Ride1 栃木県栃木市ー2

 次の目的地である『横山郷土館』は、蔵の街遊覧船から川沿いを走ること二~三分の距離にある。

 江戸末期、栃木の野州やしゅうあさを扱う麻問屋として起業し、明治に入り栃木共立銀行を設立した豪商、横山家の資料を展示しているそうだ。

 建物を正面から見て中央が店舗 兼 住宅。その両側に石蔵が建っている。

 これは『両袖切妻造り』と呼ばれ、登録有形文化財に指定されたほどの貴重な建築様式なのだとか。

 石蔵は向かって右が麻蔵で、左が文庫蔵。

 屋敷の奥には庭園があり、しかも大正時代に建てられた洋館ゲストハウスまであると知り、これはもう何がなんでも行ってみたい! と鼻息荒く、旅行スケジュールを組んだのである。


 到着すると中から受付の女性が顔を覗かせ「見学されて行かれませんか?」と声をかけてくれた。

 はい、もちろん! ありがたく見学させていただきまっす! と、心の中で即反応する。いや、実際はやらんけど。アラサーのいい大人がそんなことしたら、恥ずかしすぎるもの。一応私も、そのくらいの分別は持ち合わせている。


「自転車を置くスペースはありますか?」


 と尋ねると、文庫蔵近くの空いたスペースに置いていいとのこと。

 見学客の邪魔にならないよう、できる限り端のほうに寄せてキックスタンドを倒すも、足場が若干不安定。何かの拍子に転倒の可能性も考えられる。愛しのM6Rちゃんに大きな傷がつこうものなら泣いてしまう。号泣する自信すらある。

 そこでシートクランプの下にあるレバーを引いて、後輪のみ折りたたむことにした。

 私のM6Rちゃんは折りたたみ自転車には珍しく、リアキャリアが最初からついている。ママチャリなんかの後ろにもついてる、荷物を乗せられるアレ。

 後輪を折りたたむとリアキャリアが地面に接地する形になり、接地面が増すことでタイヤとキックスタンドのみで自立させるよりも安定感がアップ。より転倒しにくくなる……と私は信じている。


 サイクルグローブを脱いだ途端、両の手に爽やかな川風を感じた。少しだけひんやりとして、心地いい。

 たいした距離を走ったわけじゃなく、気温も決して高くはないけれど、気づかぬうちに若干汗をかいていたようだ。

 たったこれだけのことで運動したぞー! って気分になれるのだから、私も案外単純だわね。


 サイクルグローブに次いで頭部プロテクターを外し、M6Rちゃんのフロントに装着してあるバックパックに両方放り込む。

 BROMPTONには純正バッグを装着できるアダプターが付いており、走行中はバッグをフロントに取り付けて移動することができる。

 純正バッグもさまざまな種類があるのだけれど、私は輪行の際バックパックを使用することが多い。容量は十四リットルと大きめで、私が使っている頭部プロテクターくらいだったら余裕で入る優れもの。

 しかもこの頭部プロテクター自体も折りたためるものを選んだから、バッグに入れてもさほど邪魔にならないのだ。


 最後にフロントのバックパックを外して背負い、チェーンロックをかけたら見学の準備万端。


 中に入るとそこは、時代劇に出てきそうな古めかしい光景が広がっていた。

 入ってすぐ右手に手指消毒用のアルコールが置かれ、その奥に麻蔵の入り口があった。

 左手には数々の麻製品が並べられ、その奥に銀行のカウンターが見える。

 正面の受付で入館料をお支払い。一般三百円と、かなりリーズナブル。ちなみに中学生以下は無料とのこと。

 料金の支払いが済んだところで、受付の女性が展示されている麻製品を指して


「こちらが当時扱っていた麻製品なんですよ」


 と教えてくれた。

 麻の着物に麻縄、それから『灰爐懐』と書かれた箱が置いてある。読み方不明。

 どうやらこれは昔のカイロらしい。麻ガラの灰を金属製の容器に入れて暖を取るのだとか。

 不思議だったのは、麻製品の中に紛れて展示されている下駄。


「なぜ、下駄?」


「鼻緒の先に麻が使われているからなんですよ」


 言われてみると、たしかに細い麻紐が付いている。この紐で、鼻緒を台に取り付けるというわけか。納得。


 麻製品を見学した後は、麻蔵へと進む。

 明治四十二年に建てられた麻蔵は、間口が四間(七.二メートル)、奥行き五間(九メートル)の二階建てとなっている。

 一階には帳場が再現されており、その先に骨董などの美術品などが展示されている。帳場は撮影可能だけれど、そのほかは禁止ですと事前に教えていただく。


「蔵に使われているのは、深岩石ふかいわいしと呼ばれる石なんですよ」


 深岩石は栃木県鹿沼市で採掘される凝灰岩である。


「栃木といえば大谷おおやいしって勝手なイメージがあったから、別の石を使ってるなんて、ちょっと意外です」


「大谷石、有名ですからね。大谷石ではなく深岩石が用いられたのは、巴波川が大きく関係してるんです」


 横山郷土館の横を流れる巴波川。今日はとても穏やかで、さらさらとした水の流れが見えるこの川は、かつては氾濫しやすく多大な被害を及ぼすこともあったらしい。

 橋をかけても二年ともたず、そのため人柱が立てられたという伝説も残っているのだそうだ。

 これは『巴波川悲話』として現在も語り継がれていて、結構エグい言い伝えだった。まさか先ほど通ってきた幸来橋に、こんな謂れがあったとは……。

(気になる人は調べてみてください)


 ちなみにこの巴波川悲話、今回は立ち寄らなかった『塚田歴史伝説館』でロボットによる語りを聞くことができるとのこと。ちょっと聞いてみたい気がしてきた。予定しているところを全部回って、まだ時間に余裕があったら立ち寄ってみようかな。


 話を深岩石に戻して。

 前述の大谷石、加工がしやすく火に強いということもあり、建物の外装やインテリアとして利用されることも多いのだが、いかんせん風化しやすい。経年劣化で表面がポロポロと崩れてしまうのだ。

 そんな状態で巴波川が氾濫を起こせば、劣化は加速するだろう。そしてそれは、巴波川沿いに建つ横山家にとって、大打撃となることは容易に想像がつく。

 大事な商売道具である麻を守るため、大谷石よりも強度と耐久性に優れた深岩石が選ばれたということか。


「奥の階段を上がって、二階も見ていただけますよ。当時は麻束を保管するのに使われてまして、二万束も置かれてたそうです」


「二万束!」


 それは凄い!

 期待を胸にイソイソと階段を登ると、そこには部屋いっぱいに置かれた麻束が……なんてことは当然なくて。一階同様、ここにも美術品が展示されていた。

 展示ケースの向こうに並ぶ雛飾りや屏風も、横山家の所蔵品とのこと。どれも大変立派な物だった。

 これだけの品を収集できた横山家。さすが豪商と呼ばれただけのことはあると納得する。


 麻蔵を出ると


「奥には日本庭園がありまして、そちらも見ていただけますよ。よかったらどうですか」


 と勧めていただいた。

 是非見てみたいと思っていた庭園と、それから洋館ゲストハウス!

 もちろん断ることなどせず、足取りも軽く奥へと進んだのだった。



<参考サイト>

栃木市観光情報 https://www.city.tochigi.lg.jp/site/tourism/16848.html

文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191749 ,https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/185480

……and more



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