コオロギさんは気付かない
4N2
第1話
今、僕の真後ろには幽霊がいる。
しかもそれは一体や二体ではない。
少なく見積もって七……いや、十体はいる。
背中に伝わる悪寒。人間や動物ではあり得ないうめき声。
この世には良い幽霊と悪い幽霊がいるが、今回のものは間違いなく悪い側の幽霊であることは間違いない。
全身を掴まれてしまい動けない。いわゆる金縛りという状態だ。
だが、僕はまだ落ち着いていた。こういった状況は既に何回も経験していたからだ。
現在十歳の僕は、超霊媒体質の体を持って生まれた。簡単に言うと、幽霊達に絡まれやすい体質というわけだ。
霊能力の高い人間というのは、幽霊達にとって格好の標的になる。そいつを取り込むことで、自分達の力が増すことになるからだ。
この国で失踪事件が絶えないのも、大なり小なり霊能力のある人たちが幽霊達にあの世へと引きずり込まれ、取り込まれてしまっている、というのが大半の原因である。
その中でも僕は、霊能力はあるが、対抗する手段の無い、幽霊達にとって格好の餌というわけである。
ハチミツを塗りたくった木に大量の虫が寄り付くように、バーゲンセールにおばちゃんたちが群がるように、幽霊達にとって僕は栄養、安く手軽に得られる能力UPの道具ということだ。
だからといって、僕が簡単に悪霊達に食われるつもりかというと、そういうわけでもない。もちろん対策はしてあった。
僕の胸には、常時護身用のお札が貼られてある。おじいちゃんの家が神社だという事もあって、結構強力なお札だ。
これを貼っておけば悪霊は僕に触れた瞬間、消滅する。今までに何十回と実績のある信頼感マックスのお札だ。
今日もこれで何とかなるはずだった。
だが、今回の悪霊達は、このお札の結界をいとも簡単に突破し、僕の腕を掴んでいる。
言うなれば絶体絶命、もっと分かりやすく言うと危機一髪、漫画風に言うと『お前はもう、死んでいる』、ヒデブになる寸前だ。
悪霊の一体が僕の耳元に近づくと、ワザとらしく舌なめずりの音を聞かせる。
「ようやくだ。極上の魂を持つお前を喰えば、俺達は上位の悪霊になれる。こんな普通の人間の姿でなく、もっとおぞましい姿になってあの世で最強になれる。だが、まずは皮と肉と骨を剥いで、魂だけの状態にしないとな」
要するに殺すって事だ。
逃げ場なんてものはない。
塾帰りの真っ暗なこの通りに、誰かが通りがかる事も考えにくい。そもそも誰かが通りがかったところでどうにもならないだろう。
悪霊達は、各々気持ちの悪い甲高い笑い声を上げながら、僕の両手を、僕の首元へと持っていく。何とか抗おうとしても、全く効果はない。
僕は、僕自身の手で首を絞め始めた。
「がっ……がっ……ぐっ……」
決死の叫び声は、喉の奥に消えていく。
「苦しんで苦しんで死ぬんだよ。そうした方が、喰らう時に美味しい美味しい甘みが出るんだ」
意識が遠のいていく。もう助からない。
齢十歳にして死んでしまう僕の頭に、走馬灯が駆け巡る。
「えっ?これトンカツソースにしては薄くない?」
走馬灯。
「このボール全然空気入ってない」
色んな思い出。
「お母さーん、ウンチ拭いたら手に付いたー!」
しょうも無い人生。
そりゃそうですよ。まだ生まれて十年の一般男子ですよ。大した思い出なんてあるわけないよ。
あ~まだ死にたくない。
その時だった。
リーリーリーリー
聞こえてきたのは、コオロギの泣き声。何の変哲もない虫の泣き声だ。
だが、背中にいる悪霊達の雰囲気がガラッと変わった。明らかに何かを恐れている。
その音は、少しずつ僕の方へと近寄って来る。
その音は僕の目の前までくると、止まった。
「あれ?キミ?こんなとこで何してんの?」
聞こえてきたのは、女の人の声。遠くなっていく耳にもすんなりと入ってくる明るい声だ。
「た……す……け……て……」
精一杯絞り出した四文字。この人を巻き込みたくないとは思った。だが、どうしても苦しい気持ちが勝ってしまったのは間違いない。
女の人は不思議そうな表情を浮かべる。
「いや助けてって言ってもさ、自分で自分の首絞めちゃってんじゃん。辛いならやめなよ」
女の人は僕の首に向かってその細い腕を伸ばすと、僕の両手をがっしりと掴んだ。
僕の両手の上に重なる悪霊たちの手に彼女の手が重なっているというとんでもない状況だが、彼女は全く気付いていない様だ。
「悩みがあるなら聞いてあげるからさ。ほーら」
彼女は思いっきり、僕の両手を首から引き離した。
ブチッ
何かが千切れる音と共に、悪霊たちの悲鳴が聞こえる。
同時に、僕はようやく苦しみから解放された。
恐る恐る後ろを振り返った僕が目にしたのは、腕がもげ、悶絶している悪霊の姿だった。
一体の悪霊が、震えながら彼女を指差しこう言った。
「やっ……やっ……っぱり本物だ。噂には聞いていたが間違いない。こいつは、我々悪霊に対して絶対的な力を持つ、一万年に一人の逸材と言われる『超鈍感』の持ち主だ。現れた時に聞こえてくるというコオロギの羽音がその証拠。間違いない。こいつは超鈍感のコオロギさんだ」
「コオロギ……さん?」
僕は思わず復唱した。
「それ、私の小学校の時のあだ名だよ~。私の本名は孤裏木(こうらぎ)。間違えないでよー」
コオロギさんは、初めて会ったはずの僕がどうしてそんなあだ名を知ってるのかとか、そんな事は全く気にしていない様子だ。
「喋れてるっぽいし、大丈夫そうだね。じゃあいこっか。家までは一緒に帰ってあげるからさ」
そう言うと、コオロギさんは前を向き、歩き出した。
僕も続いて歩き出そうにも、悪霊達に足を掴まれて進むことが出来ない。僕は思い切って、コオロギさんを呼んだ。
「あっあの~コオロギさん」
「ん?どうしたの?」
もう一度僕を振り返るコオロギさん。
「え~っとその~、ちょっと足がすくんじゃって動けないみたいで」
見えていない人に悪霊に足を掴まれているなんて言っても信用してもらえない。咄嗟に出た言い訳だった。だが、コオロギさんは笑いながら「しょうがないなー」と言いながら僕に近づくと、「よいしょっ!」と僕を背中に背負った。
「ぐぎゃああああああ」
悪霊らしからぬ悲鳴を上げながら叫び散らす悪霊達。だが、そんな事など一切気づかず、コオロギさんは歩き出した。
「でっ?家はどこなの?」
「二丁目の辺りです」
「おっ、そうなの?近いじゃ~ん。仕方ないからこのまま送ってってあげるよ」
知らない女の人におぶってもらうのは、恥ずかしさもあったが、それ以上の安心感と信頼感が、この背中からは感じることが出来た。
「なんでキミは、自分のクビを自分でしめてたの?」
「ちょっと今日学校で嫌な事があって……」
もちろん嘘だ。僕の学校生活は至って平和だ。だが、こんな適当な嘘すらコオロギさんは疑う様子ひとつも無い。
「そっか~。私もさー今は二五歳だけど、小学校の時は嫌な事もいっぱいあったよ」
「へえ~例えばどんなのですか?」
「ん~。えっとね~。ん~あ~ん~……忘れちゃった」
「無いんじゃないですか」
「ははは、ごめんごめん。適当言っちゃった。でもね、世の中嫌な事ばっかりじゃないから一緒に元気に生きようよ~」
この会話だけでも分かる。コオロギさんは適当だ。
「ぐぐぐ……ぶっ殺してやる……」
背後で悪霊達の声が聞こえる。悪霊たちは、僕達の前に飛び出した。
「コオロギと最高の餌が同時に目の前にあるんだ、逃がす手なんてねえ。俺達は絶対にあの世の天下を取るんだ。お前達をぶっ殺してなぁぁぁあああああ!!!!」
十体の悪霊達は、それぞれの体を異形の形へと変貌させながら、一つの大きな鬼の姿へと変わっていく。その姿は、僕が今までに見て来たどの悪霊よりもおぞましく、巨大であった。
「くたばれコオロギ!俺達の霊魂技(れいこんぎ)魑魅魑魅……」
コオロギさんは、普通に突っ切った。
弾け飛ぶ悪霊達の体。
「く……くそぉぉおおおお。もう少しで……もう少しで俺達は、最強になれたのに」
断末魔の叫び声を上げながら消えていく悪霊達。
僕はそんな悪霊達の姿に、小さく両手を合わせた。
「あそこの自販機で美味しいコーンポタージュの缶があるんだ。それ奢ってあげるからさ、明日も頑張って学校に行きなよ」
「はい。分かりました」
「でもさー今の子達は大変だよね~SNSがどうしてもさ~……」
そこから僕の家までに要した時間はたったの五分。
だが、それまでに出会った悪霊は百体を越えた。
偉そうな口上を述べた後に、秒速で処理されていく悪霊たちの姿は、恐ろしいながらもどこか悲しそうでもあった。
もちろん、コオロギさんは気付かない。
コオロギさんは気付かない 4N2 @4N2
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