ゆっくりと枯れていく

てゆ

第一話であり、最終話

 僕の記憶の中の彼女は、いつも光をまとっていた。僕が彼女を初めて見たのは、七歳の頃。僕よりも一回り大きな彼女は、僕の家の近くにあった小さな公園で、ブランコに乗る弟の背中を押していた。無邪気な笑顔の弟、穏やかな笑顔の彼女。二人が織りなす光景は、まるで印象派の絵画のようだった。毎週日曜日の昼、その美しい光景は、あの公園に広がっていた。

 生まれつき体が弱い上に、友達もいなかった僕は、毎週日曜日の昼、必ずあの公園を訪れた。彼女たちは、ブランコ以外にも、砂場やシーソーやジャングルジムなど、公園にある全ての遊具のポテンシャルを100パーセント引き出して、実に楽しそうに遊んでいた。

 ……昔から僕は、「達観しているね」と言われ続けてきた。周りの人が、「ヒーロー」や「宇宙飛行士」などの壮大な夢を掲げる中、僕が掲げていた夢は「会社員」だった。だけど……彼女に出会ってから、僕の夢は変わった。


 僕が十歳になった頃、彼女はあの公園に現れなくなった。毎週日曜日の昼、町中の公園を探し回ったけど、結局どの公園にもあの美しい光景は広がっていなかった。僕は、何かとても大切なものを失った気がして、悲しくなった。

 ――僕と彼女が再び出会うのは、あれから九年後。その時、僕は大学一年生だった。


 初めてのバイト。その勤め先のコンビニで、僕はとても懐かしい顔を見た。九年という長い年月が経っても、彼女の顔は、あまり変わっていなかった。言葉を交わしたこともないし、名前すらも知らない。証拠は何もないのに、僕はその女性を、彼女だと確信した。

 バイト終わり、僕は彼女に声をかけた。自然消滅していった今までの恋愛は、ここで声をかける勇気になってくれた。

「連絡先、交換しませんか?」

「うん、いいよ」

 そう答えた彼女の声は、あの頃よりも大人びていた。


「間宮君、けっこう綺麗にしてるんだね」

 持っている全ての力やものを、僕は彼女に費やした。

「今日は特に綺麗にしました。いつもはもっと汚いですよ」

 その結果、僕と彼女はあっという間に恋仲まで発展した。

「……今日、泊ってもいいかな?」

「いいですよ」

 冷静にそう答えながら、僕は思わず跳び上がりそうになった。思えばこの頃が、僕の幸せの絶頂だった。


 その日の夜、僕たちは肉体関係を結んだ。

(今まで付き合ってきた人たちと、肉体関係にならなくて本当によかった)

 隣で眠る彼女の寝顔を見ながら、僕は心底そう思った。どうやら彼女は、初めてじゃなかったらしいけど、そんなことはどうでも良かった。

 それからすぐ、僕たちは同棲した。やっと叶った夢の生活は、身に余るくらい幸せだった……けど、彼女の本性はすぐに現れてしまった。

 彼女の愛情は、端的に言えば重たかった。「昔、付き合っていた人に酷いことをされたから」と彼女は語っていて、最初は僕も信頼されている気がして嬉しかったけど、段々と鬱陶しく思えてきた。「ごめんね、私の方が年上なのに」というのが、彼女の口癖だった。ブランコに乗る弟の背中を、母親のような余裕のある表情で、押してやっていた彼女の姿は、もうそこにはなかった。

 ――他の誰でもない彼女自身に、僕の大切な思い出は、傷つけられていったんだ。


「間宮、今度の休み空いてる?」

 あれから一年が経ち、僕は大学二年生になった。

「うん、空いてるよ」

 男子の中で尻軽だと噂されている女子、桜井と、僕は不思議な縁で仲良くなった。

「よかった、友達と一緒に遊ぼうと思ってたんだけど、誰も予定が空いてなくてさ。二人きりになっちゃうけど、せっかくの休みだし、どっか遊びに行こうよ」

 噂通りだなと、僕は思わず笑いそうになった。「友達と一緒に遊ぼうと思ってたんだけど……」というのは、桜井の常套句らしい。友達には、声をかけてもいないのに。

「うん、いいよ」

 桜井と二人きりで遊びに行くということが、どういう結末を招くか、僕は知っていた。そのうえで、僕はその誘いに乗ったんだ。……同じ人と交わり続けることに飽きた体と、彼女から逃げて大切な思い出を守りたいと思っている心、どっちが返事をしたのかは、今でもわからない。


 芸術的なくらい自然な流れで、僕と桜井は肉体関係を結んだ。若さと浅はかさをみなぎらせている長い金髪が、呼吸と共に上下する。行為の後のこの寝顔だけは、桜井も彼女も同じだ。……僕は静かにベッドから抜け出し、ホテルの部屋の窓から見える満月を、ぼんやりと眺めた。

(僕が愛していたのは、記憶の中のあの美しい光景であって、彼女……いや、翔子さんではなかったんだな)

 導き出したクズみたいな結論は、皮肉なことに、神の啓示のようだった。その結論は、約一年間ずっと僕の心を覆っていた霧を、一瞬で晴らしたんだ。

「……これから、僕はどうしたらいいんだろう?」

 今も僕の帰りを待っているであろう翔子さん、今夜の汚らしい裏切り、ついに気づいてしまった自分の本当の気持ち……深い沼にハマり、もう抜け出せなくなっている自分に、僕はようやく気がついた。

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