設楽敏

六畳一間の中央に、四本の柱が建っている。

それらは一列に並んでいて、四本目は半分ほどが壁にめり込んでいた。昨日にはなかったものだ。また増えたらしい。

柱に巻き込まれて木っ端微塵になってしまった本棚を片付けながら、僕は溜息を抑えることができないでいた。


就職を機に一人暮らしを始めた僕は、人生初の一人暮らしに浮かれていた。門限がなく、風呂に入る順番や家族の目を気にする必要もない。そんな自由な生活に、確かに僕は浮かれていた。浮かれてはいたけれど、部屋の真ん中に柱が建っているような部屋を選ぶほどではなかったはずだ。

はじまりは三日前。その日も夜遅くまで仕事に追われていて、ようやく二十一時頃に会社を出ることができた。適当に外食を済まして家に帰ると、そこには見慣れない縦線があった。それが柱であると認識するには少し時間がかかった。突然のことに理解が追いつかないまま、新しく増えた仕事のことで頭がいっぱいでその日は倒れ込むようにして寝てしまった。

翌朝、遅刻ギリギリの時間に飛び起きると、目と鼻の先に柱が増えていた。そのこと以上に時計の示す時刻に驚いていて、それどころではないとスーツを掴んで急いで家を出た。帰宅後もやはり疲れですぐに眠ってしまい、またしても柱の問題は保留のままになった。

そうもいかなくなったのが昨日のこと。また増えた柱が運悪く目覚まし時計を破壊してしまい、僕は初めて遅刻した。軽い注意で済んだものの、その日はずっとモヤモヤした感情が頭にまとわりついていた。家に帰ると、やはり三本の柱が等間隔に整然と並んでいて、澄ました佇まいで僕の日常を乱すこの柱たちが、徐々に憎らしく思えてきた。明日は休日だから明日じっくり考えよう、そう自分を誤魔化して不貞寝した。新しい目覚まし時計は明日買えば良いのだ。

そして今朝。部屋の中央に生えた一本目から、柱の列は順に壁の方へと進み、ついに今日は壁に埋まってしまっていた。


この柱は一体何なのだろう。そんな当たり前の疑問が出てくるまで既に四日が経っていた。

改めて間近で見てみると、その柱は表面がとても滑らかで、触れるとひんやりとしていた。おそらく大理石だろう。それが床から天井までまっすぐに部屋を貫いていて、邪魔くさい事この上ない。邪魔なだけでなく、部屋に置いてあるものを破壊さえするのだからタチが悪い。

一昨日の朝を思い出す。砕け散った本棚が自分の頭だったら……。列柱が壁に到達した今、明日はどこに柱が生えるかわからない。もはや部屋に安全な場所はないのだ。そこそこ真面目に生きてきた人間が、まさか柱に家を追いやられるなんて。

その日から僕は自宅で寝ることを諦めた。仕事に必要なスーツや鞄などをキャリーケースに詰め込み、職場近くのネットカフェを仮の住まいとした。ホテルに連泊するほどの余裕はない。

初めてのネットカフェには驚きがたくさんあった。想像よりは清潔だし、飲食は自由でドリンクバー付き、ネットも使い放題で、おまけにシャワーまで完備されている。これなら確かに生活できそうだ。鍵付き個室を借りれば、そこは僕だけのプライベート空間。多少の狭さに目をつむれば意外と快適かもしれない。

横になって目を閉じると、瞼の裏に浮かんでくるのはあの柱だ。等間隔に並んだ乳白色の柱の屹立する様子が妙に印象に残っている。

日曜日に一度家の様子を見に行くと、やはり柱が増えていた。新たな柱は二本目の隣にこれまでと厳密に同じ間隔で生えていて、列柱のなす直線と垂直の位置に立っている。それぞれメジャーと分度器で確かめたから間違いない。どうやら柱たちはグリッドを描くことに決めたらしい。

そうと分かればやることは一つ。近場に貸倉庫を借り、そこに荷物を入るだけ詰め込んだ。すべてを収納できるわけではなかったけれど、今やネットカフェ生活をしている身なのだから、物は少ない方がいい。残りはとりあえずグリッドの隙間に配置しておいた。これで片付けの手間が増えることはないだろう。

次の日から、仕事終わりはネットカフェに帰る前に自宅の様子を見るようになった。日に日にグリッドが埋まっていくのを楽しみにしているのを自覚したのは、部屋中が等間隔の柱でほとんど埋め尽くされた頃だった。無数の柱が規則正しく並ぶ様子は壮観だ。何か崇高なものが形作られる過程に立ち会う日々がもうすぐ終わってしまう、そのことへの寂しさを感じるまでになり、この部屋で寝起きしていた頃が随分と昔のことのように感じれられた。既に住居としての機能は果たせなくなっていたけれど、むしろこれが本来の姿なのではないかとさえ思えた。

そんな考えは一夜にして塗り替えられた。部屋を埋め尽くしたグリッドの隙間に新たな柱が生えていたのだ。

これは革命だ。そう僕は直観した。理路整然とした規則が打ち破られる姿にこんなにも感動するとは……グリッドのなす正方形の中心でもなければ、正三角形を生じるような位置でもない。いわば超越数のような掴みどころのなさがその配置には宿っている。目が眩むような光景に、僕は新たな秩序の出現を歓迎した。グリッドの隙間に置いていたテレビが破壊されていることなど全く気にならなかった。

それから僕は、かつて自宅だった空間の行く末を見届けることにした。爆発する柱の増殖は一つの芸術に昇華していて、もはやここに住むという発想はなかった。

しばらくして床が足りなくなったのか、垂直以外の方向にも柱が生えるようになった。ウニのように外壁から飛び出した柱が住宅街に異質な光景を生み出すようになってからは、その様子が連日報道されるようになった。たくさんの取材申し込みの連絡が大家さんを介して僕のもとに届いていたけれど、すべて無視した。

ちょうどその頃、職場では僕がネットカフェで寝泊まりしていることが噂されるようになり、上司から適当な理由をつけて自主退職を迫られた。より多くの時間を柱の観察に費やすことができるようになることの喜びに打ち震えて、僕は差し出された辞職願に名前を書き殴って会社を後にした。

それから僕は毎日、壁を貫く柱がニュースで取り上げられるのを鍵付き個室のテレビでじっと眺めていた。

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設楽敏 @Cytarabine

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