検閲書簡

氷雨ハレ

検閲書簡

 手に持った赤い蝋が垂れる。蝋は封筒の上に着地し、広がる。そこにスタンプを押せば完成だ。この作業を今日だけで後五十回、今週で五百回やると考えると気が滅入る。

 俺の名前はノア、町の郵便屋に勤務している普通の二十三歳だ。今年で郵便屋の仕事は八年目になる。

 俺がいる町「ニグロ」は、我らが祖国「コーロポトー」の首都から馬車で半日の所にある平和な所だ。結構大きな町で、人の往来もある栄えた場所だ。

 その一角、今にも飛び立ちそうな鳥の看板が目印の建物が、俺の職場「ブルーバード ニグロ支部」だ。

 俺の業務は九時に始まる。既に集められた郵便を確認し、封を付ける。それだけの簡単な仕事を十七時まで続ける。郵便屋の一般向け業務は基本的にこれだけだ。とても平和で退屈な仕事だ。だが、郵便屋には裏の顔がある。それも二つ……


 見てもらった方が早いだろう。手紙を開封し、中身を取り出す。出てきた一枚の紙を広げて机に置く。そこに特殊なライトを当てたり、表面を特殊な液体に浸したりする。そうするとたまに出てくるのだ。

【……五月三日にある国王陛下のパレードに爆弾テロを仕掛ける。詳しい内容はニグロ一丁目のバーでブラッディメアリーのレモン添えを頼めば分かる……】

 郵便屋の裏業務の一つ、それが「検閲」だ。たまに王室批判や国家転覆、テロなどの犯罪の手引きなどが手紙に書かれている。それを見つけ、報告し、歴史の闇に葬るのも郵便屋の仕事である。

 席から立ち上がり、タイプライターを叩いている同僚のエムザに声を掛ける。

「またテロの連絡だ。今月でこれを見るのも三回目だぞ。上に報告しておいてくれ」

「分かったわ。あ、そうそう。アベル君が教えて欲しい業務があるそうだから助けてあげてね」

「またかよ……こっちは今月で四回目だ。どうにかならんもんかねぇ」

「ウフフ、まあまあいいじゃない。可愛い後輩なんだから」

「はぁ……行ってくる」

「行ってらっしゃい!」

 エムザは郵便局一可愛い子で俺と八年の付き合いになる奴だ。郵便屋では資料整理や窓口を担当している。誰にでも優しく、他人の悪口を言わない。そんなもんだから郵便屋のみんなに好かれている。中には告白した人もいるとかいないとか。

 そしてアベル、俺の後輩でどうしようもないこいつは、俺と同じ郵便物をチェックする担当であり、同時に郵便屋のもう一つの業務の担当でもある。

「せんぱぁ~い! たすけてくださぁ~い!」

「泣くな、騒ぐな、くっつくな! ……で何の用だ」

「うっかり蝋を手紙に垂らしちゃいました!」

 蝋を手紙に垂らすこと。それは郵便屋がやってはいけないことの一つである。我々が使う蝋は、封に使うための特注品であり、一度付けると手紙に張り付いて取れなくなってしまう代物だ。中身を開けずに見ることが出来ないため、情報保護の観点では百点だが、その使いにくさは零点の代物だ。

「バカ! ……全く、お前って奴は。今薬品取ってくるから待ってろ」

「わぁ! そんな薬品が存在したんですね! もっと早く言ってくださいよ〜」

「お前……初めてじゃないな」

(ギクッ!)

「まさかまさか〜うっかり蝋を垂らして検閲処理ボックスに入れる訳ないじゃないですか〜」

 やれやれ、いつになってもアベルは嘘をつくのが下手だ。それは彼の欠点であり、同時に取り柄でもある。

「……取り敢えず薬品を取ってくる。くれぐれもその手紙を検閲処理ボックスに入れるんじゃないぞ」

「はーい……って、え!? なんで捨てたこと知ってるんですか!?」

 両手を耳に当て、聞こえないふりをする。本当に素直なバカだな。そう思いながら倉庫に向かう。その道中で所長に呼び止められた。

「ノア君、調子はどうだい?」

「最悪です。たった今、憎い後輩の尻拭いのために仕事が一つ増やされたところです」

「ほうほう、そうかい。それにしては楽しそうな顔をするんだね」

「……! きっ、気分転換に良いと思っただけです。それでは、失礼します」

「あー待って待って。君に渡したい物がある」

「渡したい物ですか?」

 そういって所長は二通の手紙を差し出した。

「こっちの手紙は君宛だ。『長年の友人』からだ。この手紙を君に検閲してほしいとのことだ」

「は、はぁ……では、ありがたく頂戴します」

「こっちは君の可愛い後輩君宛だ。重要な手紙だからしっかり渡すように」

「はい、分かりました」

「うむ、職務に戻ってよし」

「失礼します」

 そう言って所長は所長室へ帰っていった。アベル宛の手紙が目に入る。そこに付けられた蝋はいつもと違うものだった。それは青の蝋に背を向けた猫がこちらを見る模様、つまりは国、もしくはそれに匹敵する機関からの手紙だった。

 考え事をしながら薬品を探す。厳重に保管された箱の中に瓶はあった。一本だけ取り出し、鍵を閉め直し、アベルがいるところへ向かう。そこではアベルとエムザが談笑していた。

「あ! せんぱ〜い、遅かったですね! 早く薬品下さい!」

「遅くなったのはお前のせいだ。それに、薬品がなくとも他の仕事が出来ただろう」

「あはは、エムザ先輩と一緒にノア先輩の話をしていたら時間過ぎちゃって〜」

「エムザ、お前も同罪だからな」

「勿論、分かっているわ」

「アベル、薬、置いておくぞ。後、これもだ」

「先輩、もしかしてプレゼントですか?」

「違う。重要な手紙だ。受け取れ」

 俺はそう言って、さっき貰った手紙の束からアベルに渡す手紙を抜き取り渡した。

「ノア、そっちの手紙は何?」

「これか? まぁ、俺宛の手紙だ。全く、名前くらいちゃんと書いてくれよな」

「ちゃんと返事出してあげてね」

 俺とエムザが談笑している横で、アベルは乱暴に手紙の封を開け、中の便箋を穴が空くほどに見ていた。

「おいアベル、この蝋は高いんだぞ。中にラピスラズリを混ぜているから、売れば円銀貨五十枚から角金貨一枚はする…………」

「ィイィィィヤッタァァァァァッ!!」

「え?」

「どうしたの?」

 突然叫び出したアベルに俺たちは困惑した。普段の奇行より一段階心配になる奇行に、俺たちは開いた口が塞がらなくなってしまった。それに対してアベルは目を輝かせながら叫んだ。

「招集ですよ! 招集! 『クリーニング・オーダー』の招集ですよ!」


 国や郵便屋に仇なす組織というものは何時の時代にも存在した。現在、「民営郵便屋」「電信開発機構」「反郵便屋兵団」の三つが主な敵であり、『クリーニング・オーダー』の対象である。そう、「クリーニング・オーダー」は、国や郵便屋に仇なす組織を壊滅させる部隊のことだ。

「いや~俺の実力が認められたってことですかね~」

「クリーニング・オーダー」になる為にはいくつかの条件がある。体力、知力は当然のこと、機転が利くことや常に冷静でいられること、国や郵便屋への忠誠があることが求められる。冷静であるかどうかは疑問が残るが、アベルは俺たちよりも『クリーニング・オーダー』に適した人材であることは確かだった。

「マスター、ウイスキーフロート一杯」

「私はエンジェルキッスを一杯」

「俺はギムレット一杯!」

「駄目だアベル。お前には早すぎるし、明日は重要な仕事だろう。度数が強いんだ。二日酔いになってみろ。困るのはお前だぞ。……マスター、こいつにはライムジュースで頼む」

「そんなぁ……先輩、酷いですよぉ……」

「当然だ。少しは考えろ」

 俺とエムザ、アベルの三人は行きつけのバーに来ていた。ここのバーは国営のバーで、品ぞろえが良く、何より俺たちの仕事の話が出来る貴重な場所だった。

「今回の任務は『電信開発機構』のアジトの襲撃だ。きっと今朝のやつだろう。相変わらず仕事が早いな」

「国王陛下に忍び寄る魔の手を振り払うのがアベル君の仕事ですよ。頑張ってくださいね」

「は~い……あ、マスターお代わり~」

「クリーニング・オーダー」の仕事は早い。対象が逃げる前に片付けないといけない都合、その行動は迅速でないといけない。今回は明日の夜決行の予定だ。となると明日、アベルは郵便屋の業務を休むことになる。

「もしかして、後輩が休んで寂しいんですか?」

「う、うるさいな。マスター、俺にもお代わり」

「ノアは本当に分かりやすいですね~顔に出てますよ~」

「あ! それはそうと先輩! さっきの手紙何ですか? 先輩宛の手紙です!」

「ちゃんと行ってあげてね。差出人の為にもね」

 さっきの俺宛の手紙、その内容は、簡単に言うと待ち合わせの約束だった。二日後の夜、郵便屋から歩いて二十分の場所にある噴水で待っている、とのことだ。

「別にお前らが知る必要はないんだぞ」

「せんぱ〜い、もしかして逢引きですか〜?」

「は!? だ、断じて違う。そんなことはない」

「やっぱりアベル君の素直なところは先輩譲りなんだね〜」

「エムザ、お前……はぁ」

 俺は溜息をついた。グラスに残っていたウイスキーを飲み干し、マスターにお代わりを要求した。気がつけば、時計の針は頂点を指していた。

「それでは先輩! さよーならー!」

 そう言ってアベルは横道を駆けて行った。俺は簡単に手を振り、エムザは「気をつけてねー」と言った。

「悪いな、肩、借りることになっちまって」

「いいのいいの、日頃のお礼ってことで」

「そか、ありがとな」

 元気そうに駆けて行ったアベルと対照的に、俺はぐったりとしていた。酒の飲み過ぎだった。エムザの肩を借りて、俺はなんとか家に帰ることが出来た。

「今日はありがとな」

「ううん、気にしないで。明日、ちゃんと来てあげてね」

「分かった」

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 そう言って俺は、家の扉を閉じたのであった。


 翌日、二日酔いで少し頭が痛かったが、俺はちゃんと出社した。

「おはようございます」

 毎日しているように挨拶する。今日はまばらに挨拶が返ってくるだけだった。そうか、アベルが休みだったんだ。通りで寂しい挨拶になっているわけだ、そう思った。

「ノア君ノア君、ちょっといいかな?」

「どうしましたか所長。後輩の尻拭いはもう御免ですよ」

「ハハハハッ! ノア君、今日は後輩君が休みではないか。なのに後輩君の心配をするだなんて、余程後輩君のことが好きなんだね」

「しょ、所長、揶揄わないでください。それで要件は何ですか?」

「大好きな後輩君の分の仕事だ。君とエムザ君の二人で分担して貰おうと思っている。任せていいね?」

 そう所長が言うと、向こうの部屋でエムザがオーケーサインをしているのが分かった。どうやら、拒否権はないらしい。

「分かりました。受けます」

「では、よろしく頼むぞ」

 そう言って、所長は去っていった。

 その後、俺は無心に仕事をした。帰る頃になると、検閲許可ボックスには溢れるばかりの手紙が入っていた。それを提出し、外に出ると、もう七時になっていた。特に予定もないので、家に直帰し、本を読み、そして寝た。


 翌日もアベルは居なかった。というのも、「クリーニング・オーダー」の仕事は夜行われるので、作戦決行日の前後二日は休みになるそうだ。今頃、アベルはベッドで寝ているだろう。そう考えると、蝋を垂らし、スタンプを押す仕事をしている自分が惨めになって、腹立たしくなってきた。

 そんなことを受付のエムザと話していたら、郵便屋に一人の職員が駆け込んで来た。

「しょ、所長に連絡を!」

 そう言って、そいつは手紙を差し出して、そのまま地面に倒れた。

 俺は手紙を受け取り、その封を開けた。そこにはこう書かれてあった。

【「クリーニング・オーダー」任務失敗】

 俺はその手紙を読んだ。穴が開くほど読んだ。

 標的となるアジトに到着した一行は、アベルを先頭にして中に突入したらしい。中はもぬけの殻で、既に退散した後だったらしい。奥へ探索に行った一行は、標的が仕掛けた遠隔操作型のトラップに引っかかったらしい。その後、アジトに入った回収部隊が確認したのは、壁にこびりついた赤い蝋と、肉が焼けるような異臭だった。アベルやその一行はまだ見つかっていないらしい。

 俺は無意識の内に手紙をクシャクシャにしていた。所長に手紙を提出し、午後休をとることを伝えた。

 荷物をまとめている俺にエムザが話しかけてきた。

「何処へ行くの?」

「決まってるだろ。いつものバーだ。今日は一人で飲むつもりだ」

「今日の約束はどうするのよ」

「ああ、そのことだが」

 そう言って俺は封筒を取り出した。

「俺を待っている『長年の友人』とやらに渡しといてくれ。残念だが、行けそうにないってな」

「そう、分かったわ」

 そう言うと、エムザは封筒を受け取り、悲しそうな顔をして去っていった。

 俺は荷物を手に取り、足早にバーへ向かった。

 その日、俺がバーでどれほどの酒を飲んだか、どうやって家に帰ったかは覚えていないが、財布が軽くなったことだけははっきりと覚えている。


 翌日、俺は手紙を手に郵便屋に行った。その中身は辞表である。これを出せば、憎き郵便屋と後輩にオサラバってわけだ。

 着いてすぐ所長室に向かう。所長は快く中に入れてくれた。

「君の方から話があるだなんて珍しいね。用件はなんだい?」

 俺は辞表を差し出した。

「本日付けで辞めさせていただきます。八年間ありがとうございました」 

 所長は辞表を受け取り、中身を簡単に眺めた後、それを検閲処理ボックスに投げ捨てた。そこには、昨日、俺がエムザに渡した手紙があった。

「ノア君、本当に辞めるんだね?」

「はい、二言はありません」

「そうか」

 そう言って、所長は机の下に手を伸ばした。

「では、失礼します」

「待て、ノア君」

 所長に呼び止められて足が止まる。

「何でしょう?」

「辞めた後の君の処遇についてだが」

 遠くから足音が迫ってくる。誰か来る。

「実は法律で決まっていてね。君は——」

 扉が勢いよく開く。数名の兵隊が俺を中心に囲んできた。

「死刑だ。ノア君。残念ながら、ね。秘密を知ってしまった以上、仕方ないことだ」

「待ってくださ——」

 その瞬間、頭に激痛が走り、俺は地面に伏せることになった。

 俺の記憶はそこで終わった。


 大きな麻袋が、台車に乗って運ばれていく。

「何かあったんですか?」

 と、私は所長に尋ねました。

「ああ、建物を齧る鼠が出てね。それの駆除をしたんだ。あの備品はもう使い物にならないから捨てに行くんだよ。そうそう、君の同僚のノア君だが、今日付けで辞めるそうだ」

「え?」

「まあ、あんなことがあった後だ。辞めるのも仕方ないだろう。君はどうだい? 辞めるのかい?」

「私は……まだここで働きます」

「そうか、頑張りたまえ」

「はい」

 その日以来、彼に会うことはありませんでした。それでも、彼からの返事を求めて、手紙を送ったり噴水で待っていたりします。

 そして、彼が土に伏せていることや、手紙が検閲処理ボックスに入れられていることを、私は知る由もないでしょう。

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