鬼と女子高生

「…………家に返してくれません?」

―――――――――そう冷静に言うと、鬼は「ええ……」と困ったような顔をした。


中橋鈴子が山に魅入られたのは、とある雨の日の下校中であった。友人たちにさよならを告げてさあ帰ろうとしたら、なんだか自分を呼ぶ声が聞こえる。きょろきょろと見渡してみても誰もいやしない。ならばどこかと耳を澄ましてみれば、山の方から聞こえるではないか。

鈴子はふらりと山に足を向けた。普段だったら絶対に踏み込むことは無い場所だ。

このあたりには「山に入ると鬼に食われる」といった子供への脅し、否、言い伝えが未だに生きている。素人がなんの持ち物も経験もなしに山に入ってはいけないと伝えたいだけの一文に見えるが、この言い伝えには続きがある。

「未成年は入るべからず」。

子供は総じて駄目であった。だからこの町にある学校の生徒たちは一度も山へハイキングに行った事が無いし、なんとなく堂々と話をすることもない。ただ静かに、子供達だけで隠れてこそこそと「山には何があるんだろう」と胸を膨らませ、浪漫を思い描いていた。


さて、優等生である鈴子は勿論山には行った事など一度も無い。しかし今日に限っては何かに操られるように草をかき分け、木々の横を通っていく。肩に掛けたスクールバッグに葉っぱがついて、ローファーは汚れていく。ひたすら名の呼ぶ方に歩みを進める鈴子であったが、やがてぴたりと止まった。否、正気に戻った。

「あれれ。私、何をしてるんだろう」

彼女を正気に戻したのは足の痛みだった。革靴で山歩きをするものだから、鈴子の足はじくじくと悲鳴をあげる。痛いなあ、っていうか私、どうしてこんなところに?

しゃがみこんで足を摩っていると、急に頭上に影が差し込む。ふと、顔をあげた。


そこには美しい鬼の姿があった。


額から生えている日本の角、優雅な召し物、口角の上がった唇、そこから出た尖った歯。

むかしばなしで見るような鬼が、鈴子を見て笑っている。鈴子は逃げ出そうとしたが、痛んだ足では土台無理であった。それでも腕だけで、四つん這いになって逃げようとする鈴子のセーラー服の襟を、鬼がむんずと掴んだ。

「みつけた。私の子。私のお嫁さん」

美しい鬼はそうやって舌なめずりをする。鈴子は震える声で問うた。

「あなたが、私を呼んだの?」

「そう。私が、あなたを呼んだ。うん、すぐに理解できて偉いねえ」

「………ど、どうして。私、なにもしてない………」

「答えは簡単。私が、あなたにひとめぼれをしてしまったから」

鬼いわく、退屈しのぎに空中散歩をしているところ鈴子のすがたを見つけたらしい。美しい黒髪、艶やかな唇、雪のように白い肌の鈴子に、鬼はすぐに恋に落ちたのだそうだ。

「だから」

「だから、呼ばせて貰った。嬉しかろ?私のような美しきものに愛される、というのは」

「いや、うれしくないです」

「えっ」

「あの、痛いので離して貰っていいですか」

「あ、うん」

鬼は困惑した様子で、鈴子を静かに地面に降ろした。しばし沈黙が続き、鬼は着物の袖で口元を隠し、きょときょとと困惑した様子で呟く。

「………おかしい。こう言えばヒトの子はすぐにホの字になってお嫁さんになってくれると本に書いてあったのだが………」

「どんな本ですかそれ」

「怪異の間で流行っている本だ。いま怪異の間では人の子をさらって『およめさん』にするのが流行っていてな。どれ私もやってみようと目論んだわけだが」

「それ普通に辞めた方が良いですよ。大体、相手の感情を無視しすぎ。人外だからってなんでも許されると思わないで欲しい」

「うう」

「じゃ、私帰るので………」

「ええ!?」

鬼は追い縋るように鈴子の肩を掴み、かくかくと強請った。

「い、いやだ!せっかく来て貰ったのにもう帰るなんてさびしい!寵愛させて、せめて!」

「知らん人に寵愛されたくないです」

「食事も出すから!今捕まえてきたばかりの猪の肉もあるから!」

「ジビエに興味ないんで。…………それに」

鈴子は鬼に向かって、ぽそりと呟いた。

「わたし、強引な人より奥ゆかしい子の方が好みなんで」

「―――――――――――…………………」


絶句した鬼はまっしろになりながら、それでもけがをした鈴子を麓まで運んでやり、そうしてしくしく泣きながら山に帰っていった。鈴子はなんだったんだあいつ、と思いながら―――――――ちょっとだけ「言い過ぎたかな」なんて気になっていた。

せっかく好意を持ってくれたのに、言い過ぎたろうか。いやでも、伺いもなしに人さらいをするなんて非常識すぎる。男だろうが女だろうが、人間だろうが怪異だろうが勘弁してほしい。鈴子は、そういった浪漫とは無縁の女であった。それよりも、今日の夕飯は何だろう。ハンバーグがいいな。そう思いながら痛んだ足を引きずり、中橋鈴子は帰って行ったのだった。



数日後である。インターホンが鳴った。鈴子は部屋着のまま玄関ドアを開けると、そこには。

「…………来ちゃった」

鬼が立っていた。鈴子は絶句しながら、自分より高い位置にある鬼の顔を見る。鬼は真っ赤になりながら、優雅な仕草で玄関に正座をした。

「か、考えてみたのだが。その。たしかに気の早い話であったな。おまえの話も聞かずに」

「はあ」

「だから―――――――その。私が、奥ゆかしいお嫁さんになれば良いのだろう?」

「は?」

「――――――――こういったことには、その、慣れてなくて――――――うまくいくかわからないが、頑張るので、その………」

そう言うと鬼は、三つ指をついてこう言った。

「不束者ですが、よろしくお願いします」

帰れ、と言おうとした。いきなり来られても困ると。大体強引さでは変わってないし、奥ゆかしさをなんだと思っているんだ、と。

しかし。顔を上げて微笑む鬼を見た瞬間、鈴子の心臓は鯉のように跳ねた。

林檎のような頬、赤く塗られた唇に切れ長の目。その、「美人」と形容されるような面にまるで乙女のような笑みが浮かんでいるのである。

アンバランスさにくらくらして、その笑みがちょっとだけ好みだったから―――――



「あら!鬼子ちゃんこの唐揚げおいしい!下味何にしたの?」

「お味噌と卵にございます、お母さま」

「鬼さん、お風呂先入っていいよ」

「有難う御座います、お父さま」

「鬼ちゃんマリカやろうぜ」

「ふふ、私の磨かれた運転てくにっく、その幼い眼に焼き付けるのだぞ?」

「―――――――――――――――…………」



家に置くことを許してしまったのである。

現在も鈴子の家では、花嫁修業をがんばる鬼の姿があるらしい。「この間そこのイオンのフードコードで鬼と女子高生がデートしてたぞ」というのは、新しい言い伝え、否、うわさ話である。


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