第5話 わたしが勇者になったワケ

第5話 1

「――勇者召喚、ですか?」


 その言葉を耳にしたのは、わたしが姫様の侍女になってから一年ほどの時間が過ぎた頃の事だった。


 朝、ご公務に向かわれる姫様の身支度を整えている時に、それが近々行われると姫様が教えてくれたんだ。


「……そう。我が国が保有してる神器を使って、異世界から勇者となる者を招くのよ……」


 ――異世界から。


 姫様が困ったように告げたその言葉に、心臓が飛び跳ねたのを覚えてる。


 姫様の髪を整えなければいけないのに、思考がぐるぐると駆け巡って、うまくできなかった。


「……ミィナ?」


 手が止まっているのに気づいて、姫様が首を傾げた。


 それでわたしは我に返って。


「そ、それって、なんの為に行われるんですか?」


 なんとかそう絞り出した質問に、姫様は特に気にした様子もなく答えてくれた。


「そうねぇ。基本的には、他国への示威行為ね。

 異世界から喚ばれた人って、たいていがわたくし達より進んだ技術や知識を持ってるの。

 あとは本人の素養にもよるけど、特異な能力を持っていたり、高い戦闘能力を持ってたりもするわね。

 そういう人を囲い込めたら、国益になるでしょう?」


 ――国益。


 そう答えながらも、姫様のお顔は不快そうにしかめられていた。


「言ってしまえば、その為に――国力を増やす為に、異世界人を拉致してくるのが勇者召喚ってワケ……」


「それって、他にも異世界の人がいるという事ですか?」


「ええ。アーガス王国ウチ以外にも勇者召喚の神器を保有してる国はいくつかあるわ。

 最近だとセルディア帝国が六年ほど前に、勇者召喚を成功させたと聞いてるわ」


 ――姫様が仰るには。


 セルディア帝国は勇者がもたらした技術によって、従来より高速で進む船を造り、周辺国家を海から攻めることで併呑して、その版図を拡大させたのだとか。


「幸いその船は、数が限られているのと長距離航海には向かないみたいで、アーガス王国ウチは攻められてないけど、セルディア帝国とはソラス湾を挟んだだけの位置関係でしょう?

 いずれ船の改良が進んで侵攻されたらって、みんな怖くなったのね……」


 姫様が言うみんなとは、王様をはじめとした城でまつりごとに関わる人達の事だ。


 つまり、王城の主だった人達の総意として、勇者召喚は行われるという事。


「――だから二年前、我が国でも数百年ぶりに勇者召喚が執り行われる事になったの」


「――ッ!?」


 今度こそ、息が止まるかと思った。


「まあ、その時はうまく行かずに、なにも現れなかったんだけどね」


 そう苦笑する姫様のお顔を見る事ができなかった。


 ――二年前。


 それはわたしがこの世界にやって来た時期だ。


「……ミィナ、本当にどうしたの? ひょっとして具合が悪い?」


 鏡に映ったわたしの顔はひどく青ざめていた。


 痺れたように手の感覚が鈍くて、背中一杯に汗が噴き出す嫌な感覚を今でもはっきり覚えてる。


 目の前がぐるぐると回り、鏡台から立ち上がってわたしを抱き留めた姫様のお顔がひどく歪んで見えた。


 ――わたしは、勇者召喚でこの世界に喚び出されたの?


「――ちょっ、おまえ、とにかく座りなさい!

 今、水を――」


 と、わたしをご自身がお掛けになっていた椅子に座らせ、水差しを取りに向かう姫様。


「――そ、それよりも……」


 わたしはとっさにその手を掴んでいた。


「……アーガス王国は、喚び出した勇者をどうするつもりなのですか?」


「そんな事言ってる場合? おまえ、本当にひどい顔色なのよ?」


 姫様はわたしの手を振り解こうとしたけれど。


「お願いします。姫様。教えて下さい」


 姫様の手に額を当てて懇願するわたしに、結局姫様は折れてくださって。


「言ったでしょう? それは勇者の素養によるわ。

 知恵ある者なら、大学や魔道局の研究に協力してもらうだろうし、過去には政治に明るくて法を整えた人もいたそうよ。

 戦いに向いた人なら騎士団に所属してもらって、魔獣や野盗、山賊の討伐に駆り出される事もあると思う。

 なんにせよ勇者という存在は、他国への示威的な意味合いもあるから、悪い扱いはされないはずだわ」


 姫様はわたしの身体に両手を回し、背中を擦りながらそう教えてくれた。


「……喚び出した勇者を、還してあげる事はできるのですか?」


 わたしは質問を重ね、けれど姫様は首を横に振る。


「少なくともわたくしが知る限りでは、勇者が元の世界に還ったという話はないわ。

 我が国が保有する神器も、喚び出すだけで還す方法はわからないそうよ。

 だからこそ、勇者を喚び出した国は基本的に勇者に不自由させないように努めるのよ」


 ……還れない。


 不意に突きつけられた事実は、それほどショックではなかった。


 どこかでそんな感じがしていたし、還ったとしても……


 ――あんたなんか産むんじゃなかったっ!


 最後に聞いたお母さんの言葉が蘇った。


 ……あの世界にわたしの居場所は、きっともうない。


 あれから二年も経ってしまっているんだもん。


 お父さんは居なくなったわたしを、心配してくれたかもしれないけど……


 日本に居た時はぼんやりとしかわかってなかった事だけど、この頃にはわたし、理解できてたんだ……


 ――お父さんが家を出ていった理由をさ……


 お母さんがいない時に限って、時々、ウチに遊びに来てたあのお姉さんの為だよね?


 お父さんはわたしに優しかったけど……お母さんだって、お父さんが出ていくまでは優しかったんだ。


 お父さんはわたしやお母さんより、あのお姉さんを選んだ。


 ――だから。


 きっとお父さんにはもう、あのお姉さんとの生活があって……


 いまさらわたしが還ったところで、誰も喜んだりしない。


 あの世界にはもう、わたしの居場所なんてないんだ。


 そう考えたら、知らないうちに涙が一筋だけこぼれた。


「本当に……おまえは優しい子ね。アーリーそっくり。会った事もない勇者の心配をしてあげるなんて、お人好しも良いところだわ」


 囁かれたその言葉に、わたしはひどい罪悪感を覚えた。


 ――違うんです。姫様。


 わたしは喚び出される勇者の心配をしていたんじゃなく……


 そう言いたかったのに、それを告げた時の姫様の反応が怖くて、わたしは言葉を声にできなかった。


「……安心なさい。わたくしはそもそも勇者召喚自体に反対なの。

 儀式そのものは残念ながら止められなかったけど、喚び出された勇者が不当に扱われないように働きかけるつもりよ」


 わたしの顔を覗き込んで、安心させようとしてくれてるのがよく伝わってくる微笑みで、姫様は仰った。


 ――ああ、この時、わたしにもう少しだけ……あと少しだけ勇気があったなら。


 きっとわたしを待ち受けていた未来は、まったく違うものだったはずなのに――旅をしている時に、そんな「もしも」を何度も夢に観た。


 ――わたしも異世界から来たんです!


 そう告げるだけで、姫様は持てるすべてを使って、わたしを守ろうとしてくれたはずなんだ。


 ……けれど。


「……例えば、例えばなんですけど……」


 臆病で弱虫なわたしは真実を語るどころか、はぐらかすような真似をしてしまった。


「……喚び出された人が、なんの知恵も力もなくて。せいぜい執事や侍女くらいの仕事しかできなかったら、どうなるんでしょう?」


「ん~、おまえはおかしな事を訊くわね。

 前例がないから断言はできないけど……それでも異世界の知識を持ってる事には変わりないから、大事に扱われるんじゃないかしら?

 ――少なくとも、わたくしはそうなるように働きかけるわ」


 騎士団本部の訓練場で、騎士に勝った時に見せる自信満々のお顔。


「――姫様っ!」


 わたしは堪らず姫様の胸に顔を埋めていた。


 ――弱くて怖がりなわたしは、本当の事なんて言えないけど……


 それでもこの方と離れたくない。


 この人の為に働きたい。


 この王女宮と『春の彩』こそが、わたしの帰る場所なんだから。


 ……だから。


 わたしはわたしが異世界から来た事を隠し通そうと決めたんだ。


 ……それが、取り返しがつかないほど、どうしようもなく間違った選択だったと知りもせず。

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