親友の秘密

真木

親友の秘密

――今までの自分を消したい。

 彼女が私にそう言って離れていったとき、私は何も声をかけることができなかった。

 私には親友がいる。名前は希理子きりこ。中学校からの同級生だった。

 希理子は私の弟の斗真とうまと結ばれて、いくという息子も生まれたのだけど、その言葉を私に告げて姿を消した。

 そして私の前に戻ってきたとき、桐人きりとという男性になっていた。

 誰にも相談せずその選択を取った彼に、どうしてと言うより、今までどれだけ一人で悩ませていたのだろうと後悔した。

 それから十年が経って、今そこにいる彼は、心から幸せそうに笑っている。

「ひな!」

 舞台の後、下りた幕を片手でかきあげて、桐人が声を上げた。

 花束を持って楽屋へ向かおうとしていた女の子たちが黄色い声を上げる。

 別世界にいると思っていた俳優が舞台から降りようとしていたら、ファンでなくてもびっくりする。

 私もうろたえて、身振り手振りで「後で」と桐人に知らせる。

 桐人は我に返ったように、慌てて幕の向こうに消えた。

「悪い。初舞台で興奮しすぎて」

 後で出待ちのファンの子たちから逃れて、桐人は私の家にやって来た。

「そういう顔ね。おつかれさま。はい、焼きたてだよ」

 苦笑しながら私が自家製のあんぱんを出すと、桐人の目が輝いた。

 ぱっとお皿の上からあんぱんを手に取ると、にこにこしながら食べ始める。

「俺、これ大好き!」

 男性、女性、そのどちらの枠にも収まらない、かわいい笑顔だと思う。

 秀でた目鼻立ちに、彫像みたいに引き締まった長身。今年引退するまで二十年間モデルをしていた桐人は、笑わないと怖いほど綺麗だ。

 私は正面の席でそれを見守りながら言う。

「いい舞台だったね」

「だろ? 千秋楽直前は三日間水しか飲まなかった甲斐があったな」

「あんぱんなんて食べて大丈夫?」

 私が顔をかげらせたのを見て、桐人は安心させるように笑う。

「平気、平気。本当の俺が丈夫なことは、ひなも知ってるだろ」

 今回の舞台は、桐人が主演を務める天才音楽家の生涯の物語だ。

 難病に苦しんで、若くして亡くなった彼を演じるにあたって、桐人はただでさえ細い体をさらに十キロ絞った。

「モデル歴は長いけど、舞台じゃ俺は三十歳で新人だからな。ここからだ」

 誓うようにつぶやく桐人に、私は何も言えない。

 桐人はいつも自分ですべてを決めると、わかっているから。

 桐人はそんな私の顔を見て、哀しそうな顔をした。

「ひなが泣くのをこらえる顔を見るのは、もう数えきれない」

 桐人はふいにあんぱんを食べるのを止めて言う。

「ごめんな。俺は自分勝手で」

 私と桐人は、中学生のときに初めて隣の席になった。

 桐人はテストもスポーツも、何をさせても常に一番。十歳の頃からお菓子の一つも食べずに、完璧にランウェイを歩いていた。

 私は苦い笑みを浮かべて言う。

「いいの。今の桐人が、桐人のなりたかった自分なんでしょ」

「うん!」

 桐人は痩せた頬をほころばせて、屈託なく笑う。

 二十年ものモデルのキャリア、誰もが憧れた美少女、どちらも彼には何の価値もなかったのだ。

「……前の自分のままだったら、今の幸せはなかったんだろうな」

 ぽつりと告げた桐人の心を、今も私は理解しているわけじゃない。

 過去がまったく不幸だったと、そう言いたいわけじゃないのだろう。実際、彼は今も私を始めとして友達ともよく会う。

 けれど違う自分になりたいと願ったのは確かなのだと、桐人は言う。

 ただ桐人の過去から生きている、大きな存在があった。

「ひなちゃん、ただいま!」

 桐人が不在だった間に私が引き取って育てた、彼の息子の郁。

 郁は弟の斗真と私の、三人で一緒に暮らしている。ぱたぱたと近づく足音に、私は自然と母親の顔をした。

「おかえり」

 でも郁に振り向いて私と同じ言葉を告げた桐人は、とてもぎこちない顔だった。

「……こんにちは、桐人さん」

 対する郁も、桐人をみとめた途端声が小さくなった。

 郁は斗真のことはお父さんと呼ぶけど、桐人のことは決してお母さんと呼ばない。

 それは桐人が男性になったからでもあるだろうし、打ち解けにくい桐人の性格からでもあると思う。

 黙りこくった二人の代わりに、私は郁に声をかける。

「双眼鏡は買えた? 見せてくれる?」

 郁は桐人を気にしながら、そろそろと包みをほどいた。

 桐人もかがんでそれをのぞき込もうとして、床に手をついた。

「桐人?」

 前髪が下りてわかりにくくなった顔色。でもかえってそれでわかった。

 桐人の額に手を当てると、ひどく熱かった。私は顔をしかめて桐人に言う。

「やっぱり体にはよくなかったんだよ。病院に行こう、桐人。付き添うから」

「ん……」

 桐人は渋ったけど、体がつらかったのだろう。私が手を差し出すと、力を借りて体を起こした。

「疲れたね。ごはん作るから、しばらくここに泊まりにおいで」

 私の言葉に、今までおろおろしながら様子を見ていた郁の顔色が変わった。

「だめ!」

 郁ははねのけるように叫ぶ。

「桐人さんは出てって!」

 私は今までにない郁の拒絶に喉をつまらせて、とっさに何も言えなかった。

「すぐ! だめったらだめ!」

 郁がそこまでの反応を取ったことがわからなくて、私は頭が真っ白になる。

 私とは対照的に、言葉を聞いた桐人は落ち着いて見えた。

 桐人は息をついて首を横に振る。

「わかってる。大丈夫」

 桐人は静かな声で、さとすように郁に言った。

「ここには泊まらないよ。心配するな」

 私の手を離して、桐人は自力で立ち上がる。

 あきらめたように苦笑する桐人を見るのが悲しい。

 私は中途半端に、手を差し伸べたままだった。





 それからしばらくの間、毎日桐人のマンションに様子を見に行った。

 桐人は三日間点滴に通っていたけど、元々鍛え上げた体だから、すぐに自分で体調を整えていったようだった。

「ごめんね」

 日曜日の昼、様子を見に来たはずが桐人に手料理のオムライスをごちそうされて、私は何度目かの謝罪の言葉を口にした。

「何が?」

「オムライス」

「ひな、これ好きだろ」

「そうじゃなくて。病み上がりに何をさせてるんだろうって思って」

「なんだ」

 桐人は肩の力を抜いて笑う。

「俺は料理好きだよ。食いすぎが嫌いなだけ」

 私は時々不思議になることがある。

 桐人は料理をはじめとする家事全般を抵抗なくこなし、女の子だった頃はメイクやスカートも楽しんでいた。

 それに郁を産んだのだから……桐人は確かに、女性として斗真と結ばれた。

 たぶん桐人は、女性性を嫌って男性になったわけじゃない。桐人はそういう選び方はしない。

 だったら桐人が男性性を選んだのは、どうしてなんだろう?

 私が考えに沈んでいたのを、桐人は別の意味に取ったらしい。彼はふいに苦笑して切り出した。

「三日前のこと、そんな気にするなよ。俺はいいから、いつも郁の味方でいてやってくれないか」

 私が顔を上げると、桐人は無理に口の端を上げて言う。

「郁が俺を嫌うのは当たり前だろう? 俺は母親をやめて男になったんだ」

「桐人は三日空けずに様子を見に来てる。お金だって毎月振り込んでくれてるのに」

「お金に愛情の色はついてないんだよ、ひな」

 私は眉を寄せて桐人を見上げる。

 桐人が郁を愛しているのが、どうして伝わらないんだろう。

 苦笑しながら郁を見やるとき、郁の話を聞いて、困ったなと口の端を上げるとき、桐人は親の顔をしている。

「性別はそんなに大事かな」

 思わず口にした言葉は、もしかしたら桐人を傷つけたかもしれない。

 でも桐人は笑って、うん、とうなずいた。

「俺にとってはね」

 それから少しして、桐人は次の舞台の打ち合わせのために出かけていった。

 私はせめて掃除でもして帰ろうと思って、洗面所に向かう。

 だけど桐人の部屋は綺麗だ。物を出しっぱなしにしないし、無駄なものは買わないから、いつもきちんと片付いている。

 私はだんだんと普段手をつけないような、たとえば棚の隙間やテレビの奥を掃除し始める。

「あ、これ郁の」

 それで、古いビデオテープをみつけた。ラベルには、「入学式」、「六年生運動会」など、郁の学校行事がずらっと並ぶ。

 桐人は郁の学校行事に必ず出て、そのたびにビデオを取る。でも実は、その中身を私は一度も見たことがなかった。

 郁の学校行事には、もちろん私も出ている。でも桐人の目を通して見てみたいなと思った。

 桐人は古い演劇のビデオを見るために、家に旧式のビデオレコーダーを置いている。私はそれのスイッチを入れて、ビデオテープを吸い込ませた。

 私の前で懐かしい映像が流れ始める。

 小学校の入学式、郁が私と手をつないで桜の下を歩いている。あどけない郁の顔を見て、頬がほころぶ。

 ママと郁が呼ぶ。内緒話をしようと私の袖を引いてはしゃぐ。

 私がお母さんだと、何の疑いも持っていない笑顔だった。

 そう呼ばれるたびどれだけ嬉しかっただろう。かがみこんで郁の内緒話を聞いている私を、画面の外から見ていた。

 別のテープを入れると、郁の六年生の運動会だった。

「ひな、大丈夫だよ」

 桐人が画面の外から言うのが聞こえる。画面の向こうには、不安が張り付いた私の顔があった。

 私は落ち着かない様子で言葉を繰り返す。

「せっかくたくさん練習したのに、転んだりしたら……」

「大丈夫。郁は転んだって立ち上がるよ」

 何度桐人に大丈夫と言われても、私はおろおろしながら白線の先を見ていた。

 リレーが始まった。郁はこのときアンカーで、郁が走り終わるまで私は一瞬も目が逸らせなかった。

 バトンが郁に渡って、私は泣きそうな顔で見守る。

 郁が走り出したときは、もう呼吸も止めていた。私はただ必死で、郁が転ばないでいてくれるのだけを願った。

 でもそういうときほど願いは叶わない。

 郁は接触して転んだ。私は悲鳴を飲み込んで、一瞬だけ迷った。

 もういいよと言いたかった。郁は練習のときからたくさん転んで痛い思いをした。泣いて私のところに戻ってきたなら、抱きしめてあげられる。

「大丈夫よ!」

 私の声を、郁がどんな気持ちで聞いたかは知らない。

 郁は立ち上がって、前だけ見て走った。

 五位でバトンを受けて、結果は二位だった。

「お母さん、だめだった。一番になれなかった」

 後で私のところに戻ってきた郁は、そう言ってぼろぼろ泣いていた。

 がんばったからいいよなんて、言えなかった。そんな言葉は郁の気持ちにはあまりに安い。

 何も言えずに郁の前でうつむいている私を、桐人のビデオが見ていた。

 別のビデオは、つい最近のことになる。

 それは郁の学校行事ではなくて、私の友達の結婚式のときだった。

 桐人の友達でもあったから、桐人も来ていてビデオを撮っていた。

 流れている映像を見ていたあるとき、違和感が胸をついた。

 結婚式の主役の友達は映っているけど、ピントが合っていない。桐人はもっと近くを撮っている。

 それは桐人の隣のテーブルで、郁と斗真、私が三人で話している。

 斗真は決して桐人の方を見ない。全身で桐人を気にしながらも、振り向かない。それが男性になった桐人にできる、弟の精一杯の愛情の形だった。

 そんな斗真にどうしていいかわからず、他愛ない話でごまかす私と、やはり桐人の方を気にしている郁がいる。

 私は映像をみつめながら、桐人は斗真を撮っているのかなと思った。一緒には暮らさなかったけれど、桐人と斗真の間には他人にはわからない思いがあるのだろう。

 でも時間が経てば経つほど、違うのがわかった。桐人はその中から一人を選んで、食い入るようにレンズを近づけていた。

 ……紅の着物姿の私が振り向いたとき。桐人はビデオを下ろして、映像が暗転した。

「知らなかっただろ」

 横から手が伸びてきて、私の手の上からビデオを止める。

 現実に戻ってくる。息が触れるようなところに桐人がかがんでいて、私を見下ろしていた。

「俺がいつもひなに見とれてたなんて」

 桐人が私を見るときに、瞳に映す色。ずっと見ないようにしていたそれを、間近でみつめることになる。

 私は乾いた唇で、ひとりごとのようにつぶやく。

「桐人、手」

「斗真はずっと知ってた。郁も気づき始めてる」

 ビデオは止まったのに、桐人は私の手を押さえたままだった。

 その手が温かいのか冷たいのか、今の私にはわからない。

 桐人の声も、ひとりごとのように部屋に響いていた。

「だから俺をひなに寄せ付けないんだ。あの子は賢いな」

「手を」

 離してほしい?

 自分が何を言いたいのかわからなくなったとき、桐人はその言葉を口にする。

「俺が本当は誰とセックスしたかったか、知りたいか」

 私は恐怖に追いつかれて、おもいきり桐人の手を振り払っていた。

「やめて!」

 拒絶を口にした私を、桐人はそれ以上追い詰めたりしなかった。

 桐人はそろそろと私から距離を取ると、大切そうにビデオを背中に隠す。

「……うん。俺もずっと秘密にしておくつもりだったよ」

 ごめんとつぶやいて、桐人は部屋を後にする。

 部屋に残った私は、暗転した画面をみつめたまま、動くことができなかった。






 郁と同じ十二歳だった頃、私の世界は静かだった。

 両親の愛情に包まって、安息の中にいた。

 でも桐人がそこにセックスを持ち込んだとき、世界は少しずつ変わり始めた。

 桐人は隠していたけど、なんとなくは私も気づいていた。

 桐人が私に向ける感情に戸惑って、見ないふりをしていただけ。それはよくないものだと、恐れていたから。

 でも斗真が桐人に恋をするのは止められなかった。斗真が桐人にセックスを向けたとき、私は大切な弟も恐れるようになった。

 心が桐人のせいだと悲鳴を上げていた。

 私は家族のくれた、愛の世界にいたかった。弟さえも恐れるような、恋とセックスは見たくなかった。

 見たくないのに……どうしてその世界は、愛の隣にあるのだろう。

「郁、入ってもいい?」

 ある日、私は郁の部屋の扉をノックした。

 桐人のマンションを訪ねなくなって、一週間が経とうとしていた。

「いいよ」

 郁の声が返って来て、私は扉を開く。

 暗い部屋の中、手作りのプラネタリウムが天井を照らしていた。

「ひなちゃんも一緒に見ようよ」

「うん。そうする」

 郁は床に寝転がって天井を見上げていて、私もその隣に寝そべる。

 郁が手でプラネタリウムを動かすと、夜空も動いていく。

 星を見ると子どもの頃を思い出して、どうしても泣きたくなる。守られていた頃が懐かしくなる。

 気持ちをまぎらわそうと郁の方を見ると、彼は胸の上に何かを置いていた。

「それ」

「この間お父さんと買ってきたんだ」

「でも」

 繰り返しそれをさする郁に、私は不思議に思って言う。

「それは双眼鏡じゃなくて、オペラグラスっていうの。星や鳥を見るものじゃないんだよ。郁の大好きなものは、もっと遠くを映さないといけないの」

 私がそう言うと、郁はうなずいた。

「知ってる。でもこれがいいんだ」

 郁は口をへの字にして言う。

「これは桐人さんを見るためのものだから」

「桐人を……?」

 今その名を口にすると、心に痛みが走る。つぶやいたきりうつむいた私に、郁は続ける。

「桐人さんはこれからどんどん遠くにいっちゃって、僕は劇場の隅っこでしか見れないでしょ」

 オペラグラスをさすって、郁はうつむく。

「……でも見たいんだよ。男になったって、桐人さんは大事なひとだから」

 郁がそう言ったとき、私は桐人に出会ったときを思い出した。

 隣の席で初めて見た桐人は、綺麗すぎて話しかけることもできなかった。

 話しかけたのは斗真だった。斗真が桐人に興味を持ったのはすぐにわかった。

 でも当時、桐人は今より激しい性格だった。斗真のことが勘に触ったらしく、刃のようなまなざしで斗真をにらみつけた。

 私は慌てて、鞄から小包を引っ張り出しながら言った。

 ごめんね。あなたが好きなものも、嫌いなものも、まだなんにも知らなかったの。

 よかったら食べてねと言って、前日に手作りしたクッキーを差し出した。

 私は実際、何も知らなかった。桐人が子どもながらモデルをしていて、太らないためにお菓子を食べないでいたこと。

 でも……本当はお菓子が好きなことも知らなかった。

 恐る恐る私が差し出した不格好なクッキーを桐人はつかんで、言った。

 私、これ大好き!

 初めて見た桐人の笑顔は、とびきりかわいかった。

 そのときの胸に満ちた感情を、私は今も心に抱いている。

「ありがとね、郁。思い出したよ」

 私は顔を上げながら、自分の心をみつめて思う。

「そうね。好きな人はみつめていたいね……」

 たとえ時間は流れても、同じ場所にはいなくても、持ち続けるものはある。

 恋と愛とセックス。どれも違うけど、ゼロ距離でつながった瞬間があったはずだった。

 うつろう星空を郁と見上げる。久しぶりに見上げた星は、いつまでも光り続けるように思えた。






 それから一か月後、桐人が主演を勝ち取った次の舞台を見に出かけた。

 舞台が始まる前のひととき、楽屋で桐人と二人、向き合う。

「女のままでいたら、俺は一生手もつなげなかっただろうな」

 桐人は私を正面に見ながら、そんなことを言う。

「俺はずるい。汚い。いつだってひなと結ばれる日を夢見てる。笑ってくれ、ひな」

 私は桐人をみつめて首を横に振った。

「笑えないよ。だってそれが桐人なのだもの」

 桐人は少し私の言葉を考える素振りがあった。私は口ごもりながら言う。

「怖いくらいに……みつめてくれていたんだもの」

 しばらく二人の間に沈黙が流れた。たぶんお互いの歩いて来た道を、過去を振り返っていた。

 膝に置いた手をさすって、私はどう言おうか迷った。

 桐人は私の言葉の続きを待っているようだった。静かに座ったまま私をみつめている気配がした。

 やがて私は顔を上げて桐人に言う。

「私も、もうちょっとあなたをみつめていていい?」

 ドアの向こうで係員が呼ぶ声が聞こえた。出番ですと桐人を促す。

 桐人はかがんで私をのぞきこむと、うなずいて言った。

「……いいよ。恋の世界で夢を見ながら、待ってる」

 そう言って、桐人は部屋を出て行った。

 私は裏口から出ると、劇場の入り口から入り直す。

 暗くなった客席、先に入っていた郁の隣に腰を下ろす。

 桐人は自分で言う通り、まだ役者としては駆け出しだ。小さな舞台だから、一番後ろの席でもよく見えるはずだ。

 でも私もオペラグラスを買った。郁と同じように神妙に膝の上に置いて、舞台の始まりを待つ。

 今度はどんな姿で現れるのだろう。桐人、またあなたが望む姿に近づけた?

 あなたがこれから、どんな姿に変わっていくとしても。私はあなたが好きで、あなたをみつめ続ける。

 幕が上がる。

 桐人の笑顔を初めて見たあの日のように、どきどきしていた。

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親友の秘密 真木 @narumi_mochiyama

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