生蓮(運命からの愛)

桃園涼明

第一章 心一感情の9/10=

第1話 感情移植実験

「心の中に、空虚な何かがいるんですが、それでもドナーになれるんでしょうか」


 様々なテクノロジーが全てを飲み込む勢いで拡がる世界で、心の世界は最も近くにありながら地図にも描かれない、知る人ぞ知るフロンティアであると言っていい。


 そんな中で感情を移植するという試みは危険の伴う挑戦だ。


 今の時代はそういった大博打に出なければならないほど、みんな心に飢えている。


 その分もらえる報酬は多くなるわけだ。


 私はお金に飢えていた。


 春から大学生になる私は、一人暮らしのライフラインが整い、授業が始まるまでの完全に無重力な期間に、感情移植のドナーになる決断をした。


 研究機関に連絡すると、後日すぐに決行となった。


 そういうわけで、パステルカラーな空気の晴れた日に、研究施設特有の善か悪か判別不可能なにおいの漂う部屋の一角で、机と平行に向かい合って聞き取りを受けていた。


「それは誰しも抱えているものなので、それに引きずられて悲観的になっていなければ問題ありません」


 事前に受けたアンケートを基に、質疑応答が行われた。


 中でも、家族を含めて精神疾患を所有しているか、性格と心の状態について、犯罪歴の有無については注意深く聞かれた。


 犯人だと決めてかかる警察の取り調べのようだったが、移植するのだから当然のことだろう。


 私がドナーになり得る被験者だとわかったのか、医師は大まかに今回の実験の概要を話してくれた。


「全体像としては、感情のエネルギーを波の形で機械が取り出し、そのままレシピエントの心に送る、というものになります。まず、眠ることによって精神的に無防備な状態にし、特殊な夢を見せることで感情に波を起こし、それを機械が取り込み、同じく眠っているレシピエントに送り込む形になります」


「なるほど……」


「そうすることで、感情が正常に働かなくなった人に正常な感情が送り込まれ、健康的なサイクルを作り出していくことができます」


 最小限の動きと声量と言葉で説明するのは、相手のわからないという不安を鮮明にさせないためだろう。


 どうであれ最後は不安なまま権威に全身を預けることになるので、深くは突っ込まないで相槌に終始した。


「目が覚めた後ですが、しばらく喪失感に襲われることになります。それでも先人の言い伝えの通り、時間が経てば回復しますのでご安心ください」


「わかりました」


 突如針で刺したようにチクっと恐怖を与えられたが、控えめな勇者の返事ができた。


 それは感情を喪失するというのも報酬の一つだからだ。


 私は今まで、空虚な何かによって、心の中にいつも空洞があるような感覚を抱きながら生きてきた。そのせいで苦労したことが何度もあった。


 なので、感情を喪失するついでに、その空洞も一緒に喪失すればと考えたのである。


 実験は夜に行われる。実験用の睡眠薬を投与されるが、自然な眠りを作り出せる夜に決行するのが良いらしい。


 何かが起こるのはいつも夜と決まっている。そう思うことで恐怖を先回りして封じ、先ほどとは別の医師に案内されて装置のある部屋に入った。


 全身改造すらできそうな大袈裟な機械が出てくるのかと思いきや、意外にも、出てきたのは病室風の一人部屋に、枕元の壁から生えたコードが頭の頂点に繋がった、柔らかそうな全身真夜中色のスーツだけだった。


「これを着て眠ってもらいます」


「頭の部分だけでは駄目なんですか?」


 面食らったため、抜け殻のような声でずれた事を聞いてしまった。聞くべきはそこではない。


「エネルギーは全身から発せられるので、これが現段階で最も無駄を省いた状態です」


「こんな布みたいなもので大丈夫なんですか?」


「はい。大丈夫です」


「コードはどこに繋がっているんでしょうか?」


「隣の部屋で眠っているレシピエントに繋がっています」


「同時に寝るんですか?」


「はい。感情は保存できないので、直接レシピエントに送り込みます」


 バッテリーみたいなものに保存されるのかと思いきや、電話機のようなシステムだった。


 医師は、私がスーツを着用して睡眠薬を服用したのを確認したら、部屋を出て行った。


 最初の医師と比べてやけにくもりの晴れた顔だったから、これから夜通し起きて実験に立ち会うために、先に寝ていたのだろう。


 安眠に必要なものは持ってくるようにと指示があったので、家から連れてきた、電池が切れて音の出ない羊のぬいぐるみを脇に置き、胸の所で止まっていたファスナーを頭まで上げ、眠りについた。

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