋二は気付いていなかった。


 康一を手に掛けてから、一度も瞬きしていないことを。知らぬ間に涙を流していたことを。


「やーれ! やーれ!」

「今だ! 今すぐやれ!」

「この人殺し! 早く死ね!」




ガタンッ! ギシ……




 小屋の灯りはいつまでも消えることはなかった。


 それは1人の男の狂気。


 それに触れてしまった無知。


 誰かが気付いて、病院へ連れて行っていたら、結末は違っていたかもしれない。




 誰も気付かない。


 本人にしか聞こえていないのだから。







――――――――――――



あとがき



精神障害と、木を切り倒されたエピソードは実話です。

切り倒した父親は生きてますのでご安心下さい。


ご注意として、精神障がい者が皆「暴力的」と誤解されないようにして頂きたいです。


確かに暴力的な人もいます。

体験談ですが、入院中に男性の患者さんが、女性の看護師さんを思いっきり殴ったり。


被害に遭った看護師さんもお気の毒ですが、加害男性にも「恐怖」があったんだと思います。


想像してみて下さい。


夢に出てくるような怪物が、現実世界の目の前に現れるんです。

それは悲鳴を上げて逃げ出したくもなります。


ですが、他人にはただ「突然発狂して走り出した」ようにしか見えません。


そんな時は、そっと寄り添って「怖いもの見たの? 大丈夫?」って声を掛けてあげて下さい。


世の中の「理解されない人々」が、ひとりでも救われることを願っております。



あんぽんタソ


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リアルな「死」を貴方に。 あんぽんタソ @anpontaso

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