揺れる黒百合2

立花あおい

プロローグ

1.

 ◇三人称視点◇


 釣り人が一人。

 淡い月光に照らされた夜の堤防に腰掛け、漣に揺れる海面へ釣竿を投げては欠伸する。この王国の最南端、南国のミコノレーゲン市は夏真っ盛りの七月であっても、夜はその潮風が涼やかに街を過ぎ去って行く。この寡黙な男は、夜釣りを趣味として三十年。大した釣果は望めなくとも構わない。ただ、この波音だけが響く夜の海の空気を、男は愛していた。人気の無い港の外れで、男は再びルアーを海に映る半月へ向けて放る。水飛沫の弾む音を奏でれば、再び世界は静寂へ。男は再び欠伸する。

 すると、男の手元へ張力が。視線を向ければ、揺れるルアーが水面へ波紋を産んでいる。男は久しぶりの獲物のヒットに、その眠そうな目を擦り、舌舐めずりしながら釣糸を引く。釣針がバレないよう、慎重に張力を調整しながら、しかし確実に獲物は抵抗力を弱め、徐々に手元へ。

 ……そして、遂に。

 男は釣竿を精一杯に引き揚げる。そして海面から跳ね出し、夜空を舞うのは、たった一つの釣針と二つの魚影。一瞬のスローモーション。手前で釣針を咥える小さな鯖の遥か奥、しかしその巨体が描く大いなる影は半月を飲み込み、男の視界は闇に沈む。腰を抜かして堤防から転げ落ちると、その魚影は再び海面へ顔を突っ込み、消えて行く。その衝撃は大波を吐き出し、それは堤防を僅かに飛び越え、溢れた塩水がコンクリートを濡らす。びしょ濡れとなった男は我に返ると、傍に転がる釣竿と本日唯一の釣果を残したまま、一目散に逃げ出した。

「やっぱり僕って天才だ!」

 ローブに顔を包んだ男は、その光景に自画自賛する。

「調子乗るな」

 隣の黒髪の女性は、その肘で歓喜に舞う男の脇腹を軽く突つく。

「まあでも、そうね」

 女は呆れた表情で一つ溜息。

「貴方はやっぱり、天才よ」

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