第4話 マンティコア

【マンティコア】


人面獣身体、さそりの尾を持つキメラと呼ばれる魔物。

人並みの知恵を持ち、年を経ると言葉すら発するようになるという。

名前の由来は砂漠地方の言葉で「マルティコラス=人喰い」という意味。

名前の通り人を好んで襲い喰らう。

脅威度は高く、少なくとも冒険者になりたての人間が叶う存在ではないし、

生息域がダンジョンや砂漠地帯であるため、森林地帯でかつ脅威度の高い魔物が滅多に現れないこの地域において、本来目撃すらされるはずがない。


そんな魔物が今、目の前にいる。

鎌首をもたげげ、尾と唸り声で私を威嚇している。


こいつが出てきたのは、この森に存在する、寂れた遺跡だ。

この森に妹と二人で入ったのは、薬草の採取が目的だった。

私たちが昔世話になった孤児院の子供たちや先生たちが、奇妙な病気にかかって動けなくなったのを知ったから。

孤児院は裕福ではない。

どちらかと言えば細々とした寄付金をやりくりして、極貧の生活をしている。

もちろん薬を買ったり、高価な医療魔術をかけてもらうこともできない。

だからこそ私たちは森に入り、薬草を集めようと思い立ったのだ。

そんな私たちが、半日かけて遺跡近くの採取ポイントに到達したその時。

遺跡の奥から数人の男たちが、慌てて飛び出してきたのに遭遇した。

見た目は学者風の白衣の集団と、それを護衛していたのだろう黒装束の男たちだった。

口々に「実験は失敗だ!」とか「これでは魔神様の降臨に」とか言っていた。

そんな男たちが、私たちと目が合った瞬間、黒装束の一人が走り抜けながら

ベリトを遺跡に突き飛ばした。

一瞬何が起こったのか理解できなかった。

遺跡の中から異様な集団が出てきたのもおかしいし、関係ないベリトを突き飛ばしたのもあり得ない。

しかし、その疑問は一瞬で闇の中に突き落とされる。

男たちが逃げ去った遺跡から、異形の生物が現れたからだ。

男たちが私たちに魔物を押し付けたのだと理解したときには、状況は最悪な

方向に転がっていった。

あまりのことに動けなくなっていたベリトの手を強引に引き、庇うように逃がそうと動いたのと、魔物が威嚇の遠吠えを上げたのはほぼ同時のことだった。


背中に鋭い痛みが走る。

妹を庇った際に、魔獣の尾が私の肩を貫いたのだ。

鋭い痛みと共に、肩に強烈な違和感が伝わってくる。

恐らく蠍尾によって毒が注入されたのだろう。

マンティコアの尾は強力な毒素、麻痺毒ともう一つ、厄介な毒があると聞く。

そのため一部の裕福層からの需要が高く、蠍尾の素材は高騰するのだと。


「ベリト、行きなさい。そして早くギルドに救援要請を」

「お姉ちゃん!?」

「私なら大丈夫。うん、私だけなら大丈夫なの、分かって」

「わからないよ!? こんな怖い魔物にお姉ちゃんだけでなんて……」

「私だから大丈夫なの。でもベリトがいたら守り切れない、いい子だから

わかって」

「でも!」


この獣にはある特徴がある。

年を経た個体は人面が人間同様、年相応に変わる。

そして老齢した個体ほど知恵がつき、個体の戦闘力も上がる。

そのため顔を見ればおおよその戦闘力が分かり、通常の討伐レートも上がるとされている。

曰く、老齢固体を相手にできるのは、ランクB以上の冒険者がPTを組んでようやく五分。

初心者を超えたばかりのEランクである私たちが対処できるような相手では当然ない。

だから私は妹を庇って、ギルドに救援を求めるように言い含めて突き飛ばすように送り出した。

妹は私と戦うと言って譲らなかったけど、この場に留まっても二人とも嬲り殺しにされるだけだし、なによりこのマンティコアは老齢固体だから、見知った知識の通りなら、私だけでも足止めできると確信していたからだ。

人間として、女としての尊厳さえ飲み込むことができれば、もしかしたら生き延びることもできるかもれない。


「……初めては素敵な殿方となんて、贅沢言うつもりはなかったけど」


そう。

目の前の魔獣は明らかに、私を喰らうよりも他のことを視野に入れて対峙している。

マンティコアには、人喰いのほかに、もう一つ特徴がある。

老齢固体は女を襲い、犯して自身の子供を産ませる。

目の前の個体もあからさまに息荒く欲情し、舌なめずりしながら私を見つめている。

もちろん私も黙って襲われるつもりはない。

抗って、抗って、刺し違えてでも倒してやる。

私の身体を貪るのなら、その間に全力で自爆してでも殺してやる。

悲しいことに、私にはその言葉を実行できる奥の手もある。

使えば必ず死ぬ。その代わりにこの魔獣くらいなら道連れにできるであろう力。

妹ですら知らない、秘密。

でも、妹を助けることができるなら……使い方としては理想的だろうと思いながら、改めて魔獣を見る。

悲壮な決意をした私を見て、魔獣は「もういいのか?」的な表情を浮かべる。

もちろん、そう見えただけなのかもしれない。

ただその表情に、私はひどく侮辱された気がして気分が悪くなった。

双剣を握る手に力がこもる。

初めての昇格の記念に、妹と選んで笑いながら選んだお気に入りの武器。

もちろん安物だし、性能もそれほど高くない。

それでもかなりの時間、共に戦った相棒の剣だ。

この剣をどうやって相手に突き刺すか思案する。

もちろん私の力では傷ひとつ、つけることはできないかもしれない。

始めに左肩に打ち込まれた毒針の効果か、少しづつだけどしびれて握りが甘くなっているのを感じる。

私に残された時間は明らかに少ないし、この魔獣に勝てる確率なんてほとんど無いことも理解している。


でも。


それでも、それでも!


私は姉として、女として!


この魔獣を倒さなくてはならない!


結果的に最悪を受け入れざるを得ないとしても!


女の尊厳を奪う行為をこの獣にされたとしても!


抗って、戦って!


絶望の表情を浮かべてこの場から追い払うように送り出した妹に!


私は最後まで勇敢に戦ったんだと伝え残すために!


無様に生き恥を晒すつもりなどない!


そう心に誓って、もう一度剣の柄を強く握る。

そんな私を見ながら、魔獣が下品な笑みを浮かべる。

大きく開いた口から、涎が流れ落ち、生臭い匂いが鼻をついて、ただでさえ

不快な気分をさらに不快にさせる。


そして、戦いが始まった。


「………ぇ…………ぁ……ん…………………ッ!?」


そんな私の耳に、今一番聞こえてはいけない声が耳に届いた気がした。


「!?」


聞き間違えるはずのない声。

今一番聞いてはいけない声。


「…………ぇちゃ~ん~~~」

「ベリト!?」


それはこの場から逃がしたはずの妹、ベリトの声。


「~~~~~~~~~~~うゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~!?」


それがなぜか、頭上から、間延びした感じで聞こえてきた。


「え?」


それはそう、まるで空から落下してるような?


「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!? いったーーーーー!

もう、瓶さんのばかぁ!!」


マンティコアと私の間に飛び込んできた妹……ベリトは、一度派手に、

そうそれはもう派手にびょ~~んと跳ね上がってから尻もちをつき、

誰に言うのでもなく文句の声を上げた。

妹の胸元から転がり落ちた何かがベリトをぽーんと跳ね飛ばしたような……。

私も、マンティコアでさえ、その状況についていけずに、ぽかんとその様子を眺めている。


「お姉ちゃん!? よかった! 無事だったよ!」


あっけにとられていた私に、涙目のままベリトが駆け寄ってくる。


「え、ええ……じゃなくて! なんで戻ってきたの!? ギルドに救援要請を出しなさいってあれほど言ったでしょう!」


魔獣の攻撃をいなしながら私は怒鳴るように妹を叱る。


「だって……だって、お姉ちゃんが心配だったんだもん!」

「老齢固体のマンティコアが相手だから、私は死なない可能性が高いって言ったじゃない!」

「そんなの知らない!

あたしをひとりにしないでよぉ、おねえぢゃぁぁん~~!!」


涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら泣くベリト。


一度は逃がして安心していたのに……それでも嬉しく思ってしまうのは仕方のないことだ。

この世にただ一人の肉親にここまで思われてうれしくないはずもない。

しかし状況としては最悪。

私が囮になり、妹が上級冒険者を連れてくることができれば、体は無事ではないとしても命だけは助かるという腹積もりであった。

マンティコアは私を捕獲した後、私の身体を嬲っても殺さないだろうと思っていたのだ。

それまで時間を稼げれば私の勝ち。

倒せれば大金星。

最悪食い殺されるのなら、道連れにできる手段も算段もあった。

私の生まれながらの体質のお陰で、黙って食い殺されることだけはないと断言できたからだ。

妹すら知らない、私の秘密。

だけどそれは私が一対一でこの魔獣と対峙するならという前提があるのだ。


「そうだお姉ちゃん、これ!」


そう言って妹が奇妙なものを差し出した。


「なにこれ?」


「いいから飲んで! 詳しくは瓶さんから聞いて!」


むんと気合を入れて、妹が魔法を唱える。


「き、聞いてって……え? 瓶?」


「うん、その瓶さん!」


えぇ?

妹が何を言ってるのかわからない。


困惑する私をしり目に、妹が得意の炎系魔術の呪文を唱え終える。


ごぉぉぉぉぉッ!!!!!!


「え!?」


それは多分、初球炎魔法の呪文……だったはず。


のはずなのだが……目の前に浮かび上がったそれは明らかに……。

そう、明らかにサイズが……なんかもう、とんでもないサイズだった。


「ふぁいあああああろおおおおおお!!!」


ちょっと待って、それファイアアローじゃないよね?


私のよく見知ったファイアアローは、文字通りの炎の矢を打ち出す魔法だったはず。

魔法の矢も、弓で引く普通の矢と同じサイズだったはず。


でも目の前のそれは……。


まるで攻城兵器である据え置き式の大型弩砲バリスタの矢のような……。

なんかもう、あり得ないサイズだった。


「わぁ、でっか!」


魔法を唱えたベリトが可愛く驚いているのが珍妙に見える。

そしてそれは、向けられたほう……マンティコアも同様で。

明らかに動揺して逃げ出そうとしているのだが……あまりの展開についていけず、後ずさりすら満足できない状況に陥っていた。


「瓶さんのポーションやばすぎでしょ、もう!」


なんかもう心底あきれるようにそう言ってから、妹はマンティコアをきっと睨みつけた。

マンティコアがびくっと反応したのが見える。


「お姉ちゃんを怖がらせた魔獣なんか黒焦げになっちゃえ!

ファイアアロー!」


だからそれファイアアローじゃないよね!?

思わず2度目のツッコミと、ベリトの詠唱が終わると同時に、バリスタの矢みたいなそれがものすっごい勢いでマンティコア目掛けて放たれた。


「~~~~~~~~~ッ!?」


逃げる事すらできず、ただその矢を見るばかりの魔獣。

刹那、轟音と共に魔獣に吸い込まれ……魔獣を中心に綺麗に、周囲の木々ごと消滅して丸い空間が出来上がる。


「えぇ……?」


残ったのは、円の形にはるか向こうまで見渡せるようになった焦げ跡と……。

魔獣だったモノの尾のみだった。


「あ、あははは……これはそう、夢なのね」


あまりに非常識な状況に、私は自分が現実逃避しているのだと思った。

多分現実の私は、あの魔獣に嬲られている途中で、現実逃避をしてこんな幻を見ているのだと。


「夢じゃないぞ?」


そんな私は、不意に男の人から声をかけられる。


きょろきょろと周囲を見回すも、焼け焦げた森と、ファイアアローを放った

ポーズのままぽかんと固まるベリト、残された蠍尾しか目に入らない。


「どなた……ですか?」


自分でもわかるくらい狼狽した声で、もう一度だけ声をかける。


「あー……ええと、お姉さんが手にしてる」


声は手元から聞こえてきた。


「………………」


私はベリトに渡されたもの……透明な瓶のようなものを見た。


「どーも」


聞き間違いではない。

それははっきりと、透明な瓶から発せられていたのだ。


「あ、あははは……毒が回っておかしく……なったのかなぁ……瓶がじゃべってるように見えるわ……」

「瓶じゃなくてペットボトルなんだけどな……とりあえずコーラで体力だけ

でも戻したほうがいいのか?  悪い、ちょっと【鑑定】させてもらうぞ?」


私の手の中から、なんだか難しそうな唸り声と独り言が聞こえる。


「うーん……」

「うお、これはちょっと……ヤバいか? ……って、お、おい、ベリト姉! 大丈夫か!?」


いろんな意味で限界を迎えた私の意識はゆっくりとブラックアウトしていく。

失血や麻痺毒の効果というか……今の状況を理解できない、したくないというか……。


「……きゅう」

「お姉ちゃーーーーーーーーーーーーーーん!?」


そのまま気を失った。


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