第27話 黒層仕草

 部屋の外にご飯を食べに行けるようになったのは、それから三日ほどが過ぎてからだった。

 ふつうに歩く分にはもう足も痛まない。それまでは、部屋の中でさえどこへ移動するにもルーシャスかナイジャーがいちいち抱き上げてこようとするので、日々攻防戦を繰り広げることになった。

 養父もそうだったのだが、治癒魔法で怪我を治せる人たちにとって、エデルのように自然治癒に任せるしかない状況というのはよほど哀れに思えるらしい。

 いつまでも痛いのは可哀想、大事にしないともっと怪我をしてしまいそう、そんな先入観で何くれと世話を焼こうとする。

 実は、外に食べに行くだけで三日もかかったのも、その過保護が原因だった。

 そんなとんだ攻防を経て、ようやくの外出である。

 この三日の間に、ここが既に黒層こくそうに入っているのだと聞いて、外を見てみたくて堪らなかったのだ。この部屋の石壁をくり抜いたような造りも、一階に集約された宿泊客用の共同風呂も、黒層の住宅によくある特徴なのだそうだ。それから、壁の模様は現在地であるカルネーツ地方独自の文化の象徴であるらしい。

 黒層とは、地底にある最下層である。山間にひっそりと佇む洞窟や、大陸の真ん中にぽっかりと口を開けた穴の中から地下に広がった階層で、緑層りょくそう以上と違って大半の場所に太陽の光が届かない。

 そうすると、年中真っ暗闇のはずだが、暗闇の中にも人は住んでいるという。暮らしていくために、一体どんな工夫がなさているのか気になって仕方がなかった。

 食事をしに行くのは、宿屋の向かいにある食堂レストランだ。ナイジャーが買い物に出かけた際、街の人に聞いて回ったおすすめのお店がそこなのだそうだ。

「ギレニアオオムカデの塩ゆでが特にうまいらしくてな。店独自の調味料に力入れてるんだってよ。やっぱりギレニア地方の黒層っつったらギレニアオオムカデだよなあ」

「……勘弁してくれ」

 弾んだ声で支度をするナイジャーと対象的に、ルーシャスは既にぐったりと長椅子に身を投げ出している。

「エデルが嫌がったら違うものが食えたはずなのに……」

 ルーシャスは恨めしそうにちらりと金の目を向ける。

 エデルは困ったように眉を下げた。

「違うところでも良いよ」

「……いや、おまえの食べたいものを食べよう」

 ルーシャスが弓形になった眉を寄せ、心底難しそうな顔をする。そこには、エデルとナイジャーの趣味を解せない気持ちと、多分な罪悪感とがひしめいていた。エデルさえ拒否してくれれば、と当てつけのような口調になってしまったことを悔いているのだろう。

 この数日で学んだが、ルーシャスというのは存外人の気持ちに敏い人だった。エデルが何かをしようとすると、先回りして気づいてくれることが多かった。そのとき、自身が別の作業をしていても、だ。

 エデルが怪我人だからというだけでなく、ナイジャーを相手にしてもそんな調子だ。彼は自分よりエデルやナイジャーの気持ちを優先する人だった。

 ――オオムカデを食べるのは嫌なくせに。

 エデルは苦笑するしかなかった。

 あれは確かに得手不得手の分かれるものだ。味は最高においしいのだが、なにせ見た目が見た目である。他地方出身の人は、まず名前だけで絶叫する。

「ギレニア地方で育ったエディがオオムカデを嫌いなわけがないだろ。なあ、エディ」

 ご機嫌なナイジャーに、エデルはしっかりとうなずく。

「緑層だとあんまりいないから、本当にたまのご馳走なんだよね。黒層だとどこのお店でも扱いがあるんだねえ」

「そ。あいつら地中棲だからな。黒層だと傭兵業から派生してムカデを専門に獲る業者もいるくらいなんだよ」

「でっかいもんね」

「一説によると、ギレニア山脈地下の黒層はオオムカデが通った道筋によって作られた、なんて伝説もあるな」

 ナイジャーは言いながらこちらに近づいて、エデルに手を差し出すようにした。

 首をかしげる間もなく、その大きな手に杖が現れる。

 以前も見たものだ。だが、明かりの下で見るのは初めてだった。

 エデルの目には、ナイジャーの手の中に光の粒子が集まり、一本の棒状になって形を成したように見えたのだが。

「それってどういう仕組みなの?」

 尋ねると、ナイジャーが太いやさしい眉を上げて、それから手の中の杖を見せてくれる。

「これは魔法剣だよ。今は杖の形をしてるけど。――魔粒子まりゅうしってわかるか?」

「うん。魔力の最小単位、みたいなものでしょ?」

「そう。魔粒子自体は目に見えない。その魔粒子がいくらか集まったら、こうなる」

 言って、ナイジャーはふたたび杖を魔粒子に分解する。そのとき、確かに杖は光の粒のようなものになり、細かく散らばって消えた。

「今光って見えたものが、魔粒子がいくらか集まって固まった状態だ。消えて見えなくなっただろうが、それが魔粒子の最小単位まで分解された状態。ないように見えるけど、ちゃんとここにある・・んだ」

 何もないナイジャーの身体の周りを示され、ふうん、とエデルはうなずく。

「魔力感知ができればオーラのように存在が認知できるな。極めると色や靄のように実体化して視認できるらしい。そこまでの能力はよほど特化した職業でもない限り必要ないけど」

 ふたたびナイジャーの手の中が発光し、杖が現れる。しかしすぐにまた発光して形を変え、今度は彼の腰の高さほどもある長剣になった。

「杖から剣に変えたとき、魔粒子が俺の体から光が抜け出して、剣の形に集まってきたように見えなかったか?」

「うん、見えた」

「これが魔法剣の特徴だな。普段は魔粒子に分解して体にまとわせてる。自分の魔粒子と一体化させてるんだな。で、杖なら杖に必要な分の魔粒子を再構築して実体化する。剣なら剣に必要な分だけだ。物理的に剣のほうが杖より大きいから、必要な魔粒子も剣のほうが多い。杖を実体化してるときは、残りの魔粒子は俺の魔粒子と一体化したままなんだ。だから杖から剣に変えるとき、こんなふうに――」

 彼はもう一度、剣から杖、杖から剣に魔粒子を再構築して見せてくれた。

「杖が俺から魔粒子を吸って大きくなったように見えるだろう?」

「見える見える! そういうことなんだ」

 だからナイジャーもルーシャスも、普段は帯剣していないように見えるのか。

 初めて納得して、エデルは何度もうなずいたのだった。

「で、な?」

 ナイジャーがふたたび剣から杖に戻し、それをエデルに向ける。

「エディが寝込んでる間に、できる範囲でおまえの魔力について研究してみたんだが、どうやらエディにはふつうの人にある〝魔力の流れ〟ってもんがない」

「魔力の流れ?」

「そう。魔力ってのは絶えず人の体の中を巡ってるものなんだ。血液のようにな。その流れでもって俺たちは魔力を感知する。感知した魔力を辿ることが魔力探知だ。それができるのも、魔力が絶えず人体を流れてるからだな」

 続きは、長椅子からようやく半身を起こしたルーシャスが引き取った。

「逆を言えば、動いていない魔力は感知する術がない。それが、俺たちがエデルの魔力を感知できなかった理由だ。おまえの魔力は、例えて言うなら湖のようなものなんだよ」

 そのたとえ、昔養父にもされたな、とぼんやりと考える。

「エデルの魔力は多すぎて、常におまえという器に表面張力ギリギリで満たされて動きようがない。動かしたらこぼれるからな。だからそれだけ膨大な魔力量なのに魔力探知ができないし、少し魔力を使おうとするだけで湖の水をひっくり返したような量が一気に放出される。魔鉱石も壊れるわけだ」

「その上、これなんだよ」

 言って、ナイジャーがエデルの肩をちょいと杖でつつく。

 瞬間、なにやら弾力のある柔らかいものを盾にしたような妙な感覚があって、エデルは一歩たたらを踏んだのだった。同時に、ナイジャーの杖も反発を受けたように軽く弾かれる。

「なに? 今の……」

「エディの体には隙間なくみちみちに魔力が満たされてるから、外部からの魔力を受け付けないんだ。受け入れるスペースがない、って感じかな。だから治癒魔法も弾いちまう。これが、治癒魔法が使えない理由」

 エデルはようやく長年の疑問に終止符が打たれたような気がして、知らず大きく息を吐いていた。

「……そういうことだったんだ」

 向かい合うナイジャーも、困ったようにやさしい眉を下げている。

「だからたぶん、エディには補助魔法系統は何も効かないんだ。治癒魔法を始めとして、身体強化魔法、その逆の弱体化魔法、精神魔法、それから、今からかけたい幻影魔法もな」

「……今からかけたい幻影魔法?」

 なにやら話の風向きが変わったような。

 首をかしげると、ナイジャーが目尻の垂れた甘い竜の目を細めた。面白がるような、それでも罪悪感を抱いているような、そんな表情だ。

「うん。だからな、今からすることは俺も効果のほどはわからないお試しなんだけど――。エディはちょーっとびっくりしちゃうかもしれないんだ。でもな、他意はないから許してな」

「うん……?」

 なんだろう、と見上げた瞬間だった。

 ナイジャーの彫刻のようにきれいな面差しがうんと近づいてきて、驚きに目を開けていられなくなる。

 ぎゅっと目を瞑るのと、額に柔らかなものが押し当てられるのは同時だった。

 ――格好いい人って、いい匂いもするものなんだなあ。

 ぼんやりと考える。否、そうでもしないと、今されたことへの衝撃が強すぎて、混乱に目を回してしまいそうだったのだ。

 ――今、なんか、おでこにちゅーをされたような……。

「……? ……ふ、ん? ……んん?」

「おお、固まっちった」

 状況が理解できない。エデルはぎゅっと眉を寄せ、できる限り難しい顔をした。

 眼前のナイジャーと、それから長椅子でものすごく不本意そうな顔をしているルーシャスとを見比べる。

「ナイのそれは魔除けの呪いみたいなもんだ。黒層仕草というんだが。気にするな」

「気に……するな……?」

 呪いをかけられたのに?

「いや、呪いじゃなくて幻影魔法な。ってかエディ、びっくりした猫ちゃんみたいになっててわかりにくかったけど、ちゃんと効いてるじゃん! やっぱこの方法正しかったんだって! なあ、ルース」

 ナイジャーが歓声を上げて、エデルに壁面の鏡を示す。

 訳がわからないまま覗き込むと、そこには自分のようで、けれども自分ではない人が映っていたのである。

「えっ……誰⁉」

「エディだよ」

「わたしこんな顔だったっけ?」

 エデルは自分の顔をペタペタと触る。鏡の中の自分に似た自分ではない人も同じ動きをするのだが、どうにも不思議な気持ちだった。

 鏡の中の自分は、青みがかったグレーの髪をしている。この数日ですっかりもとの銀色を取り戻したはずなのに、埃に汚れたときとはまた違う灰色だ。それにぱちくりと瞬いた目も、もとの青にアンバーが混じったような色になった。

 一番違和感があるのは顔立ちだ。

 どこがどう変わった、とははっきりとは言葉にできない。けれども全体の印象として、なんだかいつもよりはっきりとしたような……。例えるならば、華やかな面立ちになった、とでもいうのだろうか。

 鏡を矯めつ眇めつ覗き込んでいると、ルーシャスが重い腰を上げてこちらにやってきた。

 その顔はなんだか憮然としたような、困ったような、そんな表情である。

「……なんで俺に似せるんだ?」

 言われて気づく。

 そうだ、この華やかな顔立ち。ルーシャスに雰囲気が似ているのだ。

「そりゃま、おまえら一応兄妹ってことになってるし? いやぁ、それにしてもやっぱり直接触れると多少は効くっぽいな。……どっちかっていうと幻影魔法ってより、顔の上からお面貼り付けてるようなもんだけど」

「見る人が見たらバレバレだな。だが気休めにはなるだろ」

 お面、とナイジャーは言うが、エデルにはどこからどう見ても自身の顔立ちが変わってしまったようにしか見えない。

 これが、人の目を錯覚させる〝幻影魔法〟なのか。

 しかし、どうしてエデルの顔を変える必要があったのだろうか。

「ルーシャスたちは幻影魔法、やらないの?」

「追われてるのはおまえだからな。俺たちは顔が割れていない」

「……もしかして、もう村長が?」

 こんなところまでエデルを探しに来ているのだろうか。

 そういえば、まだ逃げ回っている最中なのだ。こんな温かく穏やかな部屋でルーシャスたちに守られて、すっかり意識の外に追いやっていたけれども。

 エデルが表情を固くすると、ルーシャスは安心させるようにエデルの背を軽く叩いた。

「気休めと言っただろう。これから外に出るなら多少でも危険は遠ざけておこうというだけだ。幸いにも、ここに来るまでにエデルの顔はほとんど見られていない。ならそのにせの顔で印象づけておけば、もしもあとから探されたとしても手がかりにならない」

「そ、そうかな……」

「そんなものだ。さて、幻影魔法もうまくいったことだし、飯を食べに行くとしよう」

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