第20話 これからの計画②

「どうした」

「治癒魔法が反発しちまうんだ」

「何だって?」

 ルーシャスまで片手でエデルの足を取ろうとするので、慌てて引っ込める。

 全然気づかなかった。今、ナイジャーは治癒魔法を施そうとしてくれていたのか。けれどもそれは、エデルにとって意味のないことなのだ。

「あ、わたし、治療はできないよ」

「治癒できない?」

 ふつう、怪我は魔法で治癒する。

 魔力とは、生き物の生命力である。治癒魔法を施すということは、己の魔力を魔粒子まりゅうしに分解し、〝治癒〟の魔術式に則って再構築することだ。

 ただし、自分ではなく他者へ施す場合には、その相手の持つ魔粒子の形に合わせる必要がある。

 だが、エデルの持つ魔粒子の形は誰にもわからない。エデル自身にさえ、だ。だから、エデルは治癒にしろ身体強化にしろ、補助魔法の類は一切受け付けることができないのだった。

「昔から、補助魔法は効かなくて」

「そうなのか? まいったな」

 治療ができないと手を離したナイジャーが困ったように首をひねる。

「治癒魔法が効かないんじゃ、今まで怪我や病気をしてきたときどうしてたんだ?」

「うーん、小さい怪我なら放っておくか、病気のときは非魔法での治療法を探してたかな」

 非魔法での治療は、前時代的な上に効果の程も定かではない怪しい方法ばかりだ。どこにだけ生息する植物をどう加工して塗布するだとか、何を煎じて飲むだとか、そういうやり方が主流である。

 しかも、効果があったとしても、一般的な魔法治癒と違って即効性がない。

 かつて、まだ人間が今ほど魔力を扱えなかった時代に開発された手法だが、現代においては「せいぜい死なないよりはマシ」程度として使うものなのだ。

「エディ、風邪引いたことあるか?」

「まあそこそこ?」

養父おやじさんの苦労が忍ばれるな……」

 養父はエデルが体調を崩すたびにあらゆる文献を読み漁り、太古から伝わる非魔法での民間療法を片っ端から試したものである。

 ナイジャーにも想像がついたのか、気の毒そうな顔で口元を覆う。

「ところで、エデル。おまえ、やっぱり魔力がないわけじゃないんだな?」

「あ……」

 ナイジャーの芝居じみた仕草をまったく黙殺して、ルーシャスはエデルにそう尋ねた。

 うっかりしていたが、彼らには魔力はないものとして説明したのだった。

 だが、先ほど居場所を知らせるために思い切り魔力を使った。

 エデルは目を泳がせた。

 黙っていたことに罪悪感はあったが、昨晩はまだ彼らのすべてを信用しきれなかったのだ。けれど、今なら真実を口にしても良いと思える。

「ごめんなさい。でも、おとうさんに誰にも言うなって言われてたから……」

 ルーシャスが息をつく。

「さっきの一瞬の放出だけでも異様さがわかる魔力量だったからな。……それが原因で村長に売り飛ばされたのか」

 固い顔でうなずくと、ルーシャスは「そうか」とだけ言って、エデルの頭を撫でくりまわした。

 誘拐されてから何日も髪を洗えていない上、一晩で頭から泥だらけになって、すっかり髪はもつれて毛玉になってしまっている。だからそうして撫でられるとあちこち引っ張られて痛かったが、それでもやめてほしいとは思わなかった。

「親父さんの言いつけを守ってたのか。偉いな」

 ナイジャーも咎めもせずにそう言うから、また喉がぎゅっと締め付けられる。

「魔力の放出があったときは探知できたが、放出がなきゃ感知すらできない、か。その上治癒もできない。なのに魔力量は膨大。……めちゃくちゃだな」

「こうなると専門家の診察が必要だよなあ。……そんな暇もなさそうだけど」

「ああ。早いところ移動したほうが良いだろうな。昨晩の連中、逃げ足だけは早かった」

「そういや、エディを探してるふうでもなかったな」

「目的もわからずじまいだ」

 ルーシャスはエデルを抱えたまま歩き出しながら、金の目をこちらへ向けた。

「エデル、連中と会ったか?」

「うん。あの、鉢合わせたわけじゃないんだけど、洞窟の中で……」

「……なるほどな」

 何があった、とは言えなかったが、ルーシャスはだいたい察したらしい。

 得も言われぬ罪悪感にぎゅっとすがると、彼はただ背中を軽く叩いて慰めてくれた。

「巣穴、フロウがいただろ。よく逃げ切れたな」

「逃げ切れない獣魔と出会ったときは、髪を渡せって言われてたから」

 ああ、とナイジャーが納得した声をあげる。

「それで髪がそんなズタボロになってんのか。あとで切り揃えような」

 しばらく鬱蒼と木々の生い茂る中を進むと、木に繋がれたエスローが見えてくる。

「ドゥーベ!」

 あの青毛に縞模様が浮かぶ馬体はドゥーベだ。無事だったのか、とエデルは大きく息をついた。

 彼のことも心配だった。ドゥーベは行きずりの友人だ。エデルに関わったからこんなに大変なことに巻き込まれたのだから、何かあったら罪悪感に苛まれるところだった。

「賢いお馬さんだったよ。戦闘になってもまったくビビらない。それどころか何人か相手してくれて俺が助かったくらいだ」

 ナイジャーが感心したように言って、木の幹に繋がれた手綱を外す。

「エディがエスローを連れてて良かったかもな。俺たちみたいなバカでかいのがふたりいても、こいつの脚力なら全員乗れる」

「三人も乗せて疾駆けさせるのはさすがに酷だが……ひとまず、ここから離脱できれば良いか」

 ナイジャーが出発の身支度を整えている間に、エデルはルーシャスの手によってドゥーベの上に乗せられる。その後ろにルーシャスが乗り、さらに後ろにナイジャーがひょいと飛び乗る。

「ひとり用の鞍なのに乗りにくくない……?」

 エスローは力が強い。大の大人でも三人くらいなら余裕で乗せることはできるが、しかしそれは専用の鞍を置いた場合である。

 今のドゥーベには一人乗り用の鞍しか装備がなく、そこに乗ったエデルはまだしも、ルーシャスもナイジャーも鞍の後ろ、裸馬に跨っている状態だった。ドゥーベが六脚で、馬より胴体が長いからこそできる力技だ。

 しかし無茶には変わりないので、三人を乗せたドゥーベもどことなく不機嫌に前脚を掻いている。

 エデルが心配して後ろを振り返ると、ルーシャスの後ろから顔を覗かせたナイジャーが呵々と笑った。

「ま、安定しないからドゥーベは気持ち悪いだろうが、ちょっとばかり我慢してもらうしかないな」

「急いでなきゃナイは歩かせるんだがな」

「ひでぇな。俺がエディを支えたって良いんだぜ?」

「だめだ」

 ぴしゃりと言い捨てて、ルーシャスが手綱を譲る。 

「さて、これからだが……っと」

 ドゥーベがゆるやかに歩き始めた瞬間、エデルはバランスを崩し、後ろのルーシャスの胸に後頭部から激突した。

 既に身体は泥のように重く、急な揺れにまっすぐ座っていることも難しかったのだ。

「ご、ごめん」

「いや、寄りかかってて良いぞ。乗ってるのが辛ければ我慢できなくなる前に言ってくれ。でないと対処のしようがないからな」

 ルーシャスは言いながら、ドゥーベの手綱を握った両腕をエデルの腕の下に通し、後ろから抱き込む形で安定させてくれる。

「昨夜の連中の狙いはまだわからんが、おまえを探していたにしろそうでないにしろ、奴等にとって都合の悪い場に居合わせたのは間違いないだろう。問答無用で攻撃を仕掛けてくるような連中だからな」

「うん……」

「エデルの顔が割れてないのは不幸中の幸いだな。まだ居場所が割れていない。だからこのまま黒層こくそうへ向かおうと思う」

「黒層?」

「ああ。俺たちの本来の任務先もそこになる。どうせ身を隠すなら一緒に任務もこなしてしまおうという話になった」

「任務?」

 エデルは首をかしげる。

 彼らは昨夜、確かにエデルの護衛を請け負ってくれたはずだ。青層せいそうに住む養父の友人、アドラス・ダユンのもとまで送り届けてくれると約束した。向かうなら、黒層より青層ではないのだろうか。

 話が読めずにちんぷんかんぷんになっていると、後ろからナイジャーがひょっこりと顔を出した。

「昨日は話してる暇がなかったっけか。俺たち、何もこんなところに観光しに来てたわけじゃないんだぜ」

「エデルに出会ったのはたまたまだったがな。……ともかく、まずは黒層に行く。ここから入口も近い。黒層の街に入って、その怪我の治療とおまえの休養を最優先にするつもりだ」

「髪を整えて、服も買い直さないとな」

 うんとかわいいの選んでやるからな、とナイジャーは明るく言うが、エデルはちょっと困った顔になった。

「治療と着替えが必要なのは確かにそうなんだけど、でもわたし、あんまり持ち合わせが……」

「気にすんな気にすんな。そんなもん俺たちでなんとかするから。もとはといえばエディの体力を見誤ってたルースが無茶な指示を出したせいだし」

 そうは言っても、エデルだってついていけないと言えなかったのだから、それはお互い様のように思える。だが現状、彼らの言う通り治療も着替えも必要であることに代わりはなかったから、エデルは黙ってふたりの申し出を受け入れることにした。

 必要なら、腰帯サッシュにある緑魔鉱石を渡せば少しは旅費の足しになるだろう。

 それよりも、今は小難しいことを考える余裕がない。

 ドゥーベは昨夜のような躯歩かけあしではなく、常歩なみあしでゆっくりと宙を滑る。揺れはまったくなく、それどころか手綱を握るルーシャスの腕で上半身も固定されているものだから、あっという間に意識がぐらぐらし始めてきた。

「眠いか?」

「ん、ちょっと」

 いくらエスローが揺れない獣魔であるとはいえ、馬上が眠って良い場所ではないことくらいはわかっている。なんとか瞬きを繰り返して意識を保とうと試みたが、眠りの縁はもうすぐそこまで来ている。

「眠っても良いぞ」

「……でも」

「大丈夫だ。落とさないから」

 ほとんど椅子の役目となっていたルーシャスが、苦笑まじりにそう言った。

 それにお礼を言えたかどうか、定かでないうちに、エデルはすこんと寝入ったのだった。

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