第3話. 事の発端

 シアはここに来るまでの経緯を話した。


「宮殿の宝物庫から逃げる時には、監視の交代中の雑談の間に窓から外に出た。監視は外側から入ってくるのに注意を払っているばかりで中から出て行くのなんて見ていなかった。

そして、剣に戻って地上に降りた。人間の姿のままだと脚が砕け散りそうだっただから。死にはしないんだけどね。でも、地面に突き刺さった時は人間に戻れなくなるかと思って焦ったよ。私は剣の姿の時に鞘とか地面によって拘束されていると人間の姿を取れなくなるから。

ちょっと時間が経った後、宮殿の近くに遊びに来ていた子供に引っこ抜かれて、そのまま逃げた」


「死なないってことは、食事は必要ないの?」


「食べなくても何も問題は無いし普通に活動できるよ。でも、食べられる時には食べるようにしてる。食事は私にとっては生きている実感だから」


 シアは何かを思いついたように腰に取り付けた袋の中から小さな瓶を取り出した。中には琥珀色のドロッとした液体が入っている。


「そういえば、お腹空いてるよね。ちょっとしか無いけどこのハチミツあげるよ」


「いいよ、あんまりお腹空いてないから」


「だめ。あなただってこれからは動けるんだから栄養は必要でしょ」


 シアは俺の体を起こして、スプーンにハチミツを乗せ、俺の口の中に含ませた。久しぶりの甘味は頭がおかしくなるくらいの幸福感を与えた。


「あっ、ハチミツ色になってる。美味しかったんでしょ」


「うん、すごい美味しかった」


 何だか感情を見透かされているってのはちょっと恥ずかしいな。


 シアはハチミツを俺の口に運び続けながら話を続けた。


「宝物庫から逃げてからはひたすら歩き回った、何の目的も無かった。それから君の強い感情を感じてここに来たの。私が見てきたどんな感情よりも遥かに強い感情だった」


「何で俺にこだわるの?」


「動けなくてもなお、その大きな野心を持つ君はきっと大きなことを成し遂げる。私はそれが見たい。君に足りないものがあるのなら私がそれを埋めよう」


 シアはスプーンの動きを止め、袋の中に瓶をしまった。


 あぁ、もう少し舐めていたかったな。


「次はあなたの番よ。教えてくれないかしら」


「わかった。俺はレクロマ・セルース。ここから少し離れたセレニオ村で産まれて育った。農業を生業として、貧しいけどみんな仲良くて、とても楽しかった。あの頃は、厳しかったけど尊敬できる父さんも、料理が上手で、勉強を教えてくれた母さんも、俺によく懐いていて、幼いながらも家族想いの妹のメルもいたし、メルともよく一緒に遊んだリレイって子もいた。幸せだった、とても。でもそれはたった一日で消えてしまった」


 シアは俺の手を優しく握った。手の感覚は無くなってるはずなのにとても安心する。


「その日は父さんに言われてメルと一緒に川に魚を捕まえに行った。父さんは珍しく強くメルから離れないように言って、俺はそれに頷いた。俺とメルは罠を使って、いつも以上にたくさん魚を捕まえた。メルはとても喜んでいて、父さんと母さんに見せるんだって俺に片付けを押し付けて先に帰った。川は村から近かったし、メルも道を知っていたから何も問題は無いと思ってた。俺も片付けてから村に帰った。そしたら……そし……たら……」


「辛いなら言わなくいいよ」


「いや、これは俺自身が受け止めなければならないことだから、俺の罪だから。

俺が村に帰ると濃い紫色の霧が村を覆っていた。さっきまではいつも通りだった日常が一瞬で消えていた。父さんは息を切らして母さんを抱きしめていてたけど、母さんにはもう息はなかった。メルは父さんと母さんを揺らしていた。俺は呆気に取られてその場に立ちすくんでた。眠ると毎回この時の夢を繰り返し見る。何もできずにただ見ているだけ。

メルが苦しみだしてから、怖くなってメルを背負って逃げた。どこかの村ならメルを救える手があるのかもしれないと思ってひたすら走った。それでも走ったけど、俺の体の動きも次第に重くなっていって、やがて倒れた。その時にはもうメルは息をしていなかった。

何度も思うんだ、すぐにメルと一緒に逃げていれば、メルも生きていられたかもしれないって。メルは他人に気を使える、優しい子だった。俺なんかよりよっぽど生きてるべき子だった。俺なんかより……俺なんかよりずっと……。はぁっはぁっ」


 息がっ……苦しい。


「落ち着いて。ゆっくりでいいから」


 シアは俺の胸を撫でた。


「少し外に出ようか。外に出るのも久しぶりなんでしょ。外の空気を吸わないと、息苦しくなるだけだよ。ちょっと背負うね」


 シアは俺の腕を担いで立ち上がった。


「俺、重いでしょ」


「重くないよ、全く」


 シアは倉庫の扉を開け、外に出た。


 二年振りの冷えた空気が鼻を抜けていった。


 シアは俺を背負ったまま村の近くの森へ歩いて行った。


「落ち着いた?」


「うん、ありがとう」


 シアの背中に揺られるのは何だか安心する。昔、家族でハイキングに行った帰りに俺が足を怪我して母さんにおんぶしてもらったな。その時はメルが負けじとおんぶをせがんで俺の背中によじ登ってきたこともあった。


「外に出れて嬉しい? 感情が黄色いよ」


「あぁ、確かに幸せだよ。久しぶりに外に出れたってのもそうだけどシアの背中はすごい安心するんだ。ずっとこうしていたい」


 シアは右手を伸ばして俺の髪を優しく撫でた。

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