竜少女に見初められまして

進道 拓真

竜少女に見初められまして


「ほらほら! 早く来ないと置いてっちゃうわよ!」

「ま、待ってよ!」


 はつらつとした声を上げながら僕───フェイメルの前を走るのは、一目見ただけで美少女だと断言できるほどに美しい容姿を持つ彼女。

 薄めの茶髪の僕とは全く異なる、燃えるような赤髪をたなびかせながらこちらを振り返ってくるその瞳もまた、宝石と見紛うほどに見事な紅の色を宿している。

 また、その容姿も素晴らしいものであり、抜群のプロポーションに加えてその身を包むドレスにも似た可憐な服装は、その魅力を抜群に引き出していた。


 どこか幼さを残したあどけなさに混ざって、色気すらも醸し出してくると錯覚させられるほどに完成された美を有する彼女───リーシャは、フェイメルが自分の隣にたどり着くのを待っている。


「もうっ、フェイったら情けないわねー。そんなんじゃ村の外に出てもすぐにやられちゃうわよ?」

「…はぁ……はぁ……そりゃ、リーシャと比べられたら貧弱に決まってるよ…」

「あらそう? まぁ仕方ないわね。これくらいで負けてたら、である私の面目も丸つぶれだもの!」


 そんな言葉にどこか自信と誇りを持つように宣言するリーシャは、己が数多の生態系の頂点に君臨している種族であることを堂々と言い放った。

 …そう。どこからどう見ても美しい人間の少女にしか見えない彼女は、この世界でも最強の種族とも言われているドラゴンそのものだった。





     ◆





 ───おとぎ話として語られるほどに遥か彼方の太古。

 かつてこの世界は、人間のみならず亜人やモンスターといった人外の存在までもが争いを重ねていた。

 地は砕かれ、天は暗雲に覆われ、海は沈んでいく。そんな混沌とした戦乱は、永遠に続くと思われていたが……そんな時代を制する種族が現れたのだ。


 それこそが、今なお隔絶した実力を有していると言い伝えられている『竜』だった。

 彼らはその圧倒的な体躯から繰り出される爪や牙の一撃で戦況を一変させ、放たれる魔法攻撃によって多くの兵を殲滅させていった。


 そんな攻撃に他の種族たちはなすすべもなく、瞬く間に世界を掌握した竜族であったが、ある時を境に忽然と姿を消すことになる。

 あまりにも唐突な時代の覇者の消失に残された地上の生物たちは戸惑ったが、既に竜の力によって終結させられた争いを再開させる気力を持つ者など現れるわけもなく、そこからは現在まで続く平和な世の中へと突入する。


 竜族が軒並み姿を消した原因については、多くの学者たちが『空気中の魔力濃度の変化から環境に適応できなくなったのではないか』、『自分たちにとってさらに過ごしやすい住処を見つけてそこに移っていったのではないか』なんて多くの仮説がされているが、真偽は定かではない。


 少なくとも確かなことは、竜という存在は他とは比較にもならない能力を持っていること。そして、逆らえば命はないという恐ろしい史実のみだった。





     ◆





(竜に逆らえば命はない……そう聞かされてきたはずなんだけどなぁ…)


 森の中を走りながらリーシャを追いかけたことで、上がった息を整えながらフェイメルは、隣で微塵も息を荒げていない彼女を見る。

 まだ十三歳となったばかりのフェイメルと長い時を生きるリーシャ。その力の差は明らかなものであり、まず自分では逆立ちをしたところで彼女には勝てないだろう。

 この世で最も恐ろしい存在とも言われている竜族であり、それに違わぬ高い実力を持っている彼女はフェイメルのような矮小な命なんて容易に刈り取れるはずなのに、決してそれをしようとはしない。


 フェイメルとしては殺されたくなどないのでそれはありがたいが、やはり別次元の実力者がこうして対等に接してくれているというのは、少し不思議な気分にもなる。


「…リーシャって、本当に竜なんだよね?」

「今更何言ってるの? フェイだって何度も見てるでしょ、私が竜の姿になったところ」

「それは、そうだけど……それだけ凄い君が、僕みたいな人間に構ってくれてるのが不思議と言うか……」


 リーシャの言う通り、フェイメルは何度か彼女が竜の姿になったところを見ているし、今の姿が人化の魔法を使って形作っているものであることも聞かされている。

 …まぁ、彼女が自分のような存在に構ってくれる理由などこれまでに幾度も耳にしてきたが……それでも信じられないことに変わりはないのだ。


「まーたそんなこと言って! 何度も言ってるでしょ? 私はフェイのことが一緒にいるのよ! 理由なんてそれで十分じゃない。それとも、フェイは私が嫌いなの?」

「そりゃ、僕もリーシャのことは好きだけど……やっぱり、変な感じがあるからさ」


 混じり気のない純粋な好意をぶつけてくる彼女に対して、フェイメルも特に恥ずかしがることもなく好意で返す。

 確かにリーシャのことは竜族というフィルターを抜きにしても好ましく思っているし、彼女の魅力は出会ってからの三年間で嫌と言うほど知らされている。


 …だが、自分が彼女のことを好きだと思っていても、相手から直接ぶつけられる好意を素直に受け取れるのかどうかはまた別問題なのだ。


「変な感じって何よ……ともかく! 私は種族が違うくらいで見る目を変えたりはしないわ。今はそれで十分でしょ?」

「…そうだね。変なこと言ってごめん」


 少し呆れた目をしながらこちらを見てくるリーシャに素直に謝れば、満足したかのように頷いている。

 少なくともフェイメルも、彼女と好んで接していることは間違いないのだから、今はそれが分かっていれば問題もないだろう。


「ふっふーん。それならいいわ! …それで、今日は何をするの?」

「とりあえず魔法の練習でもしようかなって。リーシャからすれば退屈かもしれないけど……」

「別に気にしなくていいわよ。私はフェイの練習風景を見るだけでも楽しいもの」


 今二人がいるのはフェイメルが暮らしている村の近くに存在する森の中であり、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれている。

 魔法の練習をするのなら村の中でも構わなかったのだが、なんとなく静かな環境の方が集中しやすいかと思ってここにやってきたというわけだ。


「それじゃあ早速始めるよ。……ふぅ」


 軽く息を吐きだし、集中力を高めていくフェイメル。

 そうして高められた意識で自身の中にある魔力を感知し、それをより精密に操るための訓練を行っていく。




 ここで少し、魔法について説明しよう。

 魔法とはこの世界に存在している魔力を燃料として行使される奇跡の総称であり、その効果は種類によって大きく異なってくる。


 代表的なものを挙げるならば、手のひらから水の球を出したり、光を灯したり。威力や影響力はその者の熟練度や込められた魔力量によって変動する。


 扱える魔法は行使者の適正によって変化してくるが、基本的に大半の者は火、水、土、風の属性の中から一つ適正を選出される。

 稀にそれ以外の属性を持って生まれてくる者もいるにはいるが……それは例外であり、ここでは省いておこう。


 魔法を発動させるためのプロセスはいたってシンプルであり、まず自らの内に存在する魔力を練り上げ、それに属性を付与し、そこからさらに特定の魔法を顕現させるための魔法陣を組み立て、放つ。

 言葉にすればこれだけのことだが、当然そう簡単なことではない。


 単純に魔力を練り上げようとするだけでも、その際にどれだけ緻密に操作できるかによって効果に大きな影響が出てくるし、それに加えて発動させるまでのスピードまで求められるとすれば、難易度は段違いに跳ね上がってくる。

 そんな魔法の過程一つ一つにもそれだけの努力が必要となれば、それに根を上げて直接肉体を鍛えて近接戦に乗り換えた方が早いという者だっているくらいだ。


 しかし、フェイメルはその努力を惜しまなかった。

 リーシャに出会ってから、いや、出会う前から魔法というものに密かに憧れを抱いていた身として、地道な練習を積み重ねてきた彼の技量は、そこらの大人と比べても遜色はないくらいだ。


(落ち着いて魔力を練り上げて……頭の中で魔法陣のイメージ。一つ一つを疎かにすることなく、それぞれの流れをまとめてつなげる…)


 今まで幾度となく繰り返してきたことを、頭の中で反芻しながらより洗練させていく。

 どの工程にも手を抜くことはなく、最後の一瞬まで気を緩めることもなくその魔法を発動させる。


「…【火灯ファイアーライト】」


 立てられた人差し指から灯される、一つの炎。

 フェイメルが適正を持っている火属性では最も基本的な魔法であり、その簡易性から重宝されている魔法でもある。


 火力としてはちょっとした火種くらいのものなので攻撃には使えないが、生活の中では非常にありがたいと感じる場面も多い。

 そして、そんな魔法を発動させたフェイメルはというと……自分の手で起こした魔法に、納得がいっていないといった表情で傍にいたリーシャに声を掛ける。


「どうだった? 今の魔法」

「悪くはないと思うわよ。魔力だってそれなりに洗練されていたし、普通に良いと思うわ」

「…やっぱり、普通か。まぁ仕方ないね」


 リーシャからもたらされたのは、紛れもない称賛だった。

 しかし、そこに秘められた意図を正確に読み取ったフェイメルは悔しそうにしながらも、次こそはもっと良い魔法を使って見せると意気込む。


「…というか、なんで【火灯】なのよ。もっと大きい魔法使えばいいじゃない」

「いや、こんなところで火属性の火力を上げたら森に燃え移っちゃうでしょ? それはさすがにダメだって」

「あっ、そう言われればそうね」


 二人がいるのは自然に囲まれた森であり、こんなところで大きな炎なんて出してしまえば一斉に炎に取り囲まれてしまうことは目に見えている。

 …リーシャの力があればそこから逃げ出すのも難しくはないだろうが、大惨事になることはなるべく避けておきたい。



 その後もフェイメルは地道に訓練を続け、それを少し楽し気な雰囲気を浮かべながら見守るリーシャの姿がそこにはあった。

 気が付けば一時間ほどが経過していた頃にようやく一段落したため、一度村へと引き返すこととした。


「…それにしても、もう三年か。なんかすごい長いこと一緒にいたような気がするけど、思えばあっという間だね」

「あら、急にどうしたの? そんな感慨に耽ったようなこと言って」


 ぽつりと漏れ出た一言は彼女にも聞かれていたのだろう。

 こうして二人で歩いているのが日常となった今では想像もできないが、それは三年前のから始まったことでしかない。

 年月にすればそれほど長くはないし、長命な彼女からすればそれは尚更のものなのだろうが……それ以上に、リーシャと過ごす毎日が濃密なものだったからこそ、それ以前の日常が思い出せないくらいに満たされているのだ。


「そもそも出会いからして訳が分からなかったからね。まさかあんな所に竜がいるなんて……」

「それを言ったら私だって、あそこに人間がいるなんて想像もしてなかったわよ。…まぁ、そのおかげでフェイと出会えたから感謝はしてるけどね!」


 思い返せば昨日の事のように思い出せる。

 三年前から始まった、奇妙なこの関係の原点を。




 三年前のあの日。まだ十歳だったフェイメルには両親が居なかった。

 その所在は詳しくは知らされていないのでよく知らないが、わかっていることは自分には血のつながった家族がいないということだけ。


 そんな状況に幼い子供が置かれれば、普通はひねくれて育つのかもしれないが……幸いにもフェイメルには、心優しい村の仲間がいた。

 彼らは一人だったフェイメルを家族同然に接し、困った時には必ず手を差し伸べてくれたりと、温かい環境を作ってくれていた。


 そのおかげか、フェイメルは擦れることもなくのびのびと成長し、当時は村の中でも特に可愛がられている存在となっていた。


 …しかし、そんなフェイメルにも村の者達が決して近づいてはならないと言われている場所があった。

 それは貴族が治めている王都や領地から離れた辺境に位置している村からさらに離れた場所に存在している、コルド山脈と呼ばれている山岳地帯。

荒れ果てた岩肌がむき出しになっているあの山は、普段からどことなく不気味な空気が蔓延しているため、そもそも近づこうとする考えさえ湧くことはないような場所だ。


 村長曰く、あそこには恐ろしい存在が生息していると言い伝えられており、今までにも何度かその真実を確かめようと向かって行った者がいたが、彼らは例外なく帰ってくることはなかったという。


「良いかフェイメル。あそこには絶対に行ってはならん。約束してくれ」


 そんな話を聞かされたフェイメルは、その場では大人しく頷いていたが……幼い心ゆえに備わっていた好奇心には勝てなかった。


 村人が仕事で忙しくなる昼頃、人目を忍んで近づいてはいけないと言い聞かされていたコルド山脈の麓へと歩いて向かって行く。

 距離としてはそこまで遠くもないのですぐにたどり着くこともできたが、やはり村長の言っていた通り、何だか異質な気配を放っている山岳に言い表しようのない恐怖を感じたフェイメルはすぐに引き返そうとしたが……少し遅かった。


 どこからともなく、バサッ…バサッ……という乾いた音が響き、その音は少しずつこちらへと向かってくるようだった。

 そんな音の正体を探ろうと周囲を見渡すが、おかしな姿は見られず首を傾げていると、空から自分を覆うように巨大な影が落とされた。


 その影の正体を見上げれば……そこにいたのは、全身を深紅の鱗で多い、猛々しさを溢れさせながら翼を広げる空の支配者───村の大人たちから幾度も聞かされてきた、伝説の存在だとされていた竜だった。


「………」


 そんな存在を前にして、フェイメルは一言も発することができない。

 その身から感じ取れる、思わず跪いてしまいそうな圧倒的なオーラゆえか、それとも生物として根本から異なる格の差ゆえか。

 まるで全身が凍り付いてしまったのではないかと錯覚してしまいそうなほどに、ピクリとも動かせない己の体を自覚しながら……それと同じくらいに、目の前の存在から目を離せなくなっていた。


『……あなた、人間よね。なぜこんなところにいるのかしら』

「………」


 発せられた声は、おそらく目の前の竜のものだったのだろう。

 彼らが人の言葉を話すことができるなんてことは聞いたことが無かったが、なんせ相手は伝説の存在だ。

 何が起こっても不思議ではない。


 その声は勇ましい姿からは少し想像しづらい可愛らしさを含んだものであったが、あいにく今の彼にそれを気にかける余裕なんて無かった。

 …今のフェイメルにとって、それ以上に引き付けられることはそこではなかったから。


 しかし、いつまで経っても反応のない人間を相手にしていることにも飽き飽きしてきたのだろう。

 眼前の竜は心底つまらなさそうに鼻を鳴らすと、それで興味を失ったかのようにその大きな瞳孔を逸らしていく。


『…ふん。何も言わないならそれでいいわ。私たちに害を与えるつもりもないようだし……せいぜい邪魔にならない範囲で、静かに暮らすことね。それじゃあ……』

「……綺麗だ」

『………は?』


 そこから漏れ出たのは、フェイメル自身でさえ意識せずに口にしてしまった本音。

 赤い竜が現れたその瞬間から、その見た目の美しさに彼の、心からの称賛だった。


 そして、そんなお世辞なんて微塵も入っていない褒め言葉を受けた竜はというと……その一言に、ほんの少しの興味を抱いた。


『…あなた、怖くはないの? 私はやろうと思えば、一瞬で人間なんて食い殺せる力があるのよ?』

「え、えぇと……凄い力はあるんだろうなっていうのは分かります。だけどあなたがそんなことをする竜だとは思えなかったし、何よりも……その、綺麗なだなって思っちゃったので、そこまで怖くもなくて」


 普通に考えれば、フェイメルは真っ先に逃げるべきだったのだろう。

 常識的に判断するならば、竜と出会った時点で命の保証なんて軽く吹き飛ぶようなものでしかなく、出会い頭に殺されていない段階で背を向けて走れば、生き残れる可能性だって高められたかもしれない。


 だが、フェイメルはその全ての選択肢を捨ててかの竜の光沢すら思える鱗の輝きや、鋭さを残しつつも頑強な牙、そして何よりも細やかな動きの中にも隠された、洗練されきった威厳を漂わせる彼女の立ち振る舞いに魅了されたのだ。

 そんな想定外も良いところなフェイメルの言葉を聞かされた赤い竜は……その体躯をかすかに震わせていた。


『ふ、ふふふっ。あっはは! あなた、面白いじゃない! 気に入ったわ!』

「…あ、ありがとうございます?」


 体を震わせながら、そこらに笑い声を響かせる竜に対してどのような言葉を返したらいいかなんてわからないので、無難な礼を返す。

 そのままひとしきり笑い終えれば、彼女は何かを思いついたかのようにこちらに向かって再度視線を合わせてくる。


『いやー、こんなに笑ったのは久しぶりだわ! …あなた、名前は?』

「あっ、ふぇ、フェイメルです」

『ふーん……フェイメル、か。ならフェイって呼ばせてもらうわね』

「は、はい。好きなように」


 先ほどまでの威圧してくるような空気の重さはさっぱりと消え去り、その代わりに底抜けに明るい性格を思わせる声が語り掛けられてくる。

 …おそらく、さっきまでの話し方は興味のない相手に対するもので、どちらかと言えばこちらの方が素に近いのではないだろうか?


『それじゃ、こっちも名乗っておく……って、この姿じゃ話し辛いわよね。ちょっと待ってて』

「…? はぁ……」

『よいしょ…っと』


 待機を命じられたフェイメルは、そう言ってきた竜の動向を大人しく見守る。

 しかしその意図がよく分からなかったので、頭に疑問符を浮かばせていたが……彼女の狙いはすぐに明らかとなった。


 竜の周囲に膨大な魔力が収束し、その体が一瞬直視するには眩しすぎる光を放ったことから、視界を守るために反射的に目をつぶってしまう。

 だがその光も次第に落ち着いてきたのか、ゆっくりと目を開けていけば……そこには、数秒前まで竜が佇んでいた場所に一人の美少女が立っていた。


「……ふぅ。これで少しは話しやすくなるかしらね」

「………え? …も、もしかしてさっきの赤い竜、ですか?」


 ふわふわとした赤い髪を腰のあたりまでたなびかせ、同様にこちらを見つめてくる真っ赤に染まった瞳は大きく瞳孔を開いており、明らかに人のものではない。

 それに伴うように整った顔立ちもまた凄まじいの一言であり、老若男女問わず全ての者を魅了していくであろう美貌を有する少女は、どこか楽しそうに笑みを浮かべながらフェイメルのことを真っすぐに見つめていた。


 ドレスのような服装に身を包んだ格好は周囲ののどかな空気感からは完全に浮いており、それがまた彼女の隔絶した美しさを際立たせているように思えるのだから不思議だ。


 …こんなところに突然現れた美少女。

 それに先ほどの竜の発言を思い返してみれば、その正体にはおのずとたどり着いてしまう。

 正直、信じられないことではあるが……それ以外に答えも思い浮かんでこない。


「ええ、そうよ。改めて名乗っておくわね! 私はリーサリア・シャルグ。長いから、普通にリーシャって呼んでくれればいいわ」


 気さくに話しかけてくる彼女、リーシャだったが、当のフェイメルの脳内は混乱真っただ中であり、もたらされた情報に理解が追い付かない。

 なぜ竜の姿から人の姿になれるのか、一体どんな魔法を使ったのかなど、聞きたいことは山のようにあったが……何よりも。


「…女の子だったんだ」

「あら、気が付いてなかったの? …人から見れば分かりづらいかもしれないけど、さすがに男だと思われてたなんて言われると傷つくわよ?」

「ご、ごめんなさいっ! その…声からなんとなく予想はしてたけど、まさか本当にそうだとは思わなかったから」


 長く美しい髪をかき分けながら、少し怒ったような表情を浮かべてくる彼女に対して素直に謝罪する。

 いくら第一印象が強烈な威圧感に満たされたものだったとしても、彼女の言う通り女の子を男の子扱いするのは失礼にあたるだろうし、それで不快に思わせてしまったのなら尚更だ。


「…まぁいいわ。それよりフェイって、思ってたより可愛い顔してるわよね」

「そ、そうなのかな……あまり自分でそう思うことはないけど」


 村の者達からは何かにつけて華奢だと言われることも多いフェイだが、その顔立ちの中に幼い少年らしさを残していることもあってそれなりに整った見た目をしている。

 絶世の美少女だと断言できるリーシャと比較してしまえば見劣りはしてしまうが、それでも見る者が見れば惹かれる機会だって多いくらいだ。


 そんなフェイメルをまじまじと眺めてくるリーシャだったが、一通り見終えると満面の笑みを浮かべながらこちらに宣言してきた。


「ふーむ……これは想像以上だったわね。よし! フェイ、あなたに惚れたわ! これからちょくちょくあなたのところに遊びに行くから、覚えておきなさい!」

「え、えええぇぇぇっ!?」


 それは、間違いなく今日一番の驚愕だった。

 だがそれも仕方ないだろう。幻としか思われていなかった竜と遭遇したかと思えば、己の命を奪われるだろうと覚悟していた上で対話を求められ、さらにどういうわけか告白まがいのことをされたのだから。


 しかし、それを堂々と言い切ったリーシャは少しも照れる様子を見せることもなく、むしろこちらの反応をおかしな目で見てきている。


「そんなに驚くこと? 別に変なことでもないでしょう」

「いや、展開が怒涛すぎるというか……そ、そもそもなんで僕に惚れたなんてことを……」


 絶賛困惑中の頭を必死で働かせながら、現在直面している問題の中でも最上級の疑問を投げかける。

 …他にも聞きたいことは山のようにあったが、直前の彼女の言動のインパクトが強すぎて全て上書きされてしまったようだ。


 そして、自ら口にしたことの理由を追求されたリーシャはというと、非常にあっけらかんとした風に答えを教えてくれた。


「私がフェイに惚れた理由? うーん、そうね。あなたの顔が好みだったからっていうのもあるけど……一番はやっぱり、私と対等に接してくれたからかしら」

「…対等に?」

「そう。私って竜の里の中でもかなり強い方なんだけど、そのせいでみんな私のことを上位者として見てくるのよ。会話をするときもみんな怯えちゃうから、普通に話せる相手が少ないのよね」


 なんだか言葉の中で竜の里といういかにも危険そうなものが出てきてしまったが、それにいちいち反応をしていたら話が進まなそうなので、大人しく耳を傾ける。


「だから、フェイが私のことを見てくれた時に『綺麗だ』って言ってくれたのが嬉しかったのよ。怖がるわけでもなく、かしずくわけでもない。ちゃんと私自身を見てくれたって分かったからね! 理由はそれくらいよ!」

「…な、なるほど」


 随分とぐいぐい来るリーシャの行動に戸惑ってしまうが、大まかなことは理解できた。

 つまりは、彼女は圧倒的な実力者であるがゆえに真正面から向き合える相手がおらず、そんな時に偶然とはいえ、何の飾りもない本心からの言葉をぶつけてきたフェイメルという存在が現れたのだ。


 久しく出会えなかった対等な会話をできる、それも人間という実力で言えば圧倒的な格差がある種族だというのに、一切恐れることもなく自分のことを褒めてきた。

 そんな面白い生物を見逃すなという方が難しい話であり、気づけば目を離せなくなっていた。


 …それと、彼の外見がリーシャの好みにドンピシャでハマっていたというのも理由として数えられなくもないが、それは一旦置いておいてもいいだろう。


 そしてそんな一連の理由と経緯を聞かされたフェイメルは、状況に振り回されながらも心のどこかでは嬉しいと思っている自分がいた。

 確かに竜という伝説の存在から好意を向けられるという、限りなく稀有な状態に置かれていることに困惑もしているが、彼自身リーシャを嫌っているわけではなく、むしろ好ましく思っていた。


 そもそも、一目見た段階で彼女の振る舞いやその容姿に見惚れていたのだから、その感情は人間の姿になったくらいで変わるものではない。

 現に今も、自分のことを好きだと言ってくれた彼女から目を離せなくなっているし、少なくとも嫌悪などの感情は抱いていないと断言できる。


「えっと、じゃあ……リーシャ、さん?」

「さんはいらないわ。あと、話し方も普通にしてくれればいいから」

「わ、分かった。…それじゃあ、リーシャ」

「ええ! それでいいわ!」


 とりあえず会話の第一歩として、呼ぶことを許可された名前を呼んでみようとしたのだが、彼女から無理に取り繕うことはないと止められてしまった。

 まぁ彼女の立場なんかも考えればそれも納得できることなので、ここは遠慮なく楽に話させてもらうところだろう。


「その……そろそろ僕も村に戻ろうと思うんだけど、リーシャはこれからどうするの?」

「そうね……せっかくだし、フェイについていこうかしら。あなたの暮らしてる場所も見てみたいし」

「えっ、竜の里って場所に戻らなくていいの?」


 会話の内容を思い返してみれば、リーシャには自分の暮らしている場所があるはずだ。

 おそらくフェイメルと出会ったのもそこに向かっている最中だったのだろうし、てっきりそこに戻っていくものだとばかり思っていたのだが………。


「あぁ、それね。竜の里はここの山の頂上にあるんだけど、別に帰ってもすることがあるわけでもないし、退屈なだけだから問題ないわ」

「…コルド山脈にいる恐ろしい存在って、竜族のことだったんだ」


 ここにきて、また意外な事実が判明してしまった。

 村長たちから言い聞かされてきたコルド山脈に住まう何かについて、確かにそれが竜族であると考えれば納得もいく。


 その詳細を確かめようとした者達の安否も、おそらく何らかの形で竜との戦闘か事故といったアクシデントによってその行方を断たれてしまった、というのがことの経緯だったのだろう。

 フェイメルはリーシャとの対話によって命拾いすることができたが、通常は竜と出会った時点で命などないようなものだし、その脅威度は計り知れないものなのだから。


 いずれにせよ、彼女がついてくるというのならフェイメルにそれを止めることなどできやしない。

 彼が何を言おうとその意思を変えることはできないだろうし、実力で押しとどめるなど以ての外だ。


 …それに、まだリーシャと共にいられることが嬉しいことは紛れもない事実だし、フェイメルにとっても悪いことばかりではない。

 村の人たちには混乱させてしまうかもしれないが、そこは自分が説明するしかないだろう。


「とりあえず、案内してもらってもいいかしら? 私もフェイの村までの道のりは分からないから」

「…分かった。ちょっと歩くけど、そこまで遠くはないからすぐに着くと思うよ」


 そう言うとフェイメルは先ほどまで歩いてきた道を引き返すように歩き出していき、リーシャはそれに続くように隣に並んでくる。

 その距離感もお互いの肩がくっつきそうなほどに近いもので、何だか落ち着かない気分になってくるが……上機嫌になっているリーシャを見ると、まぁいいかと思ってしまうのは自分も彼女にやられてしまっている証拠なのだろう。



 それから二人はたわいもない雑談を交わしながら、のどかな風景が広がる草原を歩いていった。

 話す内容もそれぞれの好きなものは何か、だったり普段はどんな生活をしているのかという何てことのないものばかりだったが、そんなありふれた話題ですらその時の彼らには大きく満たされたものだった。


 そうこうしているうちに村にもたどり着き、入口付近に立っている顔見知りの大人の姿が見えてきたので声を掛けようとしたところ……なぜか、大騒ぎになった。

 こちらが挨拶をしようとした瞬間に向こうから『フェイメルか!? フェイメルだよな!』と大声を張り上げてきたので、若干気圧されながらも頷くとすぐに村長の元へと連れていかれた。


 その後の展開に関しては……あまり思い出したくもないけれど、とにかくしこたまに叱られ続けた。

 …これに関しては言い訳のしようもない。悪いのは完全にフェイメルの方だ。


 どうやら村の人たちは仕事の途中からフェイメルがどこにも見当たらないことに気が付いたようで、軽く村の中を探すも見つからず、周辺を探し回っていたらしい。

 最初はすぐに見つかるだろうと思われていたのにも関わらず、その予想に反するようにどれだけ時間が経っても行方が全くつかめない。


 次第によからぬ事態に巻き込まれてしまったのではないか、どこかの盗賊に捕まってしまったのではないか、なんて最悪の想定までもがされ始めたところで、ひょっこりとフェイメル本人が戻ってきたのだ。…それも、見知らぬ少女を連れて。

 すぐに親代わりでもあった村長に報せが届けられ、詳しい事情を聞きだしていけば……なんと、コルド山脈の麓まで行っていたというではないか。


 そこからは説教の嵐である。

 いつ終わるのかも分からないお叱りをその身に受け続けながら、全面的に悪いのはこちらなので大人しくそれを聞くことしか出来ない。

 ようやくそれが終わった時には軽く一時間ほどが経過しており……正座をし続けていた膝がじんじんと痛み続ける羽目になってしまった。


 …だけど、説教の最後には村長が『…とにかく、無事でよかった。よく戻ってきてくれた…』と、優しい笑顔を浮かべながら頭を撫でてくれたので、これ以上の心配をかけさせるわけにはいかない。

 今回は好奇心に従って無茶をしてしまったけど、これからは後先を考えて行動しようと心に決めた。


 そして、問題が発生したのはそれからだった。

 フェイメルへの説教が無事に済めば、今度は次の疑問に移るのは当たり前のことだった。


 それは、彼と共にやってきた見覚えもあるはずがない美少女───リーシャに関することだ。

 この辺りではまず見かけない美貌を持ち、まるで貴族かと見紛うほどに洗練された所作の数々。この世の炎を凝縮させたかのような深い赤に染まった髪色など、明らかにこの場に見合わない人物の正体について質問し始めたのだ。


 もちろん、それを聞かれることはフェイメルも想定していた。

 というか、一緒に来ると言われた時点で聞かれないなんて選択肢はまずありえないので、どのようにして誤魔化そうかと道中で考え続けていたのだ。


 さすがに馬鹿正直に、竜族の女の子ですなんて明かしてしまえばパニックを引き起こしてしまう可能性が高いと思ったので、ここは無難にお忍びで来ていた貴族の娘だと言って場をしのごうと画策していたのだが……。

 それを話すよりも早く、『私は竜族のリーサリア・シャルグよ! フェイに一目惚れしたからここまで来たわ!』なんて言うものだから、そんな狙いもあっさりと崩れ去ってしまった。


 それを聞いた村長も、始めは何を馬鹿なことを……といった風に呆れていたが、その反応に少しムッとしたリーシャが腕の一部を人間のものから竜のものに変貌させたことで状況は一変した。

 まさか本物の竜族が現れるなんて夢にも思っていなかったのだろう。しかし、一部だけとはいえ竜の姿を目にしてしまった以上信じないわけにもいかず、可能な限り冷静さを保つように努めながら目の前のリーシャから話の詳細を聞いていった。


 そして、そんなことがあったものだから村は大騒ぎだ。

 いくら辺境とはいっても竜族の恐ろしさくらいは誰でも知っている常識だし、そんな中で本物がここに訪れているともなれば話題に上がることは避けられないだろう。


 すぐに噂は村中に知れ渡り、大人から小さな子供までリーシャのことを一目見ようと押しかけてくる者で溢れかえる始末だった。

 それは竜という存在を見たいという怖いもの見たさであったり、信じられないくらいの美少女である彼女の姿を確認したいという欲求であったりと、抱える思いは人それぞれだったのだろうが、ともかく多くの人が集まってくる中でも彼女は普段と変わらず平然としていた。


 …村にとって幸いだったことは、リーシャがフェイの暮らす場所を滅ぼすつもりなど微塵もなかったことだ。

 実際に彼女も、『フェイのいる場所を害するつもりなんて無いから安心してほしい』と明言していたし、それを信じられるかどうかは別問題だが、少なくとも何も言われずに居座られるよりは遥かにマシだっただろう。


 どちらにせよ、彼女に悪意があろうがなかろうがリーシャを傷つけることのできる実力者などここにはいないし、仮にいたとしても多大な被害がでることは確実だ。

 それならば、無理やり排斥するよりも平和的に過ごしてもらった方がいいという村長の判断で、彼女が村に訪問することが認められたのだった。


 それからというもの、定期的に村を訪れるようになったリーシャと交流を重ねながら、時々自分の魔法の訓練を見てもらったり、森の中を散策したりするという何てことのない日常を送っていった。

 訪問し始めたばかりの頃は竜の姿で飛んでくる彼女の姿に怯える様子を見せた村人たちも、徐々にその光景に慣れてしまっていったのか、一年が経つ頃には何の変哲もない日常風景として受け入れるようになっていた。


 そうして月日は少しずつ、されど静かに経過していき、三年が経った今でもその関係は続いている。




「あれから三年が経ったけど、相変わらずフェイは可愛いままよねー。まぁそんなところも良いんだけど!」

「僕としては、もう少し格好良くなりたかったんだけどな……」


 森からの帰りの道中を歩きながら、たった三年の月日を振り返りながら盛り上がる二人。

 出会いからして強烈なインパクトを叩きつけられたものだったが、ふと思い返してみればかけがえのない思い出に違いないあの日のことは、何よりも大切なものでもあった。


 …しかし、数年が経過したというのにフェイメルの容姿はどことなく少年らしい可愛らしさを残したままであり、唯一の不満があるとすればそれくらいか。

 リーシャはむしろそこを気に入っているようだが、やはり男としては格好良さを目指したいので少し複雑でもある。


 こればっかりは今後の成長に期待するしかないので祈ることしかできないが、望みは薄いだろう。


「まあまあ。どんなフェイでも私は好きだから問題ないじゃない。それより、もう少しで村にも着く頃でしょ?」

「…そうだね。もうそろそろだと思うよ」


 何だか上手く話を逸らされたような気がしないでもないが、この話題をいくら続けていても不毛なことは分かり切っているので打ち切る。

 …見かけの印象はそこまで変わらないにしても、身長は順調に成長し続けているしそのうち格好良さも身に着くだろう。


 そんな現実逃避にも似た思考を浮かばせながらリーシャと道を歩いていき、次第に見えてくる村の風景が視界に入ってきた。

 簡易的な柵と堀で覆われた外周に、申し訳程度に設置された簡素な門。

 防衛設備としては貧弱も良いところだが、こんなさびれた場所では襲い来る外敵も大したものはいないし、普段の生活を送るだけならばこれでも十分なくらいだ。


 そんな村の入り口へと近づいていき、二人で門をくぐろうとすると……横から聞き慣れた声が掛けられてきた。


「おっ、フェイメルとリーシャ嬢ちゃんもご帰宅か! 今日も魔法の訓練でもしに行ってたのか?」

「あ、レイブンさん! そうですね、さっき森で練習をしてきてそれが終わったので戻ってきました」

「そうかそうか! 訓練に励むのもいいけど、もう少し体を労ってやれよ? お前が倒れたらみんな悲しむからな」

「あはは。ありがとうございます」


 戻ってきた二人に話しかけてきたのは、門の近くに駐在していた一人の男、レイブン。

 彼はもともと他の街からやってきた衛兵を務めていた経験を持ち、多くの過程を経てこの村にやってきて、今ではここの門番兼守護役を任されている。


 しかし、さっきも言った通りこんな辺鄙な場所に脅威となるような外敵───具体的には、モンスターなんかの存在が攻め込んでくることなど皆無と言っていいほどに機会などないので、実質ここに座りながら村の者達と雑談をするのが主な役割になっているくらいだった。

 だが、この近辺が平和である方がいいことに変わりはないし、いらぬ悪意を抱え込む必要なんてない。


 そもそも、そんなピンチを求めてなどいないのだから。


「リーシャの嬢ちゃんも、今日は一段と綺麗だな! こりゃ男どもが放っておかないだろうに!」

「あら、ありがとう。でも私はフェイ一筋だから、他の人に言い寄られても興味なんてないわよ?」

「相変わらずの反応だなぁ……ま、それもほどほどにな!」


 リーシャの言葉に少しの苦笑を浮かべながら、景気の良い声を上げながら見送ってくれるレイブン。

 気さくに語り掛けてくる彼ではあるが、いざという時には頼りになるし、フェイメル自身も何度か力を貸してもらった経験だってある。


 今まで他の街で培ってきた豊富な人生観から来る知識なのかどうかは分からないが、特定の場所の中だけで生きてきたフェイメルの頭では考えもつかないような発想が飛び出してくることだってあるし、ただ話すだけでも楽しい人物だ。


 …まぁ今のように、リーシャの容姿を気軽に褒める軽薄さも持ち合わせているが全く相手にもされていなかったので、そこだけは少し可哀そうではあったが。


 それは別にいいか。

 ともかく、彼のおかげで自分たちは安心して暮らせていると言っても過言ではないので、なんやかんやで接点も多いのだ。


 そうしてそのまま門を通り抜けて歩いていき、リーシャと共にちょっとした広場のようなスペースがある村の中央へと向かって行くと、そこには所々で村人たちが談笑を繰り広げていたり、子供たちが元気よく走り回っている姿が見れる。

 そんな何気ない、だが微笑ましい景色が広がっている広場を一望していると、この場にやってきたフェイメルとリーシャの存在に気が付いたのか、子供たちが駆け寄ってきた。


「あー! フェイの兄ちゃんとリーシャの姉ちゃんだ! もう帰ってきてたの?」

「リーシャお姉ちゃん! 一緒に遊んで!」


 男の子と女の子が入り乱れる集団にあっという間に取り囲まれ、元気いっぱいの声で遊びに誘われる。

 フェイメルはそんな子供の無邪気さに圧倒されながら、訓練を終えたばかりで少し疲弊しているので、どう断ろうかと考えていると……それよりも早く、リーシャが口を開く。


「あらあら、あなた達も元気ねー。でもごめんなさい。今は私、フェイとのデート中だから、また今度遊んであげるわ」


 そんな言葉に子供たちは「えー!」と不満そうな声を上げるが、ニコニコと微笑むリーシャの笑顔を見て尾を引かれながらも素直に諦めたようだ。

 …やはりこうして見ているとより強く実感するが、彼女も随分とここに馴染んできたものだ。


 最初に村に通い始めた時には、村長の許しがあったとはいえ大多数にはどうしても警戒の色が見られていたし、伝説の存在が足を運ぶなんてことになればそれは尚更のものだった。

 しかし、リーシャはそんな反応を気にすることもなく堂々とした振る舞いを続け、フェイメル以外の者達とも少しずつではあるがコミュニケーションを重ねていった。


 接し始めたばかりの時こそ表面上の尊大な物言いが目についてくるが、会話を積み重ねる中で彼女の心根の優しさが伝わっていったのだろう。

 一年が経過する頃にはリーシャが訪れることに誰も何も言わなくなり、それどころか彼らの方から話しかけることの方が多くなっていったくらいだ。


 あくまでフェイメル最優先なところは変わっていないが、それでもこの変化は大きなものだっただろう。

 結果、彼女の存在は好意的に受け止められることになり、今となっては当たり前のようにやってくる来客となっていた。


「…よかったの? せっかく子供たちが来てくれたのに」

「いいのよ。言ったでしょ? 私は今フェイとのデートを楽しんでるんだから、あの子たちとはまた今度遊んであげるわ」


 リーシャはその見た目に反して子供好きであり、その美しさも相まって子供に囲まれていることはよく見かけることだった。

 なので今回も彼らの傍に居なくて良かったのかと思い、声を掛けたのだが……どうやらそれは愚問だったようだ。


 フェイメルとしては村の中を歩き回っているだけであり、これを果たしてデートと定義してよいものかは判断に困るところだったが、彼女からすればこんな何気ないことでも心から楽しそうに微笑みを浮かべている。

 その表情を見ればさすがのフェイメルも、それを否定するのは無粋だということは分かる。


 小さな声で「…そっか」とだけ返し、大人しく彼女とのデートを再開させようとして……そんな時、遠くの方から大声を張り上げながら叫んでいる者の声が響いてきた。


「たっ、大変だ! 遠方にウォアウルフの群れがいるぞ! 方角的にこっちへと向かってきている!」

「なっ!? ウォアウルフが!?」


 先ほどまでフェイメルたちが歩いてきた場所、門の方向からレイブンの焦ったような声が村に響き渡り、現在進行形で迫ってきている外敵の存在を伝えてきた。


 ウォアウルフ。それはこの辺りでも滅多に見かけることのない狼型のモンスターであり、一体一体の力としてはそれほどのものでもないので、ちょっとした害獣扱いをされているくらいの生物だ。

 …しかし、やつらはその数を増していくとその脅威度を格段に増していく。


 モンスターという存在は基本的に本能に従って行動を繰り返すので、その動きには知性というものがほとんどないのだ。

 それゆえに、モンスターの生態にはある程度決まったパターンが存在し、それはウォアウルフも同様。


 だがそれは、あいつらが単独で行動しているときに限った話だ。

 どういう原理なのかは分からないが、あれらは群れを成した瞬間から動きが抜群によくなる……端的に言えば、連携を始めるのだ。


 仲間意識のようなものを通じて動き方を共有しているのか、それとも未知の方法でつながりを得ているのかは不明だが、厄介なことは間違いない。

 異様なまでに動きを良くしたウォアウルフの群れは、大きな町や首都であれば余裕を持って討伐可能な相手だが、あいにくこんな辺境にそこまでの戦力はない。


 まとめて討伐などまず不可能であり、せいぜいが追い払う程度が限界だろう。

 しかしそれも、この場の戦力を全てかき集めてやっと可能か、というレベルであり、紛れもない危機であるという事実は変わりない。


「あと数分もすればここまでやってくる! 戦えるやつは門に集まって、それ以外のやつらは家の中に入っていてくれ!」

「…ここ最近はモンスターも出てくることなんて無かったのに……リーシャ、とりあえず僕の家にっ……! …リーシャ?」


 徐々に襲い掛かってくる凶刃の群れの報せに、この場にいた人たちも急いで家に戻るように走って行ってしまった。

 近くを走り回っていた子供たちも、突発的な状況に理解が追い付かず呆然としている様子だったが、傍にいた親に連れられて行く。


 …こうしてはいられない。すぐに自分たちも避難しなければ。

 そう考えて、何よりも自分と隣にいる少女の安全を確保しなければと意識を集中させたところで、フェイメルは気がついた。


 その隣に立っている少女───リーシャの表情からは先ほどまでのニコニコとした笑顔は消えており、その代わりに凍えるような冷めた視線を村の外へと向けている。

 あまりにも唐突な変化に、さしものフェイメルも一瞬モンスターのことすら忘れて戸惑ってしまうが……その困惑を口にする前に、リーシャが口を開いた。


「…ねぇ、フェイ」

「ど、どうしたの?」


 その声色は、彼女の心の内の激情を必死に押し隠そうとしているのか、ひどく平坦なもので……その落ち着きが、嵐の前の静けさを表しているかのようで恐怖を煽ってくるように思えた。



 …ウォアウルフ達にとって、今回の急襲は楽に終わるはずだった。

 獲物となる人間たちは自分たちの糧となるだけの存在であり、上回ってくるほどの力量などあるわけがない。


 それは、ある意味で正しい。

 彼らが向かっている村にはまともな防衛戦力など揃えられておらず、設備一つとっても貧弱そのものだ。

 たとえ家屋に籠城をしたとしてもいずれは食い破られる程度のものでしかなく、それを止める術などない。


 …そんな彼らにとっては、唯一の誤算とも言える。

 それこそ、今まさに襲われかけている村の者達にとっても頭から抜け落ちていることが一つだけあった。


 普段はその暴威を振るう機会などなく、それゆえに忘れられかけていた揺るぎない事実。

 その場所には……竜がいることに。


「…私、戦うことってそんなに好きじゃないの。むやみやたらに傷つくのなんて以ての外だし、疲れるしね」

「………」

「だけど……せっかくのフェイとのデートを邪魔されて黙ってられるほど、器も広くないのよ」


 それを口にした途端、周辺には彼女の激しい怒りが魔力に乗せられて、可視化できるほどに強く表出してくる。

 それに伴って、リーシャを中心に強風が吹き荒れ始め……莫大な魔力が収束し始めた。


「リーシャ…!? そ、それって……!」

「…犬風情が。私の時間を邪魔しようだなんて思いあがったものね。……滅びなさい」


 もはや立っているのも困難なほどに荒れ狂いだした魔力の奔流。

 それは天に向かって突き出されたリーシャの片手に集まっていき、周辺の空間そのものが震えているのではないかと錯覚してしまいそうなくらいの威圧感を放っていた。


 だが、それもやがては終わりを迎える。

 次の瞬間には、天に村を丸ごと覆い尽くせるのではないかと思えるほどに巨大な魔法陣が出現し、それはリーシャに呼応するかのように光が瞬いている。

 そして、眩い輝きを放つほどに一点に集められた魔力は、周囲の景色を強く照らし続け……遂には放たれた。



「…【ジ・フラメア】」



 ──その言葉が解き放たれた瞬間、世界は炎に包まれた。


 村からかなりの距離があったにも関わらず、おそらくウォアウルフがいたであろう地点には巨大なんて文字では表しようもないくらいに極大の火柱が上がっていた。

 その炎は轟音と共に猛威を振るい、ここまで込められた熱量の凄まじさが伝わってくる。


 目を開けていることさえ困難な暴風が吹き荒れ、いつ終わるのかもわからない火柱による炎熱の猛攻をひたすらに傍観に徹していると……ようやく、その炎が収まっていくような感覚がした。

 そんな直感に従ってゆっくりと目を開けていけば……そこには、いつもと何ら変わらない様子で満足げに立っているリーシャと、あれだけの炎による攻撃があったというのに、焦げ目一つない平原があるだけだった。


「リ、リーシャ? 今のは……」

「フェイ、大丈夫だった!? あの犬っころは全部倒しちゃったけど、私の魔法で怪我とかしてないわよね?」

「え? あ、ああ、それは大丈夫だけど…」


 くるっと振り返ってきた彼女に何をしたのかと聞こうとすれば、真っ先にこちらの身を案じられてしまった。

 おそらく、魔法を行使していた最中は敵への怒りで忘れかけていたのだろうが、自分の発動させた魔法の余波でフェイメルを傷つけていないか心配になってしまったのだろう。


 確かにあれだけの出力の魔法ともなれば、巻き込まれる可能性は高かったかもしれないが……今回は幸いにも、距離が離れていたこともあって無傷だ。

 なので彼女にもそう伝えてあげれば、リーシャはほっとしたように息を吐いていた。


「…そう、良かったわ。それにしても、本当に迷惑なやつらだったわね!」

「う、うーん……僕としては、リーシャが使った魔法のことの方が気になるんだけど」


 先ほど彼女が使った魔法。

 あまりの規模の莫大さにゆっくりと眺める暇すらなかったが、なまじ同じ属性を扱えてしまうからこそ、その凄まじさもよく理解できてしまった。


 魔法名は見たことも聞いたこともないので、予想としては彼女のオリジナルか、竜族固有のものかもしれないが、フェイメルの目に留まったのは何よりもその淀みのない魔力の操作技術だ。

 魔力の構築、魔法陣の組み上げ、そしてその大規模火力。

 どれ一つとっても一切の無駄がなく、あんな状況にあっても思わず見惚れてしまうくらいには洗練され切った彼女の技術に、尊敬の念を抱くくらいだった。


「ああ、あの魔法のこと? アレって燃費もあまりよくないから普段はそんなに使わないんだけど……まぁ、今回は腹も立ったから例外ね」

「何というか、リーシャって本当にすごいんだなって改めて思ったよ」

「あら、それは嬉しい限りね。…そういうことなら、頑張って魔法を使った私にご褒美があっても良いと思うんだけどどうかしら?」


 この大騒ぎの後に、まるでちょっとした一仕事を終えたような雰囲気を漂わせる彼女。…いや、実際にリーシャからすればこのくらいのことは大したことでもないんだろう。

 竜という存在の力量を考慮すればあの程度の外敵はそれこそ雑魚でしかないだろうし、それに苦戦するようなことなどありえない。


 …それは客観的に見ても、そして彼女の様子を確認すれば明らかだが、そんなことはお構いなしにリーシャはご褒美をねだってくる。

 そんな現金な姿を見せてくる彼女に、フェイメルも事態の深刻さを忘れて苦笑を浮かべてしまう。


「それは別にいいけど、僕は何をしたらいいのさ」

「そんなに大したことじゃなくてもいいわ。ただちょっと頭を撫でてくれたらそれで満足よ!」

「…はいはい。これでいい?」


 一体何を要求されるのかと思っていれば、彼女が成し遂げたことに対して随分と手軽な報酬を望まれてしまった。

 まぁ、こちらとしてもそれを拒否する理由もないし、実際にリーシャが頑張ってくれたおかげでこの村も窮地を切り抜けられたのだ。

 その感謝の印とするならば、むしろ歓迎するところだった。


「…んふふ。やっぱりフェイからのご褒美は格別よね! 頑張った甲斐があるって感じるもの!」

「僕の手でそこまで喜んでもらえたなら何よりだよ。…それじゃとりあえず、ウォアウルフを倒したことをみんなに伝えないとね」


 フェイメルに頭を撫でられて上機嫌になっているリーシャを微笑ましく眺めながら、この後のことについて考える。

 さすがにあれだけの轟音を響かせていたのだから、家に閉じこもっていたとしてもリーシャが放った魔法に関しては気が付いているだろう。

 しかし、その魔法が誰の手によって放たれたのか、その結果どうなったのかはまだ誰も詳細を知らない状態なので、早くみんなを安心させるためにも報告してしまった方がいい。


 とりあえず、最初に伝えるのは村長かな……なんて頭の中で考えていると、そこに声を掛けてくる者が現れた。


「おーい! 今のとんでもない魔法、もしかしてリーシャの嬢ちゃんがやったのか!?」

「…あ、レイブンさん! 無事でしたか!」


 二人に近づいてくるのは、先ほども声を交わしていたレイブン。

 村に住んでいる者の大半は自宅に戻って行ってしまったので他に人の気配は感じられないが、彼はいざという時のための砦でもあるので、外でウォアウルフが攻め込んできた際に応戦するために残っていたのだろう。


 …そのモンスターもリーシャがまとめて始末してしまったので、無駄な労力にはなってしまったが無用な怪我を負うよりはずっとマシだろう。


「ええ、そうよ。生意気にも私の時間を邪魔しようとしてたから、まとめて消し去っておいたわ」

「…いやはや。いつもの様子から忘れかけてたけど、リーシャの嬢ちゃんもやっぱり竜なんだな。改めて凄さを思い知らされたよ」

「ふふんっ! それは当然ね! あんな連中に後れを取るようなことはしないもの!」


 豊満な胸を大きく前面に押し出しながら、自信満々にそう言い切るリーシャ。

 事実、フェイメルも久方ぶりにこうした彼女の竜族としてのポテンシャルを目の当たりにした気がするので、彼の気持ちも分からないでもなかった。


 だが、それでリーシャのことが恐ろしくなったか、なんて聞かれればそんなことは全くない。

 確かに恐ろしいと感じられるほどに隔絶した力を持つ彼女だが、それ以前にリーシャも一人の女の子なのだ。

 人間と竜族という種族の違いこそあれど、今まで共に過ごしてきた中で見てきたリーシャという少女の魅力はその強さだけではないのだ。


 わずかに怒った時に見せる拗ねたような表情や、こちらを疑う時に向けてくるジト目、そして嬉しそうにはにかむ美しい笑顔など、それら全てを含めてリーシャという子は構成されているのだ。

 彼女の実力はあくまでその一面に過ぎず、決してそれだけで印象を決定づけてはいけないのだ。


「なんにせよ、お前さんのおかげで助かった! 俺はすぐに村長にこのことを報告してくるから、二人はもう自由にしてていいぞ! …大丈夫だとは思うけど、まだ外にはモンスターがいるかもしれないから無闇に飛び出すことはしないようにな!」

「はい! ありがとうございます!」


 そう言うとレイブンは、フェイメルたちから聞いたことを村に周知させるために走っていく。

 あとは彼に任せておけば万事解決だろうし、自分たちの役割はここまでだ。


 …って、そういえばまだお礼を言ってなかったな。


「…リーシャ、モンスターを倒してくれてありがとうね。本当に助かったよ」

「うん? あれは私が腹が立って滅しただけだから、気にしなくていいわよ? こっちが勝手にやったことでしかないもの」

「それでもだよ。結果的にリーシャのおかげで救われたことは事実だし、それに対するお礼は言っておかないと」


 案の定、リーシャはフェイメルがウォアウルフ討伐に対する礼を言っても素直に受け取ろうとはしなかった。

 これに関しては、両者の認識に少々差があるからだろう。


 フェイメルたちにとってはあのモンスター急襲の報せはまさに一大事というものだったが、リーシャからすれば取るに足らない些事でしかない。

 その事態の脅威度に対する尺度がずれているからこそ、彼女は礼など必要ないと言ってくれるのだろうが……やはり、その善意に甘えるだけというのは彼の心情的にもできなかった。


 そういった内情もあって誠心誠意感謝を伝えれば、次第に彼女も観念したかのように乾いた笑みを浮かべた。


「わかったわ。そのお礼は受け取っておく。…これでいいかしら?」

「うん。ありがとう」


 彼女の少し不器用な対応に少し笑いを漏らしそうになりながらも、その様子を微笑みながら横目に眺めていれば、リーシャも同様に微笑んでこちらを見ていた。

 本当、いつ見ても圧倒的な美しさを誇る彼女だが、今日はまた一段とそれにも磨きがかかっているように見える。

 客観的に見れば、昨日とそこまで違いはないはずだというのに……これは、フェイメルが徐々にリーシャの魅力にやられてきている証拠なのだろう。


 そんなくだらないことを考えている自分に呆れながらふっと苦笑していると、唐突にリーシャが身体を伸ばし始めた。


「うー…ん。もうそろそろ私も帰りましょうかね。今日も色々とあったし、少し疲れちゃったわ」

「もう? 今日は随分と早いね」


 いきなりの帰宅宣言に、フェイメルも思わず目を丸くしてしまう。

 いつもであれば彼女が帰っていくのはもう少し時間が経ったころのタイミングだったので、少し意外でもあった。


「だって……今はまだみんな家にいるからいいけど、もう少ししたらここに押し寄せてくるんじゃない?」

「あー……なるほどね」

「さすがにそれを全員相手にしてたらどれだけ体力があっても足りないわよ。…だから、この後の対応はフェイに任せるわ」


 リーシャの言いたいことは分かった。

 彼女は成り行きとはいえ、ここに迫っていた脅威を取り除いた。要は、意図していなかったとしてもこの窮地を救った功労者になっているのだ。


 まだ今は村の者達も事情を詳しく聞かされていないので大人しく家の中にいるが、もうしばらくすればレイブンを経由して細かい経緯が説明され、その過程でリーシャがモンスターを討伐したことも知れ渡るだろう。


 彼女が懸念しているのはその先のことだ。

 ここで暮らしている人たちは気の良い人たちが多いので、ほぼ間違いなく彼女へと一言でも礼を伝えようとやってくるだろう。

 それも、何十人の規模が一斉にという形でだ。


 さしものリーシャといえど、その人数の人に囲まれるのは精神的な消耗が激しくなるそうで、嫌というわけではなさそうだがなるべく避けたいところなのだろう。


「…でもそれ、結局次に来た時にお礼攻めになるだけじゃないかなぁ」

「……その時は、またその時に考えるわよ。それじゃ、もう行くわね!」


 だが、冷静にフェイメルが次に彼女がやってきた時の対応を予想すれば、リーシャは少し不満そうな顔をしながらその背中に竜の翼を広げる。

 現実逃避をした自覚はあるようなので、明日かそれ以降にまた来た時の反応が気になるところだが……それもまた、次の楽しみにしておけばいいか。


「またね。いつでも待ってるよ」

「…ふふっ。その言葉、信じておくわ。じゃあね」


 その言葉を最後に、目にも止まらぬ速さでこの場を飛び去っていく。

 一人取り残されたフェイメルは、ただ一つ置いていかれた静けさにほんのわずかな寂しさを覚えるが……それも頭を振り払って、無理やり気合いを入れなおした。


 何しろ、これからやるべきことは多いのだ。

 リーシャに押し付けられ………ゴホン。頼まれた後始末をしなければならないし、具体的な状況説明をする必要だってあるだろう。

 その役目は自分にしかできないし、代役を誰かに任せることだってできやしない。


「…さて、もう少し頑張ろうかな」


 リーシャの手によって無事に救われたこの場所だ。

 ならば、せめてその処理くらいはこっちで済ませてみせよう。


 まだまだ知らないことも多い彼女だけど、こちらを信用してくれるのであればその期待には応えるべきだと思えたのだから。





     ◆





「……ふぅ。やっと着いたわね」


 フェイメルと別れた後、しばらく空を飛び続けていたリーシャはようやっとといった様子で、自らの暮らす場所でもある竜の里へと戻ってきていた。

 背中に広げていた翼は歩く時に邪魔になるので着地と同時に消しておき、今は人間の姿で移動している。


 …そして、そんな彼女に声を掛ける者が一人。


「お帰りなさいませ、リーサリア様」

「…あら、ファラクじゃない。お疲れ様」


 リーシャに深々と頭を下げながら近づいてきたのは一見老齢に見えながらも、そこからあふれ出ているオーラからただ者ではないと直感させる佇まいを見せてくる男。

 もちろん、彼もまた正体は竜であり、今人の姿をしているのはリーシャが人間に変化しているのでそれに合わせてくれているのだろう。


 細かい気遣いだと思わなくもないが、この男の性格を考えればそこを指摘したところで意味などないことは分かり切っている。

 なのでそれはあえて無視し、軽い挨拶に留めておいたのだ。


「…お嬢様は相変わらず、あの人間のところに行っていらしたのですか?」

「人間じゃなくてフェイよ。間違えないでちょうだい」

「…これは失礼」


 彼がフェイメルのことを種族名で呼んだ瞬間、明らかに不機嫌な様子になるリーシャ。

 そんな彼女の反応を汲んだのかどうかは不明だが、恭しく頭を下げているところを見るに失言をしたことは自覚しているのだろう。


 そう言われてしまえばリーシャとしてもそれ以上は強く出られないので、口をつぐむしかない。


「しかし、お嬢様はご自分の立場もお考えになってください。いくら自由を認めになられているからといって、限度というものもございます」

「嫌よ。私がフェイに会いに行こうとそれは私の勝手でしかないもの。…それと、もしフェイの前で許可なく立場を教えたりしたら、あなた滅ぼすわよ?」

「…重々承知しております」


 リーシャからファラクと呼ばれた男もまた、決して愚かではない。

 むしろ頭の回転と機転の良さを有しているからこそ、彼女たちに


「ふん、ならいいわ。いずれ機会が来たらフェイにも教えてあげるし、それよりも先にバラされたりしたらたまったものではないものね」


 いかに強者多き竜の里といえど、その中でも別格と言えるほどに実力が高められているのがこの目の前に立っている少女なのだ。

 里ではまだ積み重ねた年月は非常に少ないにも関わらず、圧倒的な実力者として知られている彼女。

 それはひとえに血筋と才能によるものも関わっているのだろうが……なんにせよ、ただ一つ確かなことはやろうと思えば彼もまた、容易く狩られる側の者でしかないということだ。


 それこそ、彼女に実力で勝てる者などくらいのもので………あぁ、そういえば。


「リーサリア様。竜王様がお呼びです。後ほど向かうようにと」

「えぇ……また? 今日くらい別にいいじゃない…」

「駄目です。こればかりは我々も反故にはできませんので」

「はぁ………分かったわよ。あとで行くわ」


 その伝言を聞いた途端、露骨に嫌そうな表情を浮かべるリーシャ。

 実力も立場も、周囲とはかけ離れた彼女ではあるが、こうした一面を見せられるとやはり年頃の子供なのだと実感させられる。


 だが、彼もこれだけは我儘を聞き入れるわけにはいかないので、毅然とした態度を崩さずに説得を続けていれば向こうの方が折れたようで、いやいやながらも了承していた。


「全くもう……もそう何度も呼び出さなくたっていいじゃない」

「あのお方は、あなた様のことを気にかけていらっしゃいます。その御心を無碍になさらぬよう」

「だから分かってるわよ。…はぁ、フェイに会いたいわ」


 憂鬱なオーラを隠そうともせずに、自身の父親───数多の同族を統べ、その秩序を保ち続けている偉大なる竜の王の元へと向かって行くリーシャ。

 そんな竜王の娘にして、竜の里の姫としても名が知れ渡っているリーサリア・シャルグは、重い気分を抱えたまま里の中央へと歩いていくのだった。

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竜少女に見初められまして 進道 拓真 @hopestep

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