12.
◇三人称視点◇
鉄紺が支配する暗闇の只中に、その白と琥珀の制服を着揃えた部隊はただ、たった四一人という心許ない小隊で時を待つ。彼らの足元を照らすのは笠付きのオイルランプの仄かな黄橙のみ。潮風の匂いが彼等の鼻腔の奥をやんわりと刺激する。しかし、彼等の表情に硬く張り詰めた重力は見当たらない。誰かは肩を組み笑い合い、或いは昨晩の酒盛りの話の続き。また一方は、まだ日の上らない夜陰の中、目を瞑りうつらうつらと船を漕ぐ者。最前線で腕を組み、仁王立ちをする隊の長だけが無言のまま、ただ一点を見つめている。そして遂に、その鉄紺の夜の底を、一筋の光線が突き破る。東から登るその明光が彼等の左頬を照らし、紫外線と熱を与える。
「来るぞ」
隼の騎士隊隊長マルティナ・ノシュテット参与は低く、一言。
ただそれだけで隊に一瞬で緊張が走り、さっきまでの緩慢が嘘のように全隊員は戦闘態勢を整える。
そして夜明けと同時に、母体から単為生殖で出産した、遠浅の海のように淡く透き通る幼体だけが海から上がり、その襞を這って市の南東の湾港へ侵入する。しかしマルティナ達一行はそれには目も呉れない。一匹の向かってきた幼体だけをただ、叩きのめす。それらは信頼した南部地方騎士団団長であるヤーコプ・モルテンソン参与が直々に率いる一三〇〇〇人の師団へ任せ、隼の騎士隊は港の最前線で
その小さく愛くるしい容姿の幼体は、ただ、食べるだけ。
街も、インフラも、家畜達も。その円らな瞳と似合わぬ大きな口と鋭い牙で。
大規模な軍を有する事が、中央と地方の顕著な違いの一つ。そんな現場の南部地方騎士団の迅速な対応により人的被害だけは免れているものの、その被害は甚大だ。復興には長い年月と莫大な資金が必要となるだろう。
そして彼等は十分な物量を食し大きくなると、それはさらなる樹形図の末端として新たな幼体を吐き出し始める。或いは海へ還り、塩水へ溶けて消えて無くなる。そしてそれは貧栄養となった海へ還元し、将又その栄養を魔力へ変換し彼らの母へ献上する。
それが海の生命のための振る舞いであるとの話は、ヨニーの書からの引用である。海の栄養が満ち足りれば、〈ブーゲンビリア〉は再び眠りに就くという。しかしそれは、ミコノレーゲン市の消滅、そして王国経済の死を意味する。
そして、地面を揺さぶる砲撃音を合図に戦闘は始まる。先の戦争から八年、騎士の装備や戦術も随分と変化を遂げた。最強を冠する北部地方騎士団を真似、剣と誇りを捨て、一つしかない命のために銃を持つ者も現れ始めている。南部地方騎士団も望む騎士へは一一ミリボルト式小銃を配給し、車輪の付いた大砲である九〇ミリ野砲と一五五ミリ重砲を導入し、第四部と呼ばれる砲兵部隊を立ち上げている。しかしこの砲撃もコントロールは非常に難度が高く、狙い澄ました狙撃などは叶わない。せいぜい面制圧として防壁で身構える第一部の歩兵の補助に過ぎない。更に幼体の生命力は強く、その弾幕を潜り抜け、防壁を突破せんとする幼体は数人がかりの剣で斬る。
また、大砲も員数が不足している。八年前の戦争で王国の兵器は使い潰されてしまった。その傷は今なお癒えず、そして北の民主国への対応として、兵器はほぼ北部へ配備されている。結果として、騎士団の殲滅よりも幼体の指数関数的な増殖の方が速度は速い。斬っても斬っても切りが無い。その防衛戦線は徐々に押され、市街地へと食い込もうとしている。
戦闘が激化し始めた突如、エメラルドブルーの海面は盛大に盛り上がり、大波を巻き起こす。遂に、〈ブーゲンビリア〉であろう彼等の母体がその姿を顕す。
「放て!」
マルティナの声に砲手は一斉に一五五ミリ重砲を発射する。それらの一部は見事着弾するも、その厚い皮膚を燻らせるのみ。間抜けな顔した厄災は悠々とその海面を漂っている。
「一五五ミリ重砲でもダメか」
そしてマルティナは、その隣に立つ老婆へ立つ頭を下げる。
「デレシアさん。お願いします」
「はいよ。隊長さんがそんな畏まらんでええ」
腰の曲がり始めた老婆は、右の靴底をトスンと踏み締める。
「全軍! 退避!」
マルティナの号令と共に全隊員は一目散にデレシア・エリ参与から距離を取る。すると、その足元は同心円状に白い可視光線を放つ領土を発生、拡大し、煌々と瞬く星々が溢れ出す。それは彼女の祝福が織りなす白緑の光。伝説を失った今、騎士団が持てる最大戦力。それが彼女の蛍火。それらは次々と四方八方に飛び散り、そして〈ブーゲンビリア〉へ目掛けて、音も無くゆっくりと突進する。その蛍火の描く軌跡上に位置する鉄筋コンクリートの堤防が、幼体が、大気がその肉体を構成する原子を失い、存在そのものが滅失してゆく。
そしてそれは、〈ブーゲンビリア〉それ自身も。
……しかしその蛍火は厄災の一歩手前でその輝きを失い、藤色の空へ還りゆく。厄災は何事も無かったかのように、悠々と幼体を吐き出し続けるのみ。
「やはりヨニーの書に記された通り、あの花木か」
マルティナは〈ブーゲンビリア〉のピーコックブルーの体表に似合わない、頭頂部に垂れ下がる橙の花々を睨み付ける。
「すまんねぇマルティナ。役に立てんかった」
老婆は申し訳無さそうに隊長へ謝罪する。
「いえ、デレシアさんで無理なら誰にも不可能です。良いんです。今回の目的は確認されました」
隼の長は部下を叱責しない。
そして脳をすぐさま切り替えて、優先事項を整理し、今為すべき結論を導き出す。
「目的は達成した! 掃討戦へ移行する!」
その張り上げた声と共に、隊員達は一糸乱れず陣形を組み替える。彼らは最前線へと留まったまま、幼体の殲滅を開始する。本来砲撃の射程距離は歩兵より更に前線へ調整されるものだが、彼ら隼はその射程の更に最前線へ、〈ブーゲンビリア〉の真前へ陣を敷く。しかし味方の砲撃や小銃のフレンドリーファイアを免れているのは、マルティナの祝福である半透明なセレストブルーのシールドが展開されているおかげである。それは一五五ミリ重砲すらも軽々と防いでしまう。
「作戦は練り直しだな」
明日の作戦を頭の中で巡らせながら、マルティナの隣で陣形の細かい修正を指示する男は、隼の副隊長イェルド。最古参ではあるものの、祝福には恵まれず、ただその現場の経験と統率力のみで参事補騎士まで登り詰めた熟練者である。
「オラァ!」
怒号と共に何十キログラムもあるであろう特注品の鋼の大槌を振り回すのは、隼の隊長補佐ホーカン。剛腕の祝福者で参事騎士。並みの騎士が数人がかりで切り伏せる幼体を、その大槌により全て一撃で磨り潰してゆく。そして遠く無言のまま、周囲の港の躯体ごと地面を盛り上げ、幼体をサンドイッチを挟むように剪断してゆく男は、同じく隊長補佐のコーレ。周囲の地形を思うがままに造形する祝福を持つ参事騎士。他の騎士達は二人一組で幼体へ当たっていき効率良く討伐していく。やはり隊全体として練度が高い。どんどんと敵地のど真ん中で、その幼体の総量を減らしてゆく。
「新たに幼体を吐き出し始める、親株を優先的に叩け!」
イェルドの号令。少しずつ幼体を吐き出し始める樹形図の上流を果たす第二、第三世代へ部隊は狙いを定める。それでも彼らも完璧では無い。隼が討ち漏らした幼体を、後方の防壁でバックアップとして備える南部地方騎士団が討伐してゆく。敵陣後方の親株を始末する隼の騎士隊の活躍も有り、崩壊しかけた防壁へのプレッシャーは減圧し、戦線はようやく息を吹き返し海側へと押し戻す。
太陽が天空を半周し、その波長の長い赤色の可視光線のみを届ける頃に、厄災はその幼体を引き連れて海の底へと舞い戻って行く。一部の幼体は母なる海へ帰りきる前にコンクリートの上で渇き絶命した。どうやら夜間は活動出来ないようだ。休息を取り、戦線を立て直す時間がある。それだけが戦場に立つ騎士達の唯一の希望であった。
――。
「なるほど。状況は芳しくないみたいね」
市街地の高台から今日の戦況を観察していたライラは望遠鏡を外し、顎を右手に乗せ嘆息。
「最初の花火が隼の奥の手だったみたいだな」
レイフも相槌を打つ。
「ここから見る限りダメージは無いと。そしてすぐさま雑魚の掃討戦に切り替えたみたいね。あのでかいのは動かないのかしら?」
「みたいだな。あの大きいのが〈ブーゲンビリア〉なんだろう」
「小さいのは〈ブーゲンビリア〉の口から吐き出されてるみたいね」
ライラは眉間に皺を寄せ、状況を把握する。
「隼が砲弾の雨が降る最前線で戦う理由は〈ブーゲンビリア〉を殺すため。戦線の押し引きでは人間が不利。幼体の絨毯が敷かれる前に出会い頭で一撃を狙った、ってとこね。……どうかしてるわ」
「そんな有り得ない作戦を可能にしているのが、隼を覆うあのシールドか。部隊を流れ弾から完璧に守っている」
「何より、隼の隊員がそのシールドの性能を信じているからこそ成立する話ね」
ライラは感嘆の声を漏らす。
「聞いたことはあるわ。隼の騎士隊隊長ノシュテット参与の祝福ね。三十四歳と若くして隼の騎士隊隊長まで上り詰めた第三位派閥の長。本件で手柄を上げれば聖騎士に昇格する可能性も高く、次期騎士団長候補の大穴としても挙げられているわ。……貴方の競合に成るかもね、レイフ?」
女王様は意地悪な微笑みで青年を見やる。その復讐者は自身の対抗馬の巨大さとその距離に、陰鬱を少々滲ませる。
「あの仮設の防壁もすごいわ。〈ブーゲンビリア〉の襲撃を受けてからたった一夜で築き上げたって計算になる。南部の工兵は実力があるわね。そしてそれは最終的にモルテンソン参与の功績になると。これでも未だ参与に留まる訳ね」
ライラは南部地方騎士団へ賛辞を送る。その度に青年の陰鬱は更に青みを増して行く。果たして、青年は彼等を押し退け聖騎士に、騎士団長に登り詰める事は叶うのだろうか。その答えは未だ、誰の目にも見えないまま。
◇三人称視点◇
「隼の奴ら、今日も失敗してましたね」
緊急事態宣言が発令され騎士は自宅には帰らず、南部地方騎士団の広大な本庁舎を拠点として構えている。そしてその最奥、暗く狭い地下の一室で、腰巾着であるマッツは主人であるケビ・グルンデン参与へ上前歯の欠けた卑しい笑みを浮かべながら、揉み手で媚びを売っていた。眼鏡を掛け、柔和で人から愛されやすい相貌のグルンデン参与は歩兵を連ねる第一部の副部長、第一部第二隊の隊長を拝命し、南部でも序列No.3に当たる。
「何が中央騎士団だよ。偉そうに踏ん反りやがる割には使えねぇ」
ケビはしかし愉悦に塗れた表情でウィスキーの水割りを呷る。
「ケビさん、言っちゃいけませんよ。だってあそこの隊長は……ねぇ?」
「ふん、所詮女だからな。女に戦場は仕切れねぇよ」
これはこの二人だけの認識ではない。現時点での王国では、殊戦場においては女性は蔑ろとされてしまうのが現状だ。そこに実力による精査は無い。寧ろマルティナのその能力を認め、隼の騎士隊隊長へ抜擢したグスタフの方が周囲からは奇異に見られている。この人事も英雄の実績有っての賜物だ。
「ヤーコプは耄碌。エディは器じゃない。俺とグンナルの一騎討ちだ」
グンナル・ヘドボリ参与は第一部部長、第一部第一隊の隊長に名を連ね、次期南部地方騎士団団長として最有力視されている。エディ・ヤンソン参事は第四部副部長であるものの、現第四部部長は老年であり、兼務の部隊を所有しない名誉職。先の戦争により砲兵の重要性が認識され、今勢いの有る部隊の実質的長であり、彼もまた次期南部団長の候補として噂されている。
「この戦争でヤーコプもグンナルも失脚すれば、ケビさんがトップですねぇ」
マッツは揉み手を更に加速させ、ご主人のご機嫌を伺う。
「このままだったら部長のグンナルが順当に次期南部の団長だった。だがしかし、女神ヒルドレーナ様は俺を見放しはしなかった。これはミコノレーゲンを守る戦争ではない。次の棟梁を決める決勝戦だ」
ドン、とケビはグラスを勢い良くテーブルへ。
「
「流石ぁ。ケビさんは他の馬鹿共と違って先が見えてます」
マッツは低い背を更に丸め上目遣い。傍から見れば気色悪いものの、案外ケビは満足そうだ。
「ミコノレーゲンの防衛に失敗すれば、場所長であるヤーコプとグンナルはお払い箱。俺が南部のトップに座る。そして俺は実績を引っ提げ中央へ凱旋する。こんな田舎を脱出し、ようやく愛する故郷へ帰還するって話だ」
ケビは水割りを一気に呑み干す。
「ミコノレーゲンを愛する田舎者には悪いが、正しい国のリーダーのため、国家の最大公益のために、ここで地図から消えてもらう」
副部長は愉快そうに高笑い。
「マッツ、首尾は?」
「へぇ。既に銀行から限度額いっぱいで借入し、レバレッジ全開で空売り済みです」
「よし。ボロ屑と成るのが分かり切ってる糞貨幣を持ち続ける理由は無い。……売国は儲かるなぁ、マッツ?」
「それが分かってるのはケビさんだけですぅ」
「ふん、違いない」
彼らの投資スキームはこうだ。ミコノレーゲンが敗北し、経済が破綻した場合、王国の通貨であるヒルドルは間違い無く下降する。そこで二人の豪邸やその他資産を担保に銀行からヒルドルを借入、莫大な証拠金を以て空売りする。そしてヒルドレーナ王国とその通貨が市場から信頼を失った瞬間に、無価値となったヒルドルを買い戻し、紙屑を銀行へ返済するという運びだ。その変動幅によっては彼らは巨万の富を得る事となる。現預金ではなく自宅等も抵当に借金まで、レバレッジも全開で投資しているのは、彼らがミコノレーゲン市の滅亡を確信しているためである。
「早く滅びねぇかな、こんなド田舎。こっちは人道なんて、とうの昔に捨ててんだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます