母に捧ぐ花

はくすや

プレゼント

登場人物


   ヘンリー・リヒテル 国境視察団少尉

   クルト・クライン  新入り


   アニー 「ひなげし」世話係

   クラリッサ シスター

   園長 ホーム「ひなげし」園長


   ハンナ・ヴァイス 元伯爵夫人

   アントン・ヴァイス 


*********************


「少尉殿、こちらは?」

「ホーム『ひなげし』だ」

「なぜそのようなところに?」

「ここは爵位を失った身寄りのない高齢者がわずかな余生を過ごすところだ……」

 帝都から遠く離れた郡部にそれはあった。帝国に併合された旧オーデリア領に接するところだ。

 山間やまあいに数百年前に切り開かれた農村。それを見下ろすように小高い丘があり、そのいただきに俗世間から隔離されたかのようにその平屋の建物はあった。

 辺境を視てまわる国境視察団に所属するヘンリー・リヒテル少尉が、新しく配属された部下クルト・クラインを連れてそこを訪れたのは五月の中頃のことだった。

「アントン・ヴァイスの母親がここにいるのだ……」

「オーデリア解放団のアントン・ヴァイスですか!?」

「そうだ。ヴァイス伯爵家は代々帝国の血筋だった。先代伯爵が迎え入れた嫁はオーデリア出身。二人の間にできたのがアントン・ヴァイスだ。彼は父親の死後爵位を継いだのだが、帝国に反旗を翻してオーデリア解放団に入ってしまった。母親の故郷を解放したかったのだろうが、そのせいで爵位は剥奪。奴は姿を消した。ヴァイス家は断絶となったが、帝国の恩赦により彼の母親は昨年この施設に入った。ホーム『ひなげし』。プレセア正教会が運営する施設だ」

「もしやアントン・ヴァイスが母親に会いに来ると?」

「それはわからない。見捨てるようにした母親に今さら会いに来るとも思えん。まあ視察のついでだ。他にも反逆者の家族は何人も入居しているしな。そいつらが現れる可能性もある。特に明日は母を敬い礼を尽くす日だしな」

「そうですね」

「明日は小隊を連れてここに来よう。万一ということもあるからな」

 二人は静かにそこを離れ、遠くに停めていた馬車に戻った。



 ホーム「ひなげし」の一日は長い。そして毎日が単調だ。

 起床、洗顔、更衣、朝食、レクリエーション、昼食、午睡、自由時間、夕食、自由時間、就寝。

 毎日決まったことをする。言い換えれば何もしないに等しい。

 ここには身寄りのない、爵位を失った元貴族の高齢者が入居していた。

 お世話をしているのはプレセア正教会の児童施設で育った孤児たちだ。その多くは十代前半。アニーもその一人だった。

 毎日洗濯、掃除、調理に明け暮れる。中には介護を必要とする入居者もいて、要介護者移動の際には二人、三人と人手ひとでを要した。十二歳のアニーがひとりで大人のしもの世話までできるわけもない。

 アニーたちは住み込みだ。入居者と一緒に食事をとり、体を清め、そして午睡就寝をともにする。心休まる休憩時間というものはない。その上、給金もなかった。最低限の衣類と食事そして居場所が与えられるのがここでの報酬だった。

 今日は配膳とぜんを担当する日だった。入居者の食事は基本的に大食堂でなされる。

 アニーたち世話係は入居者に比べて圧倒的に数が少なく、目を届かせるために入居者の集団行動は必要だった。しかし中にはそうした集団行動を嫌う入居者もいて、彼らは自室で食事をとることになるから配膳と下げ膳に訪室は必要だった。

 アニーはシスタークラリッサとともに部屋を一つ一つまわった。

 そして最奥にある大きな個室に入る。その部屋の住人はハンナ・ヴァイスといった。

「ハンナさま、お体、よろしくないのですか?」

 日替わり担当のアニーと異なりクラリッサは毎日ハンナの部屋を訪れ配膳下げ膳に立ち会っている。

 ハンナが食事をとらないのは今日に限ったことではないのだとアニーは思った。

 ハンナはうつろな目をしたまま答えない。全く意思疎通ができないのだ。

 アニーはハンナが喋っているところを見たことがなかった。

 ほとんど手をつけていない膳を引き取る。これはそのまま腹をすかせた孤児たちのところに行く。

 ハンナ・ヴァイスはまだ五十代でこの園では若い方だったが、十も二十も老けて見えた。

「どうしたものかしら。心配だわ」

 部屋を出て、クラリッサの嘆きをアニーは聞いた。

「明日は、母の日だというのに……」

 しかし母の日だからといってこの施設に入居者たちのこどもが花を手にして訪れることはない。彼らの多くがそうした身寄りを失っていた。


 夕食の時刻になった。ハンナが自室を出ることはなかった。

 アニーはクラリッサに従ってハンナの部屋まで配膳を行った。

「ハンナさま、夕食ですよ。召し上がり下さいませ」

 ハンナが二人に目を向けることはなかった。

 この食事も孤児たちの腹におさまる。

 そう考えるとまるで無駄になるわけでもないとアニーは思った。元貴族のわがままなど放置しておけば良いのだ。

「少しだけでも召し上がりください」

 クラリッサは懇願するように頭を下げたがハンナは全くの無反応だった。

 悲しそうな顔をするクラリッサを見てアニーは怒りすら覚えた。

 そこへ園長が現れた。入居者の部屋に園長が姿を見せるのは珍しい。

 園長は軍服を来た精悍な男を二人、案内していた。

「ヴァイス元伯爵夫人でいらっしゃいますね。リヒテルと申します」リヒテル少尉はすでに爵位を失ったハンナに対しても礼を尽くす男のようだった。

 しかしハンナが男たちの方を向くことはない。リヒテル少尉が一言二言声をかけても全く聞こえないかのようだ。

「閉じ籠っていらっしゃるな」リヒテル少尉はあるがままを受け入れたようだ。

「もしよろしかったら……」唐突に部下の男が前に出た。

 彼が手をくるりと返し、ハンナの前に差し出すと、その手の先にカーネーションの花が一輪現れた。

「あら、まあ」すごいとクラリッサは目を丸くした後、微笑んだ。

 アニーも驚いた。

 その芸一つで部屋は一気に明るくなった。

 しかしそれでもハンナの首が動くことはなかった。ハンナの左頬近くに花があるというのに彼女はわずかに左の眉を上げただけだった。


 部屋を出たヘンリー・リヒテル少尉と部下のクルト・クラインは園長の後ろを歩いていた。

 こうしていくつかの部屋を訪れている。しかしクルトが入居者に向かって花を出したのは一度きりだった。

「あれは魔法ではないよな?」リヒテル少尉は部下に訊いた。

「はい、手品です。私にそんな気の利いた魔法は使えませんよ。ほぼ身体強化のみです」

 クルトは爽やかに笑った。

「手品ということは仕込みをしていたのだろう? ヴァイス元伯爵夫人のところで披露するつもりだったのか?」

「特に誰のところとか決めていません。ただヴァイス夫人があまりに心を閉ざしていたようなので何かが変わるかなと思っただけです」

「そうなのか」

「結果は何も変わりませんでしたがね」

「元伯爵夫人のところにはどなたも面会に訪れません。それを夫人も理解しておられるのでしょう。このところ食も細くなり、もう長くもないかと」園長が口を挟んだ。



 その夜、アニーは施設中にとどろく爆音で目を覚ました。

「何が起こったの?」

 みな起き出して窓の外を見た。星が煌めく満天に白い閃光が弾けるのを見た気がした。



「何事だ?」

 施設近くの広場に設営した天幕の中でヘンリー・リヒテル少尉は目覚めた。

 外に出る。すでに部下たちは武器を手にして集まり施設の方を窺い、隊長の指示を待っていた。

「爆薬やも知れません」

「みだりに近寄るのも危険かと」

「偵察して参ります」

 クルト・クラインをはじめとする部下が五名、施設内に向かうことになった。

 それを見送り、隊列を整えリヒテル少尉は施設の方を見た。

 施設近くのどこかから白い光の玉が空高く舞い上がった。

 ひゅうううう、という音とともに光の玉は上昇し、そしてやがて宙で弾けた。

「あれは……!?」



「まあ綺麗……」

 それを見たアニーも皆も恍惚となった。

 夜空に白や赤、黄色の花が咲いている。

 花は咲いたかと思うとすぐに散り、夜空に消える。

 しかしまた新たな光玉がひゅううううという音とともに上昇し、轟音とともに花開いて散っていくのだ。

 まさに火の玉でできた大輪の花だった。



 シュワシュワシュワシュワと白い火の玉が揺れながら立ち上り、見上げる夜空の真ん中でドーンとはじけた。

 空を揺らすような轟音。そして赤や黄の光の花びらが満天の空を覆いつくし、そしてそれは無数の雫となって煌めき、リヒテル少尉たちのところへ降り注いできた。

「空で弾ける焼夷弾のようです」

「あんな花形の弾があるか!」

「破壊力はなさそうです」

 降り注ぐ煌めきは地上に落ちる前にすべて消えていった。

 そしてまた次の火の玉が上がる。

 天に昇っては大きくはじけて散る。それはさながら流星群のようだった。

「あれはおそらく観賞用の爆弾だ。東方の国にそうした爆弾をあげる祭りがあると聞いたことがある」

「どうしてまたそんなものを? いったい誰が?」

「もしや……」

 リヒテル少尉は武器を手にして園内に踏み込んだ。向かうところは決めている。ヴァイス夫人の部屋だ。

 これが陽動ようどうなら奴は夫人の部屋に姿を現すはずだ。

 リヒテル少尉は急いで駆けつけた。

 部屋の前にはクルトがいた。

「奴は来なかったか?」

「いえ、誰も。私ももしや奴が来ないかと駆けつけたのですが、夫人は休んでいらっしゃいます」

 扉をそっと開けると部屋はすっかり消灯されていた。かすかに寝息が聞こえる。

 リヒテル少尉は遠慮なく室内灯をともした。

 ヴァイス夫人は確かにベッドで就寝していた。

 床頭台しょうとうだいの上に細口の花瓶があり、一輪のカーネーションがささっていた。クルトが手品で出した花だ。

 リヒテル少尉は灯りを消し、部屋を出た。

「他の部屋も見てみよう」

 リヒテル少尉はクルトら数名の部下と手分けして園内を見回ったが、施設内には何一つ異変を見つけることはなかった。



 翌朝、アニーはシスタークラリッサに付き添ってヴァイス夫人の部屋に朝食を運んだ。

 夫人は起きていた。目がぱっちりと開いている。気のせいか血色も良かった。

 こういう顔をしていたのかとアニーは今さらのように思った。

「朝食をお持ちしました」

 アニーはテーブルの上に一式を広げた。

 ふとベッド脇のサイドテーブルが目に入った。昨日は確かに一輪挿しだったのに花瓶には溢れんばかりの花が咲いていた。

 そしてその横に箱型の小さなオルゴールがあった。

 アニーはそれを手に取って開けてみた。

 オルゴールが鳴り出す。その音色はアニーの記憶を呼び覚ました。

 幼いころに聞いた覚えのあるメロディ。

「これは……オーデリア民謡の『母に捧ぐ花』だったかしら……」クラリッサが言った。

 地元で育った者なら聴いたことがある曲だ。

 アニーもクラリッサもこの地方の出だった。

 その時、オルゴールのメロディに合わせて歌を口ずさむ声が聞こえた。

 アニーは声の主を見た。

 ヴァイス夫人が目を閉じながら「母に捧ぐ花」を歌っていた。



 明るくなってからリヒテル少尉は部下とともに施設の周囲を調べた。

 視察団の駐屯地とホーム「ひなげし」との間、至るところに筒状の魔道具が落ちていた。おそらくはこれが昨夜の火の玉を打ち上げる仕掛けだったのだろうとリヒテル少尉は思った。

 火が伝わったと思われる導火線もある。時限発火装置つき。エゼルムンド帝国の南方にある聖ロマーナ共和国の商業都市にはこうした魔道具を取り扱う闇市があるという。魔道具なら魔法が使えない者でも魔法を見せることができる。

「アントン・ヴァイスはロマーナに身を隠したのだったな……」リヒテル少尉は思い出した。

「少尉殿!」別のところへ見回っていた部下が慌てた様子で戻って来た。

「不審者を捕らえました」

「何者だ?」

「それが、その……」


 リヒテル少尉は見窄みすぼらしい姿なりをした若い男を前にした。男は拘束され地面に坐らされていた。

「私は国境視察団第五小隊少尉ヘンリー・リヒテルだ。お前の名は?」

「は、お初にお目にかかります。恥ずかしながら第五部隊配属の任を賜りましたクルト・クライン伍長であります」

「何だと!?」

「たわけたことを!」彼を拘束した部下のひとりが叫んだ。

「クルトは?」リヒテル少尉は別の部下に訊いた。

「それが……朝から姿を見ません」

「姿を消したのか?」

「はい……」


 アントン・ヴァイスは貴族の家系にありながら魔法の才には恵まれなかった。しかし手先が器用で、各地から取り寄せた魔道具を用い、あたかも魔法を使えるかのように奇蹟を起こして見せたという。

 ヴァイス夫人の前であの花を取り出した手品もまたその類だったのか。

 あの時、ヴァイス夫人は息子が来たことを察知して、とぼけていたのか。

 昨夜夫人の部屋に駆け付けた時、やつは扉の前にいたが、すでに夫人と再会を果たしていたのか。

 リヒテル少尉の脳内に次々と昨日の場面が浮かんでは消えた。

 そしてまた、クルト・クラインに成りすました男も完全に姿をくらました。


 アントン・ヴァイスはその後「魔法を使わない魔術師」として世界中にその名をとどろかせることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

母に捧ぐ花 はくすや @hakusuya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ