皐月のレンズ

ビリーT

1

「――だから、この部は廃部が決定されてるのよ!」


わたしが写真部の部室の前に来た時、その声は聞こえた。


「またまたそんな事言ってー。何とかしてくれるんじゃないの?」


室内で二人が言い合いをしているようだ。


「……おっと、そんな事よりお客さんだよ。そこの君、入って良いよ」


たぶんわたしの事を言っているのだろう。

わたしはおずおずと室内に入る。

そこには、椅子に座った先輩――先程声を掛けた人だろう――と、腕組みして立っている「生徒会」の腕章を付けた先輩がいた。


「ちょっと清子せいこ、話はまだ終わってないんだけど!」

「そんな事より、君。もしかして入部希望者? だったら歓迎だよ。美音みね君、もう帰ってくれないかな」

「……分かったわ。さっき言った事は決定事項だからね! 達成できなかったら廃部なんだから!」


美音と呼ばれた生徒会の先輩は諦めたように部屋を出て行った。


「さて、君。本当に入部希望者なのかな? 僕はこの写真部の部長を務める西新清子さ。さあ、この入部届にサインを」


どこからともなく取り出した入部届が私の前に置かれる。


「あの、わたしこのカメラしか持って無いんですけど、入部しても良いのですか?」


わたしは学生鞄からデジカメ――いわゆるコンデジと呼ばれるカメラ――を取り出して清子先輩に見せる。


「だいじょーぶ。写真は機材が全てじゃないからね。撮る者の気持ち次第さ」


どうやら問題無いらしい。私は素直に入部届にサインした。


「OK。これで君も我が写真部の部員だ! 改めてよろしく。百道皐月さつき君?」

「はい、よろしくお願いします、西新先輩」

「清子で良いよ。そんな体育会系じゃあるまいし」

「じ、じゃあ清子先輩で。ど、どうぞよろしくお願いします」

「よろしい。では我が部が置かれた状況を説明しよう。その前に……アフタヌーンティと洒落込もうじゃないか」


このどこか飄々とした先輩は、手際よく準備を始めた。

背は高くない。わたしが156cmだから、150cm位か。見事な黒髪は左右でまとめられていて、いわゆるツインテールと呼ばれる髪型だ。全体的に痩せている印象を受ける。

先程言い合いをしていた美音と言われていた先輩と対照的だ。美音先輩は160cm以上あり、髪はストレート。全体的に豊かな体格をしていた。

ひるがえってわたしは普通。出ているわけでもなく、引っ込んでいるわけでもない。特徴の無いボブヘア。

そう、わたし百道皐月は、ごく普通の写真好きな女子高生である。


「お茶菓子切らしててねー。あ、ミルクと砂糖はどうする?」


清子先輩がティーセットの乗った盆をもってやって来た。


「ミルクと砂糖二個でお願いします……」


清子先輩はミルクのみだ。


「さて、紅茶を楽しみながら聞いて欲しい。我が写真部は部員数が定数を割っていた事に加えて、活動実績がないと言う理由で生徒会から廃部を通告された。実際、皐月君が来てくれるまで僕しか部員がいなかったからね。さっき来ていた美音君――ああ、彼女は僕の古い友人でね――が言うには、5月に開かれる市の高校生写真コンテストに応募し、入選する事が廃部を免れる条件らしい。僕一人ではいささか大変に思っていたところだが……皐月君が来てくれて助かった」

「え……。いきなりそんな重大な役目を……」

「僕は受験の準備もあってね。なかなか時間が取れないと思っていたんだ。渡りに船とはこう言う事さ」

「で、でもわたしなんかが……」

「大丈夫、写真はパッションが大事だから。どんどんやってちょうだい。現像は手伝ってあげるから。PCは部室にあるし、アプリも正規に購入したライセンスがあるからね」


えっへんとばかりに胸を反らす清子先輩。


「あの……わたし現像はやったことなくて……PCは父のものを触っていたのでなんとなく分かるのですが」

「そっかー。じゃあ、手取り足取り教えてあげよう。これは楽しみだな!」


指をわきわきとさせる清子先輩。身の危険が……。


「それじゃ、そこのPCの前に座って。アプリは分かるよね? 試しに君の写真を現像してみよう。SDカードをPCに挿してみて」


わたしは言われたとおりにデジカメからSDカードを取り出した。指示されたカードリーダーに挿す。

自動的にSDカードの中身がPC上に表示された。


「それじゃ、皐月君のイチオシを選んでくれるかい?」

「わ、わたしはこの踏切の写真が良いと思うんですが……」

「そうか、分かった。この夕方の踏切の写真だね。じゃあ、写真をマウスでダブルクリックしてみて。アプリが開くから」


言われたとおりに操作する。写真を加工するときはこれだ! と言う定番のアプリが起動する。


「まずはトーンの補正からだ。こうやってね……」


清子先輩の知識は確かなものだ。指示通り操作していくと、わたしの写真は見違えるように映えるようになった。


「凄いです! もっと教えてください!」

「良いよ、次の写真はどれにする?」


それから日が暮れるまで、わたしたちは現像に熱中していた。

気がついたのは全員下校の放送があったときだ。

名残惜しいけれど、わたしは清子先輩にさよならの挨拶をして下校する。

明日からも楽しみだ。


               ◇ ◇ ◇


それからわたしは撮影を繰り返した。主に風景を。しかし、どうしてもこれと言った仕上がりにならない。

現像を清子先輩に手伝ってもらっているが、それでもしっくりこないのだ。

季節は春から初夏へ。ゴールデンウィークも過ぎ、写真コンテストの〆切が近づいてきた。

わたしはすっかり自信をなくし、写真を撮ることを止めようかとも思うようになる。

機材が悪いのではないか、もっと良いカメラを使えば良い仕上がりになるのではないか。

しかし、わたしの家はそこまで裕福ではない。一眼を買ってもらうのは無理だ。

ゴールデンウィーク明けに、わたしは清子先輩に切り出した。


「わたしに写真を撮るのは無理です……。部活も辞めたいと思います」


部室で勉強をしていた清子先輩は、持っていたシャープペンシルを取り落とした。

明らかに動揺しているのが見て取れる。


「ど、どうしたんだい急に。僕が何か悪い事をしたのなら謝るよ? 理由を聞かせてもらえないかな」

「わたしには素晴らしい写真を撮る事なんて無理なんです。4月もゴールデンウィークも沢山写真を撮りました。でも、どれもいまひとつなんです。清子先輩にもたくさん現像してもらいましたよね? わたしの腕なんて大した事ないんです。とてもコンテストで入選なんか無理です……」

「そうか……僕はいい線行ってると思うんだけどね……。皐月君、退部が君の決断なら僕に引き留める権利はない。入部早々責任の重いことを押しつけたのはとても済まないと思っている。本来、写真撮影はもっと気楽に楽しむものだ。もし部活を辞めても、写真を撮ることを止めて欲しくはないかな」

「でも、もう何百枚も撮ったんです……。それでもしっくりこないのはどうしようもありません……」

「……もし良ければ、最後に一つだけ僕の頼みを聞いてほしい。学校の裏山の神社は分かるよね? 明日の朝5時に境内で待っていてくれないかな。もちろん、そのカメラを持って」

「分かりました……これが最後ですよ……」

「幸い明日は晴れの予報だ。楽しみにしていると良い」


その日は、わたしは清子先輩を置いてそのまま帰った。


               ◇ ◇ ◇


翌日の早朝。わたしは清子先輩との約束通り、神社の境内に向かった。

到着すると、既に清子先輩が待ち受けていた。先輩にしては珍しく真剣な表情だ。


「おはよう、皐月君。約束通りに来てくれたね。素直でよろしい。……僕はもう来ないかもしれないと心配していたんだ」

「約束、ですから。約束は守るよう子供の頃から言われています」

「そっか。じゃあ、約束を守った君にご褒美だ。ほら、こっちに来たまえ」


清子先輩は歩き出す。

夜も明けきれない時間帯だ。わたしは先輩を追いかける。

程無くして目的地に着いたようだ。


「さあ、ここからの風景を見るんだ。そして……思うままに撮ってみなさい」


そこには街が一望できる風景が広がっていた。そして、丁度日が昇り始めてきた。

今しかない……。わたしは無心でシャッターを切る。

気がついた頃には既に日が昇りきっていた。これ以上は逆光になるから撮影は無理。


「どうだい? 最高の風景だろう? 僕のとっておきさ」


わたしは無言でうなずいた。


「さあ、学校に行って現像しよう。そしてその写真をコンテストに出すんだ。きっと入選間違い無しだ!」


それからわたしは無我夢中だったと思う。気がついたら部室で清子先輩にさっき撮った写真を現像してもらっていた。


「良し! 最高の一枚が出来たぞ! このままコンテストに投稿しよう。結果はきっと付いてくるさ。だって僕のとっておきの場所なんだから。もちろん皐月君の腕もね。……もう部活を辞めるなんて言わないよね?」

「はい、清子先輩! たとえ結果が出なくても続けていきたいです」

「よろしい。後は結果待ちだね。大丈夫、きっと大丈夫さ!」


                 ◇ ◇ ◇


それから二週間が過ぎた。

わたしは毎日写真部の部室で撮ってきた写真を現像したり、清子先輩に付き合ってお茶したりの日々を過ごしている。

その日は珍しく、清子先輩がまだ部室に来ていなかった。

わたしは仕方無く昨日撮った写真の現像をやる。

小一時間ほど過ぎた頃、清子先輩が部室に現れた。

手には冊子を持っている。


「やあやあ皐月君。生徒会に顔を出す必要があってね。遅れて申し訳ない」

「……それは良いんですが、その冊子。もしかして市報ですか?」

「そう、コンテストの結果が載ってる市報ね。生徒会からもらってきた。一緒に見よう」


どきどきする。

机に置かれた市報の写真コンテスト欄には……なんとわたしが撮影して投稿した写真が特賞を獲っていた。

清子先輩はえっへんと胸を張っている。


「ね? 僕の言った通りだろう? 特賞:百道皐月、間違いなく君の写真さ」


わたしは立ち上がった。


「こ、これって……それじゃ、廃部の話は!」

「もちろん撤回さ! 僕達の写真部はまだ活動して良いんだよ!」

わたしは涙がこぼれてきた。

「おいおい、何も泣かなくても……まあ良い、僕達の青春はまだこれからってことさ!」

「だって、嬉しいんです。写真を撮るのを止めようと思っていたくらいなのに。清子先輩のお陰ですよ」

「感謝してくれるのは素直に嬉しいな。それじゃあ祝杯といこうじゃないか! 買い出しに行くよ!」


わたし達は学校最寄りのコンビニまで出掛け、ジュースとお菓子を買ってきた。

お代は部費から出してくれたので、お小遣いの少ないわたしには助かる。

部室に戻ると、ささやかな宴が始まった。


「皐月君の入選に乾杯! そして我々の写真部に乾杯!」


ジュースではあるが、とても美味しく感じられる。


「いやあ、本当に皐月君が入部してくれて良かったよー。これで、我が写真部も安泰だな!」


わたしはジュースを飲みながら答える。


「そう言えば、清子先輩の写真をわたし見せてもらった事がありません。一度見せてもらえませんか?」


清子先輩はジュースを吹き出す。あ、ちょっとむせてる。


「ぼ、僕の写真なんか大したものじゃないよ。皐月君に比べたらぜんぜん大したことない」

「そんなこと言って、何か隠してますね? 良いから見せてください」

「いやー、それだけは許して。恥ずかしいし……」

「わたしも恥ずかしいけど、現像のために見せてたんですよ。今度は清子先輩の番です」

「しょうがないなあ……一枚だけだよ?」


PCを起動し、フォルダを開く。

そこには、美音先輩が映っていた。日常の何気ないワンショット。でもそれは素晴らしいものだった。


「僕は風景を撮るのを諦めてね。最近はもっぱら人物なんだ……他に友達も少ないから美音君にモデルをやってもらってる」

「じ、上手です……さすが清子先輩」

「恥ずかしいからあまり見ないでくれたまえ! も、もう良いだろう!」

「ありがとうございました。しかし、お二人は仲が良いんですね」


清子先輩は顔を赤らめている。この飄々とした先輩をやり込められたのは少し気分が良い。


「僕の恥ずかしい写真を見せたんだ、もうひとつお願いを聞いてくれるよね? ……どうだい?」


それからわたし達の写真部には入部希望者が増えた。……とは言っても総勢4名だけど。

清子先輩は部室で受験勉強をしながら、毎日のようにお茶会を開いている。

美音先輩も、時折部室に姿を見せてはお茶のご相伴に預かっていた。

曰く、「私が見ていないと清子は何をするか分からないから! べ、別に心配しているんじゃないからね」だそうだ。


わたしの高校生活は始まったばかりだ。

きっと楽しい物になるだろう。


このデジカメのレンズがわたしの青春を紡いでいくのだ。


皐月のレンズ 完

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