龍と作家

明治後期に活躍――――――というほどでもないが―――――した、作家・時雨原海星を知る者は少ない。彼女は作品こそ出していたが泣かず飛ばずで、結局病気で早逝したという。知名度が低い故に彼女の作品を読むには少々骨が折れるが、とあるジャンルの愛好家からすると一見の価値あり、なのだそうだ。

彼女が好んで書いたものというのは――――――



「ああ、糞ッ!あの禿ときたらナンセンスだ、全くもって不愉快だ、鼠に脂肪を喰われて死んじまえッ!!」

―――――――と、端正な顔に「怒」を張り付けながら叫び暴れるこの人こそ、明治後期をときめく作家になれなかった時雨原海星である。キィキィを通り越してギャアギャアと夕暮れの烏が如く叫ぶ彼女の傍らに、ことりと一杯の茶が置かれた。

「まァた駄目だったんですの?センセ」

「見たらわかるだろ。もう数行読んだだけで突っ返されたよ、見る目が無いんだ、どいつもこいつも。私の作品はつまらん、怪奇小説にしては恐怖が足りない、もっと惨く、もっとグロテスクにと来た!あいつら全然わかっとらん!」

ぷりぷりと怒りつつも海星は出された茶をズズ、と啜る。傍らの女はくすくすと笑いながら、海星の横に座って彼女の愚痴を聞いた。

「怪奇小説は惨いばかりが魅力では無いだろう。もっと艶やかで、美しくて、深みが無くちゃァいけない。要は色気だ。それこそが本題の『怪奇』を盛り上げる調味料となるのに。奴らと来たらそんな部分は切り捨てろと言う。実に不愉快だ!」

「で?センセは暴れてきたんですか、それで。」

「暴れるものか、大人だぜ?私は」

「あたしにゃそうは見えませんわ」

「む。」

「センセはあたしにとって、そう。まだ幼子、少女そのもの!ぴぃぴぃと鳴くさまなんざ、ひよこのようなものじゃァないですか」

ころころと笑う、美しい女。彼女の頭には―――――立派な角が生えていた。いや、角だけではない。鱗の付いた尾に、水平に伸びた異形の耳を携えている。

「………そりゃあ、キミからすりゃ私なんぞ子供だろうさ」

「拗ねなさんな、あたしはただ、そうやって怒るセンセのこと可愛いって思ってるだけなんだから」

「ちっ」

茶が継ぎ足される。「お隣で買ってきたんですの、一緒に食べましょうよ」そう言うと同時に女はちゃぶ台の上にふたつ大福を置く。

「ありがと…………」

「ふふ、センセ甘いものお好きでしょう?褒めて、褒めて」

「私は酒の方が好きなんだが……」

「褒めて、褒めて」

「…………はいはい、君は素晴らしい女性だよ。有難うね、いつも私の面倒を見てくれて」

「うふふ!」

海星が女の頭を撫でれば、まるで犬のようにぱたぱたと尾が跳ねる。海星はそんな動きを見て、小さく溜息を吐いた。

「……………やっぱりまだ、艶やかさが足りないんだろうか」

手元に散らばった原稿に目をやる。書きかけのもの、出版社に持ち込んだもの、そのすべての怪異小説にはある共通点が存在していた。


人間の女に変身した龍が出てくる、という点である。


「君のこと、もっと美しく書きたいのに」

「あたしはセンセがわかってくれてりゃ、それで良いんですけどね」

「よくはない!君の美しさは世に広めるべきだ、後世に残すべきだ!」

「はいはい」

くすくすと笑う女に、海星はひとつだけ舌打ちする。そして大福に手を伸ばした。

「………美味い」

「はい、よござんした。でもセンセ、あたしは別に広められたいわけでも、残されたいわけでも無いですよ」

「わかってるさ、けど」

海星は目線を落としたまま小さく呟く。

「…………………これは、私の我儘に過ぎないんだ」

ごとん、と頭を打ち付けるようにちゃぶ台に突っ伏す。女は海星の背中を摩ると、優しい声色で「ね、センセ」と囁いた。

「長生きして頂戴ね」

「…………キミより先に死ぬよ、私は。だから――――――」

女は海星の頬に触れる。ひとつ唇を落とす。そうして目を細めて、色のついた声で囁いた。

「納得いかないんなら、あたしのこともっと知って。あたしのこと、見て。」

「…………見るだけ?」

「ふふ、いけず。見るだけじゃいや。さわってよ、センセ」

「………龍ってのは昼間っから盛るもんなのかい?」

「違うわよ。あたしがセンセのこと欲しいだけ。ああ違う。ほら、小説を書くお手伝いになりゃァ良いと思ってるだけ。あたしのことを沢山知ったら、もおっと素敵な作品が出来上がるんじゃなくて?」

「おい、本音が漏れてるぞ」

「ふふ。センセだってその気になってるくせに」

「うるさいよ………」





「旦那、こちらの御本を一冊くださる?」

「はいよ。意外だねえ、姐さん。怪奇小説に興味がおありで?」

「怪奇小説と云いますか、時雨原海星先生が好きでしてね」

「ああ、この間亡くなられた。ご病気でしたか、まだお若いのに可哀想なことだ」

しんみりと目を伏せた本屋の店主は、しかし五秒後には「いやしかし」と腕を組んだ。

「時雨原先生の小説に出てくる龍ってのは、こう、色気があって、可愛らしくて、そりゃあ美しいんだ。でも惜しいな。先生が画家だったらわかりやすく美しさがわかったってのに」

「あら、文章だから良いんじゃァありませんか。読んだひとの頭の中にそれぞれ美しさがあるんですもの」

「ふふ、いいこと仰る」





「それにね、ほんとの美しさはあのひとだけが知ってりゃァいいんですよ。」

女は頁を捲る。そして、くすりと笑って、誰もいないのをいいことにぱたぱたと尾を振った。


「…………うん。やっぱりあたしったら素敵。この良さがわからないってのは、やっぱりナンセンスってやつなんだろうねえ。」

やっぱりセンセはあたしのこと、よぅく識ってくれてるね。


うれしそうに笑ったあと、龍はそのままどこかに飛んで行って、そのまま人里には降りてこなかったのだという。

けれどごく偶に―――――時雨原海星の小説が再掲されるたび、どこから聞きつけてきたのか人里に降りて、それを買ってひとりで楽しんでいるのだそうだ。


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