第12話 弱さ

「あ、悪魔だ‼」


 周囲の人々も上空に佇む悪魔の姿に気付き、俺のすぐ近くで次々と臨戦態勢が整えられていく。


「そんな、どうして八十八番地区に悪魔が⁉」

「天使様の結界は一体どうしたんだ⁉」


 天使と一部の人間だけは逃げ惑っているものの、大多数の人々は自らの武器を手に取って臆することなく悪魔へ立ち向かっている。彼らは天使から授かった祝福を振るい悪魔と戦う者、この世界で最も人口が多い職業と言われている殺し屋達だ。


「みんな、武器を手に取れ‼」


 ある者は、周囲の空気を凍らせる程の冷気を纏った長槍を手に。


「警官を一瞬で殺すなんて、まさかA級か⁉」


 またある者は、おどろおどろしい紫色の粘液に塗れた斧を握りしめ。


「殺せ‼ 悪魔は皆殺しだ‼」


 およそ二十人以上の殺し屋達は各々の武器を構え、我先に上空にいるアスモデウスへ建物伝いに飛び掛かる。


「喰らえ、悪魔! 私の祝福、『業火の祝福』により塵と化せ‼」


 ナップサックから大剣を取り出したスーツ姿の男性は、剣先に燃え盛る程の炎を纏わせいの一番にアスモデウスへ切りかかる。


「……っ!」


 牛顔の悪魔は炎に飲み込まれ、地上にまでそのヒリヒリとした熱が伝わってくる。祝福の強烈さと身のこなしの軽やかさを見るに、男性の階級がB級以上であることは確実だろう。


「お、おい、あれ……!」

「……?」


 近くに立つ金髪の男性が指差す先には、火だるまとなった悪魔に襲い掛かる殺し屋達の群れがある。誰がどう見ても優勢な状況下、アスモデウスを纏っていた炎は突然その黒色の表皮を次々と滑り落ちていく。


「炎を……操っているのか?」


 そうとしか思えない程に動き回る炎は、今も鉤爪に突き刺さっている警官の死骸一点へ集まっていく。


「……! 皆、伏せろ‼」


 誰かが口にした言葉の意味を理解するまでもなく、アスモデウスは燃え盛る警官の死体から鉤爪を引き抜く。

 一斉に、死体そのものを中心とした周囲一帯に炎を纏う熱風が吹き荒れた。


「……っ!」


 地上にいる俺にまで、立っていられなくなる程の衝撃と熱の嵐が届く。アスモデウスを取り囲んでいた人間達は燃え盛り、炎に覆われた肉の山は真っ赤な雨となって地上へ降り注ぐ。


「あ、熱……っ‼」


 炎は意志を持っているかのように蠢き出し、何もかもを燃やし尽くすばかりの波となって街中を覆い尽くしていく。先程までの喧騒とは打って変わり、目の前の繁華街は辺り一面炎の海と化していた。


「き、来たぞ! 悪魔だ!」

「……!」


 アスモデウスは地上に降り立ち、手と同じく鉤爪型の足を踏みしめて襲い掛かってくる。


「こ、この……」


 振り上げた鉤爪の斬撃が目の前にまで迫り、致死量の攻撃をいなす為にも不死のナイフを振るう。


「くっ……!」


 しかし不死のナイフは悪魔の胴体に掠りもせず、反発しあう磁石のように不自然な軌道を描いて鉤爪を避けてしまう。寸での所で身体を翻したものの、鉤爪の先はそのまま頬の表皮を削り取るまでに至った。


「あ、ああああっ‼ 死ね、悪魔っ‼」


 金髪の男性は破れかぶれに叫び、紫色の毒々しい液体を纏った斧を振りかぶる。


「死ね、死ね、死……あ」


 しかしアスモデウスは軽々と、振るわれた毒の斧を片手で受け止める。周囲の炎はアスモデウスの下に集まり、鉤爪で掴んだ斧を伝って金髪の男性へ燃え移っていく。


「あ、熱い、熱い、熱い……‼」


 男性が藻掻いて炎を消そうにも、悪魔が操る炎が彼そのものを喰い尽くそうとして離れない。


「や、やめろ……!」


 必死に声を絞り出しても炎が消えることはなく、掴み上げた男性を糧として向かい入れる牡牛の大口が無情にも開かれる。


「……!」


 男性を炎ごと呑み込み、悪魔の鋭く尖った牙が何度も咀嚼をする。地面に落ちた斧には口元から滴り落ちる血の雫が注がれ、耳を塞ぎたくなる音の裏で持ち主を失った斧は霧散して消えていく。


「あ、ああ……」


 生き残りがいないか周囲を見渡しても、繁華街の路地で立っているのは最早俺だけ。数えきれない程に溢れた死の数々が、物の数秒の内に俺のすぐ傍を過ぎ去っていく。


「……お父さん、お母さん」


 おぞましい程の寒気がする惨状の最中、かつて失われた命の記憶が蘇る。襲い来る悪魔を倒そうと死んだ人、まだ非力な子供だった俺を守ろうと死んだ人、どうしようもない状況に絶望して自ら命を絶った人。


 悪魔は容赦なく死の呪いをばら撒き、人間は俺だけを残して全員死んでしまった。


「……ああ、似てるなあ。あの時と」


 過去と現在、二つの地獄がぴったりと重なり合う。異なる点を挙げるとすれば、異形の悪魔が掲げる鉤爪が今度は俺の命を狙っていることぐらいだった。


「……フ、ハハハ」


 どうせなら炎を操ればいいのに、非力な俺には爪だけで充分ということだろうか。


「……まあ、何でもいいか」


 アスモデウスがこれから何をしようが、待ち受けている結末は決まりきっている。ナイフを握る手には力さえ入らず、代わりに思い浮かべたのは何もかもが無意味に帰す単純な言葉。


「俺は、死」




「八重樫君‼」


 いやに聞き覚えのある声と連れ立って、見慣れた女の人影が眼前を過る。


「え……?」


 人影の手が握りしめているのは、これまで数多の悪魔を屠ってきた死の呪い。

 しかしその矛先は力なく項垂れており、その原因として人影の背中には悪魔の鉤爪が深々と突き刺さっていた。


「……よ、良かった。間に合った、みたいね……」


 エルザは口元から血を零しながら、庇った俺の無事を確かめて安堵の息を漏らしている。


「……どうして」


しかしそんな彼女を前にして、口から衝いて出たのは純粋な疑問の言葉だった。


「――どうして俺を庇うんだよ、エルザ⁉」

「……だって」


 周囲で燃え盛るのは炎の海と化した繁華街、背後には強大なA級悪魔。絶望的な状況の下、盾となった殺し屋は徒に微笑む。


「あんたが天使様を追う本当の理由、まだ教えてもらって、ないから」


 エルザの手元から力なく、銀色に輝くハルバードが滑り落ちる。


「エ、エルザ……」


 周囲で蠢く炎の波は悪魔の身体を覆い尽くし、鉤爪を伝ってエルザへ炎の熱が燃え移る。


「あ、あああああっ……」


 学園最強の殺し屋が、俺の命を庇った同級生の身体が燃えていく。強者であるはずの彼女が、弱り切った悲鳴と共に惨たらしい最期を迎えようとしている。


「…………」


 俺の大嫌いな死を振るう少女、七海エルザ。彼女は俺の忌むべき宿敵で


「……なわけが」


 殺し屋としてのランクさえも天と地程の差がある、俺とは何もかもが違う存在


「そんななわけが、無いだろ‼」


 見捨てることなんて絶対に出来ない、エルザの誰よりも人間らしい『弱さ』の側面。これまで何度も目にしてきた風前の灯火が、握りしめた不死のナイフに白く輝く淡い光を灯す。


「俺はもう、誰も死なせたくないんだよ‼」


 爆発した衝動に身を任せて、手にした切っ先をアスモデウス目掛けて突き出した。


「八重樫、君?」

「……さ、刺さった」


 本来は悪魔どころか人間にさえ傷を付けられない、学園の生徒達からは忌み嫌われている不死のナイフ。当たらずの刃先は標的の悪魔ではなく、激しい炎に身を焦がすエルザの腹部へ浸透するように突き刺さっていた。


「これって……」


 ナイフが刺さった場所を発端として、エルザの全身を覆っていた炎が瞬きの内に引いていく。まるで耐火性そのものが備わったかのように、アスモデウスから流れる炎はエルザの身体で打ち止めになる。


「エルザ!」


 炎が引いた身体からナイフを引き抜き、地面に横たわっていた死のハルバードを持ち主へ投げ渡す。


「もう、無茶させるんだから……!」


 エルザが前のめりに身体を動かしたことにより、突き刺さった鉤爪はエルザの背中から引き抜かれる。


「……!」


 異変に気付いたアスモデウスが再び腕を振ろうにも、エルザの手に戻った銀色の凶器はただの金属の塊から、『死の祝福』を宿す武器となって異形の悪魔へ牙を向く。


「あたしに傷を付けた代償、高く付くわよ……!」


 重傷を負っても尚エルザの腕捌きに衰えは見当たらず、『死』を宿した純粋な暴力は斬撃となってアスモデウスへ落ちていく。


「……ガ」


 自らを守ろうと掲げた鉤爪は切り落とされ、斬撃の道筋は胸元に当たる黒色の表皮に赤色の轍を作り上げた。


「……コレガ、死カ」

「え?」


 ハルバードが空を切る音に混ざって、合成音声を彷彿とさせるどこか機械的な低い声が聞こえる。その発生源は間違いなく、死を抱え倒れ込むアスモデウスの口から発せられていた。


「……何とか、なったわね」


 アスモデウスの活動が停止したと同時に、エルザもハルバードを手にしたままその場で倒れ込む。


「……! エルザ!」


 エルザに駆け寄り華奢な身体を抱えると、背中から流れ出す血液が俺の手を濡らす。刺してしまったエルザの腹部へ目をやると、血痕や傷跡どころか制服に空いたはずの穴さえ見当たらなくなっていた。


「……不思議ね、あなたのナイフ。お腹を刺されたのに、嘘みたいに無くなって……」

「そうだとしても、背中の傷がまだ……」

「……そんな顔しなくても、大丈夫よ。心臓まで、鉤爪は届かなかったみたいだから」

「いや、それでも十分重傷だろ!」


 今すぐエルザを病院に連れて行くために、ハルバードごとその身体を抱え上げようとする。


「あ、あれ……?」


 しかし慣れない祝福の行使による疲労のせいか、今の腕力ではエルザを持ち上げることさえままならない。


「……八重樫君」

「ん?」


 一先ず応急処置の為にも路地の上へ横たわせると、エルザは静かに俺へ声をかけてくる。


「……あなた。自分の祝福にあんな効果があったなんて、知らなかったんでしょ?」

「そ、それは」

「……嘘を吐こうとしても無駄よ。さっきも言ったけど、あたしって人の嘘には敏感だから」

「……まあ、そうだな」


 エルザに嘘が通用しないことぐらい、隠していた秘密がいち早く感づかれた時から既に分かりきっている。


「お前の言う通りだ。炎を消すどころか、俺以外の人間にナイフが刺さるなんて思ってもいなかった」

「……全く、自分の能力すら把握せずに、悪魔と戦おうとしていたなんて。無謀もいいところだわ」

「……すまない」

「……良いわよ、別に謝らなくても」


 消えない炎に包まれた繁華街の下、路上に座り込む俺達の間に気まずい沈黙が流れる。


「……謝るのは、こんな危険地帯で八重樫君を一人にしたあたしよ」

「いや、お前の隠し事を無理に暴こうとした俺だろ」

「それなら、あたしだって」

「……何だか埒が明かないな」

「……そうね。あたしも今そう思ってたところ」


 エルザは上半身だけを起き上がらせて、自らの青い瞳を隣に居座る俺へ向けてくる。


「ここはひとまず、互いに隠し事は無しにしましょうか」

「そうだな。それがいい」


 騒ぎを聞きつけた人間や天使が徐々に繁華街に集まり、祝福による消火や救助活動、倒壊した建物の再建作業等が始まりつつある。


「本当は口止めされているんだけど、あたしを助けてくれたお礼ってことで」


 周囲を流れる慌ただしい時間の中で、エルザとの間には長閑と静寂に包まれた時間が流れている。


「さっき話した銀髪の天使様の名前はミカ。あたしに死の祝福を授けた上位天使よ」

「ミカ……」


 上位天使、メロウ様のような両翼持ちの天使のことだ。世界に一億人以上存在する天使の約三割を占め、一般的な天使が持つ祝福よりも高度な力を宿していると言われている。


「その天使様は、漆黒の天使について知っていたか?」

「いいえ。これまで何度か言葉を交わしたけど、それらしい天使様の話は聞いたことがないわ」

「そうか……」


 エルザの口ぶりに嘘を吐いている様子は見当たらず、どうやらそのミカという天使は本当に先生と無関係らしい。


「それじゃあ教えてもらいましょうか。八重樫君が漆黒の天使様を追っている本当の理由を」

「……分かったよ」


 エルザが自身の隠し事を話してくれた以上、俺一人だけ話さないわけにはいかない。


「…………」


 精一杯の覚悟を決めて、昔から抱いているありのままの心持ちをエルザだけに伝える。


「……好きだって、伝えるためだ」

「はい?」


 家族にさえ隠している秘密を口にすると、エルザは呆気に取られたかのように何度も瞬きをする。


「……もしかして、告白したいってこと? 八重樫君が、漆黒の天使様に?」

「ああ、そうだよ。悪いかよ、人間が天使様に好意を持っちゃ」

「……は」


 重苦しい顔つきから一転して、エルザの表情は途端に軽々しく緩みきっていく。


「あは、あははははは‼」

「な……⁉」


 エルザの口から衝いて出たのは、とても優等生らしくない子供らしさ全開の大笑い。


「あー、色々変に勘ぐったあたしが馬鹿みたいだわ! そうよ、あんたってまだまだお子様の中学生じゃない!」

「……!」


 エルザは腹を抱えて笑い続け、一方の俺の顔面では赤い熱が巡り続けている。


「お……お前だって、俺と同じ中学生だろうが‼」


 エルザが笑い止めば羞恥の熱は収まってくれるのか、それとも街の炎が鎮火された後も性懲りなく居残り続けるのか。

 たくさんの祝福に満ち溢れた街の中、エルザの無邪気な笑顔はすぐ傍でいつまでも芽吹き続けていた。

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