第7話 自由戦士

「自由戦士?」

 自由戦士。聞いたことがないわけではないが、あまり身近な話ではなかったので詳しくない。傭兵業から派生した何らかの人たちの呼び名であったことは認識しているが、どういう区別で呼び名がついているのかまでは把握していなかった。

「――って、何?」

 エデルが首をかしげると、ドゥーベのそばで酒瓶を呷っていたナイジャーがずっこけた。

「マジかぁ。俺たち全然知名度ないのね、ルース」

「まあ、慎ましやかな一般市民は俺たちみたいなのには世話にならないほうが良いからな」

 傭兵の中には広くその名が知られている人たちがいる。職業柄、国の中枢の護衛などを務めることも多く、そこで手柄を上げれば国の威信を守った者として、権力者などに重用されがちだからだ。

 かれらもそうした有名な傭兵なのだろうか。あいにくと小国のド辺境育ちのエデルでは、見知った傭兵の名前はひとつもわからない。ふたりは笑い飛ばしてくれたが、自分の世間知らず加減に羞恥を覚えた。 

 ひとしきり笑って、ナイジャーがルーシャスに新しい酒瓶を渡す。

「エディも飲む?」

 ナイジャーは何をとは言わなかったが、彼の勧めるものが水ではなく酒を示していることくらいはわかる。

 差し出された金属製のマグにエデルは躊躇した。

 酒が飲めないわけではない。けれどもさすがに今は疲れているし、初対面の男性ふたりの前で呑気に飲むほど無防備にもなれない。しかしエデルの常識では、人から――特に目上の人から――勧められた酒を断ることは難しかった。

 育った村では、酒を断ると機嫌を悪くする大人がいるので。

 どうしようかと悩んだのは一瞬。染み付いた習慣に負けてマグを受け取ったそこに、しかし伸びてきたのは瓶ではなく小さな手鍋だった。

「躊躇うくらいなら無理して飲まなくて良いんだぜ。嫌ならこっちにしような」

 ナイジャーは事もなげにそう言って、手鍋の中身をマグカップに注いでいく。

 両手で包むように持っていると、注がれた液体のおかげでほかほかと温かくなってくる。湯気を立てた中身の色は焚き火の明かりだけでは判断できなかったが、無味無臭だった。

「これは何?」

「白湯」

 いつの間にお湯を沸かしていてくれたのだろうか。丁寧な心遣いがうれしくて、自然と頬がゆるんだ。

「ありがとう」

「いーえ」

 エデルはほうっと息をついた。

 酒を断ってもまるで気にしていない態度もそうだが、その可能性を最初から考えて白湯をわざわざ沸かしてくれていたこともありがたかった。

 ――人にこんなにやさしくされたのは、養父が亡くなってからは初めてかもしれない。

 ふとそんなことを思いついて、不意に喉の奥がぎゅっと焼けるように痛くなった。

 ――いいや、村長だってやさしかった。そのやさしさには裏があったようだけれども。

 白湯を一口含んで、軽く頭を振る。

 そう、その村長に売られ、奴隷にされようとしていることが問題だ。

 エデルには知恵も足りなければ頼りもない。追いかけ回されたら逃げるしかないし、それだけではいずれは限界がくる。だから誰かに助けを求めなければならないわけだが、ルーシャスがそれを自分に望め、と言うのである。

 彼らは見ず知らずのエデルに施しをくれるやさしい人たちだ。けれども、本当の意味で信用できる人たちなのだろうか。

 目を向けると、ルーシャスもこちらを見た。

 焚き火に揺らめく瞳は黄金に輝いていて、強い光を帯びている。けれども、痛いほど強い視線ではない。

「傭兵業というもの自体は知ってるか?」

 エデルはうなずく。

「見かけたことはあるよ。村にも行商人が来るんだけど、彼らがよく道中の安全のために雇ってる。あとは村でも呼んだことがある。うちの村のほとんどの人は魔鉱石採掘の仕事をしてたんだけど、その現場によく獣魔が出るから護衛に頼んでた」

「そうだな。現代の人の生活に根付いた傭兵の仕事と言ったら、何らかの〝護衛〟のようなものが多い。武力でもって人を危険から遠ざける仕事だ。それに加えて、もっと大きな仕事になると戦争に駆り出されることもある」

「そういう仕事だってわかってるけど、お金のために死ぬかもしれない戦場に行くなんて大変だよね。傭兵って仕事がもともと金銭で雇われて兵隊やる仕事ってのはわかってるけども」

「戦争で武勲を上げると、それがそのまま傭兵業としての肩書にもなるからな。腕に覚えのある新人傭兵が手っ取り早く知名度を上げるために行ったりもする。そのあたりはいろいろと業界事情があるんだが、話が逸れるから今は置いておく」

 うん、とエデルがうなずくと、ルーシャスは瓶を呷る。

「傭兵ってのは――ほとんどの職業はそうだが――地域のギルド商会に所属していて、依頼者はギルドを通して傭兵に依頼を出す。仲介料は取られるが、ギルドが間に入ることで依頼者と傭兵のコネクションがスムーズになるし、依頼内容に対して適切な人間を派遣することができるんだ」

 まだギルドがなかった時代、需要と供給が合致せずに悲しい事故に至るケースが耐えなかった。困り事を抱えた依頼者は頼める相手が身近におらず、長年問題を抱えたままだったり、傭兵側は自らを売り込むことが不得手な者から仕事にあぶれ、廃業に追い込まれることが多発していたのだ。また、頼む相手に苦心して結局素人に無理な依頼をしたり、傭兵が何とか仕事を得ようと分不相応な依頼を受けたりした結果、取り返しの付かない怪我や死亡事故なども相次いでいたらしい。

 これは傭兵だけでなく、すべての職業に対して同じことがいえる。

 現在では様々な職業がギルドを起ち上げている。人々は困り事があればひとまずギルドに依頼を持ち込み、ギルドが依頼に応じて適切な職人に依頼を割り振ってくれる、というシステムが確立したのである。

「特に傭兵に限った話じゃなくてどの職業にも言えることだが、中にはあえてギルドに所属しないやつもいる。ギルドに所属するには登録料やら年会費やらとにかく金がかかるからな」

「そうなんだ。……でもそっか、営業したり依頼内容を吟味したりって部分をギルドがやってくれてるもんね」

「そういう本業以外の細かい事務作業まで自分でできるやつだとか、ギルドに入ってるといろいろ不都合があるって場合は入らなかったりもする。いろいろの部分は職業や事情によりけりだが、傭兵稼業だと、ギルドで対応してる範囲よりもっと広域に渡って依頼を受けたい場合ってのがある。定住地を持たず、旅をしながら世界中で依頼を受ける傭兵だな。そういうやつを〝自由戦士〟と呼ぶんだ」

 ああ、なるほど、とエデルはうなずいた。

 名前は違うが〝定住地を持っていなかった傭兵〟をひとり知っている。

「……それってつまり、野良傭兵ってこと?」

「野良傭兵?」

 今度はルーシャスが首をかしげる。どこか呆れた様子だ。そんな表現をされるのは心外だとでも言いたげな顔に、エデルは慌てて言い添えた。

「ああ、えっと、おとうさんが自分は野良傭兵だったって言ってて……。ギルドに所属せずに傭兵業をやってたことを自分でそう呼んでただけで、自由戦士って呼び方があるのは初めて知ったんだ」

「なるほど、そういうことか」

 ルーシャスが笑いを噛み殺した。

「昔はそういう言い方もしたようだな。何らかの理由でギルドに所属しなかったはぐれ者の傭兵はいつの時代でもいたんだ。それが徒党を組んでギルドに所属しないこと自体に意味を見出し始めた頃から、自然と自由戦士と呼ぶようになった」

 飲み干したらしい瓶を地面に起き、ルーシャスは身を乗り出した。

「で、だ。そんな俺たちと面倒事を抱えたおまえがこんな山の中で出会ったのも何かの縁だろう。俺たちはまさに、そういう行きずりの困りごとを請け負うことを生業にしてるんだからな。――どうだ、話してみる気になったか?」

 本当は、まだ信用するには難しい。

 話をしたことで急に態度が変わったら? ルーシャスたちだけではどうにもできないと言われてしまったら?

 不安は探せば探すだけ出てくる。けれども彼は言った。エデルのすべきことは、誰でも良いから事情を話して助けてほしいと縋ることだと。

 確かにそうだと思ったのだ。

 エデルには助けになってくれるような頼りはない。自分でどうにかできるほどの力もない。だったら、見ず知らずの人に助けを求めるしかないのだ。それがルーシャスたちでいけないわけでもない。

 エデルは身を乗り出したルーシャスにひとつうなずいて見せ、懐から手紙を取り出した。

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