3.ロクデナシな私



……私なんて、居ても居なくても同じだ。


私が今死んだところで、誰も悲しむ人なんていない。学校で私が突然いなくなっても、誰にも気がつかれない。


黒い影みたいな人間なんだ。







『……逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……!』


夜の10時頃。私は自分の部屋のベッドに横たわりながら、スマホを使って好きなアニメを観ていた。正確には、そのアニメの名シーンを集めた動画だった。


何回、このアニメを見返したことだろう。もうすっかり、次のシーンの台詞を覚えてしまった。


『やります……!僕が乗ります!』


(あー、やっぱ面白いなあ……)


好きなアニメをこの時間が、1日で一番心安らぐ。もう一生、お布団に入ってこのまま永遠に眺めていたい……。


(はあ、明日は体育があるなあ……。なんで無理やりあんな授業させられるんだろ。もう、本当に憂鬱……)


きっと私は、体育という授業を永遠に好きになれないと思う。持久走でビリは当たり前。大縄跳びでは必ず引っ掛かる。水泳は足がつくところでも溺れる……。


そんな私は、いつもいつも、みんなにバカにされてきた。いや、バカにされるだけならまだいい。いつだって『邪魔者』だと思われてきた。


小学生の頃にドッチボールをした時、それぞれのチームのリーダーがじゃんけんをしていた。それは、負けた方のチームが私を取るという、そういうじゃんけんだった。


『よっしゃ勝ったー!じゃあそっちのチーム、黒影使えよな!』


『あーもう!くっそダリー!あいつ入ったら絶対負けるじゃんかよー!』


彼らの反応を見て、私はもう苦しくて堪らなくなり、何も言わずにその場からいなくなった。


そしてひとり、トイレの個室で泣いた。


そんなことが何回も何回もあった。


「…………………」


ああ、もう。


また泣いちゃいそう。


スマホの画面が、涙で滲んでぼんやりしている。


私は目を瞑って、息を吐きながらスマホを枕元に置く。仰向けになって、右手を目の上に乗せる。


真っ暗な目蓋の向こう側に、今まで私を笑ってきた人たちの姿が見える。空いた左手が、ベッドのシーツをぎゅっと握り締める。


『笑えば、いいと思うよ』


枕元に置いたスマホから、アニメの台詞が流れている。


(……明日、休んじゃおうかな)


嫌な授業がある日や、嫌なイベントがある日は、こうやっていつも休もうとする。昔は仮病を使うことが多かったけど、最近は本当に風邪を引くようにしている。仮病だと、すぐお母さんにバレちゃうから。


私みたいに体力がなくて免疫の弱い人間は、簡単に風邪が引ける。氷枕をお腹に忍ばせたり、下剤をたくさん飲んだりすれば、すぐにできる。


「…………………」


私は身体を起こして、ベッドから出た。そして、服を全部脱ぎ始めた。


ヘビロテしすぎてよれよれの部屋着と、色気が無さすぎる灰色の下着が、部屋の床に落ちていく。


一糸まとわぬ状態になった私は、部屋の電気を消してから、またごろんとベッドへ寝転がる。最近は雨が続いているから、結構夜は冷え込む。だからこうして裸になって、布団を被らずに寝たら、すぐ風邪を引ける。


氷枕を使うのが一番なんだけど、氷枕は台所の冷蔵庫に入っている。そして台所は、リビングのすぐそばにある。今の時間は、まだお父さんもお母さんもリビングでテレビを観ているから、氷枕を取りにはいけない。だからこうして裸になる方法を選んだのだった。


『そうやって、嫌なことから逃げているのね』


またスマホから、アニメの台詞が聞こえてくる。私はすっと目を閉じて、そのアニメの音声を黙って聞いていた。


『いいじゃないか……嫌なことから逃げ出して……』



何が悪いんだよ。















……翌朝。


期待通りに、ちゃんと私は風邪をひいた。悪寒と腹痛に苛まれて、気持ちが悪い。


(よかった……。お母さんに、今日は休むって伝えよう……)


私はくしゃみをしながら、枕元に置いていたスマホを手に取り、お母さんへLimeを送った。


『ごめん、今日お腹痛いから、学校休みたい』


すると、すぐにお母さんから返信があった。書かれていたのは、たったの一言だった。



『また?』



「…………………」


私はすくっと身体を起こして、床に落ちている服をまた着始めた。そして、布団の中に潜って、もう一眠りしようと思った。


こういう時、いつも私は眠るようにしている。だって、起きている方が辛いから。


昔は逆に、起きていなきゃもったいないと思ってた。せっかくずる休みしたんだから、ゲームとか漫画とかを満喫しなきゃって、そんな風に考えてた。


でも、そうやって遊べば遊ぶほど、罪悪感が募っていく。私は学校に満足に行けない人間なんだ、学校ではみんな頑張ってるのに私だけ逃げ出したんだと、そう自分を責めてしまうから。


だからもう、いっそ寝てしまう方が精神衛生的にいい。意識を無くしてしまう方がいい。


そうしてお昼過ぎくらいまで寝て、お母さんとお父さんが仕事でいなくなってから、ようやくのそのそと起き出す。そんな日がたくさんある。


(……はあ)


私って本当、なんのために生きてるんだろう?


なんでこんな、死体みたいな人生なんだろう?


いっそ死んでしまった方が、ずいぶん楽になるんじゃないかな。もう何もかも諦めて、誰も知らない遠くへ消えてしまいたいな。


どうせ、私がいなくなったって、誰も気がつかないんだから。




『黒影さんは、優しいね』




「…………………」


その時、私は不意に……白坂くんの顔を思い出した。


一昨日と昨日、本当に久しぶりに、他人から笑いかけられた。優しいなんて言葉に限っては、産まれて初めて言ってもらえた。


なんであんなこと言ってくれるんだろう。私なんかに言ったって、メリットなんてないのに。


(……いや、きっとリップサービスだよ。私がうじうじしてたから、そんな私に気を使って……ああいうことを言っただけだよ)


私はそう考えながら、唇を噛み締めた。そうだ、期待なんてしちゃいけない。いつだって期待が失望を産むんだから。


「…………………」


ああ。


でも、でも、もしかしたら……。



白坂くんだけは、私がいなくなったら……少しだけ、悲しい顔をしてくれるかも知れない。



「…………………」


……私は。


胸の中に湧いて出てくる意味のない期待に、心底苦しめられた。期待しないようにしなきゃと思ってるくせに、期待することを止められない。


なんて無様なんだろう。なんて間抜けなんだろう。


張り裂けるほどに心臓が痛くて……堪らなかった。


この心臓を、鉄でできたものに変えられたらどんなにいいだろうかと、そんなことを思いながら……私は眠りについた。















……ピンポーン、ピンポーン


私がまた目覚めたのは、お昼の3時を過ぎてからだった。


玄関から鳴るインターホンに起こされた私は、寝ぼけ眼を擦りつつ、ベッドからゆっくりと起き出した。


(うー、寝すぎたせいで目眩がする。頭も痒くて気持ち悪い。後でお風呂入ろうかな……)


頭をボリボリと掻きながら、私はインターホンに付けられた液晶を観て、外にいる人が誰か確認した。


「…………………」


そこには、ワイヤレスイヤホンをした白坂くんが立っていた。


え?な、なんで白坂くんは私の家に?


あ、そっか。私に渡すプリントか何かを持ってきただけか。そっか、そうだよね。



ギイ……



玄関のドアを開いて、少しだけ顔を覗かせる。みすぼらしくて汚い私の姿を見せるのは、恥ずかしかったから。


白坂くんはそんな私を見て、イヤホンを外してから、「こんにちは、黒影さん」と微笑んでくれた。


「ど、どうも……白坂くん」


「今、寝起きっぽい感じだね」


「え?」


「なんとなく、そんな顔してる」


「あ、え、えっと……ご、ごめんなさい」


「いやいや、謝らなくていいよ。今日も風邪、ひいちゃったんでしょ?なら寝て治すのが一番だ」


「…………………」


「はい、これプリント。今日は二枚あるからね」


「あ、うん……」


私は彼からプリントを受け取って、二つ折りにした。


「具合はどうだい?黒影さん」


「え?あ、まあ……朝よりはマシかも」


「そっか!それならよかった。一応これ買ってきたけど、よかったら貰ってよ」


「え……?」


彼は背負っていたリュックの中から、ペットボトルを取り出した。そしてまたそれを、私へと手渡した。


「はい、どうぞ。さっき買ってきたばっかだから、まだ冷たいよ」


「そ、そんな、毎回毎回、持ってこなくてもいいのに……」


「いいっていいって!俺がやりたくてやってるだけだからさ」


「…………………」


彼の持っているペットボトルから、滴がぽたりと地面に落ちた。


ああ、白坂くん。私はそれを受け取る資格なんてないよ。だって、自分でひいた風邪なんだもん。


あなたから心配される権利なんて、これっぽっちもないんだ。だから、だからもう、差し入れは……。


「…………………」


そんな思いが頭の中を駆け巡っていたけど、結局私は、彼からの差し入れを受け取った。せっかく買ってきてもらったのに、受け取らないのも申し訳なかったからだ。


「それじゃ、またね黒影さん」


彼はそう言って微笑みながら、イヤホンを右耳につけた。


「…………………」


その時、私は……何故か妙に、寂しくなった。


今、家の中には誰もいない。ここで白坂くんがいなくなってしまうと、またしーんとした家で独りぼっちになってしまう。


だから、だから、変な話だけど……白坂くんがもう帰っちゃうのは、なんだか嫌だった。


「あ、あの、白坂くん」


「うん?なに?」


白坂くんは左耳にイヤホンをつける直前で、手を止めた。私は彼を引き留めてしまった罪悪感にかられながら、こう尋ねた。


「え、えっと、あの……」


「……?」


「そ、その……イヤホン、何聞いてるの?」


「ああ、これ?歌を聞いてるんだ。『ロクデナシ』ってやつ」


「ロ、ロクデナシ……?」


「めっちゃいい曲だよ!すごく元気が出る!」


「…………………」


「黒影さんは、どんな歌が好きなの?」


「わ、私?私は……あの、アニメ系とか、ボ、ボカロ系……かな」


「おーーー!そうなんだ!俺もそういうのよく聞くよ!どんなの聞くの?」


「え、えっと、例えば……」




……そうして、私たちはしばらくの間、玄関前で立ち話をした。


白坂くんは、私の吃りまくってる言葉にも、根気よく耳を傾けてくれた。


家族以外の人と5分以上話したのは、かなり久しぶりだった。小学生の頃以来かも知れない。


「あーーー!俺も知ってるよそれ!めっちゃいいよねー!」


「う、うん。私も、それ好き。あ、あと、同じ人が作ったやつで、『魂のルフラン』とかもあるよ」


「へー!それは俺、知らなかったなあ!」


「こ、これもおすすめ……かも」


白坂くんは、いつもニコニコしていた。私の話をこんなに楽しそうに聞いてくれた人は、初めてだった。


私も、こんなに人と話してて楽しいと感じたのは、初めてだった。時間が許す限り、もっともっと話したいと思った。


でも、もうかれこれ15分以上は経っている。さすがにこれ以上引き留めるわけにはいかない。


「あ、あの、ごめんね、白坂くん。引き留めちゃって……」


「全然いいよー!俺、時間だけはある人間だし」


そう言って、彼はケタケタと笑っていた。


「それじゃ、またね黒影さん!」


「う、うん。プ、プリントと差し入れ、ありがとう」


「黒影さんから教えてもらった曲、家に帰ってから聞いてみるよ」


「う、うん。あ、ありがとう」


「じゃあまたね」


「うん……」


そうして、彼は私へ手を振りながら、去っていった。


「…………………」


私は玄関の扉を閉めて、鍵をかけた。リビングのテーブルの上に、貰ったプリントを置いてから、自分の部屋に戻る。


いつも通りの寂しい家だけど、今日はいつもより少しだけ、寂しさが紛れた気がした。


(あ、そうだ。白坂くんの言ってた歌……聞いてみようかな)


私はベッドの上に置いていたスマホを手に取って、動画サイトを開いて検索してみた。


イヤホンをつけてベッドに寝転がり、彼から貰ったペットボトルを抱き締めながら、その曲を聞いてみた。


「…………………」


それは、とても激しくて、すごく明るくて、たまらないほど……あたたかった。


そして、なんとも不思議なことに、この曲を白坂くんが聞いているというのが、とても納得できる。その証拠に、目を瞑ると白坂くんの顔が浮かんでくる。


きっと白坂くんも、この歌のように優しい人だからなんだろう。


(……明日は、学校に行こうかな)


行って、この曲の感想を伝えたいな。


白坂くんと、また話したいな。


こんな私にも、笑いかけてくれる彼に……



また、会いたいな。










──────────────────

後書き


THE BLUE HEARTSより ロクデナシ


https://youtu.be/e7Pqxk_hPws?si=Pmy199G7KSkmkdCt

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