なつのまぼろし

緑茶

なつのまぼろし

「だから言っているだろう。夏の始まりはカナリーイエローだと」


 おれが学校の帰りに寄る公園にいつもいる、だぼだぼ白衣のおねえさんは、そう言った。

 なんの仕事をしてるのかは教えてくれない。でもおれからすればへんなひとだ。  だって、夏のいろって、ふつう水色とかだろ。


 おねえさんに会うと、おれも変になる。心臓がどきどきして、顔がカッとあかくなる。

 一番ヘンなのは、おれはそれなのに公園に行くのをやめられないってことだ。

 なんでだろう。おねえさんなら知ってるかも。白衣だし、なんか先生とかかもしれない。


「ねえ、おねえさん」

「なにかな、少年」

「なんでいっつも公園いるの」

「ここが好きだからさ」

「答えになってないよ。だっておねえさんオトナだろ。なんか仕事してるんじゃないの。おねえさん、何者なの」


 おねえさんは、少し考えてから。


「……夏の、マボロシさ」


 そう言って、おねえさんは笑った。

 ちょっと、ミカンとかレモンみたいなにおいがした。

 クラスの女子がつけてるみたいなのより、ずっと甘酸っぱく感じて、おれはもっとドキドキした。

 なるほど、このにおいをたとえるなら、たしかにイエローかもな。

 そんなことをかんがえた。

 だけど、そのあと、その考えは間違っていたことを知った。



 数日、おねえさんは公園に居なかった。


「……つまんねーの」


 なんだかモヤモヤした。勉強とかもあんまり気合いが入らなくって、かあさんにちょっと注意された。

 おねえさんは、ヘンだ。だけど、ここに来ないのは、もっとヘンだ。

 だからおれは、おねえさんのことが心配だった。



 さらに少しして。

 みんな放課後といえば、どこに遊びに行こうとか、塾がいやだとか、そんな話ばかりしている。

 おれといえば、すっかりヘンになっていて、またおねえさんのことを考えていた。

 だから、友だちの誘いに乗る気も起きなくて、あの公園にいったんだ。


 そうしたら、おねえさんはそこにいた。

 おれは、結局、うれしくなった。それで駆けよって、声をかけたんだ。


「おねえさん」


 でも、様子が違っていた。

 ベンチに座っているおねえさんはあの白衣じゃなくって、真っ黒なスーツを着て、ぼさぼさだった髪も、きれいに後ろでくくっていた。


「ああ……少年」


 いつもみたいな調子でおれに笑いかけようとしたけど、うまくいかなかったみたいで、なんだかすごく寂しそうな顔をしていた。


「どうしたの。元気ないの」

「少年はいつも通りだね。その調子で世界を支配するといい」

「どうしたの、何があったの」


 すると、おねえさんは、おれから顔をそらして、小さく言った。


「お姉さんはね。仕事でここに来ていたけど。離れなきゃいけなくなった」


 最初、何を言われたのかわからなかった。

 でも、ちょっとしてから、意味がわかった。


「それって、つまり」

「おわかれだよ。短い間だったけど、たのしかった」


 ――おれは、泣かなかった。

 でも、手提げかばんは、落としてしまった。


「……なんで」


 ほんとうは、もっと顔を近づけて、友だちにやるみたいに、怒鳴ってみたかった。

 でも、できなかった。

 なぜって――いつもと違うおねえさんのかっこうが、すごく、説得力があったから。

 公園はすずしくて、ちょっとの人しか居なくって、しずかだった。

 そこに、おねえさんの声。


「……お姉さんの仕事はね。ちょっと他とちがうことを言うと、嫌われたりするんだ。それで、居場所がなくなってしまったんだ」


 今までよりずっと分かりやすいことば。おれは、聞くことしかできなかった。


「でも、少年は違うように見えた。それがちょっぴり、嬉しかった」


 何も言えないおれのすぐそばで、おねえさんはベンチから立ち上がる。

 行ってしまう。

 伝えなきゃ。なにを。多分もう、二度と会えない。

 どうしよう、どうしよう。おれは口をぱくぱくさせて、それでも何も出来ずにかたまっていて。


 おねえさんは、おれから少しずつ、少しずつ、はなれていく。

 追いかけられない。からだがうごかない。どうしよう、どうしよう。


「――なぁ、少年」


 公園の出口あたりで、おれに振り返る。

 わらっていた。

 どきっとする。

 だってその表情は、さっきまでと違って。

 出会った時の、あの、なんだかよくわからない、ちょっといたずらっぽい笑顔だったから。


「君はまだ若い。空を、何色にだって染められる。励めよ、少年」


 ――そら。色。

 おれは、はっとして顔を上げた。


 そこには、夕焼けの空。

 その色は、その色は――……。


「おねえさん。おねえさん、夏の始まりって――!」


 だけどもう、おねえさんは居なかった。

 おれは、手を空中に伸ばしたまま、呆然と立っていた。



「なんだ、そんなとこにいたのかよ。遊ぶならさそえよな」


 友だちの声。

 我に返る。どれくらい、立ったままだったんだろう。


「うわっ、おまえ、なんだその顔。何があったんだよ」


 ごしごしとこする。妙に冷たかった。


「なんでもない、なんでもないんだ」

「なんだそりゃ」


 やっぱり、わからない。

 悲しいかどうかもわからない。

 でも、なんだか、すごくスッキリしたような気もした。


 あれはほんとうに、マボロシだったのかもしれない。


 いこうぜ、と声をかけて、友だちと公園を離れた。

 おれは、これからの毎日が、さっきまでより、ほんのちょっと楽しみになっていた。



 ――もうすぐ、なつがくる。

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