第14話 魅了の術

「よく来てくれた八重樫くん、それに七海くん。こんな朝早くからすまないね」


 俺とエルザを待っていたのは、理事長室の大きな長机の上で両手を組むメロウ様、そしてその傍らに立つ理事長秘書のヨエル様。


「七海くんはまだ病み上がりだと聞く。身体はもう大丈夫なのかい?」

「ご心配には及びません。八重樫君のお父様……ではなく、小鳥遊医師による治療のおかげで傷は塞がっているので」


 二日前の傷なんて物ともしないのか、俺と同じく夏服姿のエルザは向かいのソファで平然と座っている。


「小鳥遊医師……ああ、紅葉医院の彼か。なるほど確かに、彼の『縫合の祝福』にかかれば不可能ではない」

「メロウ様。俺の親父のことも知ってるんですか?」


 学園理事長相手に思わず無作法に聞いてしまったものの、メロウ様は何てことないように首を縦に振る。


「もちろん。彼は仕事柄紅の国を飛び回っているからね。直接の面識はないが、ワタシも活躍は常々耳にしているよ」

「ああ、なるほど」


 メロウ様の言う通り、普段から親父は訪問診療のために古今東西へ出かけている。エルザの怪我を見ることが出来たのも、親父がスクーターで八十八番地区に駆けつけてくれたおかげだった。


「彼の武勇伝についてはワタシも知っているが、その話はまた今度にしよう。それよりも、今は君たちに賛辞の言葉を贈らなくては」

「……?」


 メロウ様とヨエル様はまるで示し合わせていたかのように、ソファに座る俺達へ向けて頭を下げる。


「おめでとう二人とも。キミ達の活躍のおかげで、紅の国を脅かす強大な悪魔は見事打ち倒された」

「そんな、お礼だなんて。あたしはただ普段通りに任務をこなしただけですよ」


 エルザの頬はほんの少し赤く染まり、メロウ様からの賛辞を丁寧に受け取っている様子だ。


「…………」


 その様が猫を被っているように見えるのは、無邪気に笑うこいつの姿を知っているせいだろうか。


「……あ、そうだった」

「八重樫くん?」


 猫被りエルザが真向かいに座っているおかげ、メロウ様に聞こうと思っていた質問の内容を改めて思い出す。


「メロウ様、そのアスモデウスについてなんですが」

「うん? なんだい、八重樫くん」


 メロウ様は下げていた頭を上げ、俺の話へ耳を傾ける。


「信じられないかもしれませんが、八十八番地区の人々は皆アスモデウスについて知らない様子でした。事件の前から既に何人も犠牲になっていたのに、警察さえアスモデウスの存在に気づかなかったみたいで」

「そう、八重樫君もだったのね」

「エルザも?」


 やはりエルザも、八十八番地区に蔓延っていた異常に気づいていたらしい。


「八重樫君の言った通り、八十八番地区に居た人は全員悪魔に纏わる噂さえ認知していませんでした。それこそ、存在そのものを綺麗さっぱり忘れてしまったかのように」

「忘れていた、か。いい所を突くね、七海くん」

「え?」


 呆気に取られているエルザに、メロウ様の赤く真っすぐな瞳が向く。


「事件の後、警察は八十八番地区で僅かに生き残った人々の精神状態を調べたそうだ。キミ達以外にも、八十八番地区の異質さに気付いた人は大勢いたからね。そして調査の結果、アスモデウスが持っていたとある特性が明らかになったんだ」

「特性、ですか?」


 衝動的な好奇心に突き動かされ、ソファに腰掛けている身体が前のめりになる。


「ああ、それは言うなれば魅了の術。人々の精神を操ることはもちろんのこと、祝福の力さえ操ることも出来たらしい」

「……それって」


 『魅了の術』という言葉の意味を理解した途端、アスモデウスが炎を意のままに操っていた姿が自然と脳裏を過る。


「皆の記憶を操ったばかりか、祝福の炎さえも操っていたってことですか⁉」

「ああ、その通りだ。それ程までに強大な能力があったことを鑑みるに、アスモデウスの実力はS級相当と言っても過言ではなかっただろうね」

「……S級」


 最高位の脅威を現すS級悪魔となると、同じく最上の階級であるS級の殺し屋でさえようやく討伐できる程の存在だ。場合によっては対S級悪魔の為に編成された警察組織、『パワーズ部隊』の出動もあり得る事態になる。


「あの時言葉を発したのも、それほど強力な悪魔だったから……?」

「言葉? 八重樫君、それってどういうこと?」

「む……」


 独り言が聞こえていたらしく、エルザの注目はメロウ様から俺へ向けられる。


「エルザも聞いていたはずだ。あいつが死に際呟いていた、『これが死か』という言葉を」

「いや、あたしには何も聞こえなかったわよ」

「え、そうなのか?」

「ええ。実際アスモデウスが何か口にしていたとしても、そもそも耳に届いてすらなかったと思うわ。あの時のあたし、怪我のせいで結構意識が朦朧としていたから」

「……ああ、成程」


 思い返せば確かに、アスモデウスの声は耳を澄ませてようやく聞こえる程度だった。


「……本来、悪魔が人の言葉を発することはないはずだが。八重樫くん、本当にアスモデウスはそのような言葉を口にしたんだね?」

「はい、間違いなく」

「ふむ、そうか。ヨエル、少しこちらに来なさい」

「はい、メロウ様」


 メロウ様はヨエル様を手招きすると、近づいてきた横顔に小さな声で耳打ちをする。


「……かしこまりました」


 ヨエル様は俺とエルザには届かない言葉に小さく頷くと、そのまま足早に理事長室から去っていった。

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