彼女が爪を切る理由
あやめいけ
00*
「口あけて」
彼女の細長い人差し指が私の唇に触れる。
形をなぞるだけだった指先に力が籠り、下唇の形がぐにゃりと歪んだ。
露出した歯に外気があたり、すっと冷たくなる感覚にゾッとする。
きちんと噛み合わさった歯列の隙間に、今度は親指の先が侵入を試みる。
半ば強引に開かれた空間に、一瞬の隙も逃すまいと人差し指と中指が割り込んできた。
がぽっと音がするほど勢いよく第二関節を超えて差し込まれたそれに、私は反射的にえずいた。
「う、ぐっ」
喉の奥から発せられるくぐもった不快な音が誰もいない静かな空間に響く。
一度不快に感じてしまった後は、自分の意思とは関係なく舌がうねうねとのたうち回った。
溢れてくる唾液が口の端から溢れそうになる。
ガラガラガラ−−−
突然の大きな音。
それが教室の扉が開かれた音だと理解する前に、口内からずるりと指が引き抜かれる。
その刺激に再度、「ぉえっ」と大きくえずき声を上げた。
「ユリ!こんな所に居た…って、二人でなにしてんの?」
開いた扉から一歩教室に足を踏み入れたのはクラスメイトだった。
学校指定のスクールバッグを2つ手に持ったまま、私たちを訝しげに見つめている。
ユリ、と呼ばれた彼女はさり気なく私のスカートで湿った指を拭いながら振り返った。
「ちょっと話してただけだよ」
そう答える彼女の顔は、直前まで人の口内を蹂躙し愉悦に浸っていた表情とは全く違っていた。
私は異物が消えても尚違和感の残る口元を両手で抑え、ゴホッと咳き込む。
「ゴホッ、…ん、っぐ」
込み上げてくる不快感に耐えながら、私はぺたんと座り込んだ。
等間隔に並べられた机と椅子の脚の隙間の向こうに、クラスメイトの影が伸びている。
「…本当に話してただけ?」
クラスメイトは彼女と私を交互に見て首を傾げた。
「そうだよね?」
頭上から、そう信じて疑わない、という確信を持った質問が降ってくる。
何度も繰り返しワックスがかけられた薄汚れた床を見つめながら、私は「うん」とだけ答えた。
「もう行こうよ」
クラスメイトは誰もいないことを確認するように廊下を見渡し、彼女に声をかけた。
手に持った2つのスクールバッグの1つを差し出して、それを受け取るように促す。
彼女は「ありがとう」と、それを受け取り振り返ることもなく教室を出て行った。
きゃっきゃっと甲高い笑い声と、パタパタ床を蹴る足音が徐々に遠ざかり、漸く私は大きく息を吐くことができた。
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