第8話「深緑の風纏う剣士」

「ふぅ……だいぶ歩いたか?

いや、まだ迷いの森の入り口には程遠いか」


ソルヴィアからはや10キロ近く歩いているイングラムは、ぽつりとつぶやいた。


ため息をついて視線を上に上げると、電子媒体が最短ルートをナビゲートしてくれる。しかし、やはり着くには何日もかかりそうだで、時々近くの街や村に寄って休息を取らなければ、予定通りには行かない。


しかし、今朝はまだ起きてすぐで

目も冴えているし、思考も滞りない。

睡魔の欠片も今のイングラムには無い。


「周囲も警戒しておかなければ……」


昨日新調した新しい騎士の剣の柄を

視線を落としながら肌で感じる。

絶妙な光沢感と、鋭い剣先は

騎士たらんと充分に役目を果たしてくれている。これでもし、怪物が出ようものならば即座に叩き斬れる。


「ウボァァァァ!!!」


そんなことを思っていたら、生き物が遠くから現れた。その正体は2メートルほどの大きさの魔猪だった。

ドス黒い肉体に強靭な四肢を備えた巨体。

そして口の両端から伸びた湾曲した牙が鼻にかけてねじ曲がっている。


大きな牙を持ったそれは、砂塵を巻き上げながらこちらに突進してくる。


「朝の準備運動といくか」


電子媒体上の情報を認識して、フリックして消す。そしてイングラムは、腰元に携えていた騎士の剣を抜く。


鞘から抜かれた剣の音に魔猪は気付いた様子で、進行方向をイングラムに変えて、その突進力と巨体を活かして轢き殺すつもりのようだ。


「————」


残り数メートル

敵はスピードを緩めずに尚も速度を上げていく。限界以上の力を引き出していらしく、全身から傷口が開いて出血していた。


「ブモォォォ!」


「ふん──!」


激突寸前、イングラムは跳躍しながら身を屈め、その両手に持った剣で魔猪の背中を直線状に剃るようにその刃を振るう。

新しく出来た傷口が徐々に広がりを見せ

その瞬間、噴水のように鮮血が飛び散った。魔猪の足元には、水溜りのような量の血溜まりが出来ていた。


イングラムは着地し、左腕にマナを集約する。自分の背後で苦痛が入り混じった怒号を発している獣に向ける。

掌は紫色の明滅を繰り返しながら、バチバチとスパークしている。


「紫電」


静寂の中で紡がれる声。広げた掌には視覚化できるほどに迸る電撃がうねりをあげていた。それを魔猪に向けて腕と共に突き出して放射する。


5本の指からそれぞれの電撃がうねりながら魔猪へ直撃する。前足を折りたたまずにはいられないほどの激痛が獣の全身を駆け巡る。


苦悶のようなうめき声を上げて、魔猪は

イングラムに触れることもないまま血溜まりの中へと伏した。


「────」


魔猪を見つめる。

既に立ち上がる力は残っていないようで

もはや殺意も敵意すらも感じない。


「すまんな……」


イングラムは駆け寄って地に伏したそれに

言葉をかける。

瞳孔が騎士を再び捉え、それが僅かに震えて静かにその目を閉じて生命活動を停止した。


「……しかしなんだ、この傷は?」



ふと違和感を感じて腰を下ろし

魔猪の傷跡を観察する。


「この傷跡、内側から発生したような……

外からの攻撃じゃないな」


イングラムが与えた傷は背中のものと

紫電による電撃魔法、そのふたつだけだ。


「————」


魔猪を剣先で仰向けにしてみる。

凝視すると、腹部がモゾモゾと動きいていた。

今にでも食い破ってきそうな勢いで皮膚が溢れんばかりに膨張し、蠢いているのがわかった。


「これは──」


第六感が頭の中で警鐘を鳴らす。

イングラムは無意識に後方に跳躍していた。そして、彼が着地すると同時に

魔猪の死骸から“何か”が飛び出してきた。


「————!」


全長5メートル程の長い何かが腹ワタをブチ破って姿を現したのだ。

見た目はまるで、皮膚のない蛇のようで

赤い身体をしている。

たかが2メートル弱の猪から、まさかこれほどまでの怪物が出てくるなどとは思わず、イングラムは目を見開いた。


「奴は、あの魔猪は被害者だったのかもしれん。内側に寄生され、臓器を食い荒らされながら、生きようと必死に抵抗していたんだな」


その蛇らしき何かはイングラムを探知すると長い首を伸ばして彼を観察しようとする。


イングラムもこの正体を睥睨しながら

模索する。


赤い身体と自身よりも小さな生物の体内に侵入できる伸縮性の特殊な皮膚。

その生き物は瞼はあるが開くことがないように他の皮膚と一体化している。

そしてヒルのような360°に生えている無数の牙は獲物を逃さないため、または失血死しやすくさせるためのもの。そして、口から垂れている黄色い液体は強度の酸性。魔猪の死体を瞬時に溶解してみせた。これらの特徴を持つ生物は、あれを置いて他にいない。


(モンゴリアン・デスワーム……!)


モンゴリアン・デスワームとは

西暦の時代のモンゴルという国にて

存在が確定的とされていたUMAの一種である。強力な毒、または電気を持ち獲物を襲うと言われ、地元民には恐れられていたという。そんな生き物が、シーラカンスのように姿形を変えずに現存しているとは、

さしものイングラムも思わなかったようだ。


「……ちっ、これは面倒な相手だ」


怪物は獲物を見つけた蛇のように

イングラムをその巨体で取り囲む。


視線で頭部らしきものを追いかけようとも、行動を察知され、回り込まれてしまう。これでは時間の無駄だ。


「剣では少々分が悪いか、来い!」


虚空へ伸ばした右手に、紫電を纏った槍が

出現した。流石に、新調した剣では

倒すことはできないだろう。

本能的にそう理解したイングラムは、初手から槍を使うことを選択したのだった。

くるりと槍を構えて、一撃離脱を考慮する。


「………」


ぬっと顔を近づけて、下顎だけを開口してくる。いつでも殺してやるぞ、と表情のない顔が言っているようだ。


「ふんっ————!」


凄まじい速度の三連突きが胴体に当たる。

だが、それは皮膚をかすっただけだった。

槍の先端が怪物に触れるよりも先に

その不規則な動きで決定打に欠けてしまうのだ。


「くっ……!」


苦虫を噛み潰した表情を浮かべて跳躍する。それを待っていたかのようにモンゴリアンデスワームはぬっ、と顔を近づけて

その吸盤のような口を開き、鋭い歯を見せた。おまけに、魔猪を溶かした強酸性の黄色い液体が水面を打つように溜まっている。


「紫電!」


危機を感じ取ったイングラム場、咄嗟に槍の先端から紫電を放射する。

吐き出された強酸を怪我しながら、それは怪物の口の内に到達して、炸裂する。

強力な電撃は全身をプルプルと震わせるも、怪物は仕返しと言わんばかりに尾を薙いでイングラムを地面に叩き落とす。


「ちっ──!」


落下する感覚が全身を風となって降りかかる。どうにかして、これを覆せないものかと地面を直視する。


(目視で残り2メートル弱か)


叩き落された場所は、魔猪の死体があった

あの黄色い酸溜まりだ。

このまま地面に着地してしまえば

全身を容易く溶解してしまう酸に触れてしまう。そうなる前に策を打たなければならない。


「一か八か、かけてみるか!

紫電!」


槍全体に電撃を纏わせる。

そして、この身は酸性の沼に“真っ直ぐ”に

落下している。この短時間で怪物に身体を向けることは不可能だ。

ならば


「“このまま落ちてやろう!”」


手にしている槍の柄の部分をを両手で持ちながら自身の身体をドリルの要領で高速回転させる。すると、紫電が全身を巡り、まるで雷の如き熱量を帯びながら最強の騎士は沼に激突した。


落雷が地面に直撃したような、草木の焦げた強烈な匂いが怪物の嗅覚に纏わり付く。

モンゴリアン・デスワームは最低限嗅覚が正常に機能する位置まで後退してとぐろを巻き、高い場所からその場を見渡す。

酸性の沼は一滴も残らず紫電を纏ったイングラムにより焼失。怪物の体温感知器官も

作り出された穴の温度が高温の為に上手く機能していない。



突如、怪物がいる地面が大きく揺れた。

モンゴリアン・デスワームはその揺れを観察するかのように頭部を近づける。

バチバチといった効果音とともに

大穴を開けて、回転したままのイングラムが出現し、モンゴリアン・デスワームの胴体と頭部を穿ち貫いた。

空気が通り抜けるには十分な大きな穴が二つ、怪物に出来た。

脳組織は破壊され、怪物だったそれは力尽きるようにへたりと倒れ込んだ。


空中で回転を制止したイングラムは

下にいるモンゴリアン・デスワームを

再びその目で捉えた。僅かたりとも動く気配はない。頭部と心臓を貫いたので当然ではあるが。


「……終わったか」


死体から離れた地面に着地して

額から噴き出していた汗を拭う。

その瞬間、視界が上下に揺らいだ。


「……くっ」


持っていた槍を地面に突き刺して

倒れ込む身体を支える。


「マナを多用しすぎたか……!」


彼の身体には、血液と共に魔力液というマナを生成するための体液が存在する。

これのおかげで、空気中に浮かぶ目に見えない微量なマナ粒子を酸素と共に呼吸で取り込み、可視化させるほどのエネルギーを攻防に用いることが可能なのである。

無論吐く時は二酸化炭素と共に古いマナから外部へと抜けていく。


しかし、イングラムのように

体内に蓄えられているマナを必要以上に放出しすぎると身体にとてつもない負担がかかり、休息を取らざるを得なくなる可能性があるのだ。


これを例えるなら

10キロマラソンを水分補給なし、休みなしのハイペースで行うようなもので、非常に危険なのである。


彼が呼吸を整えていると、彼の周囲が

それは激しく揺れ、何かが出現する揺れだと、イングラムは直感的に理解した。


「……!」


四方から現れたのは、そのどれもがモンゴリアン・デスワームだった。いずれも先の個体よりは小柄だが、今のイングラムにとっては充分な脅威である。


「回復が間に合わん……!」


マナの過度な放出の反動で己の身体が肉塊のように重たく、動かすことが出来ない。

4匹の怪物と、満身創痍のイングラム。

最早これまでと、思ったその時だ。


穏やかで静かな風が吹いた。

それはイングラムの身体を優しく触れるように通り過ぎていく。

先程まで風邪など吹いていなかつたこの平原に突如として風が吹いたのだ。


そして、怪物たちはイングラムとは

別の方向へ身体の向きを変えて、口を大きく開けて威嚇をし始める。


「……なんだ?」


彼の視界は、一人こちらに向かって歩いてくる戦士を見た。


「風吹くところに一人の戦士ありき……

なぁ〜んてね」


その一言の、その刹那に深緑の風が刃となり、2匹のモンゴリアン・デスワームは

一撃の元に沈んだ。


「……この、声は!まさか!」


「イングラムくんはそこで休んでてよ。こいつらは俺が片付けるからさ」


先程まで前方から聞こえていたその声は

いつの間にやら後方から聞こえてきた。


「さぁてUMA共、友達に借りたツケを返してもらおうか」


モンゴリアン・デスワームは

2匹同時にルークを喰らわんと前進する。

だが————


「遅すぎるなぁ!」


鞘に納めている剣をゆっくりと抜く。

瞬間、まるで風が刀身とでも言うように彼の全身を深緑の強風が覆い尽くした。

刃は確かに見える、が、それは何重にも重なって見えている。一本のようでもあるし、五本のようでもある。にやりと口角をあげた剣士は軽く剣を突き出して叫ぶ


「新緑の風よ、我が身に迫りくる怪物を

斬る刃となれ!」


ぐっ、と剣を持つ右手を握りしめ

左足を僅かに後退させる。

剣から溢れんばかりの風のマナが

この平原全体を包み込む。


「刃風・風薙!」


剣が振り下ろされ、左右同時に

深緑の刃が放たれた。

緑色の三日月ともいえるそれは、2匹のモンゴリアン・デスワームの首を一太刀の内に切り落としたのだった。


ずどん、と重々しく乾いた音が響いたと同時に、吹いていた風は止んだ。


「ふぅ……イングラムくん!大丈夫?」


颯爽と、腰を下ろしているイングラムに駆け寄り、彼の肩に手を置いた。


「……少々キツい」


「だろうね、待ってて。

今この大気中の風のマナを君の電気のマナに変換してるから」


戦士の左手から淡い緑色の光が現れて、

イングラムに流れ込んでいく。

騎士の体内で、枯渇していたマナが回復していくのを感じた。

呼吸も自然と落ち着いてくる。


「ありがとうルーク、助かった」


「礼なら君の国の門番に言ってよ」


ルークと呼ばれた青年は

ここにきた理由を説明した。





ルークは旅の途中でソルヴィアに寄った。

ヒレ肉専門店があると聞きつけたから。

しかし、門に入る直前に、一人の門番が声をかけてきたのだという。


「あなたは、かの有名名風使いのルーク様ではありませんか!

どうか、ハーウェイ卿の行く道を手助けしてくださいませ!」


「うん?それはどういうことです?」





「————と、言うわけで

超高速ですっ飛んで来たってわけだよ。」


「なるほど、それにしてはゆっくりと歩いてきたように見えたが」


「いや、あれは意図的にね?わざとやつらに俺を意識させるためのあえての方法だったのさ」


「理由はともかく、助かったよ。

ありがとうルーク」


ようやく立ち上がれるようになったイングラムは、右手を差し出す。

ルークは鼻を指で擦りながら、手を握り返した。


「どういたしまして……っと、そういえば、なんであそこの騎士なんてやってるわけ?」


「……」


「訳ありかい?」


「ルークには言っておこうか」


イングラムは腰を据えて話し出した。

ルークは正座でその話を聞く。


「俺があそこの騎士になったのは、あの国の王に命を救われたからだ。

だから、俺は功績という形で可能な限り恩を返しているんだ」


「そうなんだ……じゃあさ、それまでは何をしてたの?」


「レオンさんを、探していた──」


その名を聞いたルークは血相を変えた。

どういうことだと、イングラムに詰め寄る。それと同時に、周囲の風が強く吹き始めた。


「レオンさんは突然行方不明になったんだ。俺の前から、姿を消してな。

後輩からの情報では、魔帝都が裏でなにやら企んでいたらしいが……」


「魔帝都だって!?

一体どんな企みを──!」


魔帝都とは、イングラムたちのように

マナを使える人間を養成している傭兵学校である。


「それはわからん。

俺の方でも調べてはみたが、これと言って情報は出てこなかった」


ルークは地面を拳で叩く。

自分がそれを知ることができなかったための憤りが全身を駆け巡る。


「くそっ、あいつらはどうしてレオンくんばかりをこうも無碍にするんだ!

彼があいつらに何をしたっていうんだ!」


「それは俺も気にかかるところではある。

だが、今はどうすることもできん」


イングラムは冷静に紡いだ。

魔帝都歴代最強の人間とよばれた男だ。

そう簡単に死ぬはずはないと。


「……確かにそうか。

俺たちが希望を捨てちゃいけないよね」


「あぁ、その通りだ」


ルークはむくりと立ち上がり、今度はルークが手を差し伸べた。


「イングラムくん、俺もレオンくんを探すのを手伝うよ。今のを聞いちゃ俺ものうのうと武者修行をしてるわけにはいかない」


「ルーク……ありがとう。

一緒にレオンさんの情報を集めて、一緒に帰ろう」


「おうさ!」


がしっ、とイングラムはルークの手を強く握りしめて立ち上がる。


「さて、俺は王の命を果たさなければ。

ルーク、エルフの国へ一緒に来てくれるか?」


「もちろん、君の背は俺が守るよ」


「では、俺はお前の背中を守ろう。

行くぞ」


こうして、イングラムは同期のルークと

二人でエルフの国へ向かうのだった──

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